その8
”いよいよ最後だ”俺は大きく息を吸い、そのビルへと入っていった。
そこは台東区は秋葉原、ラジオ会館すぐ近くの雑居ビルの五階と六階にささやかな事務所を構えるコンピューターソフト開発会社だった。
本田氏の創設したグループ企業では、最もささやかな規模の会社で、それでも年間2億円あまりの売り上げを出しているという。
”消防法に引っかからんのか”と、余計な心配をしながら、段ボール箱が雑然と積み上げられた狭い階段をゆっくりと上がっていく。
エレベーターを使おうと思ったが、元来好きじゃないし、それに急ぐ用事でもないからな。
一歩一歩踏みしめながら、まずは五階へと上がった。
飾り気のないドアの上に”H&Kソフト開発株式会社”とプレートの出たドアをノックする。
返事がない。
もう一度ノックした。
2分ほどして、やっとドアが内側から開いた。
黒縁の眼鏡、髪の毛を後頭部で団子のようにひっつめた、年齢も定かでない女性が顔を覗かせた。
地味なセーターに黒の腕カバー、紺のフレアスカート、化粧っ気も殆どない、少なくとも3~40年くらい前のテレビドラマから抜け出てきたような、そんなスタイルだった。
『何か御用ですか?今はお昼休みで殆どの社員が出払っていますが?』
半分ほどドアを開け、辺りを注意深く見まわしながら、分厚いレンズの向こうから、探るような目つきで俺を見ながら、
俺は黙って
『ああ、社長ですか』
彼女はそう言い、目を上に向け、
『社長なら、上の作業室に居ますよ』それだけ言うと、俺の鼻先で、ドアを閉めてしまった。
俺は肩をすくめ、再び段ボールが両側に詰んである階段を上がって六階にたどり着き、
『作業室』とプレートの出た、飾り気のないドアの前に立ち、さっきと同じくノックを二回鳴らす。
返事がない。
続けてもう二度、
相変わらず応答がなかった。
仕方ない。
ノブに手を掛け、回してみる。
鍵はかかっていなかった。
中に入ってみると、静まり返った部屋の中で、パソコンのキーを叩く音だけが聞こえていた。
事務机が置かれた、だだっ広い(実際はそれほどでもなかったのだが)室内には、一番奥に人影があった。
彼はこちらに背を向け、只管パソコンに向かい、何やらデータを打ち込んでいる。
背中しか見えないが、くすんだ茶色いジャケットを着た背中を丸め、時々、
『えいくそ』
だの、
『ああ、もう』
などという独り言を洩らす以外は、全くディスプレイから目を放そうとしない。
俺はわざとらしく大きな音を立てて咳ばらいをしてみたが、それでも彼は何の反応も示さなかった。
『お仕事中申し訳ありませんが、国本進さんですな?』俺が声を掛けると、
容貌は・・・・世間でいうところの”オタク”という記号に当てはまるものだった。
油気のない伸び放題に伸びた髪、鼻の下から顎にかけて、カビのように伸びかかった無精ひげ、黒縁眼鏡に厚目のレンズの奥には、充血して、何だか生気が無くなりかけている眼が光っていた。
『あんたは?』
彼は椅子から立ち上がろうともせずに、擦れた声でぶっきらぼうにそれだけ言った。
面倒だとは思ったが、俺はもう一度懐に手を入れて
『私立探偵の
いい加減うんざりしていたが、6回目、これで最後だと自分に言い聞かせ、俺はまた本田功氏から依頼があったことと、それから例の”箱”について話した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます