第7話 男装という言葉が死語化した瞬間は確かにあったはずなのに、それがどんなだか、分からない。女装という言葉が言葉として死んでいくのは、どんな感じだろう?
私たちは商工会のお偉方さんに呼び出されました。
今までは、私的な町おこしの一貫だろうと大目に見てきたけれど、さすがに堪忍袋の緒が切れた、というところでしょうか。理事の半分は激怒し、もう半分は呆れかえっているという、噂でした。てれすこ君と2人連れ立って、昼下がりの午後、まちなか交流館に行ってみると、案に相応して、理事長以下、全員が激怒していました。
同じ激怒していると言っても、水産加工をやっている部会の人たちは冷ややかな感じで、飲食部会の人たちとは、温度差があるようでした。テーブルの上にはペットボトルのお茶が用意されていましたが、誰も口をつけず、代わりに煙草をやたらふかしていました。コの字型に長机3つ並べられた席にお偉方が7人ほど座り、少し離れた壁際には、町役場職員さんたちが控えていました。入口ドア付近には商工会事務方の若い女性が控え、記録を取りはじめました。
私たちは、コの字型の中央にて、深くお辞儀しました。パイプ椅子が2つ並べられてはいました。が、誰も「腰を下ろせ」と言ってくれなかったので、仕方なく立ち尽くしました。
「いい年して、お説教を食らうのは、不本意だろうが」という前置きの後、私たちは、直立不動で、理事長代理という水産加工会社社長から、お説教を食らいました。
彼によると、わざわざ奇をてらった仕掛けをしてもらわなくとも、商店街にはじゅうぶん、観光客も地元の客も入っている、とのことです。三陸の復興トップランナーと言われているように、立ち上がりが早かったこともあり、また、旅行会社当との連携がうまくいっていることもあり、客足は途切れない、とか。海外からのお客さんでは、台湾からの団体客が一番多い、という情報も、教えてもらいました。
「で? 君らの釈明は?」
私はDSPスカートの目的をかいつまんで説明しました。
理事たちは、理解はしていても、納得はしていないようでした。
「なぜ、今、やる必要があるのか? なぜ、女川で、なのか? そもそも、女川でやるメリットはあるのか? 東京でも仙台ででも、できることではないのか?」
原理的な問い……「そもそも」論は、想定外でした。
平身低頭、陳謝を述べていれば、嵐は過ぎ去るだろうと、私たちは楽観的に構えていました。場合によっては、ウチの営業妨害をするのか……と逆ギレしちゃおう、と打ち合わせていたのです。
てれすこ君が、私の袖を引っ張ります。
「どうせなら、思い切って、大ボラを拭きましょう。こまごました詳細を語れば、ツッコミが入ります。けむに巻くには、反論が難しいスケールで語るに限りますよ」
どんなに荒唐無稽な大ボラでも、シナリオ抜き、台本抜きで語るのは、骨が折れることですが……。
「では、お答えします。なぜ、今やる必要があるのか? です。それは、これまで、どこの誰もチャレンジしていないから、です。いわば、一番乗りの特権を獲るためです」
いわゆる民族衣装でない、欧米起源のファッションカルチャーが浸透している地域で、女装という言葉が死語になるくらい、女装が普及している地域は、ありません。つまり、どこででも、成功させていないことを成功されれば、女川は世界的なファッション革命の発信地となるでしょう。パリやニューヨーク、そして東京など、ファッション最先端の地であるがゆえに、アパレル産業が集積している場所は、多々あります。女川がメンズスカートの流行を成功させれば、ここが女装アパレル・メーカーのメッカになること、間違いありません。近年、町内経済を支える秋刀魚の漁獲量が減少ぎみで、原発も先行き不透明な状況で、新産業育成の足掛かりとなる仕掛けをすることが、悪いことでしょうか? 今、町で起きているカオス状態は、いわば「生みの苦しみ」とでもいうべきもの。虎穴の入らずんば虎児を得ず、という故事成語もあります。この、後ろ指を差されるような状況が、延々と続くわけではありません。今しばらく、
