第80話

 —クルセイド教会・ゲスガス支部—


 時は少し遡る。


「セイル様、ラグナです」


「ああラグナ。呼び出してすまないね」


 トビラが開放されたままになっているセイルの執務室に入室したラグナは、セイルの執務机の前まで歩むと立礼した。


「いえ。私も本部からの返答は気になっておりましたので……」


「……皆の体調はどうですか?」


「はい。全快とは言えませんが、皆、セイル様の回復魔法による治療と、休養を頂いておりましたのでいつでも動けます。

 ……それで本部の大司教様からは何かありましたか?」


「……ラグナ、君の思っている通りだよ」


 セイルは自嘲的な笑みを浮かべると、一枚の魔法紙をラグナへと差し出した。


 魔法紙とは魔力を帯びた用紙であり互いに設置した魔道機にセットすることで魔力文字をその用紙に映し出す。

 今でいうFAX(ファクス)のようなもの。


「いいのですか? 拝見いたします……っ!?」


 その魔法紙を受け取ったラグナは、その内容を見てすぐに顔をしかめた。


 全てに目を通した時には顔を真っ赤に染め肩を震わせていた。


「何ですかこれはっ!」


「それが本部の決定だよ」


 一度首を振ったセイルは事の顛末を淡々とした口調でラグナに語った。


「今回我らが遭遇した第9位格の悪魔クローは、アークと認定されなかった」


「……」


「本部の言い分としてはこうだ。

 仮にその悪魔がアークの可能性を秘めていたとすると、その悪魔との交渉が聖騎士ただ一人だけの契約交渉で済むはずがないと、そもそも、アークならば交渉自体あり得ないそうだ。しかも、その悪魔と交戦したにも関わらず、誰一人欠けることなく生還した、その事実もあり得ないとね。もっと信憑性のある嘘をつくべきだったな、と私は正気を疑われたよ」


