第70話
幌馬車に転移すると、それほど時間が経っている感覚はなかったが、外はすでにオレンジ色の空が広がっていた。
真っ白な空間にいるから時間の感覚が狂ったのだろう。セリスもそうだと頷く。
――しかし参ったな……こんな時間から、王都から出ると衛兵に怪しまれる、か……
紛争が長らく続き治安が悪いのだ。こんな時間から王都を出ようモノなら盗賊に襲ってくださいと言っているようなもの。襲われても返り討ちにできるんだが、衛兵はそうは思わないだろう。
そう判断した俺は何か物言いたげな妻たちに宿を取ってから説明するとだけ告げると、セリスとナナを荷台の方に乗せ幌馬車を移動させた。
――こんなに人通りの多い場所、どこに奴らの目や、耳があるか……ん?
「おい、チビスケお前はいつの間に戻ったんだ?」
「がぅ」
ちゃっかりと俺の膝に座ってくるチビスケの頭を撫でつつ、俺はこの都市で一番大きな宿へと向かい五人がゆったりと泊まれる大部屋を1部屋とった。
「よし、これでいいだろう」
皆と大部屋に入り、すぐ音声遮断の結界を張る。
「エリザとマリーは、変わったことはなかったか?」
「あ、うん……それが……」
まず、妻たちからは淑女服セット引換券を店の店長に見せてからの経緯を聞いた。
報酬であった淑女服セットは意外にも、貴族のパーティーでも参加できるようなかなり上質なパーティードレスだったらしい。
ただ、妻たちの体型をみて採寸の調整に入り、時間が思った以上にとられ戻ってきたのは俺が転移魔法で戻ってくる少し前だったそうだ。
そして、そのドレスは現在収納中で、今は見せてくれそうにない。たぶんセリスのことが気になるのだろう。ちらちらと妻たちがセリスに視線を向けている。
妻たちのドレス姿が見れないことを少し残念に思いながらも、次は俺が、妻たちと別れてからの経緯を掻い摘んで説明した。
「知らなかったわ。そんなことがあったのね」
「ナナさん……大丈夫かな」
エリザとマリーがベッドで横になっているナナを悲痛な目で見つめた。もちろんナナには既に回復魔法を施しているので心配するような外傷はどこにもない。
「エリザ殿、マリー殿。突然押しかけるみたいになってしまったが、これからよろしく頼む」
セリスがエリザとマリーに少し申し訳なさそうにしながら握手を求めた。
「それはいいのですけど……その、セリスさんは、それでいいのですか?」
エリザがセリスの手を取りつつも、俺に視線を向け、それから今度は申し訳なさそうな表情をセリスに向ける。
エリザさん、ちょいと俺に失礼じゃないかい。
「無論だ。私が望んでしたことだ。それにな。不思議とこうなれて良かったとも思っているのだ」
「そうですか。それなら私からは何もありません。これからよろしくお願いします」
「セリスさん。ボクもよろしくお願いします」
エリザが優しく笑みを浮かべからセリスの手を両手で包み込むと、マリーもその上から軽く両手を添える。両手を添えたマリーがえへへと微笑む。
「あ〜ずるい。あたしもまぜてよ〜」
先程までベッドで寝ていたはずのナナが、いつの間にかセリスとエリザの肩に手を回していた。
「ナナ、お前いつから起きていたんだ?」
「えへへ。この宿についた頃だよん……」
「じゃあ、俺がこの部屋まで背負った時には……」
「もちろん起きてました〜にしし」
「あたしのおっぱい気持ち良かったでしょ」と笑いながらにやにやするナナの頭を軽く小突くと俺は風呂へと向かった。
――はぁ。
何やら四人で話し合いたいような雰囲気が漂っていたからだ。こういう時、空気の読める俺はさすがだろ。気にすることはないのだが、彼女らが仲良くしてくれないと俺も楽しくない。つまり様子見を兼ねているってわけさ。
案の定、俺がお風呂に入ると、いつもなら後を追いかけてくる妻たちが入ってこない。分かってはいたが、少し寂しいものだ。
――おっ?
「チビスケ、チビコロは俺と入りたいのか。そうかそうか」
ちょっと嬉しい、じゃなくて、しかたなく、俺はついてきたチビスケ、チビコロと一緒に風呂に入った。
「ふははは、お前たちよく似合ってるぞ」
「がう」
「がぅ」
チビスケとチビコロを羊みたいにもこもこと泡をたっぷりと付けて大満足した俺は、チビスケとチビコロとゆっくり湯船に浸かる。
「ふぅ、気持ちいいわ」
「がう」
「がぅぅ」
「おっ? お前たちも気持ちいいか。そうかそうか、あ、冷たいモノでも飲むか?」
「がう?」
「がぅ?」
所望魔法で冷えた炭酸飲料を、チビスケとチビコロには冷えたミルクを与え、ゴクゴク喉をながらして飲む。チビスケとチビコロのしっぽがパタパタ大きく振れている。かなり喜んでいる様子。これはこれで癒されるものだなと気づき一人頷く。
「そろそろか……!? むむ」
お風呂から上がっても四人はまだ話し込んでいた。
――むむっ、なんか楽しそうだな。
何を話しているのか流石に気になってくるが、みんながあっちにイケ(実際はそんなことない)というような視線を向けてくるので、しかたなく「先に寝るからな」と言ってベッドに向かうが、皆が手を振って「後からいくね」とにっこりと。
笑顔を向けられているけど、なんかそれ、ちょっと寂しい。
ベッドには妻たちといつも一緒に入っていた。両隣に寝てくれていたのに、
「ん? お前たち、一緒に寝たいのか?」
「がう」
「がぅ」
「ふっ、しょうがないヤツだ」
しっぽを振りながらもぞもぞと俺の布団に潜り込んできたチビスケとチビコロを抱きしめて眠る。
「チビスケ、チビコロ……お前たちは温かいな……」
「がう」
「がぅ」
悪魔になって初めて俺は涙で枕を濡らした。
————
——
―田舎村のタゴスケのその後―
「いや〜、あのハンターのお陰だ〜」
タゴスケはクローから金貨を受け取るとすぐに村長宅から小さなロバに似た足の短い馬を借り女性専門店へと向かった。
タゴスケは小心者であった。
そのため、気が小さく心配性であり不安や懸念が少しでもあるとついつい考え過ぎてしまう。悪い方に。
その結果がハゲ散らかした頭に出ているのだが、今思えばこの旅路のタゴスケは不思議とツイていた。
道中もクローたちが、訓練も兼ねて襲い来る獣や魔物を狩り尽くしていたおかげで獣一匹遭遇することなく町にたどり着いた。もちろんそんなことタゴスケが知るわけないのだが。
町に着いたタゴスケは早速、目的の店へ急ぐ。
内心ビクビクしていたタゴスケだったが、幸い客足が途切れていたこともありすぐに目的の店長と面会できた。
タゴスケは店長にお金を払っていなかった経緯を必死に説明し金貨を差し出すと、揉めることなくすぐにその金貨を受け取ってくれ、同情すらされた。
これはタイミングが良かったとしか言いようがない。
店長も溜まっていた債権の整理が順調に進んでいたことや、この案件を奴隷商に依頼する前だったこともある。
「余計な出費の必要がなくなった」と、上機嫌に笑うと、タゴスケが一番懸念していた督促料やハンターへの依頼料までもサービスしてくれた。
これにはタゴスケもびっくりしたのだが、店長は終始にこにこ上機嫌だったので、これ幸いと思い頭を深く下げ早々と逃げるように店を出たのだった。
「感謝、感謝、感謝だべ。これで心置きなく家に帰れるべ」
そう思って呟いていたタゴスケだったが、あまりにも順調に事が運び過ぎて逆に不安になる。
「おかしいべよな、どうするべか……」
だが不安だからといって田舎村に帰らず、このまま町に留まっていてもしかたないと思い、道具屋で通常のポーションを更に5分の1に薄めた安いポーションを購入した。
タゴスケの所持金ではそれが限界だったのだ。
それでもないよりマシだろうと薄めたポーションを、使い古したズダ袋に入れ帰路につく。
そんなタゴスケが町を出て2日目のことだった。
「んあ? あれはなんだべさ?」
ここは田舎村に向かうためだけの道のため、道幅も狭く、行き来する人もほとんどいない。
だが目の前には、タゴスケが町に向う際は見かけないかった黒い塊のようなものが細い道を塞いでいる。
