第107話
—クローが闇雲に呑まれていた頃に遡る—
「はぁ、ここもですか……クリーン!!」
部屋の片隅に溜まっているホコリの塊を見つけたセラバスはすぐにクリーン魔法を使う。
「クロー様の周りをちょろちょろされるよりは目の届くところで利用するべきだと判断したのですが……
これはあまりにも酷い(雑)ですね……ふふふ、これは一度、意識改革する必要があるようですね」
クローとの念話が途切れてから数時間、屋敷内を清掃して回っていたセラバスの前に一匹の小さな悪魔獣がぽふんっと黒い煙ともに姿を現した。
「……メル?」
その悪魔獣は子ヤギの姿を模した悪魔獣。執事悪魔一族に仕える悪魔獣で執事悪魔族専用の郵便屋さんである。
そんな悪魔獣がセラバスの目の前でぷかぷか浮かんでいる。
「メェー」
挨拶代わりにと甲高い鳴き声を上げたメルは、首から下げている大きな鞄の中から一本の筒を魔力で浮かせて、セラバスの方へと差し出す。
セラバスはその筒がクローの支配地に宛てられたものであると確認すると、
「ご苦労様です」
悪魔獣メルの首から下げてある小さなプレートに魔力を込めた。
すると支配地クローと白く表示されていたものが黒く変わった。
「メェー」
悪魔獣メルはそれを見て満足そうな声を上げると、セラバスに向かってこくりと頷きぽふんっと黒い煙を残して消えた。
「……さて、クロー様はまだ支配地持ちになったばかり、他所の支配地持ち方との交流は、まだなかったはずですが……」
不思議に思ったセラバスが首を傾げつつ受け取った郵便筒を開けると中から一通の赤い書簡が出てきた。
「これはっ……悪戯書(あくぎしょ)! どういうことですか」
勝手に書簡の内容を確認することのできないセラバスはすぐに支配地代行のナナに念話を送り、みんなにも集まってもらうようナナから指示を出してもらった。
――――
――
「第3位格悪魔カマンティスは、たしか亜人の国ケモール王国全域を支配地にしていた高位格悪魔。どうしてクローさまに悪戯(あくぎ)を……だって第7位格悪魔はまだ……」
書簡の内容を確認したナナは思わずセラバスへと目を向ける。
ただセラバスも分からないといった様子で首を振った。
ナナ自身は支配地持ち界隈において存在する暗黙の了解。その存在を知っていたためにそう発言したが、他の者は違う。
ナナが何を言いたいのか理解できなくて、お互いに顔を見合わせて首を振っている。
暗黙の了解、その内容に、高位格の悪魔は特別な事由がない限り下位格の悪魔である第6位格、7位格悪魔の支配地に手出ししないし、第6位格、第7位格悪魔同士の争いにも手を貸さない。
とあるがこれはほんの一部。下位格悪魔が力をつける機会を与えてやるという高位格悪魔なりの余裕や誇示、または後ろ暗い思惑などが入り交じった結果だ。
高位格悪魔ならば下位格悪魔が少しくらい力をつけたところでもどうとでもなるといった……
「ナナ、あたいたちにも分かるように話してくれないか?」
突然、会議室に集められたはいいが、わけが分からないことばかりを口にするナナに、我慢できなくなったライコが口を出す。
「……そ、そうだよね」
それからすぐにナナは珍しく深刻な表情を浮かべ、クロー宛に悪戯書が届いた旨をみんなに伝えた。
内容はこの支配地を賭けての悪戯の申し込みであるが一つしかないこの支配地においては潰してやると言ってるも同意だった。
ナナの説明で足りなかった悪戯についてはセラバスが補足する。
「相手の提示する感情値は高すぎて払えない。降伏は当然にしない。残された選択肢は……高位格悪魔相手に30VS30の防衛戦……ですか」
顔色を悪くしたイオナがぼそりと呟いた。よく見なくても周りのみんなも同じような顔色をしている。
そんな中、
「はっきり言って無理カナよ。潔く諦めて降伏するカナ」
