第2話 裁判官のアップデート
ここはX社の工場。工場内のオフィスにて一人の
「これでよし。後は結合テストだな」
何かのプログラムのソースコード修正とデバッグ、単体テストを終えたSEは、ノートパソコンに接続されているAC/DCアダプターのコンセントプラグを電源タップから外した。更にセキュリティワイヤーも外す。
SEは、机との束縛から解放されて自由になったノートパソコンを抱えて実験室に向かった。
実験室内にあるシンプルで大きな机の上には、緑色の静電マットが敷かれている。その上で一人の男性が仰向けになって天井を見つめている。男性の口は閉じていて、何も話さない。
男性の顔の形は四角、髪はもじゃもじゃ、目はぎょろり、鼻は団子鼻、頬はふっくら。体つきは少しだらしない。
実験室の扉が開く。そこから、ノートパソコンを抱えた一人の男性が入ってきた。先程のSEである。
SEは机の上の男性の頭の近くにノートパソコンを置いた。
SEは男性の両こめかみの辺りにある何かを左右それぞれの手で掴んだ。そして、何かをぐりぐりと回す。すると、男性の眉から上の部分がパカッと外れた。
男性の頭の中には、人間にあるはずの脳みそというものが無かった。その代わりに、緑色の四角い板がそこにあった。板には黒くて四角い板状のもの複数と、米粒よりも小さいもの多数がくっついている。
SEは男性の頭の中に手を入れ、緑色の板を取り外した。緑色の板は、CPU、メモリ、チップコンデンサ、チップ抵抗等の電子部品が半田付けされたプリント基板である。
プリント基板にはUSB端子も付いている。SEはプリント基板のUSB端子と、ノートパソコンのUSB端子をケーブルで接続し、ノートパソコンを操作してファイル転送ソフトを立ち上げた。
SEはファイル転送ソフトにて、転送対象のファイルを複数選択した。転送対象のファイルは「SekineRichter.exe」、「SekineRichter.ini」等である。
SEはファイル転送ソフトの転送ボタンをクリックした。いくつものファイルがノートパソコンからプリント基板に転送される。ファイルの転送は無事に終了した。
SEはプリント基板を男性の頭の中に戻し、男性の眉から上の部分を取り付けて、男性の姿を元通りにした。
SEが男性のヘソの部分を押す。すると、男性が起き上がってSEの方に振り向いた。
SEが「おはよう」と挨拶すると、男性も「おはよう」と挨拶した。
「それではラジオ体操をしようか、関根理比太」
「うむ」
男性――関根理比太――が机から降りて、SEのそばに立つ。
SEはノートパソコンを操作して、音声ファイルを開いた。さわやかなピアノ演奏が流れ出す……
SEと関根理比太は腕や体、足を曲げたり伸ばしたりしながら、ノートパソコンからの掛け声通りに体を動かしていった。
やがてピアノ演奏が終わり、二人の体操も終わる。
「身体能力の方は問題なし。ここから先のテストは、私一人ではできないから待っていてくれ」
「うむ」
SEは正社員のいるオフィスに向かった。このSEはX社の正社員ではない。派遣社員か請負会社のスタッフかのどちらかである。さらに付け加えると、請負会社に派遣されたスタッフが、請負会社の社員という名目で、X社内で働いている場合もある。
X社内の労働者の大半は派遣社員か請負会社のスタッフであり、X社の正社員は二割にも満たない。開発部門に所属している正社員の主な仕事は、開発設計の上流工程や派遣社員の管理である。下流工程は主に派遣社員や請負のスタッフに任せている。
請負と言っても、やっている事は殆ど派遣社員と同じであり、派遣社員と同じように正社員の指示を受けて働いている。
依頼された成果物を完成させて、それを依頼主に収めて対価を得る事を請負と言い、それを担う会社が請負会社である。なので、本来ならば正社員が請負会社のスタッフに直接指示する権利は無いのである。
請負契約している人間を派遣社員と同じように扱う行為は、偽装請負であり、違法行為である。
請負契約の場合、成果物に対して給料を支払う。これを悪用し、表面上は請負にしておくことで、残業代を支払わずに働かせる事が可能になる。
また、正社員ではないから労働基準法で保護されない上、派遣社員でもないから派遣法でも保護されない。そのため、労働者に指揮命令しているにもかかわらず、その労働者を保護する義務がないがしろにされてしまう。この事も偽装請負が違法とされる所以である。
X社を含め、多くの製造業やIT企業等で、この違法行為が横行している。先程述べた通り、企業側が横着できるからだ。
「永山基準プログラムの修正と身体能力テストを実施しました。問題はありません。これから裁判テストを行いますので、立ち会いをお願いします」
関根理比太の身体能力テストを終えたSEが、X社の正社員にプログラム修正完了の報告と、これから行うテストの相談をしている。
関根理比太は人造人間である。皮膚はゴム、筋肉はシリコーンゴム、骨は金属でできており、心臓はバッテリー、心臓以外の内臓はモーター、眼球はカメラ、耳と鼻はセンサー、口はスピーカー、ヘソは電源スイッチとなっている。また、体の随所にケーブル類が張り巡らされている。人工物ではないのは体毛くらいのものである。
男性用小便器の形をした専用の充電器が別にあり、充電したい時は、陰茎の部分にある充電端子と、充電器の中から伸びている黄色いケーブルを接続して充電する。
先日の裁判の結果があまりにもおかしいということで、関根理比太は裁判所からX社に送り返されていた。所謂リコールである。
そこで今回、X社が行ったのは、永山基準アルゴリズムの見直しである。
永山基準とは大雑把に言うと、殺人事件の犠牲者数で死刑か否かを決める暗黙の量刑判断基準である。一人なら殆どの場合は無期懲役、三人ならほぼ確実に死刑であり、二人の場合は死刑か無期懲役かは微妙なところである。
先日行われた裁判では、殺人犯である被告の残虐性から、多くの人が死刑を予想していたにもかかわらず、残虐性が加味されなかった為、無期懲役となってしまった。
X社は招いた法学者と開発部門のスタッフ達を交えて、永山基準アルゴリズムの見直しを行った。見直されたアルゴリズムはプログラムに落とし込まれた。プログラムのソースコード修正やデバッグ等は、今、正社員と話しているSEによって行われた。
SEが言っていた結合テストにあたるのが、身体能力テストと裁判テストである。特に裁判テストは、リコールの原因となった永山基準プログラムが修正されているかどうかを見極める重要なテストである。
その為、正社員による立ち会いが必要なので、SEは正社員と相談していたのである。
「そこまで終わったのか。それじゃ、実験室に行こう」
「お願いします」
実験室にて模擬裁判が行われている。内容は先日行われた、殺人事件についての裁判と同様のものである。SEが被告、正社員が原告の役である。
「判決! 被告人を死刑に処す」
どうやら、永山基準プログラムはきちんと修正されたようである。
「OK! 後はコミットと報告書の提出を行ったら出荷だ」
正社員が満足そうな表情でSEに言った。
ここで言うコミットとは、プログラムのソースコードのバージョン管理用語である。専用のサーバにはリポジトリと呼ばれるファイルの保管場所があり、そこにソースコードを記述したファイル(以下、ソースファイル)を送信して保存する。これがコミットである。
「わかりました」
SEはソースファイルのコミットと報告書の提出を済ませた。その後、関根理比太は専用のケースに入れられて、裁判所に向けて出荷された。
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