その7

 東京湾を望む臨海副都心に建てられたそのビルは、地上37階、地下3階という、超は付かないまでも、まあ高層ビルと言ってもいいくらいの、全面ガラス張りの巨大ビルだった。

『本田商事』と刻まれた銘板が、玄関のすぐ前に掲げられている。

 本田氏によれば、現在の社長は、社名そのものを横文字に変えたかったらしいが、これには創業者であるところの本田功氏が大反対して、今のままになっているのだという。

 今しも、そのビルの正面玄関車寄せに、一台の黒塗り乗用車が滑り込み(本田グループと提携している某自動車メーカーが開発した最高級車である)、運転席からダークスーツ姿の中年男が降りて、後部座席のドアを開けた。

 中から降りてきたのは、グレーの背広に身を包んだ、背が高く痩身の、如何にも神経質そうな表情の男だった。

 これがこの会社の経理部長、遠藤亮40歳、切れ者中の切れ者である。

『お待ちしていましたよ』

 俺がそう言って声をかけ、歩み寄って認可証ライセンスとバッジを提示すると、彼はかけていた銀縁眼鏡を持ち上げ、それから俺の顔と、腕時計を交互に観てから、

『悪いが今日は予定スケジュールが詰まっていてね。どうしても直接話したいなら、秘書を通してくれたまえ』

 そう言って、後から黒い鞄を下げて降りてきた背の低い頭の禿げた、彼よりも十分に年かさと思える男に目で合図をする。

 それだけ言い置いて、彼は速足でビルの中へと入っていった。

”たかだか経理部長だってのに、随分と権力を握っている男だな”

 彼の後ろ姿を見ながらそう思った。

 俺は秘書を名乗る男から、彼の予定を聞くと、

”近いうちにもう一度こちらから電話する”と言い、その時はそれで引っ込んだ。

 しかし、腹の中ではもう決まっていた。

”こいつはダメだろう”

 俺は敷地から外に出ると、手帳を取り出し、例のリストに赤いボールペンで、

『遠藤亮』の名前の横に、大きくバツ印を付けた。

 

 別の日、俺はやはり同じ社屋を訪ねた。

 リストの五番目、本田功氏が挙げた六人の内で唯一の女性、川口春美氏、同社の人事部の主任である。

 今回は流石に前もってアポイントメントを取っておいたので、受け付けで名前を言うと、すんなり通してくれた。

”ティールームで待っていてくれ”と言われたので、俺は自販機で紙コップのコーヒーを買い、10分ほど待っていると、グレーのパンツスーツを着た、色の白いスリムな女性がパンプスの音も高らかに、

『お待たせしました』と、入ってきて、俺の身分を確認すると、名刺を差し出した。

『顧問(彼女は本田氏をこう呼ぶ)から、あらましは伺っております。顧問がおっしゃる”箱”についても、聞き知っております。

 しかし、誠に申し訳ございませんが、ご辞退させて頂きます』

 いきなりストレートにそう告げた。

『顧問には大変目を掛けて頂いて申し訳ないのですが、私は自分の実力で上を目指したいのです。その”箱”が、見たことがないので良くはしりませんが・・・・魔法に頼って生きて行くほど、私は夢見がちな人間ではありません』

 パキッとした、漬け込む隙のない宣言だった。

『私だって人並みに野心みたいなものは持ち合わせています。しかしそれは現実とリンクしたものでなければならないと思っています』

 それだけ言うと、彼女は右の手首に付けた、太い革バンドの防水腕時計に目をやり、

『それではこれで、後の予定が詰まっていますから』

 それだけ言い残し、立ち上がると深々と一礼し、踵を返してそのまま立ち去って行った。

”これも駄目・・・・か・・・・”

 俺は手帳を出し、ボールペンで彼女の名前に✖を付ける。

”後一人じゃねぇか。どうなるかな?”

 俺はそう呟き、残っていたコーヒーを飲み干した。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る