第2話 朝のひととき

 


 部屋にはベッドが二つ並んでいる。向かって左、窓際の年季が入ったベッド。

 その隣りに真新しくふかふかのベッド。

 新しいベッドは今日運び込まれたものだった。

 しかしそのベッドの持ち主であるルビィは、ワンピース型のパジャマの裾をふわりとなびかせて、古いベッドに入る。

 端によって座り、くりくりとした丸い瞳で私を見ていた。

「ルビィ、あなたのベッドはそっちでしょう」

「いや!ソフィニャといっしょ、いっしょに、ねる!」

 ぶんぶんと首を振り不満そうに眉毛をハの字にする。

「分かった。それじゃ一緒に寝ましょう」

 私がベッドに入り込むと腕を掴んで体をくっつけてくる。

 思えばルビィが以前家にいた時も、こうして同じベッドで寝ていた。それはこの家には私のベッドしかなかったからだけれど。

 私たちは並んで横になった。

 窓からこぼれ落ちる満月の明かりと、わずかに開いた隙間から涼しい夜風が流れ込んで来る。

 夏になったばかりだが、私が住む黒豹族の国は北にあり、夜ともなれば日中の暑さは消えて涼しくなる。

 ルビィは寒いのかブランケットに頭まですっぽり入っていた。はみ出した耳が時折ぴくんと動くが、すでに寝息が聞こえているので、眠りに落ちてしまったようだ。

 私も小さなぬくもりを感じながら目を閉じた。

 

 

 ルビィは猫族の女の子である。猫族の国の中にある小さな領地のお姫様だった。

 なかなかに行動力のある彼女は、お見合いが嫌で逃げ出し、黒豹族の国へとやって来た。

 全身泥まみれになりながら、ぼろぼろになったルビィは力尽きて、私の家の近くの森に座り込んでいた。

 そして私はそんなルビィを見過ごすことができずに、彼女を連れ帰ってしまった。

 それからルビィの従者に見つかるまで、私たちは二人で同じ時間を過ごした。

 言葉が通じないながらも、ルビィも私によく懐いてくれたし、私もそんなルビィが愛おしくてたまらなかった。

 ルビィは一度故郷に帰ったものの、私に会いたいと再び黒豹族の国へと留学という形で戻って来てくれた。

 こちらにルビィ用の家を彼女の家族が用意したのだが、ルビィは私と住むと言って、以前のように共に暮らすことにした。

 今日無事にルビィの荷物を家に運んで、引っ越しを終えた。

 留学期間は三年。取り敢えず三年はルビィと一緒に暮らせることになる。

 私の一人ぼっちの褪せた日常も、ルビィという家族同然の少女がいることで彩りを取り戻した。

 十六歳のルビィと二十七歳の私。十近い年の差があるので、上手くいかないこともあるかもしれない。

 それでもルビィとなら楽しい生活が送れそうな気がしている。

 

 