「忍」の字で、我々を見守っていてもらいたい。
「……どう、てれすこ君」
「悪くないです、海碧屋さん。でも……」
「なんです?」
「海碧屋さん、実は、結構なホラふきだったんですね」
「それって、褒め言葉?」
理事長たちは、ガヤガヤと話合っていました。
やがて、反論です。
……なんだか偉そうなことを言っているが、本気で女川にアパレル産業が育つと思っているのかね、というもっともな疑問が上がりました。
「可能性はゼロではない。さらに言えば、いったんメンズスカート市場が立ち上がれば、これはかなり巨大な市場であることが、予想できます。市場規模を推測する、一番のヒントはアメリカその他世界のゲイ市場です。トラベルボイスというネットニュースによると、旅行だけでも二千億ドルを超えると言われる超巨大規模のLGBT市場があるとか。日本でも、週間ダイヤモンド編集部のビジネス書によると、五兆七千億円の規模があるらしい。でも、日本では、LGBTへの理解許容が始まっていると言っても、例えば同性婚などは未だ法制化されていません。そう、日本では潜在的巨大市場が立ち上がる前夜の状況であって、潜在的ライバルたちがモタモタと様子見をしているからこそ、スタートダッシュでリードし、シェアを稼いでおくという戦略が実行できるのです。メンズスカートは、ゲイ市場の一部しかカバーしていないと言うのは確かです。けれど、これを入口に、他のゲイ市場にも打って出るという足がかりにも、なりうるのです」
窓際で、時折外を眺めていた白髪の理事が、私たちを促します。
「続けて」
「フェルミ推定を用いて、メンズスカートが日本に普及しきった場合の市場規模を考えてみましょう。今、日本の総人口を一億二千万とします。人口の半分が男子だとして、六千万。この六千万のうち、乳幼児など、そして高齢ゆえにこれ以上被服そのものを購買しない層など、一定数年齢要件で女装をしない……いや、女装用被服を買わないであろうカテゴリの人たちを除きます。人生八十年と言われていますから、〇歳から四歳まで、プラス七十六歳から八十歳までの八年間、ちょうど人生の十分の一の期間にあたる人口層を除きましょう。六千万マイナス六百万で五千四百万。この五千四百万から、断固としてスカートなんかはかない、という女装拒否層を除きます。一般的に社会における異性愛者に対する同性愛者の割合は、九対一、そう、人口の一割くらいは真正・両性愛を含む同性愛者だと言われていますので、同じくらいの割合、ホモフォビアの人間……いや、この場合メンズスカート・フォビアの男子がいる、と仮定しましょう。五千四百万の一割は五百四十万で、これを元からマイナスするんですけど、数字がややこしくなるので、丸めて五千万弱、としておきます。
で、この五千万弱の男子が、年に一回、三千円のメンズスカートを購入すると仮定すると……千五百億円という値になります」
「推定というか、仮定、最後のほう、ずいぶん端折ったな」
「アパレルの購買パターンは個人差が激しくして、本来、この手の推定には向いてないですからね。季節変動だけ考えても、夏冬シーズンに合わせて大量購入する人もあれば、炎暑の季節に合わせて夏用だけ買う、なんていう人もいるでしょうし。ただ、ズホンでもスカートでも、丸一年はき続ければ、布の耐久力から買換え時期がやってくるでしょう。自動車などは、たいして走行距離がなくとも年式が古くなっていけば、いずれは買換えなくてはならないように、なります。スカート等は少し性質が違う消耗品でしょうけど、まず何よりアタリの数字を出すのが大事と思ったので、この手の減価償却の考え方を応用してみました」
「……なんか、たばかられているような気がするなあ」
一番若い理事が、鼻毛を抜きぬき、言います。
「それでも、数字の大きさには、注目してもらわないと。女川地方卸売市場の売上高はいくらくらいですか。八十億くらいで推移していること考えれば、いかに巨大市場かと分かると思います。さらに言えば、これは日本一国についてだけの推定であって、他の、欧米ファッションが普及している国への輸出を考えれば、さらに市場が……いえ、夢が広がるでしょう。男子のほとんどがスカートをはくなんていう社会、非現実的、と思いますか? ここで推定しているのは、今現在のように、女装にまだ偏見がある社会エートスの世界ではなくて、DSPスカートが普及しきった、偏見が消え去ったあとの世界です」
