その6
次に訪ねたのは、
彼は50の坂を越えたばかりで、もう既に副工場長という地位にありながら、未だに現場に立ち続けている。
広々とした工場は、あちこちで機械が動いている。
だがその中で彼の声は、その唸りに負けないくらいの
応接室に通された俺が待っていると、彼はドアを蹴破るような勢いで入ってくると、ソファから立ち上がった俺が自己紹介をするのも構わずに、
『今忙しいんでね。手短に頼みますよ』
と、いささかいらついたような口調でいい、作業服の胸ポケットからハイライトを取り出し、口に咥えながら、俺の前のソファに腰を降ろし、まるでエンジンのいかれたトラックのように、間断なく煙を吐き出し続けた。
『ったく、今の若い奴らときたら、何でも機械だのコンピューターだのに頼って、自分の目や手の感覚で仕事をしやがらない。おまけに仕事が上がらなくっても、時間が来たらとっとと帰っちまう。それで注意をすれば、やれ”パワハラ”だのなんのと口ばかり達者なんだからな』
と、ぶつくさと愚痴を1ダース近くも並べ立ててから、
『ところで、あんた何しに俺のところへ?』
初めて気が付いたように俺を正面から見据えた。
俺が本田功氏からの依頼について説明をすると、卓子の上にあった、大きな硝子の灰皿にねじ付け、すぐに2本目に火を点け。
『ああ、あの”箱”な』
と、ぞんざいな口調で徳山はハイライトの煙を噴き上げ、言った。
作業服の右のポケットを探り、ねじを一本取り出す。
『こいつを見てくれ、俺が一番信用できるもんだ。朝9時から、時には夜の7時まで残業をして、工作機械と格闘し、油まみれになりながら、寸分違わず同じものを
削り出す・・・・俺は工業高校を卒業してからこっち、それを続けて32年、ずっとこいつを続けてきたんだ。それが今の会社の基になっている。何かを”箱”とやらに放り込んでおけば、幸運が舞い込んでくるなんて、そんな夢みたいなもんじゃない。汗と油にまみれ、俺が削り出したこいつ・・・・こいつが俺の信用できるただ一つのものなんだよ』
彼は一旦言葉を途切れさせ、それからまた続けた。
『社長(彼は今でも本田氏をこう呼ぶ)があんなものを頼っているとはね。考えてもみなかった。だから今あんたに喋ったのと同じことを言った。
社長に言っといてくれ。俺の答えは前と少しも変っちゃいませんってな』
悪いけど忙しいから、そう言ってハイライトをまたさっきと同じように灰皿にねじ付けて立ち上がり、靴音を鳴らしながら部屋を出て行った。
ぶっきらぼうだが、好感の持てる男だ。俺は思った。
しかし、あの”箱”を受け継ぐ意思がないのは、本人の口からはっきり宣言されてしまったからな。
”こいつも失格だな。”
俺は3つ目のバッテンを手帳に記したリストに付ける羽目になってしまった。
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