 私が再び目を開いたのは日の出間近の早朝だった。レースのカーテン越しに、日が昇る前の淡い水色の空が見えていた。

 起きるにはまだ早い時間だが、私はすっかり目が冴えている。

 隣りのルビィはまだ深い眠りの中にいる。時々、にゃむにゃむと寝言が聞こえた。両手はしっかりと私の腕を握りしめている。

 まるで小さな子供のようで微笑ましく、私の胸に温かな感情が流れ込んだ。

 これからどうしようかと思案する。

 眠気がどっかに消えてしまったので二度寝する気分ではない。

 この時間を仕事に使うには少々もったいない気もしている。

 朝の爽やかな空気を吸いに散歩に行くのがいいかもしれない。

 私はルビィを起こさないようそっと腕を外し、ベッドを抜け出て服に着替える。

 家の近所を軽く散歩して来よう。

 部屋を出る前に私はタオルケットをルビィの体に掛け直した。起きる様子はない。

 しばらくは夢の中の住人のままだろう。

 私はなるべく音を立てないように外へと出た。

 朝の空気は心も体もすっきりとさせてくれる清涼感に満ちている。私は目一杯深呼吸して、気分をリフレッシュさせた。

 家を出て住宅街を抜けて森に入る。

 どこか遠くから小鳥たちの囀りが聞こえて来る。小径の端には咲いたばかりの朝露に濡れた白百合が点在していた。

 百合の独特の芳香が鼻に抜けてゆく。

 家の庭にも同じものが咲いている。

 私は気が赴くままに進んだ。

 そして以前ルビィを見つけた木のところまでやって来る。

 あの時はまさかあの子が家族同然の存在になるとは思っていなかった。

 小さくて健気で一生懸命なルビィは私にとっては大切な存在だ。

 今日の朝食はあの娘が好きなホットケーキにしようと決めて、私は来た道を戻った。

 森を抜けて、再び住宅街へと入る。

 街はまだまどろみの中だ。

 小さな声で鼻歌を歌っていると、前方のカーブした道の先からペタペタと足音がして来る。

「ソフィニャ〜」

 現れたのはルビィだった。寝間着のまま駆けて来る。

 キョロキョロと辺りを見回しながら今にも泣きそうな声音で私の名前を何度も呼ぶ。

「ルビィ!」

 声をかけると私に気づたルビィは急いで私の元にやって来た。

「ソフィニャー!」

 思いっきり私の懐に飛び込む。

「ソフィニャ、きえる、ダメ」

 ルビィは大粒の涙をこぼす。

 どうやら私がどこかに消えてしまったと勘違いして、探しに来たのだ。

「ごめん、ごめん。ルビィ、消えたりしないから大丈夫。ちょっと散歩に行ってただけなの」

「ひとり、いや!」 

 ルビィはしっかりと私に抱きつく。どこにも行かせまいとするかのように。

「大丈夫、ルビィを一人ぼっちになんてさせないから。お家に帰ろう」

 よく見るとルビィは裸足だ。私がいないことに気づいて慌てて出てきたのだろう。

「ルビィ、足怪我してない?」

「へいき」

 とは言うものの、このまま裸足で帰るわけにはいかない。

「ルビィ、おんぶするから背中に乗って」

 私はくっついてるルビィを離して、しゃがんで背中を向ける。

 ルビィはすぐに私の背中に乗っかった。

「ソフィニャ、せなか、あったかいー」

 ルビィは私の背中に頬ずりをする。

「はい、それじゃ帰ろう。今日の朝ご飯はホットケーキにしようって、さっき決めたの。ルビィはホットケーキ好きでしょう?」

「ホットケーキ!? ルビィ、すき。ホットケーキすき。ソフィニャのつぎに、すき」

「一番は私なの?」

「ルビィ、ソフィニャ、いちばん!!」

 ご機嫌になったルビィを乗せて私は家へと帰った。

 帰宅後はまだ朝ご飯には少し時間が早かったので、二人でベッドでゴロゴロしていた。

 ルビィはまだ眠かったのだろう。すとんと眠りに落ちていた。

 近所から一日の始まる気配がしたところで、私もベッドから抜け出しキッチンに向かう。

 先程宣言した通りにホットケーキを作る準備をする。

 フライパンで焼いていると、甘いいい香りが漂う。それに気づいたのか、まだパジャマのままのルビィがやって来た。

「ソフィニャ、ホットケーキ!!」

 私の横に立つとフライパンの中を覗いている。キレイな飴色になったふかふかのホットケーキを私は皿の上に滑らせた。

「なー!」

 ルビィは目をきらきらさせて見つめている。

 私はホットケーキをダイニングのテーブルに運んだ。ルビィは嬉しそうに軽い足取りで後を付いて来る。

 続いてテーブルにはバターにメイプルシロップ、クリームにラズベリージャムを並べた。

「ルビィ、好きなの乗せて食べていいからね」

「おいしそうなのー! ソフィニャ、だいすき!!」

 満面の笑みでご機嫌な姿を見せてくれるので、自然と私の頬もほころんだ。

 私は自分の分のホットケーキも焼いて、テーブルまで持って行く。飲み物はルビィが好きなミルクを選んだ。ルビィは律儀に私が来るのを待ってか、まだ食べていなかった。お行儀良く両手を膝の上に乗せて、ちょこんと座っている。

「待たせちゃったね。それじゃ食べようか。いただきます」

「いただきますー」

 私はバターだけを乗せ、ルビィはメイプルシロップをたっぷりかけてからバターを乗せた。

 二人で甘い朝食に取り掛かる。

 ルビィはホットケーキが好物とだけあって、実に幸せそうに食べている。

 特別なことがなくても、こうして日常にはささやかでありながら、心を潤してくれるものがある。

 もし私が一人のままなら、ホットケーキだってそんなに楽しく食べられなかった。

 ルビィという大切な子が一緒だからこそ、より一層美味しくなる。

 二枚重なったホットケーキの一枚目を食べ終えたルビィは、さっそく二枚目に取りかかる。今度はラズベリーのジャムを塗っている。

「ルビィ、美味しい?」

「おいしいー! ソフィニャ、つくった、いちばん、すき!」

「ありがとう」

 私よりもずっといい暮らしをしてきたルビィなら、ホットケーキだって凄腕の職人が作ったものを食べていたのではないだろうか。それでも私が作ったものを一番だと言ってくれるのは嬉しいものだ。

 こんな毎日が続いたらいいのに。

 私はルビィの愛らしい笑顔を見ながらそう願わずにはいられなかった。          

 

              

 

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