マカセルカナ一人だけはどこか他人事のようにそう言い放った。
というのも配属悪魔は悪戯に参加する義務がないから。
悪戯で支配地の主が代わったところで配属悪魔には何ら影響はないのだ。
また別の配属先へと向かうだけ。ただそれだけのことなのである。
配属悪魔に参加義務が発生するパターンとしては悪魔以外、聖騎士などの抗う者に攻め入られた時くらいのものだったから。
「そんなのいやだよ。あたしは降伏なんて絶対にしないもん」
ナナはそんな態度のマカセルカナをキっと睨みつけた。
「うーん、でもよく考えるカナよ。頼みのクロー様は不在。残されたみんなも第9位格と10位格の悪魔がたったの3人カナ。
それに対してカマンティス勢は第4位格悪魔だけでも30人以上はいるカナよ。
考えなくてもカマンティスは第4位格悪魔のみで構成されたメンバーでくるはずカナ」
逆立ちしたって勝てないカナよ、とマカセルカナは首を振る。
「か、隠れて逃げきるもん。クロー様にもらった装備品があれば、あたしだって二十四時間くらい逃げきれるんだから」
「あ〜……それでも無理カナ。防衛戦は二十四時間という制限時間以外にも管理室に設置してある魔水晶を触れられても負けになるカナ。逃げたところで魔水晶にあっさり触れられて終わりカナよ」
「うっ」
マカセルカナのもっともな意見に、ナナは言葉に詰まった。
「それにね。僕は、クロー様に悪いとは思うけど、みんなのためを思って言ってるカナよ?
カマンティスは交戦してきた悪魔に対しては冷酷で容赦がないカナね。だから一度でも交戦すれば勝敗が決した後うまく生き残れていたとしてもすぐに始末されるカナよ」
マカセルカナは視線を上に向けつつ、今思い出したかのようにそう言った。
「それでもあたしは……クローさまの代わり。支配地代行だから……」
ナナもそのことは理解していた。理解していたが初めてクローに頼られて支配地代行を任されたナナとしては、それを受け入れるわけにはいかなかった。というのは建前で、あることを望んでいるナナとしては、どうしてもクローの支配地を、黙って差し出すことなどできなかった。
「マカセルカナ。それがどうしたってぇのさ。本当ならあたいはディディスのところで終わってたんだ。それが少しだけ延びただけのことさ。ナナ! 降伏はもちろんなしだからな」
ライコが悔しそうに俯いているナナの肩をポンと軽く叩いた。
「ライコ……」
「誰になんと言われようとも、あたいはもうクロー様以外に仕える気はねぇんだ。
それに……接していればバカなあたいでも解る。クロー様は何だかんだ言いながらもあたいたちのことをちゃんと気にかけ見ていてくれていたからな。不義理は嫌いなんだよ」
ライコが頭を掻きながらそう言うと、みんなから背を向けた。
だが真っ赤に染まった耳がみんなから見えたため照れ隠しだということはすぐにバレていた。
「ナナ。もちろん私も初めからそのつもりですよ。頑張りましょう」
「イオナまで、本当にいいの?」
三人の意思がまとまったところで、黙って聞いていたセラバスが口を開いた。
「ナナ様、私に少し考えがあります」
「え、ホント!」
本音では藁にでも縋りたいナナ。セラバスの言葉にすぐに飛びつく。そんなナナを右手で制したセラバスは視線をマカセルカナへと向けた。
「はい。本当です」
セラバスがそう返事すると、みんなから一人距離を取り、もぐもぐと甘栗を食べているマカセルカナへ歩み寄る。
ナナたちが何をするかと眺めていると、
「マカセルカナ」
セラバスがさっとその甘栗を取り上げた。驚くナナたち。でも一番驚いたのはその甘栗を食べていたマカセルカナ。
「……ぁ!? セラバス、何をするカナ!」
すぐにマカセルカナが返せと言わんばかり立ち上がり両手を伸ばすが、セラバスの右手がマカセルカナの額をしっかりと抑えつけそれを阻止する。
