おうち時間と無数のくま

常盤木雀

おうち時間と無数のくま


 「おうち時間」。

 朝日を浴びてストレッチ。時間の余裕を活かして、コーヒーを楽しむ。座り心地の良い椅子で、ノートパソコンに向かってお仕事。お昼は近所のお店のテイクアウトを利用して、贅沢ランチ気分。午後は集中して仕事に取り組んだ後、部屋を片付けたり、手のかかる料理を試してみたり。のんびり晩御飯を食べたら、今までなかなかできなかった趣味の時間。お風呂は良い香りの入浴剤を入れて、じっくり半身浴。お肌のお手入れをして、早い時間に布団に入る。


 ――そんなものは、どこか遠くのSNSにしか存在しない。


 だって、時間があれば、その分気を緩めてしまうものでしょう?

 自分を律して、規則正しく優雅な生活をするには、大きな才能が必要だと思う。わたしには向いていない。憧れはするけれど、実現するのは不可能だ。

 わたしの「おうち時間」は、ある意味日常で、ある意味非日常な、くまとくまとくまとくまと……たくさんのくまたちに囲まれるものだった。



 新興感染症の流行に伴うテレワークが広まりきったころ、わたしの職場でも自宅勤務を命じられた。テレワークではない。自宅勤務だ。つまり遠隔でできる仕事がない。セキュリティの関係であったり、道具の問題であったり、簡単に在宅勤務はできないらしい。それでも「仕事に関する勉強をしておくこと」という命令で自宅待機に給与を出してくれたのだから、良い会社なのだと思う。

 曖昧な指示を良いことに、わたしは自宅勤務という名の休暇を満喫した。

 世の中には、動いていないと落ち着かない人間も多いけれど、わたしは怠惰な休暇を過ごすのは得意である。


 一日目は、寝て過ごした。日頃の疲れを癒すのは、体調管理をする上でも大切だ。これも仕事の一環。途中、少しだけ勉強の本を開いた。


 二日目に目が覚めると、部屋にくまが落ちていた。誤解しないでほしい、熊ではなく、くまのぬいぐるみである。てのひらサイズの茶色いくまに見覚えはなく、どこから出てきたのか全く分からなかった。わたしはくまを棚に座らせて、部屋の片づけを始めた。快適な勉強環境を整えるのが最初にするべきことだと思ったのだ。けれど二時間ほどで疲れてしまい、昼寝に移行し、気付けば夜。慌てて食事をし、勉強をした。


 三日目。またくまが落ちていた。わたしは何かのお菓子についていたリボンを探し出し、前日のくまに赤いリボンを、新しいくまに青いリボンを結んでみた。並べて飾ると可愛らしかった。この日も片づけをして、昼寝をして、勉強をした。


 四日目あたりから、あまりはっきりと覚えてはいない。起きると、くまがまた落ちていた。それも二体。この日を境に、毎日、落ちているくまの数が増えていった。

 知らないくまが落ちていることについて、怖いとは思わなかった。不思議ではあったものの、可愛いから良いかなと気楽に考えていた。


 ある日、わたしはまじめに一日を過ごした。早起きして掃除をし、勉強をして、近隣を散歩し、料理をし、また勉強をして早く寝た。わたしでも、たまには活動的に行動できる日もあるのだ。

 その翌日、くまは落ちていなかった。それどころか、一体減っていた。

 朝くまを拾うのが楽しみになっていたわたしは、くまを探し回った。ベッドの下や扉の陰など、考えられる場所を覗き回った。しかし、分かったのは、棚のくまが一体少ないことだった。

 念のため、貴重品を確認したけれど、何も減っていなかった。もちろん増えてもいない。そうなれば、くまだけを盗みに他人が入り込んだとは考えにくい。もともとどこからか現れたくまである。消えるのも自由なのだと解釈した。


 わたしのまじめな生活が続くわけがない。だらしない日常とまじめな一日を繰り返すうち、わたしはくまを理解した。

 くまは、わたしがわたしらしい過ごし方をした翌日に増える。そして、人に知られても恥ずかしくないような生活をした翌日には、一体が消えてしまう。

 くまは時折減るものの総数は増え続け、棚に乗り切らなくなり、そのうち部屋中にあふれ出した。減るのは一体なのに増えるのは複数なのだから、当然だ。動物の多頭飼育崩壊ってこんな感じなのかな、と思いつつ、くまは食事も世話もいらず糞もしないので、たくさんいて可愛いな、で済んだ。

 もしもわたしがきれい好きな人間だったら、きっと耐えられずに規則正しい生活を心掛けただろう。でも、怠惰な人間は、散らかっている状況でも平気なのだ。「足の踏み場がない」の基準だって緩い。わたしは生活を改善することもせず、気ままに過ごした。


 新しい季節になると、自宅勤務が終わってしまった。

 ごろごろしながらも多少は勉強も進んだため、近いうちに、資格試験を受けられそうだ。職場でも、勉強の成果を活かす機会を探している。受験勉強だってこれほどしっかり取り組まなかったのに、勉強をしたのは給与が要因だと思う。無給の休業だったら、思う存分に仕事のことを忘れて堕落していただろう。


 そして、出勤をするようになれば、ある程度規則正しい生活を送るようになった。

 朝起きる。出勤する。働く。帰宅する。食事する。休む。寝る。

 最初は気付かなかったけれど、それはくまにも影響していた。くまが減っていく。共に過ごした可愛いくまが、減る一方だった。増えないのだ。休日に朝から夜まで寝て過ごそうと、全く増えない。ただの休日ではだめらしい。



 棚の上には、まだくまがいる。きっともう少ししたら消えてしまうだろう。

 以前と変わらない休日の過ごし方なのに、寂しさが残る。せめてリボンをつけたくまだけでも残ってほしいなと思いながら、今日も怠惰な休日で足掻いている。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おうち時間と無数のくま 常盤木雀 @aa4f37

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