第68話

「あ、ああそうしてくれ。ところで、お前、ああもう契約したんだセリスでいいな。セリスはまだ何かしなくてはいけないんじゃないのか?」


 俺はそう言ってから地に散らばっている聖騎士の鎧を見渡した。


「ふふ、それで構わない。済まない。虚実眼がある故に面と向かっての会話なんて無いに等しかったから楽しかったのだ。だが少し夢中になり過ぎたようだ……」


 着ていた聖騎士の鎧はすでに脱ぎ終わり素足状態のセリスだが、そんなセリスは少し恥ずかしそうに眉尻を下げつつ先に外していた鎧の左腕部分、籠手だけをおもむろに拾いあげた。


 ——?


 外していた籠手をわざわざ拾う、それも片方だけ。何をするのかと興味本意で眺めているとセリスは刻印のある部分にそっと触れ“取出し”と呟いた。


「ほう」


「聖騎士は有事に備え、左の籠手に身近な荷物を収納させてるのだ」


 聖騎士の左籠手には収納魔法が付与されているらしい。


 確かに、今回のようなことがあれば、その聖騎士は二度と教団に戻ることはできないだろう。


 それが、いつ如何なる時に起こるかなど誰にも予想できない。

 だからこそクルセイド教団の者には私物を常時携帯できるような装備品が支給されている。

 ちなみに司祭や神父、シスターなどの教会に常駐する者にもブレスレット型のモノが支給され、仮に殉職するようなことがあれば籠手やブレスレットのみ遺族へと渡される。


「……う〜む」


 俺の目の前には、セリスが籠手から取り出した布製のズダ袋が5つ現れた。洒落っ気も何もない。

 その中の1つからセリスは黒っぽいブーツを取り出し履き直した。


「これで、後は……」


 セリスはそう呟くと、最後に今まで身に着けていた聖騎士の鎧と聖剣の柄を左の籠手に全て収納させた。


「これで終いだ。済まないが、これをセイル様(この場で一番位が高いの者)にお返ししなければならないのだ。それに契約内容のことも伝えねばならない。いいだろうか?」


 セリスは俺と契約した手前勝手な振る舞いを避け俺にわざわざ確認してきた。まあ内容は伝えないいかないだろうからな。そうなるよな。だが、


「いいぞ。だが俺も行く」


 俺と契約を結んだ以上セリスに何かあっても困る。


「君も、いいのか? 私も信用されるか不安があったからな」


「うむ。反故になれば互いに不利益を被る。それだと意味が無いだろう? そのために念を押すだけだ」


 まあちょいと脅しといてやろうかな、なんて思ったわけだが、気をつけろよ、反故になれば一番不利益を被るのはセリス、お前なんだぜ。


「すまない」


「あとはセリスよ。この取り出したお前の荷物はお前一人で持つには少し量が多い。一時的にだが俺が収納しといてやろう。まあ、強制ではないので嫌ならば断っていいぞ」


「いや、そんなことはない助かる。ありがとう」


「いい。気にするな」


 収納する際、なんとなくセリスの方が気になり横目に少し見れば、俺が収納する様子をどこか嬉しそうにしているのが見えた。


 ――ふむ。聖騎士というから警戒ばかりしていたんだが……

 こいつ意外によく笑うんだな……っと、そうだった。


「セリス済まない。俺の配下のナナも連れていく。あいつも当事者だからな」


「ああ、確かにその方が都合がいいな」


 俺とセリスの視線は自然とナナの方へと移る。


「ぶっ」


 停戦中とはいえは未だ聖域結界の中、緊迫した様子でこちらを見ているかと思っていたが、ナナは正座をしたまま船を漕いでいた。カクンカクンと倒れそうで倒れていない、なとも器用である。