「私たち聖騎士の証言を集めれば……」


「あの様子では何を言っても無駄です……それどころか、Sランク聖騎士一名と、ヴァルキリー壱型を喪い、またその第9位格悪魔を取り逃した、その職責を問われたよ」


「その結果がこれなのですか」


「そうでしょうね。先ほど届きました」


 魔法紙に書かれたいた内容は、大きく分けて四つ。


 まず、悪魔と通じた元聖騎士セリスの誅伐について。


 次に、ゲスガス王都に存在する悪魔の全排除、これには当然第9位悪魔クローが含まれていた。


 そして、司祭セイルは司祭ゴーカツィに全権を譲渡し、ゲスガス孤児院の院長へ転属することとあり……


 最後に、この支部の聖騎士は司祭ゴーカツィ着任後、速やかにその指揮下に入り、司祭セイルはその旨を聖騎士に周知させ混乱が起こらぬよう徹底させるようにとあった。


「まあ、私も大司教様には疎まれていましたからね。実質、左遷ですかね……

 まあ、私一人の責任で済むのですから幸いだったと思うことにしますよ」


「しかしっ! この内容は到底受け入れられない! こんなことをすれば間違いなく我々は……くっ。

 とにかく、今現在の戦力であの悪魔との交戦は避けるべきです……」


「……それは、すまないと思ってる。私の力不足です」


 セイルは俯き、ラグナは悔しそうに噛み締め拳を固くにぎりしめた。


「この人事は明らかに大司教様の息のかかった……」


「ラグナ!」


 セイルが首を振る。ラグナにそれ以外は話すなと無言で訴えているのだ。


「しかし!」


 それでも納得のいかないラグナは、尚もセイルに詰め寄るが、セイルはセイルでそんなラグナから目を逸らし、執務室の前に現れた存在に目を向けた。


 セイルの執務室の前で、口を開けたり閉じたりしている年若い侍祭に。


「あなたは、どうかされましたか?」


「あ、はい。セイル様にとハンターがこのような物を……」


 どこかホッとしている年若い侍祭が、頭を軽く下げてから執務室に入室してきた。


「ハンターが私宛に……なんでしょうかね」


「こちらになります」


 侍祭がハンターから預かったという手紙をセイルに差し出す。

 セイルは侍祭からその手紙を受け取り、差出人を見て僅かに目を見開いた。


「……ありがとう。貴方はもう下がっていいですよ」


 セイルは共に渡された受領の証に手早くサインすると侍祭に返す。


「はい。では失礼致します」


 侍祭が退室するのを待ってセイルはラグナへと視線を一度向けたあと、手紙の封を解いていく。


「セリスからです」


「……」


 ラグナはセイルの言葉に反応するも、セイルがその内容を確認するのを黙って待った。


「ラグナ」


 しばらくすると、その手紙を読み終えたセイルが、その手紙をラグナに渡した。


「セリスは何と……」


 手紙に目を通したラグナの眉間には深いシワが刻まれていた。


「レイド悪魔だと! そのゲートが王城に! なんてことだ。だがしかし、セリスは何故この情報を我々に……

 ……セイル様、これは信用できるのでしょうか?」


「分かりません。ですが、あの悪魔クローは第9位格の悪魔です。レイド悪魔ではありません。それにあの時の口振りでは……この都市に根付く悪魔と繋がりがあるとも思えない」


「そうですね。我々はあの時、第8位格の悪魔を二体排除致しました。

 その行為に対する反応は無。憤怒する様子もありませんでした……

 現に契約交渉も成立しております」


「……そうです。あの悪魔は第10位格の悪魔ただ一人を排除しようとした行為に憤怒したようでしたね。

 我々が排除した悪魔二体があの悪魔と繋がりがあったのであれば、我々はここには居なかったでしょう……

 しかし、この都市に根付く悪魔の情報は喉から手が出るほど欲しかったのですが……まさかのレイド悪魔ですか……」


 別次元に屋敷や城を持つ支配地持ち悪魔のことを教団ではレイドと呼んでいる。


「それだけではありませんよセイル様。更に厄介なことにゲートは王城の玉座の間にあるようですし、王族からの抵抗を考えれば、早目に動かねばなりません」


「ラグナ。それは後任のゴーカツィ司祭が着任するからですか?」


「はい。私は正直、聖域結界の使えない、名ばかり司祭ゴーカツィの指揮下では、この都市に根付く悪魔の全排除は難しいと考えています」


 セイルはラグナに向けて首を振った。


「ラグナ、それは無理です。レイド悪魔と分かった以上、現在の戦力では危険です」


 セイルの指揮下にある聖騎士はSランクのラグナを筆頭に、Aランク四名、Bランク六名、Cランク六名であった。


 レイド悪魔が支配する別次元内では聖域結界の効果が薄い。しかも、レイド悪魔は第7位格以上の大変厄介な悪魔であることが多い。

 この人数で討伐を考えるならば、うまくいって第5位格の悪魔までが限界だろうとセイルは考えていた。

 それも、その悪魔がただ一体だけという好条件だった場合のみ……

 だが、それ(レイド悪魔が一体で別次元にいること)はあり得ないことなのだ。


「しかし、これが事実だとすれば、このまま何もしないでいることの方が、後々セイル様の立場を悪くしてしまいます。

 それならば一体でも多く、悪魔どもを排除した方が……」


 セイルはラグナの言葉を最後まで聞く事なく首を振った。


「戦力に差があると分かっているのです。貴方たち聖騎士をゲートの先に送ることなどできません」


「いいえ、乗り込むのは私だけです。私がこちらに悪魔を召喚させます」


「ラグナ。全く話になりませんね、それでは貴方が危険……に……ぐっ!?」


「……ぐっ!?」


 セイルが、突然襲ってきた心臓を鷲掴みにされたような違和感に胸を押さえると、ラグナも同じように胸を押さえ呻き声を漏らした。


「うぐっ……」


 だんだんと二人の表情は苦痛に歪み、青白く染まっていく。


「ぐぅ、こ、これは……心身をかき乱し、この湧き上がる感情は……」


「わ……私もです……ぐっ……」


「……まさか!?」


 セイルの執務室は二階にある。


 セイルは、気力を振り絞って立ち上がると、よろけながらも執務室の窓際へと歩み、気になった街並みを見下ろした。


「な、なんとっ!! これは……」


 倒れる人々。セイルは、同じように胸を押さえ倒れている人々を目の当たりにし理解した。


 これは、レイド悪魔が使用するソウルシーズだと。


 ただ、違うとすれば、このソウルシーズが今まで経験した、どのソウルシーズより遥かに強力だった、ということだ。


「これはいけません! 私はすぐに、この都市全域に聖域結界を張ります。

 ラグナはすぐに待機している聖騎士たちを連れて私のもとに来てください。場所は地下の聖域魔法陣です」


「はっ! 直ちに」


 セイルとラグナは自身の身体を聖属性の魔力で覆うことで、ソウルシーズに抵抗し胸の苦しみが幾分か楽になるのを自覚したあとに、ラグナは聖騎士たちの待機室へと急ぎ、セイルは地下の魔法陣の設置された部屋へ急いだ。


