第142話
コドルンは急斜面をスルスルと滑り落ちていた。
「ぐぁぁ、小賢しい奴らめ!」
落ちた先がどうなっているのかなど分かるはずのないコドルンだが、滑り落ちた先が自分にとってよくない場所だったということよくある話。
コドルンだってそれくらいは理解していた。落下に抗うコドルンは鋭い爪を斜面に突き立てる。
「こっのぉらっ!」
キーン
だが刺さるどころか、引っ掻きキズ一つ付かない。
「くっ……」
諦めの悪いコドルンは何度も何度も爪を突き立てるが、結果は変わらない。
「クソガァァア、やりたくねぇが……あいつら(グラッドとクロー)見つけたら絶対殺してやるっ!」
斜面を滑り落ちながらも、怒りで顔を真っ赤に染めたコドルンは、大きな翼を目一杯広げた。
バキバキッ
「ぐぅ……」
大きな翼は広げきる前に狭い通路の壁に遮れ大きく折れ曲がる。
翼を器用に扱う種族ゆえにその翼には神経が多くある。
そのため普段なら傷を負わないように気を使うほどだったが、背に腹はかえられないと覚悟を決めたが、
「ガァァァァッ!」
味わったことのない激痛に襲われたコドルンの額には玉状の脂汗がびっしりと浮かび上がっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
だがその甲斐あって、広げた翼が通路いっぱいに広がり、滑り落ちていた身体の速度を緩め、やがて止まった。
「ふぅ、ふぅ……痛ぇ、許さねぇ、許さねぇぞ。殺す。ぶっ殺してやる」
それからコドルンは折れた翼と両手足の鋭い爪を器用に使い、滑り落ちてきた急斜面をゆっくりと登り始めた。
「ふぅ、ふぅ……あそこか……」
しばらく急斜面を登っていると斜面が少し緩やかになった。
コドルンが顔を上げてその先を確認してみれば、そこで急斜面が終わっている。つまり元いた地点に戻ってきたのだと理解する。
「絶対許さねぇ」
ここまで戻ってくればもう大丈夫だと判断したコドルンの頭の中は、グラッドとクローに対する報復のことしかない。
「許さねぇ(まずは翼を再生してから、奴らを見つけ、ぶっ殺す。いや、少しずつ細切れにして泣き叫ぶ奴らの顔を原型が崩れるまで蹴りまくって嬲り殺す、いや、これだけじゃ俺の気がおさまらねぇ。もっとだ、もっと地獄をみせてから……)」
だから気付くのが遅れた。緩やかだった急斜面の勾配がさらに傾き、ほぼ直角といっていいほどの斜面となっていたことに。
「!?」
気づいたときにはもう遅い。身体を支えていた翼、両手足の爪が己の体重を支えきれずにスルリと滑る。
「あああぁぁぁ」
なす術もないままコドルンは、かなりの高さから落下するのだった。
――――
――
俺たちは、ラットの案内(念話)で少し広い部屋に誘導されていた。
『主、上、もうくる』
『そうか。ラットありがとな』
『♪』
ラットの働きを褒めてあげるとラットから嬉しそうな感情が伝わってくる。
今はコツンとリンクしていて、使い魔のほうに意識を寄せているので、よりその感情が伝わってくる。
『グラッド、ここで待機だ。もうすぐ来るらしい』
「そうなのか、分かった」
グラッドが警戒して周囲を見渡していると、コツン(俺人形)も額に右手を当てて、同じようにキョロキョロと辺りを見渡していた。
すると。
「ぐぇ」
一体の悪魔が、天井に空いていた穴から突然落下してきて間抜けな声を上げた。
まあ、悪気の色を確認しただけでも、第7位格悪魔だと分かる。
落下ダメージでどうにかできる相手ではないが、そいつの姿は翼は折れ曲がり見るからにボロボロだった。
「!? クロー、あいつの悪気(マリス)の色! 俺たちと同じ第七位格の悪魔だ」
グラッドが悪気の色を見て驚き俺を見る。