「マカセルカナ。あなたも手伝いなさい」
「セラバス。意味が分からないカナよ。それより僕の甘栗を返すカナ」
「いいえ、これは返せません」
「な、なんでカナ。僕のカナよ」
「いいですかマカセルカナ、よく考えるのです。この甘栗を出してくれたのは誰ですか」
「……クロー様、カナ」
セラバスの質問の意図を探りつつマカセルカナはゆっくりと答えた。
「はい。その通りです。では、団子やおまんじゅう、もなか、他にもマカセルカナの望むおやつが毎日食べられていたのは誰のおかげですか」
「……クロー様カナ」
マカセルカナの伸ばしていた両手が力なく下がっていく。それだけじゃない少しでも甘栗に近づこう力み全身に入れていた力までもが抜け落ちマカセルカナは俯いた。
「はい。その通りです。では、もしそのクロー様が支配地を失い管理悪魔族を必要としなくなったらどうなりますか」
セラバスはマカセルカナのその反応を見て、深く考える隙を与えないように一気にたたみかける。
「……」
「正確は二度とマカセルカナが口にする機会はないでしょう。では質問を変えます。もし、この悪戯で勝利したカマンティスがクロー様の力に気づき、カマンティス自身の配下にしたと仮定しましょう。
その時、この甘栗やおまんじゅう、もなかや団子などの甘味を毎日口にできる管理悪魔族は果たして誰になるのでしょうか」
マカセルカナは目を大きく見開きすぐに誰かの名前を口にした。そしてすぐに首を激しく振ったマカセルカナは、
「だ、ダメカナ。それはダメカナよ」
「そうです。それを口にできる管理悪魔はマカセルカナ、あなたではありません」
「嫌カナ。あいつに僕の和菓子を取られるなんて……絶対にいやカナよ」
駄々っ子のように嫌だ嫌だと身体を震わせぶつぶつと呟き始めた。
「マカセルカナ」
そんなマカセルカナの姿をしばらく眺めていたセラバスだが、少しマカセルカナが落ち着いたタイミングでその肩にそっと触れると、
「さあ、あなたならもう理解したはずです。あなたの好きな和菓子や寛げる空間を提供できるのはクロー様ただ一人しかいないということを……」
マカセルカナに理解できるように優しく語りかける。
「クロー様……ただ一人……クロー様」
「そうですマカセルカナ。これからもずっと提供してくださるのはクロー様ただ一人だけなのです」
セラバスの優しく悟す言葉やその瞳にカナポンはとうとう涙を流し始めた。
「……和菓子も寛げる空気も……クロー様だけ。そうカナよ、僕にはクロー様が必要カナ」
涙を袖で拭ったマカセルカナは右拳をぐっと握りしめた。
「そうです。マカセルカナよく理解できましたね。であれば、提供してもらうばかりがあなたの望む形ではないですよね」
そう言われたマカセルカナはもちろんだとばかりにこくこくと頷いた。
「そうカナよクロー様……僕は……僕は……」
「ではあなたも私たちとともにクロー様を支え、この寛げるこの空間を守るのです」
セラバスはそう言うとマカセルカナの目の前に右手を差し出した。
その手をじーっと眺めるマカセルカナ。
「……セラバスもカナ?」
「私は初めからそのつもりですよ」
「分かったカナよ。僕もやるカナ。クロー様のために、何より僕自身のため、そして和菓子のために僕はやるカナよ」
差し出されたセラバスの手をがっちりと握り返したマカセルカナ。
「はい。やりましょう」
利害の一致。互いに笑みを浮かべ合うセラバスとマカセルカナをナナたちは呆然といった様子で眺めつつも、三人が三人ともセラバスは絶対に敵にしてはいけないと思っていた。
その後すぐにセラバスとマカセルカナの身体に異変が起こり専属悪魔へと進化するのだった。
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