第38話 名付け

暗く冷たい雨の中、俺を抱く女性ひとささやくように言った「生きて」と。

そしてあたかかった腕から少しずつぬくもりが消えていく。


ああ何時いつもの夢だ。

物心のもごころつく頃から繰り返し見る夢。


俺を抱いた女性ひとが母だったのか、そうでなかったのかも判らないが、俺を守り生かすためにその命を掛けてくれた。


『生きる』ことを望まれた。


たったそれだけ。

でも何よりも重く、優しい想い。

自分が望まれた存在であることを証明する言葉。


だから俺は生きることを迷わなかった。

生きてあの女性ひとの想いに応えられていることが嬉しかった。

そしてあの女性ひとにも生きて欲しかった。

生きている俺を見て欲しかった。


あの時、そばぬくもりが失われる事が不安で、怖くて、淋しくて。

もう誰も失いたくない。

もうあんな想いはしたくない。


   ◇ ◇ ◇


気が付けば、真っ暗な空間に独り立つ俺が居た。

何が起きたんだ? 

そう考えると、ゆっくりと思い出される。


巨大な大猪ボア、折れた剣、夢見、新しい剣、嘘吐胡桃ライアーナッツ、夜営、子銀狼こフェンリル銀狼フェンリル… …そして体の変調。


自身が鮮血を吐き『死』を感じた事までを思い出した。

そうか、俺は死んだのか。

死にあらがうには力が及ばなかったらしい。


折角あの二人が支えてくれたのに、皆が想ってくれたのに、俺は応えられなかったらしい。

胸が痛み、酷く寒い。

俺はその場で膝を抱え座り込んだ。


どのくらいの時が過ぎたのか、ふとかたわらにぬくもりを感じて顔を上げた。


「おまえ、なんで。」


そこには子銀狼こフェンリルの姿があった。


「イッショ、ニイル。イッショガ、イイ。」


舌足したたらずな幼い声がこたえ、そっとり寄って来る。

俺は子銀狼こフェンリルの体をそっとで、そのぬくもりにほぅと息を吐くと同時に、子銀狼こフェンリルがここにる意味を理解していた。


「お前まだ産まれたばかりだったろ? 何でなんだ? 何で俺なんだ?」


子銀狼こフェンリルは俺をまっすぐ見つめた。


「ウマレル、マエカラ、シッテタ。アイタイヒト、ガ、イル。ダカラ、サガシタ。タスケテ、クレタ、トキ、ワカッタ。アイタカッタ、ヒト。オレ、ヴェルデ、イッショ、ニイル。ダメ?」


最後に不安げな眼差しを向ける子銀狼こフェンリルをそっと抱き締めた。


「駄目じゃない。俺を探してくれたんだな、ありがとう。そしてごめんな。折角せっかく産まれたのに、俺が不甲斐ふがいないばっかりに、死なせることになって。」


子銀狼こフェンリルは俺の顔を舐めると思いもしない事を言ってきた。


「ナマエ、ホシイ。」

「え、俺がつけるのか?」


驚いてそう聞き返すと子銀狼こフェンリルはこくりと頷いた。

俺なんかが名付けてもいいのか迷ったが、俺の為にここにいる子銀狼こフェンリルに少しでも返せるのならと考えることにした。


「よし、お前の名前は『ゼーン』。古代語で“生きる”って意味だ。次に産まれることが出来たら、また一緒に生きような。」

「『ゼーン』うん、オレの名前。ヴェルデありがとう。」

「ゼーン、お前、言葉が…」


俺の考えた名を、子銀狼こフェンリルは受け入れ喜んでくれた。するとそれまで片言かたこと辿々たどたどしかった言葉が、突然流暢りゅうちょうなものに変わった。


「ヴェルデがオレを受け入れて、名前をくれたから契約が結ばれたんだ。だから話せるようになったし、ずっと一緒にいられる。」


契約というのは従魔契約のことだろう。まさか死んでからも契約が出来るなんて思わなかった。


「契約…そうか。じゃあゼーンは俺の家族だな。」


ゼーンの「すっと一緒だ」の言葉に弟が出来たような気になって、嬉しくなった俺はそう告げた。


そうして互いに身を寄せ合っていると、不意に鈴の音が聞こえてきた。

その優しい音色に、俺とゼーンが静かに聞き入っていると、温かな光が降り注ぎ、俺たちの体が淡い光に包まれた。


  

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