「じゃ、海碧屋さん。ちょっと聞くが。その偏見をひっくり返すのに、いったい、何十年、いや、何百年かかるのかね。今ような、商店街に昼間から百鬼夜行が練り歩いている状況が何年も続くようでは、とうてい割に会わんよ」
イヤミったらしく言う長老理事に、私は少しムッとしました。
「そんなに時間は、かかりませんよ、たぶん。男装禁止だったころの百年前のアメリカ、ブルーマー夫人の時代に比べれば、今は格段に恵まれています。経済経営、法政治、そして人文系、どの分野でも、追い風になってくれこそすれ、反対はしないはずです。経済経営については、今言った通り、潜在的巨大市場が立ち上がるってことです。法政治についてですが、例えば、中学校高校の制服について、男子スカート女子スラックスを選択できる学校が出てきているように、男女平等の法理念現実化が着々と進んでいます。政治系ではLGBT等の運動。これは、いわずもがな、です。そして、人文系。世界のファッションシーンの文化人類学的比較などが、色々と私たちに教えてくれます。たとえば、腰に布を巻くというスタイルを女性のものと定める欧米文化こそ、実は珍しい風習なのだ、ということです。歴史をさかのぼれば、その、当のヨーロッパにおいても、男性が腰のまわりに布を巻いていた時代があったのであって、現代のファッションスタイルはヨーロッパに限定しても普遍的ではありません。近未来、再びスカート男子が不自然でない時代がやってきてもおかしくない、と思うのです」
理事たちは、さらに食い下がりました。
「しかし……仮に、その男子スカートが普及したところで、男っぽい男は、決して、はきはせんだろう。アンタのやろうとしていることは、結局、オカマを量産するっていうことじゃ、ないんかね」
「それこそ、偏見ですよ。というか、女装が普及しきった世界に対して、まだ誤解があるようです。今現在の世界という、男装が普及しきって、男装という言葉そのものが死語になっている世界がありますね。これと対になるが、女装が普及しきった世界です。で、考えてみてください。今現在の日本で、スカートの代わりにズボンをはく女性はナンボでもいますけど、彼女たちを差して、男っぽいという人は、いないでしょう?」
「まあな」
「だったら、男子スカートが普及しきった世界では、スカートをはいたところで、女っぽいと言われない、ということです」
一番若い理事が、投げやりな感じで、言います。
「そーかなー。そこんところが、よく分からん」
「ジェンダーを語るときに、日本のユニークな伝統としてよく語られる演劇に、歌舞伎とタカラヅカがあります。これを例にとって説明しましょう。最初に結論から言ってしまえば、私たちはスカートというアイテムに対してジェンダーを意識してしまいがちだけれど、令和に入った現在、実はそうではなくて、アイテムに付属する、というかアイテムを飾り立てたりするディティールにこそ、男らしさ、女らしさは宿る、ということです。
ご存じの通り、歌舞伎は役者が男性だけ、タカラヅカは役者が女性だけ、という舞台演劇です。歌舞伎で女性キャラが必要になったときには、女形という女装役者が、タカラヅカで男性キャラが必要になったときには男装役者が演じます。日本で男装、という言葉が現役で残っているのは、おそらく、このタカラヅカという演劇で、くらいのものでしょう。双方とも異性装によって異性を演じる演劇なのですが、その異性装をする舞台衣装が特徴的なのです。歌舞伎の場合、女装役者は観客から見て完全に女性に見えるように演技し、衣装も同様に勤めます。そう、異性装化を突き詰める努力を究極までする、と言っていいでしょうか。実際の女形にまつわる役者論も、同じ方向です。いかに女性に見えるか、あるいは、女性以上に女性に見えるような演技を、など言ったりします。ところが、同じ異性装役者と言っても、タカラヅカの場合、演目によっては、異性装化を突き詰めません。服装の型・演者の物腰等は確かに男性のものですが、顔は一般女性のような化粧だったり、服のディテールにリボンがついたりフリルがついたりして、男性化の揺り戻しとして、女性らしさも加味していると、言っていいです。それぞれの成立年代の違いや、ファン層の違いもありますが、なぜに、歌舞伎は女性らしさをトコトン追求、タカラヅカは男性らしさをトコトン追求しないのか?」