 しかも、その顔はだらしなくにやにやとしている。


「ナ、ナ……」


 ――おいおい、こいつ信じられねえ。こんな所で寝てやがる……

 しかも、よだれまで垂らしてだらしねぇ……


「クロー、その悪魔は多分、いや間違いなく、その悪魔は魔力切れ起こしている。それで意識を失っているのだと思うぞ」


「魔力切れ? 寝てるわけじゃないのか……」


「ああ。セイル様は教団屈指の実力者で、その展開する聖域結界は非常に強力なのさ。並みの悪魔ならば瞬く間に弱体化し、魔力切れを引き起こす。

 まだ、昏睡状態にまではなっていないようだから、君の配下も第10位にしてはかなりの実力を秘めていたようだね。

 たださすがにこの結界の中では、先に魔力が切れて、長時間耐え続けることができなかったようだが……」


「そういうことか、よく分かった。セリス助かったよ」


 ——そうかナナは魔力切れになっていたか。悪いことしたな……しかもヨダレ垂らしてだらしないとか思ってたし。はあ、これは仕方ないな。背負うか……


「?」


 俺がナナをまじまじと見ていたからだろう。セリスが首を傾げて俺を見ているが気にせず俺はナナを背負うために邪魔な翼をスッとしまう。

 次にナナの両手を肩に回し、


「……ん〜よっと」


 自分の身体を素早く滑り込ませてナナを背負う。


 むにゅん。


 力の入ってないナナは俺の背中にぐったりと寄りかかってくる。柔らかい。予想通りの弾力だ。


「ふっ」


 思わず笑みが溢れそうになったがセリスの視線に気づき、慌てて平静を装った。


 ――いかんいかん。


「むにゃ、むにゃ、くろーしゃま〜の〜……匂いら〜。する〜ら〜。いい匂いら〜むにゃむにゃ」


 何とも気の抜けそうになるナナの寝言? おかしくて思わず笑みが溢れる。


「クロー……そろそろいいか」


「……ああ。すまん待たせた」


「いや」


 短くそう答えたセリスだが、少し羨ましいそうな目を向けていた気がしたが、きっと気のせいだろう。


 それから俺たちはセイルたちの方へと歩いた。


————

——


 セリスとの契約が成立する少し前まで遡る。



「くっ、ここまで圧倒的な力の差を見せつけられたら今の私たちだけではどうにもなりません。セリスすみません」


 セイルはセリスがアークらしき悪魔のクローに向かい歩くその背中を眺め、己の無力さを嘆いていた。


「セイル様。高位司祭で在られるセイル様とその聖域結界。聖騎士はSランク2名、Aランク4名、Bランク6名、Cランク4名、足を引っ張りそうなDランクとEランクの者は居ないこの編成。

 人数は少な目だったとはいえ、やりようによっては第2位格の悪魔にすら討伐できた強力な編成でした。それがどうだ。第9位格の悪魔一人に手も足も出ない……普通あり得ません」


「普通ではない相手、ですか」


「はい。正直、今回は相手が悪かったとしか……」


「はあ、こんな計り知れないアークと遭遇したのは初めてです。ですが奴は他の悪魔より理性的なように見えますが、果たして……」


「交渉に上手く持込みさえすれば大丈夫ですよ。セリスはあれでもSランクまで上り詰めた優秀な聖騎士です。

 それにセリスには虚実眼もあります。アークといえど、いいように丸め込まれる事態にはならないと思います」


「……セリスを信じましょう」


 それからすぐにアークとセリスが折衝する。セイルとラグナ、他の団員も、そんな二人を息を潜めて眺めていた。


「……」


「……」


 眺めるセイルとラグナ、それに他の団員たちも皆顔色は悪い。


 暫くするとセリスとアーク。二人に動きがあった。


「セイル様。見てください」


 セリスの頭上に契約書のような書面が浮かび上がり弾けると、淡い光となった何かがセリスの手の甲に入っていくのが見えた。


「恐らく契約が締結されたようです」


「そうです……か」


 セイルとラグナは何らかの契約が結ばれたが、その内容はまだ分からない。


 二人はセリスのことはもちろんのこと、ここ場にいる聖騎士たちにも不利にならぬよう、うまくいくように目を閉じ右手を胸の中心に当てると、何事もうまくいくように祈りを捧げた。


 そう、せめて我々の窮地を救ってくれようとしている勇気あるあの女性が不幸にならないようにと……


 もちろん後方に控えている聖騎士たちも二人に倣い同じように祈っていた。


 その祈りは、一刻も早く、そして無事にここから、あの悪魔から解放されますようにという自身のための祈りだったが、傍から見ればそうは見えない。


 セリスには悪いとは思うも、単独行動をメインとしていたセリスとの付き合いははっきり言って皆無。これで助かったと思う聖騎士たちの方が多かったのだ。


 それはセリスが虚実眼スキルの保持者であり、そのことが理由で教団内でも孤立していたことにもあった。


 特に女性聖騎士たちに至っては、四人とも祈り終わると力が抜けたのか、元々恐怖に腰を抜かしていたのか、地面にペタリと座り込む。


 まあ、それも無理のない話だった。もしセリスの契約が上手くいかなければ、次は、自分たちにその役目が回ってくるのだから。内心ではビクビクと怯え気の休まる暇がなかったのだ。


 一人でも多くこの場から生還するための贄として……


 後方に控えている聖騎士たちは年が若く経験も浅い。

 そのせいもあり、悪魔に対する恐怖心を完全に克服できていなかったのだ。


「偶然とはいえ、あのアークの配下悪魔の命を奪っていなかったことが幸いでした」


 セイルはアークとのやり取りを思い出しそう呟く。


「では、我々が討伐した第8位格の悪魔、その二体には別に主がいると考えた方がよろしいのですね」


 それを聞いたラグナはさすがSランク聖騎士だけあってすぐにピンとくる。


「そうなりますね。あのアークもそう言ってました。この都市を根城にしている悪魔は他に居ると……」


「セイル様、どういたしますか?」


「我々としては、ここで叩いておきたいところではありますが、一先ずセリスから契約内容を確認してからにしましょう。まだ、油断なりませんからね」


「確かに、早急でした、すみません」


「……」


 暫く沈黙がつづき、セリスの動向を眺めていたラグナが口を開いた。


「セイル様……セリスが聖騎士の鎧を外し始めました。恐らく教団に鎧返還するためでしょう。これでもう、間違いありませんね」


 ラグナは割と勘がいい方だった。直感だがセリスの交渉はうまくいったのだろうと思った、いやそう思いたかったのだ。そうでないと悪魔と契約したセリスは無駄な贄となってしまうのだから。


