第139話

 ズーンッ!


「お、おい!? 今のすごい音」


 驚いた表情で俺人形を一度見たグラッドが勢いよく窓際へと駆ける。


「いよいよ、始まったって……こと……だよな」


 けど、外を覗いたグラッドは、言葉に詰まりつつ恥ずかしそうに戻ってくる。


 それもそのはず、俺が出した壁で覆われているグラッドの屋敷。

 外を見ても壁しか見えないのだ。


『たぶん。そうだろうな……ぷっ、ふっ……くくく』


「わ、笑うなよ」


 ――――

 ――


 時間は少し遡る


 グラッドが支配地とする島国。むっちむちの島民は、この地方特有の暖かい気候もあって着ている衣服は薄着。

 しかも女性しかいないという、まさに男にとっては理想の国。ぷりぷりむちむちの桃源郷。


 視界に入る島民は、誰もが明るい表情でおっぱいやおしりをぶるんぶるん揺らし(別に意識して揺らしているわけではない。けど揺れているから、俺にはそう見える)楽しそうに活動していた。


 そんな人族たちを見れば、悪魔であるグラッドが人族を餌として雑に扱っているわけでなく、グラッドの言葉どおり、本当の家族と思って過ごしていることが別に知りたくないけど分かってしまう。


 前世の記憶があり、人族の妻たち(エリザ、マリー、セリス)が大好き俺としては、なかなか好感を持てる。


 だがそれは、俺がいるのに、目の前で鼻の下を伸ばしながらもアネスや島民たちの身体をベタベタと触りはじめたグラッドの姿を見るまでの話だ。


 ニヤけた顔でアネスの前世は実はネスで最近記憶を……とか何やら訳の分からないことをイチャコラしながら勝手に話し始め、イラッときた俺は、グラッドをひとり残して(コツンにそう指示した)グラッドの使用空間に早々と戻ってきた。


 グラッドは慌てて追いかけて来たけど……


『グラッド、最終確認だ……ラット、ズック、ニルがこの場に留まり魔水晶を守り、俺とグラッドが相手の出方を見て臨機応変に動くことになる。

 つかまった方が囮として時間を稼いでいる間に狙えるほうが魔水晶を狙う。でいいんだな?』


「ああ。というか、正直俺はそれしか思いつかねぇ」


『……まあ、そうだな』


 グラッドの言う通り、作戦といってもこの人数ではできることも限られる。


 できて各個撃破がいいところだろうが、そうそう上手く行くとは思えない。


 だからこそ、ここで守りを固めるラットたちの元に、なるべく奴らが辿り着けないようにしておくべきだろう。


『ラットお前にこれをやる』


 俺はラットに小さなリモコンを手渡した。


『主……?』


 身体の小さなラットには少し大きいが、ラットはそのリモコンを両手で受け取ると、大事そうに抱えたが、その用途が理解できないようで、不思議そうに首を傾げながらリモコンに付いているボタンの部分を眺めている。


「……なんだそれ?」


 見ていたグラッドも、そのリモコンが気になったのか、ラットの手にあるリモコンを覗き込んだ。


 だが、感の鋭いラットは素早く背を向けてグラッドには見せないようにしている。


『お前、ダメ』


「お、おーい、ラットちゃん。そりゃないだろう」


『ダメ』


「はいはい……もう見ませんよ……からの」


『ダメ』


「からの〜」


『ダメ』


「ラットちゃん……」


『ダメ』


「はぁ……で、これはなんなんだ?」


 ラットに軽くあしらわれ肩を落としたグラッドが俺の方を向く。


 たぶんラットは、俺が先ほどグラッドに対してイラッとしていたことを覚えていたのだろう。


 だからこれはラットなりの可愛らしい報復……ん? なになに、グラッドが寝ている時に鼻の穴に臭実(カメムシの臭いを5倍くらい増した感じで、猛烈に臭い)の果汁を塗りつけてもいいか? ……三日は落ちない? そんな果実があるのか、うむ。許可しよう。