いや、俺もさっき見て気付いてるから。そう思っていたらグラッドのヤツ、ゆっくりと俺の後方に移動した。
『主、きたっ、獲物がきたの』
そんな状況でも楽しんでいるコツンは、ただただ自分の獲物が目の前に落ちてきて嬉しそうにしている。
『コツン落ち着け。グラッド、すまんが奴はコツンにやらせてもらうぞ』
そうグラッドに許可を求めれば、再び俺の横に並び直したグラッドの顔色が明るくなる。
「おっ、いいのか? どうぞどうぞ、ガンガンやっちゃってくれ。コツンちゃん、なんなら他の奴らもどんどんやってくれてもいいからな」
ここぞとばかりに面倒な奴らを全部押し付けようとしてくるグラッドは満面の笑みをコツンに向ける。
まあ、コツンにといっても意識をリングしている俺も同じ魔導人形内にいるようなものだから、俺のほうを向いたとも言えるがそこはあまり気にしてもしょうがない。
『ほんとなの?』
「ほんとほんと」
『わーい』
純粋に喜びを露わにするコツン。よほど嬉しかったらしく魔導人形内では全裸の少女が何かのリズムに乗って腰を左右に振って楽しそう。
もちろん人形内で眺めている俺には可愛らしくて癒されるのだが、如何せん現実では俺人形の身体が腰を振って踊ることになる。
これはやめさせるべきだろう。誰も嬉しくない。
コツンにその旨を伝えていると。
「よく、も……」
落下してきた悪魔がようやくよろよろと立ち上がり、恐ろしく険しい形相で俺たちを睨んでいた。
『ほう』
それもそのはずだ。高い位置(上空)からの落下は、翼を巧みに扱う悪魔にとって一番恥ずべきことだったのだから。
しかも、コドルンは地面に顔までつけている。
俺からすればそんなに睨んできても大した脅威も感じない。ま、あれで威圧でもしているつもりなのだろう。
『よーし、じゃあコツンがやるの。えへへコツンねぇ、前からやってみたかった魔法があったの。でも魔力が足りなくてできなかったの』
『そうなのか』
『うん。じゃあやってみるの』
コツンはぶつぶつと呟き、憤怒の形相で威圧してくるだけで一歩も動けないでいる鳥形の悪魔に向かって、元気よく右手のヒラをみせた。
『いくの〜! 邪魔法、無邪気〜』
コツンがそう言った瞬間から、俺の魔力が膨れ上がり俺人形の右手へと集まっていく。
俺が認識できるほどの魔力量なのでかなりの魔力が右手に集まったと思う。
その魔力が集まりつづければ、ゆらゆら歪み何かを形取る。
俺にはドクロのようなモノに見えてきたが、というか禍々しいドクロにしか見えない。
『えへへ、そお〜れ、発射なの!』
コツンの発射という元気な掛け声を合図に禍々しいドクロの魔力が口を開けた状態で飛び立つ。
「ぎゃぁぁ……」
とんでもない量の魔力の塊が放たれ、悪魔の断末魔の叫びのようなものが聞こえた気がするが、気のせいだよな。
バーンという激しい轟音とともに突風が部屋中で暴れているのでまだ確認できない。
それでもしばらくするとコツンがポツリと呟いた。
『あれ? 主の右手がないの』
コツンの放った邪魔法に堪えきれなかったらしい俺人形は、右肩から先が消滅していた。
もちろん俺は痛くも痒くもないが、コツンは違ったようで、焦った様子で俺に顔を向けてくる。
『どうしよう、どうしよう、主を壊してしまったの』
『それは魔導人形で俺(本体)じゃない。気にしなくてもいいから、ほら……』
セラの用意した魔導人形は優秀だった。失った右手も俺の魔力を吸収すればすぐに再生を始めた。
『よかったの』
ホッとしているコツンだが、そんことよりも今はこの状況をどうしたらいいのだろうかと思案する。
「お、おい。これって大丈夫なのか……?」
どうやらグラッドも同じ考えに至ったらしく、引きつった顔で俺を見ている。
『ふむ……俺も分からん』
