第122話

『くそ、くそ、くそ……あの悪魔族はなんだ……なんであんなところに……しかも俺様の正体に気づいた』


 通常、何者かに憑依した邪魔族を見つけるのは困難を極める。初見で気づける者はほとんどいない。邪魔神様も、邪魔族のこの憑依能力の高さを誇っていたくらいなのだ。


『……なぜ分かった』


 下級の悪魔くずれに憑依した邪魔族のカスボーンは歩みを止める。


『回収した邪魔水晶はここにある……この場さえ逃げきれば、俺様の評価は一気に上がる……いっそのこと憑依を解いて』


 そう言って悪魔くずれがかぶりを振った。


『いや……ダメだ。ヤツに俺様の姿を見られた……危険だ。くそ……何かないのか何か……ん?』


 ふとそこで、落とし穴に落ち、腹部あたりを大きなトゲで貫かれて絶命しているハンターを見つけた。


 間抜けだ。魔物だろうか、狂った悪魔族からだろうか、逃走中に焦って足を踏み外したのだろう。


 が、そんなことカスボーンには関係ない。この人族、僅かだが魔力を保有している。

 カスボーンが、美味しそうな魔力だと意識した時には、憑依している悪魔くずれからも涎が滴れていた。


『くくくっ。ヤブキリじゃないが、うまそうだな……』


 気づけば悪魔くずれを操り、串刺しになっていたハンターの側まで飛び降りていた。


 飛び降りた拍子に悪魔くずれの腰あたりまで深々と鋭いトゲに貫かれてしまったが、憑依して首根っこに捕まるカスボーン自身には痛みがないため何ら問題ない。


『しかし、あの強い人族もこいつみたいに簡単にくたばっちまえば、俺様がこんな苦労すること……ん? 人族……!』


 そこでカスボーンは閃く。この人族に憑依してこの迷宮から抜け出せばいいのではと……


『はは、さすが俺様……』


 カスボーンの表情が動くことはないが、代わりに憑依している悪魔くずれの口元がにやりと弧を描く。


『よっと……』


 カスボーンの憑依している悪魔くずれは下級とはいえ力は人族の比ではない。


 ガタイのいいハンターの身体をいとも簡単にトゲから引き抜くと、肩に担ぎ一気に迷宮の通路上まで跳躍する。


『ふぅ……この下級悪魔族は案外操り易かったんだがな……』


 カスボーンはハンターの身体を地面の上に放り投げると、


『……邪魔法、憑依』


 カスボーンが唯一使える魔法、邪魔法を唱えた。


 すぐに悪魔くずれの身体が発光したかと思えばガクリと崩れ落ち、今度は倒れていたハンターの身体がムクリと起き上がる。


「かぁー、弱い。何てひ弱な身体なんだ。やはり人族なんて憑依するもんじゃねぇな」


 そう言いつつも、背負っていたハンターの手荷物から取り出した布切れを貫かれて穴の空いている腹部に巻きつけた。


「これなら、そう簡単に、俺様だって気づかれないはずだ……おっとこれは忘れたらダメだ」


 それからカスボーンは憑依していた悪魔くずれから邪魔水晶をちゃっかりと取り出してから迷宮の出入口に向かう。


 だが、迷宮の出入口に向かうカスボーンに予想外のできごとが起きる。


「そこのあなた! ハンターの方ですね」


「はあ……」


「私は、クルセイド教団でフロント教区を任されたセイルと申します……」


 ――――

 ――


 入り口の方に駆け出すラーズを横目にホッとしたのも束の間、ソートが意識を凶魔へと向けた時には、凶魔がすぐ目の前に迫っていた。

 今にも鋭く尖った鉤爪が振り下ろされようとしている。


『グケケッ』


 避けられないとすぐに判断したソートは、せめて致命傷は避けようと、振り下ろされた鉤爪に合わせて聖剣を斜めに突き出す。


「ぐっ!」


 だがしかし、踏ん張る力も残っていないソート。ソートの聖剣など意味をなさない。簡単に弾かれソートは左肩から脇腹にかけて鎧の上から裂かれていた。


「ぐあぁぁっ」


 それでも、悪魔と死闘を繰り広げてきたAランクの聖騎士だけあって、素早く動くことができないなか、無意識に身体を捻り転げるように倒れこむことで即死は免れた。


 だがそれでも負った傷は深く、裂けた聖騎士の鎧の隙間からは、おびただしい量の赤い液体が流れ出していた。


「がぁっ……はぁ、はぁ(こ、ここまでか……)」


 状況は最悪だった。運良く倒れ込むことで即死を免れたが、ソートにはもう立ち上がって構えを取るどころか、指一本たりとも動かす力が残っていなかった。


『ニグフフ……』


 鉤爪に付着した赤い液体をベロベロと貪るように舐める凶魔。

 やっとありつけるエサ(血肉)を目の前にして興奮した様子の凶魔の口元が歪にゆがむ。


『グケッ、グケケッ……』


 鼻息が荒く、歓喜に酔いしれる凶魔はガクガク、カタカタッと全身を震わせ、壊れたロボットのような異様な動きで倒れているソートの目の前まで足を運ぶと、


『ゲハハッ、ニグッ……ダァ…』


 一度だけ、真っ赤で細長い舌が飛び出し口の周りをペロリと舐めた。


「はぁ、はぁ……(みんなあとは頼む……)」


 容赦なく振り下ろされる鋭い鉤爪に、為すすべなどないソートが死を覚悟したその瞬間――


「ソートさーんっ!」


 カーン!