「……通り道だ、しかたねぇ」
一瞬だけ躊躇したタゴスケだったが馬から降りると、ゆっくり慎重に黒い塊に近づいてみた。すると――
「!?」
「はぁ……はぁ……」
何やら今にも途切れそうな息遣いが聞こえてくるではないか。
「!? ……これは」
よく見れば黒い布をマントのように身体に纏った人が蹲っているのが分かったが、その周りには少し血溜まりができている。
「おっ、おい! おめぇさ!」
人が大怪我していると分かったタゴスケは田舎者故に、疑う事や警戒する事もなくその人物に駆け寄る。
「大丈夫だべか!」
タゴスケはすぐにマントを剥ぎ取る。怪我の具合を確認しようとしたのだ。
「!?」
男性だと思っていたタゴスケは血を流したのが女性だと気づき驚くも、背中に何かで斬りつけられた跡があり、そこから出血しているのが分かり慌てて自分のズダ袋の中を漁る。
「ぽ、ポーションだべ!!」
タゴスケは躊躇なく買ったばかりのポーションを取り出しそのキズ口に向かってゆっくりと丁寧にかけていく。
「どうだべ、どうだべか」
薄めてあるポーションのため、効きが悪いが、それでも流れ出ていた血がゆっくりと止っていくのを確認できたタゴスケはホッと胸を撫でる。
だが少しでも動かせばまた出血する恐れがあることからタゴスケは剥いだマントを広げ直し、そのマントに女性をゆっくり慎重に仰向けに寝せてみた。
「これで、少しは楽になるといいだべが……おぅっ!?」
そこで初めてタゴスケは、その女性の顔や身体に目を移し全身に痺れるような衝撃を受けた。
タゴスケ、二度目の一目惚れであった。
「め、めんこい……」
その女性の頭にはツノがありその片方は折れている。
大事な所には白と黒のまだら模様の体毛に覆われ、それ以外は白肌が露出していた。
ただその肌にはDという文字が浮かんでいるが、タゴスケにはその意味が分からない……
「あ、亜人だべか?」
そして何より先程からタゴスケが食い入るように見ているのが、スイカのように大きなおっぱいだった。爆乳である。
タゴスケは知らないが、倒れていたのは殺されそうになりゲーゲスの屋敷から逃げ出した悪魔牝牛人族の悪魔だった。
「隣の国から来ただべか〜?」
悪魔なので当然顔立ちは整っているのだが、タゴスケが呟きながらもジッと見ているのは大きなおっぱい。タゴスケの目はおっぱいから離れることはない。
「いい乳だべ」
しばらくおっぱいをガン見していると、悪魔として力が衰え人と変わらない身となっているとはいえ悪魔に変わりない。回復力は人よりも遥かに高かった。
その悪魔がゆっくりと目を覚ました。
「ここは……人……の匂い」
「気がついただべか?」
悪魔は目を覚ましはしたが、起きられるほど身体が回復していたわけではない。
タゴスケは心配そうにその悪魔の顔を覗き込んだ。
「人?」
「オラ、タゴスケと言うだべ」
「人よ。私に名前はない」
「凄いケガだったべ、もしかして記憶がないだか?」
「違う、元々無いだけ。私は悪魔だから」
「悪魔だべか〜」
てっきり亜人だと思っていたタゴスケは内心びっくりするも、その悪魔から離れようとしない。いや離れたくなかったのだ。
「……」
「……」
「……」
「私は悪魔、人よ、なぜ逃げない」
「何でオラが逃げるだべか。おめぇさケガしてるだべ」
タゴスケのそんな言葉を流しつつ悪魔はゆっくりと上体を起こす。
悪魔はキズの具合が気になっていた。身体を捻り背中のキズの具合を確認する。
「!?」
すると悪魔の瞳が僅かに開いた。
「……」
上体を起こした悪魔を目で追うタゴスケ。その目に悪魔が動いた拍子に揺れる大きなおっぱいが。
たゆ〜ん。たゆ〜ん。
タゴスケは思わず生唾を飲んだ。
「……お前が私のケガを?」
「……ん? ああ。オラがポーション使っただよ。薄めのポーションだべ、効きが悪いのはすまんだべ」
それを聞いた悪魔が無言になったがしばらくしてからゆっくりと口を開いた。
「……人に借りは作れない。対価払う」
悪魔の感情も何も入ってない瞳がタゴスケに向けられる。もちろんおっぱいに釘付けのタゴスケがそんことに気づくはずもないが。
「た、対価だか……別にいらねぇべ」
