第103話

 なんの前触れもなく配下たちの昇格や進化を告げる囁きに不安を覚えた俺は、迷宮主との交渉を諦めて一度引き返そうかと考える。


「ニコ、ミコ、悪いが少し気になることができた。ここは一度……」


【そうだよね、やっぱり気になるよね】


 言葉を遮るように聞こえてくる悪魔の声。俺は思わず眉間にシワを寄せた。


 ――……何か知ってるのか?


【もちろん……でもね……どうしようかな。うーん。ま、いっか。面白かったから今回だけ特別だよ。はい】


 ――面白い? さっきから何……


 そう思った瞬間だった。ナナたちの声が突然悪魔の声に乗って聞こえてくる。


【あたしは支配地代行だもん……頑張ればきっと褒めてくれるよ。うん、きっとそうだよ……はっ! もしかしたらクローさま、感極まっちゃって熱烈な抱擁をしてくれちゃったりとか、えへへ。それから、それから……クローさま制御できなくなって、あんなことや、こんなことも……きゃー、きゃっ、あーん、そうなことされたらあたし、ふへへ、きゃー、きゃー……】


 聞こえてきたナナの声は、最初こそ欲望が入った恥ずかしい妄想っぽいものだった。だが、さすがは女悪魔だけのことはある。後半になるにつれて過激さが増し後の方は聞くに堪えないものだった。


 ――……。


 ナナの声が聞こえなくなると、余計に訳が分からなくなった俺だが、そんな俺の頭に今度はセラバスの声が聞こえてきた。


【この私が……クロー様の専属の執事悪魔に進化……進化とはいったい……むっ!? こ、これはっ! 配下の証ですか! そうですか専属とはそうですか……そういうことなのですね。

 これで私は、配置転換に怯えることなくずっとクロー様のお傍に……ふふ。僥倖ですね。執事悪魔冥利に尽きるというものです。

 ああ、これでようやく私は身も心も立場さえもクロー様のものとなりましたよ……ふふふ、クロー様……】


 セラの声は、今ままで俺に見せてくれていた執事然としたセラからはとても想像できないほど熱く過激なもので、特に後半辺りからはとても話せる内容ではなかった。


 ――……ふ、ふむ。


 そこへ、間髪入れずマカセルカナの声が聞こえてきた。


【なんでカナ? 進化して専属になったカナよ。参ったカナ……あっでも、これでずっとクロー様と一緒だからあまぐりも、おはぎも、おまんじゅうも、ようかんも、おだんごも……もなかもぜーんぶ僕のものカナよ。うへ、うへへ。クロー様〜早く帰ってくるカナよ〜。和菓子が無くなったカナよ。あまぐり、おはぎ、おまんじゅう、ようかん……】


 マカセルカナの声は、俺が休憩時間に食べさせてやった和菓子の名前の数々。


 その名前をたどたどしい口調であるが、念仏のように呟いている。

 聞いていて、その呟きだけで胸やけしそうになった。


 ――……ふ、ふむ。


 さらにイオナとライコの囁きが続けて聞こえてくる。


【ああ〜クロー様。こんな私が第8位格悪魔になってしまいました。お許しください。

 ……こうなれば私はやりますよ。クロー様に認めてもらうため精一杯やらせていただきます……ですから……その暁には……】


【くはははっ! 力が、この力ならば獣化しても呑み込まれなくてすむ。いける。いけるぜ、くははは……クロー様、あたいはやるぜ!! 任せときな! ははは!】


 イオナからは、申し訳ないと言いつつも明るく弾んだ声が……

 ライコからは、格が上がり獣化形態へとなれるようになったことがよほど嬉しいのか、笑い声が絶えない……


 ――な、なんなんだ……


 言葉の出ない俺に悪魔の声が再び聞こえる。


【いいよ。いい、キミの配下もなかなか楽しませてくれるからいいよ】


 どこか楽しげな悪魔の声。その声を最後に何も聞こえてこなくなった。


 ――……。


 俺は思わずこめかみを押さえた。気持ちの整理をつけたくなったのだ。


 ――……ふぅ。


 正直なところよく分からない。


 だが、みんながみんな切羽詰まったような感じはしなかった。むしろ羽を外して弾けているのでは? と思っていたりもする。


 ――それならそれでいいのだが……あいつらは休暇もとらずに頑張ってくれていたからな……


 元々感情値を独占しようとか規律を厳しくして押さえつけようなんてことは考えてなかったし、皆の悪魔格が上がったことも結果的には戦力が増したことになるので、ヨシとしよく……しかない。ナナに感情値の使用を許可したのも俺だからな。


