第11話 招き猫
さて、無慚。
聞き込みを若者に任せたことで暇になった、と心斎橋南詰付近にある饂飩そば切り屋へ立ち寄った。昨日岡部とも食いにきた店である。じつは昨日口にした蕎麦が、じつに好みの味だった。
暖簾をくぐる。昨日とおなじく若主人が竈に立つ。むっつりと押し黙って、目線だけをこちらに向け、こくりと目礼をひとつした。
しっぽく蕎麦を頼み、ひと息。
さて蕎麦を食ったらどうするか、と思案する。時間潰しは申の刻まで。一度天満宮へもどって花の話を聞くもよし、ついでに社の下に埋められていた目玉無しの動物たちを弔ってやろうか。いやしかし、それをひとりでやるにはちと重労働か──。
クウ、と胸の辺りから音がした。
無慚の懐ですっかり寝入ったコテツの寝息である。長らく静かだったゆえ忘れかけていた。蕎麦を食うには邪魔になる、と無遠慮に首を掴んで持ち上げると、猫はふぎゃあと文句を言ったが、無慚の膝に下ろされるやすぐに大人しくなった。
「……雲水様の猫ですか」
若主人が口をひらいた。
商売人らしからぬ無愛想な態度だが、無慚からしたら媚びへつらわれるよりよほどいい。すこし上機嫌に「イヤ」と答えた。
「なんでかむかしッから動物には好かれましてね」
「そいつは羨ましい。自分はどうも嫌われます。犬も猫も、好きなのですがね」
「ハッハ。それはおめえさまのツラが怖ェんでしょうよ。大坂じゃあ愛想が良くなきゃ人も畜生も寄りつきゃしねえ」
「ツラ構えは似たようなものでは」
「オッ、言うじゃねえか。その返しはわるかねえ」
「……ありがとうございます」
と、若主人は不器用に口をひきつらせ、しっぽく蕎麦を出してきた。昨日食った味を思い出してか、口内に唾液が湧く。
「此れだ此れだ──いただきます」
無慚は深く合掌をしてから、豪快に音を立てて蕎麦を啜る。うむ、出汁がいい。とつぶやくと鍋のもとへもどった若主人は無言のまま頭を下げた。なるほどこの男、ただの口下手である。
二、三口と蕎麦を口に運んでから、無慚は若主人を見た。
「前に帰ェってきたときは、こんな店なかったな。いつから?」
「まだ半年、新米です」
「ヘエ。此処じゃあ新米だろうが、味は玄人だ。里は──その訛りァ坂東モンじゃあるめえな。此処より西か」
「出てましたか。筑前の田舎者です」
「むこうの男は武骨者が多いと聞くが、どうやらそうのようらしい」
と、若主人にほほ笑むと無慚はしばし蕎麦に集中する。男は葱を切りはじめた。
「貴方が無慚様、でしたか。昨日いらしたときはおどろきました」
「おれを知っとるのかね」
「以前よりお噂はかねがね。此処で聞くものは、あまり良いものではないですが」
「此処でおれの話をする人間なぞ少なかろう。たれに聞いた」
「はあ。あの日は無慚様のお話し一色でしたがね」
「あの日?」
無慚は、器に揺蕩う汁へ目を凝らす。
はあ、と若主人はつぶやいた。
「ひと月ほど前ですか。竹本座にて復活上演がおこなわれた日。あの日此処へ来る客はみな、浮かない顔で無慚様のお話を──」
「復活上演だと」
汁のなかから箸で葱をたぐり寄せる無慚の手が止まる。
ざわり。胸がさわぐ。まさか、と顔を上げて若主人を見た。
「それァ、まさか、『曾根崎心中』じゃァあるめえな?」
「流石。よくお分かりで」
「なぜあれを。ありゃあ心中事件が増えたってんで自粛していたはずだぜ」
と食ってかかる無慚に、若主人はかすかに困惑の色を浮かべる。
それはそうだ。およそ半年前に筑前から上ってきたという大坂の新参者が、座元の上演事情についてくわしく知るわけがない。無慚は聞くと同時にそう気づき、気まずそうに器へ視線を落とす。空気を変えるべく一気に汁を飲み干した。
「いや、いい。それで──アンタはその『曾根崎心中』を観たか」
「残念ながら。開店したてに店を休むわけにもいきますまい、ここは座から帰途につく客の通り道ですゆえ」
「それもそうか。イヤ、観なくていい。観ねえ方がいいさ」
「お嫌いですか」
「好きだよ。気狂いしちまいそうなほどにはね」
「…………」
「しかしあんなものは、所詮愚かなことよ。どれだけ語りでうつくしく飾り立てようとも──生きることよりうつくしい死に様などあるまい」
「──同感ですな」
「話が合うねえ。蕎麦もうめえ、主人もいい男とくりゃ通い詰めるしかなさそうだ」
無慚は立ち上がる。
膝上で丸まっていた黒猫はあわてて地面へ着地した。彼はかわいらしい声色でひとしきり無慚に文句を言ってから、錫杖伝いに登って無慚のふところへとおさまる。
まあ、と袂から小銭を取り出す。