「時間がもったいないから、結論から、頼む」
「歌舞伎の女装は、すなわち、男性的ジェンダーの徹底排除の上に成立する。男性が、男性的ジェンダーな恰好をするのが当然だからこそ、その異端として女装という言葉が残っているのです。コインの裏表の関係ですが、女装役者が女性になり切るプロセスは、実は男性的なるものの排除の過程であって、だからその完成形を目指すとなれば、異性装化を突き詰める必要がある。けれど、女性役者が女性的ジェンダーを徹底排除したころで、男装の完成形という形にはなりません。もうすでに、今現在は、女性が女性的ジェンダーの恰好をせねばならない時代ではなくなったからです。そう、女性が男性の恰好をしたところで、異端ではない。すなわち男装という言葉が死語になってしまっている。それなら、ある演目では男装を追求し、他の演目では女性性を加味して、多様な趣向を持ったファン層にアピールしたほうが、いいだろう」
「その、多様な趣味のファンとは?」
「歴史にイフはありませんけど、仮想世界を考えたほうが理解しやすいと思いますので、少し歌舞伎の歴史をさかのぼって、考えてみましょう。もともと、出雲のお国が始めたと言われる歌舞伎は、舞台の上に男女両性の役者が立つのが当たり前でした。しかし、女性役者が舞台で演技するのは風紀上よろしくない、ということで、女性役者が禁止させることになりました。そして、女性の代わりに年少の若者が女装して女役をやるようになります。若衆歌舞伎の成立です。そして、ここからがいかにも日本的だと思うんですけど、そのうちに、この女装少年役者も風紀上よくない、と禁止されるようになるのです。こうして、今現在私たちが鑑賞している歌舞伎、野郎歌舞伎が成立しました。
で、この歌舞伎役者として許可されない性別年齢が増えていったプロセスを、今風に考えてみましょう。
最初は女性役者がエロくてケシカラン、でした。まさか舞台上でストリップ等をやったとまでは思いませんが、観客を集めるためにサービス過剰な演出がたびたびあったのかもしれません。そして、次に若衆歌舞伎「男の娘」役者です。で、この「男の娘」も女性役者同様、やはりエロいから、仕方なくオッサンを女装させるハメになったのだ……というわけです。
この「男の娘」もやっぱりエロくて、というくだりを考えると、日本人のヘンタイ遺伝子のなせるワザなのか、当時もオタクみたいなマニアックな消費者がいたのか、とにもかくにも、令和の思考プロセスでもエロさの基準が変わっていないのは、面白いと言えるかもれしれません。
さて、ここからが、歴史的なイフです。
この「男の娘」役者が、エロさは万人に認められながらも、舞台に上がることを禁止されなかった場合、どうなっていたか。つまり、若衆歌舞伎から野郎歌舞伎への進化進展がなかった場合のことです。ついでに演目が時代劇でなく現代劇の場合のみ、考えてみましょう。
「男の娘」役者のファンになった観客に、二通りあることに、まず注意を向けてください。一つ目は、お国歌舞伎の時代そのままの観客で、女装役者を完全に女性役者として応援する人々です。彼らは、例えば男性ファンの場合、性的嗜好は女性好きで、しかし江戸幕府が女性役者を禁じてしまったため、代替として「男の娘」役者を応援する人です。あくまで女性が舞台に上がらないものだから仕方なく妥協し、また、「男の娘」役者に極力「女」を見出そうとする人々です。他方、「男の娘」を女性の代替品として見ず、「男の娘」を「男の娘」のまんま受入れ、ファンとなる人々がいます。つまり、「男の娘」役者に、真正女性役者とは違ったエロスを見出し、アイドルとして祭り上げるという人々です。