 間一髪。聖力をいつも以上に込め、大きく広げた聖盾を前に突っ込んできたアクスがソートと凶魔との間に割って入った。


「くらえよ、聖剣術その弐、聖魔、双、烈、断!」


 アクスの後を追従してきたガラルドが凶魔の背中から光り輝く二本の聖剣を上から振り下ろす。


 この聖剣術は、薄く鋭い聖刃と作り出し悪魔両断に特化した聖技だった。


『グゲッ……!?』


「ぐうっ! くそ硬てぇ……んだよっ!」


 硬い外骨格に覆われていた凶魔の身体を切断するまでには至らなかったが、それでもガラルドには外骨格を突き抜け内部を傷つける、確かな感触に笑みを浮かべた。


「はぁ、はぁ。けっ、俺をナメるなよ、くそ凶魔!」


「大丈夫ですか!」


 すぐにガラルドがアクスの前面へと周り凶魔と対峙する構えをとる。

 そのお陰で、アクスはすぐにソートへと駆け寄ることができた。


「いま回復魔法をします」


 そう言うが早いか、アクスがソートに回復魔法を施す。

 時間に余裕がないため、完全にとはいかないが、それでも流れ出ていた出血が止まり危機的状況は乗り越えた。


「……あ、アクス……それに、ガラルド……いったいどこから……」


「どこからって、あそこの扉から普通に……あれ、消えた?」


 アクスが指した先はソートたちが入ってきた入口とは反対の位置だったが、そこは一方通行の扉だったらしく、安全部屋の中からでは、その扉の存在を確認することができなかった。


「ぐぅっ、お、おい。アクス。何をやってる、早くこっちを手伝え!」


 二本の聖剣で辛うじて凶魔の鉤爪を捌くガラルドに余裕がなかった。


 外骨格を突き破り手応えを感じたガラルドだったが、それもすぐに再生してしまい、いまは六本の腕から繰り出される鋭い鉤爪を弾くだけで精一杯だった。


「(くそおぉ、手数が足りん、捌ききれねぇ)」


「ガラルドさん、あと少し待ってください」


「ぐぅっ!」


 ――――

 ――


『ん。クローやった。もう悪魔くずれいない』


 パキッ!


 俺が悪魔くずれの邪魔水晶を踏み砕いていると、グウからそんな声が聞こえてきた。

 心なしかその声は弾んでいる。


 ――『ちょっと待てグウ。邪魔族は? 悪魔くずれにひっついていたと思うが、俺はまだ奴を倒していないぞ?』


『グウ分かんない……』


 ――そんなはずはない。


 そう思い、俺は迷宮内の気配を探ってみるが、俺たち以外の気配をまったく感じない。


 先ほどまで感じていた聖騎士たちの気配もいつの間にか、感じなくなっていた。


 ――まさか迷宮の外に……逃した……のか?


 俺の背中に嫌な汗が流れた。


 ――こ、これって……やばくないか……


 悪魔神様から邪魔族も必ず処理するよう伝えられていた。


 それはつまり、命令されたも同意。そのことに気づいている俺は、だんだんと気分が悪くなってきた。


 俺は後目にしょんぼりと肩を落としている見習いの女聖騎士を見た。


 ――こいつらは……聖騎士の隊長たちの気配もないからな、とりあえず迷宮の外に連れて行けばいいか……安全だろうし……


 幸い奴の気配は覚えている。出てから速攻で奴を探し出してやる。

 そう決意してとりあえず、迷宮の外を目指すことにした。


 ――『グウ。俺はこのまま一旦迷宮の外に出て『あ、安全部屋……』


 俺の念話を遮り、いま思い出したかのように、グウから気の抜けたような声が届いた。


 ――『安全部屋?』


『うん。安全部屋。人族のプライバシーを守る部屋。迷宮規定にそこんとこ大事ってあった。グウ、ちゃんと従ってる。エライ』


 ――『そ、そうだな。グウはエライな……ところでその部屋は何が違う?』


『人族は、安全部屋がないと来なくなる。安全部屋意外に重要、だから十部屋ある』


 ――『あ、いや、そうじゃなくて。その部屋にいると気配はまったく探れないのか?』


『そう。人族のプライバシー見る。可視モード切り替えるのに不純物ポイントいる。だからいまは無理』


 ――『あー、もう。俺が不純物を出してやるから、その十部屋を見てくれないか?』


『おお……やる、グウに任せる』


 俺の念話に張り切り始めたグウ。早速、言われるがままに不純物を出していくのだが、


『おお……不純物、いっぱい』


 大きな不純物を一つ出すごとに感嘆のため息をつくグウの反応があまりにもおかしくてつい出し過ぎてしまった。

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