コツンの放った魔法は俺の作った迷宮の壁をぶち抜き、遠くの空間の何かにぶち当たり破裂して消えた。
しばらくすると激しい揺れが襲ってくる。
『ん、地震か……』
「おわわ、揺れる、揺れてる」
俺はすぐに結界を張るとしばらくその場で待機する。
――――
――
最も驚いていたのは、高みの見物をしていたオヤブサだった。
コドルンからの連絡もなく時間だけが経過していた。
そろそろ頃合いかと思い部下に指示を出そうとしていたそんな時だったのだ。
突然、黒い壁をぶち抜いて飛び出してきたのは、とんでもない量の魔力。
その魔力の塊が光速で目の前を通り過ぎると空間の端、つまりオヤブサの使用空間にある空間結界に当たり使用空間内を激しく揺らしたのだ。
「な、なんだ今のは……」
もちろん接続されていたグラッドの使用空間にも振動が流れて激しい揺れを起こしていたが、それだけだが、オヤブサの方は違う。一部の建物が激しい揺れに耐えきれず倒壊していた。
それだけで終わればまだよかったが、ぶち当たったオヤブサの使用空間側の結界、その結界には大きな穴まで空いており、黒い空間が顔を出していた(ブラックホールのようなもの)。
「オヤブサ様、あれっ!」
「ば、バカな……」
穴が空いた結界はすぐに修復されはじめたが、空いた黒い空間は、乾いたスポンジが水分を吸収するかの如く、オヤブサの使用空間側にある、地上のありとあらゆるモノを吸い上げ始めていた。
それはもちろんオヤブサの居城である第六位格の屋敷も含まれている。
激しい揺れで脆くなった建物。オヤブサの屋敷は固定された黒水晶をだけを残して全て吸い上げられていく。
「あ、ああ……俺の城が……」
グラッドの使用空間側の上空に居たため、オヤブサたち自身には直接被害はないが、己の使用空間内の建物が吸い込まれていく状況はどうすることもできなかった。
オヤブサは黙って眺めているしかなかったのだ。
今近づけば間違いなくオヤブサたちも、あの黒い空間に呑み込まれてしまうのだから。
なす術もないオヤブサは、穴の空いた結界をもっと早く修復しろばかりに睨むだけ。
1分ほどで無事結界の修復が終わり、静けさを取り戻したが、第六位格悪魔の屋敷として、品格のあった建物は何処にもなく、固定されていた黒水晶と瓦礫の山を残すのみ。
そして、その場にいて何が起こったのか理解できていないボロボロの姿になったハオタカが辺りを見渡していた。
固定されていた黒水晶にしがみつきやり過ごしたらしい。
「オヤブサ様あそこっ! ハオタカ様は無事のようです」
「ああ……」
「? 一度合流した方がいいと思いますが……」
「ああ……」
思考がまだ追いついていないというか、現実をまだ直視できないオヤブサは、部下に促されるまま上空を飛びハオタカと合流したが、見るも無残な己の空間を目の当たりにして膝から崩れ落ちる。
「夢じゃない、のか……」
それは側にいた部下たちも同じだった。己たちの誇りともいえる品格のあった綺麗な居城。それが今は瓦礫の山。
「う、うう」
「ちくしょぅ……」
「……」
ただ、そんな中でも一人、その状況を心から喜んでいる者がいた。
「(いい気味だ……)」
デビルヒューマン族のハルだ。ハルは皆から顔を背けて口元を緩ませ呟く。
「…… デビルヒューマン族のクロー。会ってみたいな」
常識では計り知れないことをやってのけるほどの相手(悪魔)。その中には自分と同じデビルヒューマン族もいる。
雑用を押し付けられ、バカにされるだけで何の面白味もなく諦めていた悪魔生だった。
それが変わりそうな気がしたハルは、少しばかり期待に胸を膨らませるのだった。
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