第123話

 —クローがドの迷宮に転移したあと—


 皆が皆、その表情は誰もがついて行きたかったというような様子で、名残惜しそうにしていた。


 そんな中、エントランス内に明るい声が響き渡る。


「どーれ。ワシはそろそろ迷宮に帰るのじゃ。迷犬チロも待っておるしの」


 ニワだ。用はすんだとばかりに満面の笑みを浮かべてニワが立ち上がる。


 ニワは気づいていないが、ニワの口の周りには、おヒゲのように、たくさんのきな粉がついていた。


 しかも、ハの迷宮に帰ったら帰ったで、お利口にして待っていた迷犬チロに顔中を舐めまわされ、叱りつけるということが、日常的になっているニワでは、この事実に気づく日など永遠に来ない。


「ん? またくるカナ」


「うむ……あー、ぅ……すまぬのじゃ。皆も、そんな顔をせずとも、クローならば大丈夫じゃ。すぐに用を済ませて何食わぬ顔で帰ってくるのじゃ!」


 少し躊躇しながらも、ちっぱい胸を大きく張ってそんなことを言うニワ。

 その言葉にはなんの根拠もなくそれが気休めだと分かるが、主を思う皆は、その心づかいを素直に受け取り笑顔で返した。


「……では、ニワ様こちらへ」


 その後は、セラバスが恭しく礼をとり、帰りのゲートへと案内する。

 もちろんニワの両手には、たくさんのお土産(おかし)が抱えられており軽やかな足取りで帰っていった。


「さぁーて、あたいは……っと、そっか。セリスは寝ているんだったな。

 じゃあ、あたいも風呂に入って一眠りするかな」


 すっくと立ち上がったライコは、背伸びをしながら部屋に戻っていくと、


「ボクは帳簿でもつけるカナ。どんどん増えるから楽しみカナ」


 お腹の膨れたマゼルカナも嬉しそうに管理室へと戻っていった。


「さて、私も執務室に戻りますので、あなたたちも仕事に戻りなさい」


「わかったがぅ」

「がう」


 ニコとミコに指示するセラバスに、


「ちょっと待ってセラバス」


 ソファーに腰掛けていたナナが慌てて立ち上がると、ずいずいっとセラバスに詰め寄った。


「ナナ様、どうかなされましたか」


「あたし、クローさまと伴侶契約したんだよね」


 ナナがにこりと可愛らしい笑みを浮かべた。


「はい。存じてますが、それが何か?」


 セラバスは歯牙にも掛けていないようす。不安を露わにしたナナは、ぷくっと頬を膨らませる。


「むぅ、あたしとクローさまはこれから三日に一度は眷族作りに励むの。ちゃんと覚えておいてね」


「初耳です」


 クローの使用空間を管理するセラバスは、当然に屋敷内のことはすべて把握している。

 ナナが伴侶契約したその事実と内容も。


 そのため、四日に一度と言う話を、さりげなく一日短く言ってくるナナの戯言を、なんとなく面白くないと感じたセラバスは、さらっと流すことにした。


「そうがぅ、初耳がぅ。クロー……さまはニコの番いがぅよ」


「それも違うがうよ。クロー……さまはミコの番いがう」


「ちょっ、ちびっこは邪魔しな……あーそうだった。

 あたしシュラル様に聞いたんだから、ニコにミコ、よくもあたしたちを騙していたわね」


「違う任務がぅ」


「そうがう。任務がう」


「はぁ。ナナ様にはもう少し考えてから発言してもらわないと困りますね」


 そう言ったセラバスが一度ゆっくりと首を振ると、


「イオナ様、ライコ様、隠れていないで、出てきなさい」


「へ?」


 ナナが首を傾げる。セラバスが何を言っているのか分からないのだ。理解が追いつかないナナ。


「ははは、やっぱり分かっちまったか」


「す、すみません。とても気になる話をされていたので」


 ライコが頭を掻きながら姿をみせたかと思えば、イオナは少し俯き気味に肩を落として出てくる。 


 ――――

 ――


 不本意ながらも、これまでの経緯を簡潔に話したセラバスだったが、これから起こりうるリスクのことを思えば、憂鬱で仕方ない。 

 