「おおいクロー。頼むよ」


 半泣き状態のグラッドが、俺人形の肩を掴みガクガクと揺らす。


『こ、こら、視界が揺れて気持ち悪いからやめろ……』


「なら」


「分かった、分かったから。それは、可動式タイプの壁を移動させるスイッチだ』


「はあ? 可動式タイプの壁……ってなんだよ。初めて聞いたぞ」


『そうだろうな。俺も話してないからな』


「おおいっ」


 ――騒がしいヤツだ……


『手直ししたばかりなんだよ』


 グラッドが明後日のほうに視線を向け、思い出したように両手をポンと叩く。


「あー、もしかして。話しかけても返事しなかったときか?」


『そうなのか?』


「俺、何度もクローの名前を呼んだけど返事がなくてさ。

 無視されてるのかと思って、傷ついたんだぞ」


 ――ああ……たぶんそれじゃないな……それは意図的だ。


『そうか、それはすまなかったな』


 グラッドが都合よく勘違いしてくれたので取り敢えず話を合わせておく。


「いや、俺のほうこそすまん。勘違いだって分かったし、それは俺のためだったわけだ……

 今度何か奢るよ」


『そうか、なんか悪いな』


「いいってことよ」


 なんか貰えそうなので、ここも話を合わせておこう。


『それで話しを戻すが、俺が出した壁は、時間を稼ぐことを考えて迷路のような構造にしていると前に言ったよな』


「ああ、そこは聞いた」


 そう、前にも言ったが、どうしても戦力の差は埋められない。


 数でゴリ押しされたら魔水晶なんて簡単に触れられてしまう。

 こんな小さな屋敷なんて破壊してしまえばあっという間だからな……


 でも、それだと俺たちは負けグラッドは命があるのかすら分からん。


 だから、俺は屋敷をいくつもの壁で覆って隠した。グゥの迷宮を参考にしてね。


 だから緩やかな傾斜と似たような分岐点がいくつもある。

 

 シンプルな空間が続き目印になるようなものは何もないから、下手をするとどこを進んでいるのかさえ分からなくなる。


 これならきっと楽しんでくれるに違いない。


 ――くくく……気の短い悪魔だったら顔を真っ赤にするかもな。


 迷ったあげく、手分けして順路を探すようになればこっちのもの。

 可動式の壁を使いさらに部隊を分断し各個撃破する。


「なるほど。それで壁の一部を可動式にしたというわけか……」


『あまり可動部を増やすとその周辺の壁がモロくなるから、それほど多くはないがな』


「へぇぇ」


 俺の話を聞いたグラッドは、ラットが持っているリモコンが、気になったらしく、首を伸ばしてそろっと覗き込んだ。


「ぃ!?」


『ダメ。お前しつこい』


 ラットにはすぐに隠したようだけど、グラッドには見えたのだろう。


 目を大きく見開たまま俺に顔を向けてきた。


『なんだ? 変な顔をして』


「くっ、変な顔言うなクロー。何が多くないだ。リモコンのボタン、かるく十個以上はあったぞ」


『たったの五十だ……正直、百は用意したかったのにな』


 ――この構造では無理だったんだよな……


「百……」


 グラッドが呆れたような視線を向けてくる。


『そうか、そうだよな。やはり五十では少なかったか……』


「ち、違うから……」


『ま、今回はこれで勘弁してくれ……それでグラッド。お前に決めてほしいことがある』


「クロー、お前たまに感覚がズレるよな……それで、俺が何を決めるんだ」


『気配遮断についてだ』


「気配遮断? すまんクロー。俺にはさっぱりだ。もう少し詳しく教えてくれないか?」


 グラッドが首を捻る。


『ったく、つまりだな……』


 俺の考えでは、主(あるじ)権限を利用して、グラッドの使用空間側だけでも気配遮断してもらうつもりだった。

 迷わせるためにね。


 けど、俺の作った迷路には、ニワやグゥの迷宮のような相手の位置を監視するモニターがない。


 何度作ろうと試してみてもグラッド(他人)の使用空間内ではできなかった。


 つまり、敵がどこにいるのか把握するためには気配で感知しないといけなくなったわけで気配を遮断することが難しくなった。


 でも、その気配を感知するという条件は、何もこちらだけの話しではない。条件は相手も同じ。


 ならば、逆に、あえて気配を感知させることで、さらに迷わせることもできるんじゃないのかと考えた。


 迷宮に入ろうとする悪魔は少ないから、慣れないヤツらは相手の気配を頼りに行動する可能性が高いからな。


 そんな奴らを、うまく誘導して、グルグルと同じところを上ったり下ったり意味なく歩かせてみるのも楽しそうだなと思ったわけさ。


 ――ふふっ……


 想像したら、笑いがこぼれそうになった。


 ただ、その場合グラッドだけが狙われる可能性が非常に高い。


 つまりグラッドは迂闊に動けなくなるから相手側の魔水晶に触れる役目は俺になる。


「な、なるほど。そういうことか……つまり俺の使用空間側だけ気配を遮断するかしないかを決めろってことね」


『ああ。これはお前が受けた大悪戯だからな……お前が決めたほうがいい』


「わかった……」


 そう言ったグラッドは迷いなくすぐに口を開いた。


「気配を遮断する」


『早いな……』


「いや、だって……俺ひとり狙われたら怖いじゃん」


『なるほど』


「そんな目で見るな。仕方ないだろ。それで、遮断するとして、俺はどうすればいいんだ?」


『簡単だ。その魔水晶に触れてから、そう念じればいい。セラが言っていたから間違いないだろう』


「ふーん、分かった……こうか?」


 頷いたグラッドが魔水晶に近づき手で触れる。

 しばらくすると、近くにいるはずのグラッドの気配さえ感じなくなった。


『できたようだな』


「すげえ……触れてみて分かったけど、魔水晶って色々できるんだな……感情値が必要みたいだけど」


『ほう』


 ――そういえば、俺は一度も触れたことなかったな。


『ラットすまん。奴らの気配が分からなくなったから、そのリモコンの意味がなくなってしまったが、それでも適当な時間の間隔でそのボタンを押してみてくれ。

 迷路の構造が一定の間隔で変われば、通ってきた通路を覚えようとしてもそう簡単には覚えれないはずだ』


『主。ラット、奴らの位置を知る魔法ある』


『ほう……そうなのか?』


 ラットがこくりと頷き得意げに胸を張る。


 ――忘れていたが、ラットは元悪魔だったな……


 元邪魔族のコツンでさえ憑依という固有魔法を持っている。

 元悪魔のラットが固有魔法を持っていたとしても不思議ではない。


『できる』


 もう一度頷き嬉しそうにぴょんぴょん跳ねるラットだったが、何かを思い出しすぐに肩を落とした。


『主、発現する。維持する。魔力消耗激しい』


 そう言ってからラットが視線を向ける先は、ズックや、ニル、そしてコツンと俺。

 使い魔は召喚されているだけで魔力を消費し続けるからな。


 だからラットは常に俺の魔力を気にしてくれている。よくできた使い魔だ。


『そこは……』


 自慢じゃないが、俺はこれまで一度も魔力が枯渇したことがない。

 確信はないが、たぶん今回も大丈夫だと思う。


 だから俺はラットにその魔法の許可を出そうとしたのだが、


『クロー様。そこは私にお任せください』


 まるで念話を聞いていたかのようなタイミングでセラの念話が届いた。


『セラ、聞いていたのか?』


『はい。もちろんです』


 セラは俺たちの念話を聞いていたらしい。


『そ、そうか』


 俺の身体を守っているだけだから暇なのだろう。


『クロー様。ご心配は無用です。私が魔力を譲渡いたします』


 このような場合を想定して、執事悪魔族は魔力同調のスキルを所有しているのです、とセラが力説するので、ここはありがたく感謝してお願いしておく。

 何があるか分からない大悪戯。使える魔力は多い方がいいからな。


『そうかセラ、すまないな。俺の魔力が枯渇しそうになってからでもいいからな。その時は頼む』


『はい』


 そこでプツリとセラからの念話は途切れた。

 少し切れるのが早いようにも感じたが、大悪戯前だ、俺たちの邪魔をしたくなかったのだろう。


『ということだ。ラット、遠慮なくその魔法を使ってくれ……』


『主、わかった』


 大きく頷いたラットがまんまるのお目目を閉じる。


 すると、ラットのほうに魔力がぐいぐい吸い取られていく感覚がある。


 けど、思っていたより魔力を消耗したようには感じない。


 ――これくらいならセラに魔力譲渡してもらわなくても大丈夫そうだな……


 俺がそんなことを考えている間にもラットの頭上には黒いモヤみたいものが集まり大きくなっていく。


『闇玉』


 ラットがそう唱えると同時に、その大きな黒いモヤは弾けて消えた。


「い、今のはなんだ」


 驚いたグラッドが魔水晶から手を離して、こちらに駆けてくる。


『ラットの魔法だから気にするな』


「魔法……ラットちゃんの?」


『それでラット。今のでいいのか?』


 状況が理解できず困惑するグラッドを無視をしてラットに念話する。


『大丈夫。主、闇玉、ネズミの代わりになる』


『ん? ということは、ラットには迷宮内の様子が分かるようになったのか?』


『なった。でも所々』


 人界では、手下にした野ネズミをよく使って情報を掴んでいたラット。


 一粒が黒く小さな闇玉はラットが意識して動かさないといけないようだが音や映像までも拾ってくれるそうだ。


 魔力の消耗は激しいが情報収集にはもってこい。かなり便利な魔法のようだ。


『それで十分だ。でかしたぞラット』


『主、任せる』


 準備万端といった様子のラットが嬉しそうにニルの頭上に駆け登った。


 そして、ちょうどその頃に――


 ズーンッ!


 グラッドの使用空間と、オヤブサの使用空間が接続されたのだった。


『よし、グラッド、コツン行くか』


「お、おうよ」


『わーい。やっと出番なの』


 ――――

 ――


 念話を終えたセラは、応接室のソファーに背中を預けてクロー(本体)を抱いていた。


「ふふ……クロー様。許可はいただきましたよ……」


 とろけたような瞳をクローに向けたセラは、クローの頭を優しく撫でると、その顔をゆっくりと近づけていく。


「クロー様」


 セラの顔がどんどん近づき、その距離がゼロとなったその時には、セラの唇とクローの唇が重なっていた。


「ん……」


 そう、セラにはもう一つ試したいことがあったのだ。


 それはクローが妻たち(エリザ、マリー、セリス)とよく行っている接吻。

 挨拶代わりにいつもやっている軽いものだ。


 悪魔の接吻とは、人族を魅了する手段のひとつとして考えられており、セラも当然そんな感覚だった。


 だが、いつからだろう。クローの満足そうな顔に、喜ぶエリザたち……


 そんな様子を毎日のように眺めていたセラは、一度でいいからクローとの接吻を試してみたいと思うようになり、その思いは日を追う毎に強くなっていた。


 それがどういうものなのか、どう感じるのか、クローの専属執事となったセラとしては身をもって知っておくべきことだと判断していた。


 だが、口実がなく、なかなか実行に移せないでいたが、ここに来てチャンス(グラッドの大悪戯)が訪れた。


 使い魔を四体も引き連れ、尚且つ魔法を使用すれば、いくら魔力量の多いクロー様でも魔力不足に陥り、魔力譲渡をする機会が必ずあるはずだと……


 しかもクロー様には危険が全くないから心も痛まない。心置きなくこの機会を利用できると思った。


「んん……」


 魔力をあまり消費していないクローに対して、多少フライングをしてしまったが、クローへの魔力譲渡が終わったセラが、顔を上げるとその顔はほんのりと赤い。


「……なんてことでしょう」


 そして身体の力を抜いた、いや抜けたともいえるセラがクロー(本体)の胸元に顔を置いた。

 セラが悪魔生で初めて最高の至福を味わった瞬間でもあった。


「ふふ……クロー様」


 そんな余韻に浸るセラの元に、


「セラバスッ。クローに変なことするダメがう」


「離れるがぅ」


 一部始終を見ていたニコとミコが周りでちょこまか動き回りうるさく騒いでいた。


 何度か阻止しようしていたニコたちだったが、セラの管理するこの使用空間では手も足も出ない。


「セラバス、呼んでも無視するがう。よくないがう」


「そうがぅ。クローから早く離れるがぅ」


 そこに、


「ニコ、ミコ。うるさく騒いでいるとまたセラバスに怒られ……って? ああっ! セラバスがなんであたしのクロー様を抱いているの。ちょっと、そこどいてよ」


 感が鋭く魔力同調スキルを保有するナナが応接室に乱入してきた。


 そしてさらに、


「さっきから騒がしいが、なんだ……」


「どうしたのです?」


 まるで計ったかのようなタイミングで、しかも魔力同調スキルを保有するライコ、イオナまでもやってきた応接室は、クローの本体を巡って賑やかになっていくのだったが、この状況を予想してフライングしたセラはさすがだった。


「クローさま、和菓子足りないカナよ。もっと増やして欲しいカナ……?」


 ちなみに、ひとりで和菓子を頬張るマゼルカナは別室でおやつの時間だった。

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