で、この場合、歌舞伎の舞台興行者は、どんなふうに役者を売り出すでしょうか。
前述の通り、二通りのファンにアピールするために、この「仮定」若衆歌舞伎では、女形に二通りの装いをさせていたのではないか、と思うのです。一つ目は、現実の野郎歌舞伎同様、完全に女性になり切る、女性以上に女性らしさを目指す、という今と同じ方向。そして、もう一つが、女らしさは追求しながらも、わざと男の子らしさを残す、そう「男の娘」役者としての売り出しです。そして、完璧女装と、「男の娘」と、売り出し方のどこが違うかというと、やはり、ディテールだろうと思うのです。舞台衣装のアイテム、スカートをはいたり、化粧をしたり、などという大枠はもちろん一緒です。けれど、「男の娘」を強調するのであれば、ペッタンコの胸をペッタンコのまんま強調したり、股間の膨らみを目立たせたり、かわいさを損ねないようにしながらも、生物学的に男であることを、さりげなく、それなりセクシーにアピールするのではないのか……と考えられます」
「結論には、いつたどりつくのだ」
「もう少し、待ってください……で、この仮定の若衆歌舞伎の、男女をそっくり入れ替えたところに、タカラヅカ歌劇団はあるのでは? というのが、説明の骨子です。つまり、現実には存在していない若衆歌舞伎の「男の娘」役者と対になるのが、タカラヅカの男装の麗人たちだろう、と。三十代で引退するタカラヅカの役者さんと、年金をもらう歳まで舞台に上がり続ける野郎歌舞伎の女形を比較すれば、この手のアイドル性……ある種の性的消費の対象になる、という点が欠けています。もし、この仮定の若衆歌舞伎が存在していれば、少なくとも、その女形役者さんは二十代三十代で引退するでしょう。これは、江戸時代にあった、陰間茶屋なる、女装売春宿の陰間さんたちの引退年齢からも類推できます。
で、次に、現代の野郎歌舞伎と対になる女性役者演劇を考えてみましょう。野郎と対になるように、これを女郎タカラヅカ、としておきます。女郎タカラヅカでは、男装役者は男になり切ります。たとえ化粧をしたとしても、それは一般女性に見えるような化粧ではなく、男性により近づくための化粧です。役者は若いうちに引退せず、それこそ人間国宝と呼ばれるような歳まで、延々と続けることと、します。で、じゃあ、この女郎タカラヅカの男装役者さんをして、男っぽい、とか、オナベとか、そういう蔑称を使えるか、です」
「……分からない」
「野郎歌舞伎の女形が、白塗りと着物と演技のせいで女性にしか見えないのと同様、女郎タカラヅカの役者さんは、男性にしか見えないでしょう。スカートを入ったら女っぽいか、という最初の質問に戻りましょう。この質問の裏を考えると、つまり、ズボンをはいたら男っぽいか、ですけど、そもそも「ぽい」というのは、彼女に女性的な兆候が残っていたり、女性であると認知しているという条件のもとに発せられる質問です。質問の文脈にもよりますが、少なくとも今話している流れで言えば『このズボンをはいた男は、男っぽい』などという言い方はしません。だから、おそらく女郎タカラヅカの男装さんに、男っぽいという言葉は使えない。男、そのものにしか見えないのに、『ぽい』もヘッタクレもないだろう、ということです。
では、この完全に男にしか見えない女性を、「男っぽい女性」にまで戻すには、どうしたらいいか。わざわざスカートをはかせるまでもなく、彼が女性であると気づかせるディテールさえあれば、ちゃんと「男っぽい女性」になるのです」
理事長代理が、言います。
「ふうむ。つまり、その反対が、女っぽい男性、と言いたいのだな」
「そうです。少なくとも、スカートというアイテムそのものには、本来、女性っぽさが付随しているわけではありません。いや、もっと正確に言えば、たとえば百年前のアメリカのように、スカートをはくのは女性だけ、と決まっていた時代であれば、そうだったのかもしれません。けれど、男性が当たり前にスカートをはく時代がきたら、それは女性ジェンダーの象徴にはなりえない、ということです」