「どんなうわさを聞いたか知らぬが、知ってのとおりの嫌われもんは、残念ながらいましばらくこの町に留まる。ゆえにまた食いに来させてもらおう。客が減って困るというなら遠慮なく言うてくれ、人けのない時間を選んで来よう」
「無用のご配慮。見てのとおり、無愛想な主人の店にはそうそう客も来ますまい」
「はっはっは。似た者同士だな」
「ひとつお聞きしたく。無慚様」
「なんだ」
「お噂のひとつにある『人ならざる者の声を聴くことあり』とは、まことか」
「それがまこととして、如何する」
「────いえ、ただの興味です」
「…………、オイ、コテツ」
無慚はおもむろに懐へ手をつっこんだ。
中で丸まっていた黒猫は首根っこを掴まれてずるりと出てくる。ひじょうに不機嫌な顔で、しかしおとなしく無慚を睨みつけている。
「眠いところわるいな。おめえ、ちくとこの店を繁盛させる手を知らねえか。ここの蕎麦は味が良いのに主人が無愛想ゆえなかなか客が寄りつかぬ。招き猫でもおればすこしは変わろうもんだが」
「にゃあ」
コテツは鳴いた。
するとまもなく無慚の手から地上へ降り立ち、店を飛び出す。若主人は興味深そうに包丁を置いて、猫のゆく先を見送った。四半刻もせぬうちに猫はせかせかと駆け戻る。
そのうしろに、十匹ほどの野良猫を引き連れて。若主人もこれには舌を巻いた。
「な、なんと」
「さてコテツよ。…………」
無慚が可笑しそうに口を閉じた。
場は静寂に包まれるが、互いに見つめ合う無慚とコテツは何事かを話しているのか、時折無慚の表情が変わる。
おもむろに無慚が、野良猫のなかから一匹を拾い上げた。コテツはにゃあ、とふたたび鳴く。
ホレ、と無慚が野良猫に話しかける。
「あれがおめえの主人だ。どうだ気に入ったか」
「クルルルル」
野良猫は若主人をひたと見据えた。
若主人の顔がひきつる。猫は好きだが、なにせこれまで懐いてきたことがない。ゆっくりと膝をつき、野良猫へ手を伸ばしてみる。
シャア、と野良猫は掠れた声で威嚇した。
やはりだめか──と若主人は即座に手を引っ込める。すると無慚はケタケタわらって若主人の手をとった。
「こわがるな」
「はい。……」
無慚にうながされた若主人はふたたび手を伸ばす。尻尾の付け根を撫でてみろ、と言われてやさしく触れると、猫はスンとおとなしくなり、撫でられるや途端に若主人へ顔を擦り付けた。
次は顎下。
脇腹も好きらしい。
なに首のうしろだと。
と。
無慚は手元でコテツを撫でながら、若主人へ指示を出す。言われたとおりに撫でつづけると、野良猫は一気に腰砕け、店のど真ん中でごろりと転がった。
若主人の頬が朱に染まる。
「なんと──これほど心許されるは初めてです」
「この猫が触れてほしいところを、おまえさんが悉く撫でてやったからだ。さあ、これで招き猫が来た。ちったァ店の愛想も良くなろう」
「まさかほんとうに──猫の声が」
「猫だけじゃねえ。いま、そこいらの木や草花がこの店の評判を風に乗せて流しているのが聴こえる。この野良猫たちが道々で言ってくれたようだ」
「そ、そんなことが?」
「山川草木や鳥獣を馬鹿にしちゃならん、主人よ。こやつらは人間よりもよほどこの世を生くるがうまい。そう遠くもなく、繁盛するぜ」
無慚はコテツを懐に入れ、ゆっくり立ち上がった。若主人の視線が招き猫となった野良猫へ注がれる。
「名は、なんと呼ばれたいだろうか。なにか言うておりますか」
「…………名はね、おのれで付けるよりも、親に付けてもらいたいのだとさ。いい名ァ考えてやりゃあいい。コイツはきっとなんでもよろこぶよ」
「そうですか。……」
若主人は猫をやさしく抱きしめた。
猫はクルルルルと喉をならして、若主人の胸へ顔を埋めた。
若主人はたいそうよろこび、無慚に頭を下げた。このよろこびよう、よほどいままで猫にフラれてきたらしい。
さあ、と無慚は残りの野良猫へ視線を向ける。
「おまえさんたちも、しばらくはこの辺りを根城にするといい。近ごろ犬猫の目玉をくりぬいてころす輩がいやがるようだからな、ここの主人に守ってもらえ」
「ニャー」
猫は返事をするように鳴いて、一斉に店の周りに居着きはじめる。どういうことですか、と若主人が眉をひそめた。
「なんでもねえ。ただ、しばらくはこの猫たちも気にかけてやってくれ。みなコテツの友人らしいからな」
「心得ました」
「蕎麦屋」
無慚は網代笠をかぶる。
「は?」
「──いや。貴様を信じよう」
と。
ひょいと太陽を見上げる。時刻はあっという間に申刻へ近づく。とはいえ、ここからふなの店は遠くない。
若主人の辞儀を背に、無慚は店を出た。
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