 魔法陣の部屋についたセイルは直ぐに魔法陣の中央に設置された大きな水晶へ魔力を注ぐ。


「やはり……くっ、発動にはかなりの魔力を要しますね」


 魔力を注ぎ続け、セイルの額から薄っすらと汗が浮き上がり始めたころに、その水晶に魔力が満たされる。


「ふぅ……」


 魔力に満たされた水晶からは青白い光が溢れ出している。

 そして、その青白い光が魔法陣へと流れ出し魔法陣全体までも青白く輝き始めた。


「あの悪魔が、我々に情報を寄越したくらいです。何かあると思いましたが……さすがにこれはマズイですね。

 今、この魔力が尽きたらこの街は終わりです」


 セイルはなぜ悪魔クローが、この情報を教団へ流したのか、結局のところ分からなかったが、何かしら良くないことが起き始めていることは理解できた。


「あの悪魔は我々に何を求めた……」


 しばらくすると、待機させていた聖騎士たちを引き連れたラグナが魔法陣の部屋に入室してきた。


「セイル様!!」


「ラグナ。皆は揃っていますね?」


「はい!」


「私は見ての通りこの場を離れることができません。Bランクの聖騎士六名はここで私の補佐として残りこの聖域魔法陣の維持します」


「はい!!」


「次にCランク聖騎士六名は近隣の町や村に滞在している聖騎士や神父たちのもとに赴き支援するよう要請してください。

 数はそれほど見込めませんが、先の見えないこの戦いにおいては、少しでもその協力が欲しいのです。この魔法陣を維持するためにも。頼みましたよ」


「はい!!」


「最後にAランク聖騎士四名はラグナの指示に従うように。恐らくですが、この都市を支配するレイド悪魔は、ソウルシーズの効果を邪魔するこの聖域魔法陣を破壊するべくその行動をとるでしょう。その悪魔からこの教会を守るのです」


「はい!」


「ラグナ様、お言葉ですが、守ってばかりじゃジリ貧じゃないのか?」


 Aランク聖騎士ガラルドは逆にレイド悪魔へと仕掛けるべきだと主張した。


「ガラルド。無理です。我々には戦力が足りません。

 一週間、持ち堪えればゴーカツィ司祭が増援を連れてこの都市に来る手筈になっています。攻め入るならその時まで待ちなさい」


「チッ!」


 ガラルドは珍しく、舌打ちするだけで素直にセイルの指示に従った、わけではなく、隣でラグナが足を踏みつけガラルドを睨んでいたから素直に引き下がっただけである。


「ラグナもそのつもりで行動してください。では、皆さん頼みます」


「はい!!」


 セイルに向けて聖騎士たちは胸に手を当て敬礼すると、それぞれに与えられた任務を遂行するべく行動に移した。


 ――――

 ――


「クローどうしてるかしら……」


「心配だよね」


 エリザとマリーは宿の窓から遠くに見えるゲスガス王城を眺めていた。


「エリザ殿も、マリー殿も、そう気を張りすぎては身が持たぬぞ。かと言って気を抜き過ぎてもいかぬがな。何事も適当が大事だぞ」


 クローに貰った魔法剣に魔力を注ぎ発動させた剣身を眺めつつ、硬い表情を浮かべる二人にセリスは優しく声をかけた。


「そうよね」


「う、うん。私も少し不安になってた……セリスさんありがとう」


「なに気にするな」


 ハンターギルドに依頼を出し宿に戻ってきた三人は、クローから指示されていた通りこの宿で待機していた。


 ただ、荒事に慣れているセリスは落ち着いていたが、エリザとマリーは落ち着きがない。

 行ったり来たり、立ったり座ったりと、部屋の中でソワソワしていた。


 そんな二人をラットとズックはベッドに埋もれつつじっと眺めている。クローからの命令を忠実に守っているのだ。


 そんな時だった。


 ガーン!! 

 ドカドカ!! 