 ——はぁ……これはまた人件費が増えてしまったぞ案件か……まじですか。


「クロー……先に行かないがぅ?」

「行かないがうか?」


 先ほどから、立ち尽くす俺の身体にまとわりつくように動いていたニコとミコが首を傾げて俺の顔をじーっと見ていた。


「ん〜、少し思うところがあって一度屋敷に戻ろうかと考えていたんだよ……

 ところでセラとマカセルカナって強いのか?」


 なんとなく気になったのでニコとミコにそう尋ねてみれば、尋ねた瞬間、ニコとミコの身体がぶるりと僅かに震えた。ように感じた。


「セラバスは配属悪魔がぅ。色々規制はあるがぅが、魔力が続く限り配属先の支配地内においては……最強に近いがぅ」


 キチンと答えてくれたニコだが、なぜかぶるぶる震えていた。ように感じたがきっと気のせいだろう。


「配属悪魔の規制とは何だ?」


「配属先の主とその配下には、その力を向けることができないがぅ」


「ほう」


 ふと、あの時のセラは、全裸の姿で立っていたなぁと思い出し口元が緩む。


 ――なるほど……


 ん? 思い出した場面がまったく関係ない? いいのだよ。なんとなく思い出しただけだから。


「マカセルカナはどうだ? あいつは管理悪魔だが」


 今度はミコがこくりと頷くと――


「がう。マカセルカナは強いというよりしぶとい……配属先の支配地内なら魔力がある限り負けることはないがうよ……」


 ――しぶとい? ……よく分からないが……


「なるほど。配属悪魔は派遣されるだけの力はあるってことだな……」


 俺が感心したように頷いていると、ミコが上目遣いで、少しためらいながら口を開いた。


「がう。でも、基本的に配属悪魔はあくまでも支配地に配属された悪魔がう。支配地を管理するための。だからその……主に肩入れはしないがうよ」


「ん? ああ、なるほどな……よく分かった。二人ともありがとな」


 俺がそう言えば、先ほどと打って変わってミコが褒めてほしそうに頭を向けてくる。


「はは……」


 仕方のない見習いメイドだと思いつつも、その撫で撫でをしてもらおうと待っている姿がおかしくて、つい、いたずら心が働き、その頭をわしゃわしゃ盛大に撫で回してしまった。


 ――それそれ……あ〜、この感じチビスケ……チビコロに似てるな……


 そんなことを考えていたせいか、つい調子にのり強くわしゃわしゃと撫で回し過ぎてしまった。


 プンッ!


 ミコの一つ結びに使っていた髪留めのゴムが飛びショートボブの髪がボサッと広がった。


「あ……」


 一つ結びでクセになったミコの髪がアホ毛のようにぴょんぴょん飛び跳ねている。


 ――やばい……


「がう……」


 ミコからなんとなく哀愁を感じた俺は、後ろめたさもあり慌ててフォローする。


「み、ミコは、一つ結びをしていない髪型も似合ってて可愛いな」


 ミコのアホ毛がピコピコ揺れたように感じた時にはミコから漂っていた哀愁がなくなっていた。ような気がした。


「そうがうか」


 ――危なかった。迂闊なことはするべきじゃないな……


 俺は、一つ結びを自ら解き、ちらちらとこちらを見るショートボブ頭のニコを見てそう誓った。


 もちろんニコも可愛いと褒めてやったのだが、


「二人に尋ねたのは、その二人が、どういうわけか、俺の配下枠に入ってきてるんだよな……ふむ。そうか……負けないのか」


 ニコとミコが目を見開く。驚いているのか? 感情の乏しい二人にしては珍しい。


「そ、そんなことがある……がぅ」

「ないはず……がう」


「ん? お前たち驚いているのか? 同じ時期に配属された悪魔だもな。まあ、俺もまだ自覚がないからよく分からないんだが……

 でも二人のお陰で考えがまとまった……やはりここは一度戻ることにする」


 よく考えると、ナナには勝手に感情値を使ってもいいといったが、支配地代行として張り切っていたナナが勝手にそんなことをするだろうか? 俺に褒めて欲しそうだったナナ。何もなければしない気がする……それに俺の考えすぎだったならばまた来ればいいだけのこと。


「そうがぅか……」

「がう」


 ニコとミコの二人がこくりと頷くが心なしか少し元気がないように感じた。残念がってる感じかな。


 そんな様子に、少し悪いと思いつつも、俺は移動魔法、経路誘導(ラクナビ)を展開し親切設計の階段(一階へと戻る階段)を目指して最短距離を進んだ。


「ふむ」


 二人は俺が頼まなくてもサクサクと魔物を狩っていくが、元気がなくなっていたように感じた二人は先ほどよりもずっと気合が入っているように思える。


 ――あれ。気のせいだったか……


「がぅ」


「こっちもがう」


 魔物と見るや、俺が手を出すまでもなく一瞬で細切れにするのだ。


「二人とも飛ばしすぎてないか?」


「それはないがぅ」

「大丈夫がう」


「そうか……それならいいんだが……」


 そんなことがありながらも、俺たちは順調に一階へと繋がる階段があるトビラ(一方通行)に、入り口に辿りつきそのトビラを開けた。


「ここがそうか……ってえっ?」


 またしても俺の抱く迷宮のイメージと違う階段がある。


 その階段は前世の記憶にある非常階段によく似ていて、折り返しがいくつもある。


 その階段が上にも下にも向かっているのだ。


 ――下にも向かってる……あれ?? これは……


 非常階段とバタンと締まり開かなくなったトビラ(一方通行のため)を眺めて、俺はあることに気づく。


 このトビラを破壊すれば逆に短縮できるんじゃないのかと。

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