「……」


「じゃあなんだ、人界で飼っている子狼がニコスケ、ミココロってことなのか?」


「ニコがぅ」

「ミコがう」


「私は、シルバーデビルファング族なんて聞いたこともありませんでした」


「それはそうでしょう。手元に置けるかどうかは別として、上級悪魔でも認められた悪魔のみが、その存在が伝えられているのですから。

 本来ならば、こうやって姿を見せていること事態が有り得ないのです」


 そうシルバーデビルファング族は、その存在自体知ることなく一生を終える悪魔の方が多いのだから。


 一度大きく息を吐き出したセラバスは、ライコとイオナの順に鋭く真剣な眼差しを向ける。


「みな様、いいですか。ニコとミコはシュラル様の特殊悪魔です。

 クロー様の足を引っ張りたくなければ他言無用ですよ」


「シュラルさま、許可してくれたがぅ」

「がう。優秀な番いを見つけるのも与えられた任務の一つがう。クロー……さまなら問題ないがぅ許可もらったがぅよ」


「えっ! ちょ、ちょっとシュラルさまがそんなこと言ったの?」


「そうがぅ」


「優秀な番いの種は一族の繁栄のためになるがう。

 主の許可があれば誰でもいいがう。ミコはクロー……さまに決めたがうよ」


「ミコ、ニコもがぅよ」


 意見のぶつかったチンチクリン悪魔が、互いに額を押しつけて力くらべみたいなことを始めたが、そこにセラバスの両手が伸びると二人の頭をがっちりと鷲掴みにした。


「はい。そこまでです」


「あぅ、セラバス……がぅ」

「……がう」


「ふ、二人とも何言っているの。クローさまはあたしと伴侶契約したんだもん。

 三日に一度だけど眷族はあたしがいっぱい作ってあげるんだから。あなたたちの出番なんてないよ」


「三日に一度……とはなんですか?」


 首を傾げるイオナたちにナナは満面の笑みを浮かべた。


「クローさまは妻たちが、って言って何かと逃げるちゃうから、あたし、エリザたちからちゃんと許可もらったんだよ。

 人族のエリザたちでは眷族は作れない。悪魔には裏切らない眷族が必要なのよってね。そしたら、エリザたちはすぐに理解を示してくれた。

 だから、眷族はあたしがいっぱい作ってあげるの」


「ナナ様。ナナ様は、クロー様と人族のような行為はせずとも、互いの血と魔力を悪魔球に込めればいいはずですが」


 セラバスがどこからか取り出したピンポン玉サイズの球体をナナへと見せた。

 その球体は黒い渦が渦巻いており、まるで小さなブラックホールのような見た目をしている。


「んー、でもクローさまと出会った当初に、クロー様言ってたんだよね。

 妻との触れ合いは大事なことで自分も癒されるって。

 だからあたしもそうしてあげるの。それにクローさまは抱きついていると気持ちいいし、いい匂いするし……くふふ」


「たしかにクロー様はいい匂いがするよな。そうか……ふーん。知らなかったよ。クロー様と人族のあの行為には、そんな意味があったなんて……あたいもやってやろうかな」


 ライコがナナの隣でぼそりと呟くと、みなの視線が一斉にライコへと向く。


「え!?」


「ん? あ、いや、クロー様には色々と恩だけが溜まっていくんだよ。

 あたいだってたまには返してやりたいと思ったっていいだろう。

 クロー様も早く教えてくれればよかったのな。クロー様のためになるんだって分かっていたらもっと早くに癒してやったのに……」


「え、ええ! 伴侶契約したあ、あたしだけでいいよ……

 あたしがみんなの分まで癒しといてあげるから」


「でもなぁ。あたいも……あーそうか。あたいもなんだかでクロー様の身体に触ってみたいのか……」


「だ、ダメだよ」


 だんだんと涙目になるナナに、なおも残酷な光景が目に入る。


「そ、それなら私も、よろこ……ん、んん、微力ながらお手伝いさせていただきます」


 顔は背けてはいるが、手を小さく挙げしっかりと主張してくるイオナがいたからだ。


「う、うう」


 セラバスさえ言いくるめれば大丈夫だ。あとはうまくいくとはずと思い、信じて疑いもしていなかったナナは、思わぬ伏兵たちに狼狽していた。


「はい、みなさん。クロー様がいないところで、これ以上話し合っても無意味ですよ。

 今回のことは私の方からクロー様にご報告しておきます。もちろんニコとミコの件も含めてです」


「それでいいがぅ」

「ミコもがう」


「あいよ」

「はい」

「……分かったよ」


 みんなが返事をして各部屋へと戻って行く中、このままでは四日に一度どころの話ではないと焦り始めるナナ。

 作戦の練り直しを心に決め、ナナは神妙な面持ちで自分の部屋へと戻っていった。


「皆にこれほど慕われるなんて、さすがはクロー様です」


 多少面白くはないが、皆から慕われるのは当然だと思っているセラバスは、そんなことをぼそりと呟きつつも、一度自分の個室に戻り、あるものに視線を向けた。


「ああ、クロー様」


 それはクローそっくりの等身大の人形だった。なんでも完璧にこなすセラバス手製の人形なので、その精度はかなり高い。


「こうしてあげれば、あなた様は癒されるのですか?」


 セラバスは、執事服への魔力を解き一糸まとわぬ姿になるとクローの等身大人形へと抱きつく。


「まさか、人族とのあの行為には、感情値のためだけではなく、あなた様ご自身への癒しも兼ねていたのですね……はぁ…… 私はあなた様を知った気でいましたが、まだまだ理解が足りていなかったようです。お許しください」


 クローが脱ぎ捨てた服を、なんだかんだ理由をつけて自分の部屋に持って帰るセラバス。

 もちろん目的はクロー人形にその服を着せるため。そのため、クロー人形にはクローの匂いがたっぷりと染み込んでいた。

 その人形の胸にセラバスは顔を埋めて呟く。


「悪魔神様。私は、クロー様の専属悪魔です。ですが。なぜ眷族は作って差し上げれないのでしょうか? 

 私は専属悪魔としてクロー様の眷族を作って差し上げたいのです」


【認める】


「な、なんと……悪魔神様が……お認めになられた」


 涙を流して喜びを露わにするセラバスは、その想いをぶつけるように等身大のクロー人形にぐっと抱きついた。


 その背景には面白いと、笑い転げる悪魔神の姿があるのだが、そんなこと知るはずもないセラバスはただただ許可をくれた悪魔神に崇拝と感謝の念を送った。


「クロー様、これで私は身も心もすべてあなたのものですよ」


 そして、クローの知らぬところで、配下たちの想いは思った以上に重いものになっていた。


 ――――

 ――


「うおっ!」


『クロー、どうした?』


「グウ。すまんすまん。急に寒気がしたんだ」


『んー? 迷宮内温度……適性温度、良好。気のせい』


「あ、ああ……そうだよな」

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