 そんな時が街の至るところから聞こえてくる。


「えっ! 何!?」

「む!!」


「エリザ、セリスさんあれ! あそこ見て!!」


 丁度その時窓際にいたマリーが二階の窓から街並みに向けて指をさした。その声に駆け寄る2人。


「これは! どういうことだ!!」


 歩く人々は胸を押さえ倒れ込み、行き交っていた馬車は、御者が倒れ制御できなくなったのか、建物や馬車同士でぶつかったりと、賑わっていた街並みウソのように酷い有様になっていた。


「何なのこれは……」

「いったい何が起こったの?」


 しばらくすると、ゆっくりと人々が、一人、また一人と起き上がっていく、その姿を確認できて初めて三人の肩から力が抜けた。


「あれは、聖域魔法陣か!?」


 セリスは先程までなかった、青白い光に気がついた。

 それが街や城全体を大きく覆っている。


「聖域魔法陣ですか?」


「ああ。恐らくだが、先ほど人々が倒れたのはレイド悪魔のソウルシーズのせいだろう。人々がすぐに倒れるほどの強力なソウルシーズを私は知らないが間違いないだろう」


 すぐに状況を理解したセリスが分かる範囲でエリザとマリーに説明する


「ソウルシーズ? ……レイド悪魔?」


「ああ……」


 セリスはソウルシーズやレイド悪魔についてエリザやマリーでも理解できるように噛み砕いて語る。


「そのことに気付いたセイル様がこの街の教会に設置してある魔法陣を展開したのだろうな……」


 空の様子を窺いつつセリスはそう締めくくった。


「クローはそんな悪魔を相手してるの……」


「そうだな……」


 三人は暗い雰囲気になりしばらく沈黙が流れる。

 そんな沈黙だったが、マリーが思い出したように口を開いた。


「あれ? セリスさんの話を聞いて不思議に思ったけど、ソウルシーズでみんなが苦しんでいる時私たちは何ともなかったけど、なんでだろうね?」


「そう言われれば……」


「うむ。それは私も考えていた……恐らくこれは主殿と契約をしているからだろうと思う。

 私はソウルシーズを一度この身に受けたことがある。その時は、聖の魔力を身に纏うことで抗うことができたが……

 今回はそんなことはしていない。ただ、その時と何が違うかと言われれば主殿との契約だ。

 既に悪魔と繋がりのある私たちにはソウルシーズが効かぬのだろう」


「まあ、クローのお陰なのね」


「うむ。それしか考えられんのだ」


 セリスは再び外へ、王城へ視線を向けた。


「エリザ殿、マリー殿。恐らくこの街にも教会を狙って悪魔が現れるぞ」


「「え!」」


「レイド悪魔は何らかの目的があってソウルシーズを使った。が、今は聖域魔法陣によって妨げられている」


「そっか。でもそれって……」


「……不味いわよね」


「うむ。だが、これは主殿にとってはプラスになる、多少は動きやすくなるはずだ。

 レイド悪魔は教会へ向ける悪魔と防衛する悪魔と二手に分けなければならないのだからな」


「それはまた。複雑な気分だわ……」


「うん。街に悪魔が来るのは怖いけど、そのお陰でクローは動きやすくなる。それだとわたひたちの心配も減るもんね」


「うむ。そこでだが、私はこちらに攻めてくる悪魔を一体でも多く狩ろうと思うのだ。幸い、主殿に貰った装備品は規格外だ。

 今の私なら第5位程度の悪魔なら相手取ることが可能だと思っている」


 セリスは魔法剣の柄を握り締め、ふふふと不敵な笑みを浮かべた。


「セリスさん、ダメよ」


「うん。セリスさんダメだよ」


「な、何故だ!! 主殿のためにもなるのだぞ」


 エリザとマリーの思わぬ返しにセリスの顔に焦りの表情が浮かび上がる。


「ふふ。クローは私たち三人一緒に行動するように言ったわ」


「うん。わたしたちもセリスさんと同じような装備品を身につけている。魔法剣ももらった。少しは役に立つはずだよ」


「エリザ殿、マリー殿」


「「「ふふふふ……」」」


 やる気を見せる三人は不敵に笑い肩を震わせる。エリザとセリスの豊満なおっぱいは小刻みに揺れる。


『あるじ、任せろ』


 その揺れをベッドに埋もれた優秀ラットがしっかりとその目に刻みあとで主であるクローに送る。

 優秀ラットは対象をちゃんと監視しつつも主の為になる瞬間を見逃すことはないのだ。


『ちぱいも』


 ちっぱいマリーも揺れてないけど気持ち程度に、その目に刻む配慮をみせるラットはやはり優秀なのだろう。

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