おっぱいに釘付けのままタゴスケはそう答える。失礼なタゴスケだが、悪魔もそんな事いちいち気にすることはない。それよりも、
「借りはダメだ。対価払ぅ……っ!! くっ……そうだった。今の私にはもう……力が無い……だ」
悪魔は口を開いたが、すぐに何かに気づき少し俯く。
俯く悪魔に気づいた訳ではないが、都合よく何やら考えたタゴスケはゴクリと生唾を飲み込むと意を決したように口を開いた。
「け、ケガを治したのは偶然だべ。だども、た、対価を払ってくれるというなら、お、お、おオラのよっ、よ、嫁さ、なってくれねぇだか?」
「嫁?」
「そうだべ。オラ……あんたに惚れただよ」
タゴスケは悪魔から勢いよく一歩だけ下がると頭を下げる。
「おめぇさ、めんこいだよ」
「一目惚れしただよ」
「ほんとは対価でもこんな事お願いしたくないべ。でもオラはおめぇさがいいんだべ」
タゴスケは一度ではなく何度も何度も頭を下げた。
「お願いだぁ。オラの嫁さなってけろ」
「…………」
「お願いだぁ。頼むだあ。おめさ一生大事にするだぁよ」
「……分かった」
「お願いだぁ……おね……がっ、へ?」
「だから、お前の嫁になってやる」
「ほ、ほんとだか!?」
「ほんと。人の寿命は短い。その間くらいお前の嫁になってやる。何度も言わせるな」
悪魔はプイッとタゴスケから顔を背けたがその耳は赤く染まっている。
残念タゴスケはそれに気づくことはないが。
「嬉しいだぁ。こんなめんこい嫁さ貰えてオラ嬉しいだ。幸せだぁ」
「……」
悪魔はタゴスケのそんな様子をチラチラ気になり見るているがそれだけだった。
背中のケガもポーションと悪魔の驚異的な回復力をもって早々に治っていったが、ゲーゲスに切られた背中の羽までは元に戻らなかった。
悪魔が歩けるようになると二人は田舎村へと向かった。
悪魔の身体を心配するタゴスケは、大丈夫という悪魔を無理はダメだべと馬に乗せ自らは歩いた。
それでもタゴスケの頬は常に緩みっぱなしだった。
夕方になると二人で野営をした。行きは一人だったが帰りは二人。タゴスケは幸せを満喫していた。
「な、なあ。おめぇさ何て呼べばいいだべ?」
「人……いや、タゴスケが好きに呼べば良い」
「ほあ、そ、そうだべか……じゃあ、おめさは今から……は、ハナ子だべ」
「ハナ子? ふーん。ハナ子」
悪魔は名前をつけられそう呼ばれるとシッポを上機嫌に揺らした。
すると二人の上空で契約書が浮かび上がりパーンと輝き二人に見えない絆が結ばれた。
Dとなった悪魔の契約など滅多に起こらない初めてのケースだったが契約は成立していた。
悪魔ハナ子がそれを知るはずもないが。
「ハナ子はオラが昔飼っていた牛の名前だべよ。毎日美味い乳を飲ませてくれたんだべ。いい名前だべ?」
女心を分かってないタゴスケ。
「……だよ」
「ん?」
「何でだよ。私のどこが牛なのだ」
「へ、いや、だどもハナ子はいい乳しててオラ大好きで……」
確かに悪魔ハナ子は悪魔牝牛人族なのだが、さすがに獣の牛と一緒にされると悪魔なのに女心が傷つく。
だが、名前をハナ子とつけられてしまった以上、後の祭り。
ならば、その牛の意識を塗り替えてやればいいと思い至った悪魔ハナ子はあたふたと慌てふためいているタゴスケの頭をぐいっと掴むと自分の胸へと押し付けた。
むにゅん。
「どうだタゴスケ。こっちの乳の方が良いと思わぬか?」
何気に牛の乳をライバル視している悪魔ハナ子。
「ふおっ!?」
「ほら、何とか言え。私の乳はどうだ?」
「ふおっ、す、すまんだべ。ハナ子の、悪魔のハナ子の方が何倍もいい乳だべ」
「そうだろうタゴスケ。分かればいい」
「ハナ子最高だべ」
「も、もういい」
「ハナ子。いい乳だべ」
「だから、もういいって……」
何度も褒めてくるタゴスケに悪魔のハナ子は顔を真っ赤にして顔を背けた。
「ハナ子は最高だべ……いい乳のいい嫁だべ」
「ああ、もう……」
子供はできなかったが、タゴスケは死ぬまで歳を取ることのない若い悪魔ハナ子と、幸せそうに、仲良く暮らした。
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