白髪の理事が、ギロリと目ん玉をひん剥かせて、ツッコミを入れてきます。
「アメリカだのの例を出して、ケムにむこうとしとるんじゃろ」
「では、服飾アイテムが、男性のもの・女性のものと分化していない、日本のユニセックスな伝統衣装を例にとって、傍証とすることにしましょう。ずばり、日本の浴衣です。着用するときの前の合わせ方や帯等、少々の違いはあれど、基本、男女ユニセックスな衣装です。しかし、この衣装は、きちんと男性向け・女性向けと、別々のものとして認知され、販売され、そして着用されています。そう、他のユニセックスな衣装、軍服や作業服等と違って、同一被服で男女双方OK、ではないのです。この場合、男性用か女性用かを区別するのは、そのカラーリング等であって、基本デザインそのものではない。つまり、ディテールが、その被服の性差を決定しているのです」
理事長代理が、今度は質問してきます。
「自分の都合のいい例だけあげて、説明しているんじゃないのか?」
「うーん。都合の悪い例と言われても、反論していけばキリがなくなること、なんですけどねえ。じゃあ、もう一個だけ傍証を。エプロンです。私も、ここにいる皆さんも、昭和の男ばかりなんで、専業主婦が当たり前だった時代に、母親や奥さんがエプロンをして台所に立っていたことを、覚えているでしょう。その時代のエプロンというのは、着用者の主婦に合わせて、女性的な・あるいは女性向けのデザインでした。そして、エプロンはそんなお母さん方の象徴でもありました。でももちろん、令和の今は違いますね。もとも女川は、男も台所に立つのが当たり前という土地柄なので、ピンとこないかもしれませんが……そうそう、学童期の男児のお孫さんや、ひ孫さんがいる方は、家庭科授業等に子どもが持っていくエプロン等を、見たこと、ないでしょうか? これは、お母さん方が使っているのとは違って、たとえばドクロマークが入っていたり、軍隊のような迷彩柄だったり、ロボットアニメのキャラクターが描かれていたり、と全力で男の子っぽさを主張するデザインになっていることが、多いです。要するに、半世紀前には主婦の象徴、女性の象徴と考えられていたアイテムが、ディテールの変化によって、実はそうでないことが気づかれた、いい例ではないでしょうか」
一番若い理事が、まとめに入ります。
「……いちいち考えるのがめんどくさくなってきたから、追求はこのへんにしておくか。でもさ、蒸し返すようだけど、なんで、さっきの説明、歌舞伎とタカラヅカだったのさ」
「純粋な男でも、女でもない、その間に立つ存在の説明というのは、存外と難しいものなんですよ。具体例をあげて説明しないと、今、皆さんがしゃべったような、オカマどーのこーのっていう、ステレオタイプにいきついてしまいます。今の若者たちに説明するなら、アニメやマンガがあるでしょうし、インテリ層に説明するなら、流行りの女性学から引用も悪くないでしょう。でも、この手の話と普段、縁のない生活を送っている商工業者に説明するのは難しいです。結局、無難なところで、歌舞伎やタカラヅカになるってことです」
てれすこ君が私の代わりに、DSPスカートのコンペ……ファッションショーまでの日取りを説明しました。およそ一週間後に当該コンペがあり、その後はキッパリとメンズスカートの着用自粛を呼びかける、と約束すると、追求はようやくやみました。
一週間後のファッションショーは、コンペの参加者・身内だけでやるんではなく、商工会協賛のイベントということにしてやれば、出店等で会員さんたちにも利益があがります。てれすこ君がその旨、揉み手しながら詳しく説明しました。
「ふん。今までさんざん迷惑をかけられてきたんだから、それぐらいの役得は、当然だな」
理事長代理が尊大に腕を組み、うなずきました。受付の女性が「詳細は商工会事務方で詰めます」と言ったところで、会はお開きになりました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます