第126話

 コツンから安全部屋での出来事を聞いた俺だが、事態は思った以上に悪そう。


 ――アンとアルを隊長ってヤツに引き渡さないといけなかったんだが……『グウ?』


『ん?』


 ――『とりあえず安全部屋に散らばった邪魔水晶の破片を綺麗にしといてくれないか?』


 ほんと邪魔神の創り出した邪魔水晶は厄介だ。

 状態無効スキルを保有する俺ですらスキルの意味がなく、素手で触れるのは危険だと分かっている。


 ――細かく砕けた破片を吸い込んだら、気持ち的に嫌だろ。


『なんで?』


 ――『……なんでって、今からそこに向かうからだ』


『……ぁ』


 ――『グウ?』


 グウの気の抜けた声。それから何度呼びかけてもグウからの返事がない。


『主……』


 ――『おうラットか』


 そこへ、グウの側で待機させていたラットから念話が届いた。


 どうやら、迷宮内の悪魔くずれが全て片付き、超ご機嫌なグウは、早速、変な鼻歌を歌いながら避難させていた迷宮魔物たちに指示を出しているとラットが教えてくれた。何かあったのかと心配して損した。


 ――『……そうか、ラット助かる』


 褒めてやると、ラットから嬉しいそうな感情が伝わってきて、俺まで少し嬉しくなるが、


 ――おっと、今はグウだな。『おーいグウ。いい加減返事しろよ。もう不純物あげないぞ』


 こちらに意識が向いていないと分かった俺は、ちょっと強めに先ほどと同じ内容の念話を送った。


『!? ……心配ない大丈夫。安全部屋もほかの場所と同じ。吸収までの時間が少し遅いだけでちゃん吸収する』


 コツンが砕けた邪魔水晶にコーティングしていた邪気も俺の使い魔になった瞬間に消えたそうで、問題なく吸収できると言う。 


 ――『そうか、それならいい。今から向かえば数分ほどで辿り着くが、俺が安全部屋に着く頃には綺麗になっているんだな?』


『……ん〜? 大丈夫。安全部屋、不純物だと判定するまで一日かかる』


 ――『いやいや。グウ、それは大丈夫じゃないだろ。ほかに手はないのか?』


『ある。でも必要ポイントが高い。ほかにポイント使いたいから、それには使いたくない』


 ――はぁ……何で俺がここまで……いやいや感情値のためだ。

 ここの感情値も獲られるようにして俺はみんなと海に行くんだ。よし……『グウいいのか?』


『ん?』


 ――『悪魔くずれを討伐するために迷宮に入った聖騎士たちが一人も地上に戻らなかったらハンターたちはどう思う』


『……』


 ――『聖騎士ですら手に負えないと分かったギルドはこの迷宮は危険だと判断するだろう。

 そうなるればグウのこの迷宮は封鎖されちゃうかもな』


『ふう、さ? 封鎖っ!』


 ――『ハンターたちは、ほかの迷宮に行くだけだろうから、グウの迷宮にはひとりも人族が寄り付かなくなるかもな。だって封鎖されちゃうだもんな。

 あー、そうなると、不純物ポイントはどうなるんだろう……今まで通り入ってくるかな?』


『……』


 ――『俺だって感情値のもらえない迷宮に、わざわざ不純物を提供してやったりはしないぞ』


『!? ……グ、グウは……』


 ――『ニワには感情値をかなりもらっているから、つい多めに不純物を提供してしまうのだが、グウには必要ないかもな』


『あう……グウ、急ぐ』


 ――『ん?』


『急いで部屋綺麗にする』


 ――『おおそうか。さすがグウ。頼むな』


『うん。グウに任せる』


 少し意地悪な言い方をしてしまったが、こんな展開も十分あり得る話なのだ。俺としてはそれは阻止したい。海が遠くなる。


「安全部屋に向かうぞ」


「う、うん」


 俺はコツンとアンに声をかけると安全部屋へと向かった。


 ――――

 ――


 セイルが凶魔にトドメを刺してすぐのことだった。


「これで、アルとアン、を探しに……!? うっ……」


 聖剣をしまっていたセイルが、振り向きざまに突然頭を押さえ片膝をついた。


「セイル様、どうかな、さ、れ……!? っ」


 そのセイルの様子がおかしいと思い駆けつけようとしたラグナ自身も今まで味わったことのない激しい頭痛に襲われた片膝をついた。


「あ、頭が……」

「ぐああ……」


 ラグナは止めどなく噴き出てくる脂汗を払いのける余裕すらなかったが、それでも周囲にいた部下たちの方から聞こえる呻き声が気になり、そちらに目を向けて顔色を失った。


「……な!? なにが、起きた……」


 皆の顔がまるで凶魔のように赤黒く脈打つ肌へと変貌していく。


 やがてその症状は腕や脚などにも現れ、瞬く間に身体全体が赤黒く腫れ上がり浮き上がった血管があり得ない速度で脈を打つ。


「があぁぁ……」


「ぐぁぁ……く、くぅ……」


 身につけた聖騎士の鎧が腫れ上がった身体に食い込み始めると、堪らず部下たちは、鎧を脱ぎ捨てていくが、かくいうラグナ自身も、すでに身につけていた鎧を脱ぎ捨てていた。


「……とにかく、かいふく、まほうだ……」


 ラグナは痛む身体をどうにかしようと、聖力を体内に循環させ、身体の回復を図ろうとするが、まるで何かに邪魔されているかのように聖力をうまく循環させることができなかった。


「な、ぜ……だ……」


 セイル様や、部下たちはどうだ。誰かひとりくらいは、と期待して見るも、部下たちはすで頭を押さえて横たわり、セイル様も何やら行う素ぶりが見られたが上手くいかなかったようで、ラグナに向かって小さく首を振ると、力なく両膝をつきゆっくりと横たわった。


「ぐ、ぅぅ……(ち、ちくしょう! 何が……起きた……呪いか? これは凶魔の……呪いなのか?)」


 ラグナは、この危機的状況をどうにか打破しようと思考を巡らせるが、全身を粉々に砕かれ切断されていくような地獄のような激痛に堪えきれず意識を手放していた。


 ――――

 ――


「う、うう……」


 急に身体が楽になり、意識を取り戻したラグナは、先ほどまで感じていた、全身を切り刻まれるような激痛が治まっているのことに気づいた。


「(あれはゆ、め……だったのか……ん?)」


 そう思った瞬間ラグナは今まで感じたことのない飢餓感に襲われた。


「(腹が、腹が……減ってる、のか……?)」


 押さえ込もうとしても胸の奥からふつふつと湧き上がる味わったことのない飢餓感。


「(く、ダメだ。何か食いてぇ……)」


 一度認識すると、その飢餓感がますます強くなっていく。


 その飢餓感は僅かな時間で、鍛えられたラグナでさえ我慢できないほどまでに膨れ上がっていた。


「(肉だ……肉が喰いてぇ……血が飲みてぇ……)」


 ラグナは、無意識に人族の肉と血を求めていた。


「(!? ち、違う、そんなはずねぇ!)」


 ラグナは、己のあり得ない思考に驚き頭を振り上体を起こした。


「ば……が……な……」


 だが、ラグナはそこで己の身に起こった現実を直視することになった。


 赤黒く全体的に大きくなった身体は衣類を引き裂き、不気味に脈を打つ異形な姿を晒していたのだ。


「あ、ぁぁ……!?」


 受け入れ難い現実に、思わず顔を覆いたくなったラグナだったが、両手の違和感に気づきさらに顔面蒼白になった。


 両手の爪が人族ではあり得ないほど鋭く、そして長く伸びていることに――


「ぐ……そぉ!?」


 さらには、己の意思とは裏腹に、閉じようとしても閉じることのできない口からは絶えず唾液がした垂れ落ち、思うように言葉を発することができない。


 ラグナは凶魔に似た姿に変貌を遂げていたのだ。


「ら……グ……」


 不意にセイルの声が聞こえた気がして、視線を向ければ、己と同じような風貌をしたセイルが上体を起こし俺を見ていた。


「あ、ああ……ぜい……ざ、ま……」


 どこか諦めたような色のない瞳を向けるセイルを見たラグナは、狂いそうになる思考をなんとか正常に戻そうと、部下たちへと意識を向けたが部下たちも同じような姿になっていた。


「だぃ……ぢょ……」

「な……」

「あ……ぁぁ……」


 ラーズ、ソート、アクス、ガラルドからも言葉にならない絶望感に満ちた呻き声が聞こえてくる。


「(……お前たち……)」


 そして、そんな中、全く起き上がる気配を感じさせない二つの姿は見習い聖騎士の二人、カイトとサラようだった。


 二人は先ほどの激痛に耐えきれなかったのだろう、僅かに胸のあたりが上下に動いているようだが、ピクリとも動かない。


 身体中いたるところから体液が垂れ流しになった状態の姿を見るに、激痛に襲われた段階で精神が壊されてしまったのかもしれないと判断したところで、また、我慢できないほどの飢餓感に襲われた。


「ぐっ、(また、だ。また……に、く。肉が喰いてぇ……ち、違うっ)」


 ラグナが人道に反する思考に抗っている間に――


おで……わで……だぁ……俺……私は人族だぁ


 とうとう堪えきれなくなったガラルドが真っ先に己の爪を自身の胸に突き刺した。


「!? (が、ら、るど……)」


「……ざ……ん」

「……ど……」

「あ……」


 それを見ていたアクスも、一度だけセイルとラグナの方に視線を向けてくると、同じように己の胸に自身の爪を突き刺した。


「(あ、くす……)」


 つづけてソートやラーズもセイルとラグナに小さく頭を下げると同じように己の胸に爪を突き刺した。


「(そー、と……らーず……)」


 ラグナをはじめ、皆理解していたのだ。


 人族を襲う凶魔のように自分たちも守るべき人族に襲いかかる凶人と化していることを。

 時間ともに人の心が消えて無くなりそうになっていることに。


「あ、ぁぁ……」


 部下たちが次々と命を絶つ姿を目の当たりにして、色のなかったセイル様の瞳が哀しみの色に染まり、正気に戻っていると感じたラグナはセイルに向かって精一杯の声を上げた。


「ぜ……ざま(……俺は、ここまで……のようです……)」


 その声に気づいたセイルは小さく頷き返してくれた。


「……な」


 ラグナはセイルに向かって深く頭を下げると部下たちと同じように鋭くなった爪を突き刺した。


「(……できれば貴女様を……元の……して……た)」


 それを見届けたセイルも同じように鋭くなった己の爪を自身の胸に突き刺していた。

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