「そうでしょうね……セリスに感謝しなければなりませんね」


 もちろんセイルも心の奥ではまだ不安に感じつつも、うまくいったのだろう頷いてみせる。


「……しかしセイル様。どういうことでしょうか? 普段は皆を避け、口を閉ざしているあのセリスが……セリスの方から積極的に話しかけているようにも見受けられたのですが……」


「ラグナ。私の目にもそう見えてますよ。あのアークも理性的で落ち着いてますので、悪いようにはなってないと思うのですが、こればかりは待つしかありませんね」


「……」


「……」


 態度には出さないがやはり二人は不安だったのだろう。同じような会話を繰り返す。


「!? セリスが籠手だけを手に持ちこちらに向かってきます。いよいよです、!?」


 なぜか向かってくるのがセリスだけじゃないことに驚くセイルとラグナ。

 セイルとラグナは、こちらに向かってくるアークから微弱ではあるが放たれ続けている悪気に思わず生唾を呑んだ。


————

——



「分かりました。では、最後にもう一度だけ契約内容を確認させてください」


「ああ良いだろう」


 俺が瀕死にした聖騎士たちの治療も済み今は大人しくセイルの後ろに控えている。よほど俺が怖いのか、背筋をピシッと伸ばし微動だしない。だがその聖騎士たちの顔色は悪い。


 ただ一人でだけ回復すると共に騒ぎだしたので、高ランク聖騎士らしいラグナというヤツがどついて再び眠ることになった。


 ナナを含めて二人ほど眠っているが、これで今回の当事者は全て揃ったことになる。


「では、先ず1に、契約者になったセリス以外のメンバーは全て解放される。

 2に、この都市から離れるまで、若しくは10日間、お互い手を出さない。出させない。

 3に、これはクロー殿の配下や身内にも適用される。

 4に、この期間は互いに当事者以外の増援を呼ぶことや相手を襲わせるような行動、行為、を行ってはならない。

 この内容に間違いありませんか?」


「ああ。その辺りが限界だろう?」


 ――その間に、俺たちはこの都市を離れる。一応内容には入れたが10日程度では増援を呼ぶことも無理だろうしな。


「はい。寛大な処置ありがとうございます」


 セイルは俺に向かって深々と頭を下げた。


「ふん。それは契約者となったセリスに言え」


「勿論セリスもです。ありがとうございます」


 セイルはセリスにも頭を下げた。それもかなり深く、長い時間頭を下げていた。


 ――もっとプライドが高いと思ったが……意外だな……


 少なからずセイルという人物はできた人物だったのだろうと思う。まあそれでも関わるのは今回限りにしたいが。


「セイル様、頭を上げて下さい。私も聖騎士の務めとして当然の行いをしたまでです」


「それでもですセリス」


 一度頭を上げたセイルがもう一度頭を下げる。申し訳なさそうな顔をしていたセリスは、居心地悪そうにしながらもセイルの気持ちを黙って受け入れていた。


「セイル様、これをお返しいたします」


 セイルが頭を上げて落ち着くのを見計らったセリスは、セイルの前で片膝をつけ両手で大事そうに抱えていた籠手をセイルに差し出した。


「そうですね。はい……確かに受け取りました。では聖騎士セリスよ」


「はっ!」


「助けられた身のうえとしては大変申し訳なく、又、不本意ですが、これも規則です」


「はい。分かっております」


 そこでセイルは一度だけ瞳を閉じ沈黙する。セリスも頭を垂れる。


「……規約に則り聖騎士セリスは、今この時を以って除名と致します」


「はい」


 セリスは除名を素直に受け入れ、「すまない」と何度も声をかけるセイル。


 聖騎士たちは複雑な表情を浮かべるもセリスに顔を向けることは無かった。


「クロー殿少々お聞きしてもよろしいですか」


 しばらくしてセイルがおずおずといった様子で俺に発言の許可を求めてきた。


「何だ」


「はい。我々は、この都市を根城にしている悪魔を討伐したいのですが……その……」


「ああ、そんなことか。好きにしたらいい」


「それはつまり……」


「前にも言ったが、俺たちはここの悪魔とは関係ない。早い話がどうなろうと知ったこっちゃない」


 セイルがホッとしたのか安堵の息を吐いた。


「そうですか。ありがとうございます」


「では、俺たちは行くぞ」


「はい、ありがとうございます。では今すぐ私の聖域結界を解除しましょう」


「必要ない。こいつナナも俺もこんな姿悪魔の姿だ。結界を解除したら騒ぎになる。このまま勝手に出ていく。ほら、セリスは手を出せ」


 ――こいつらに人化した俺の姿は見せたくないからな。


「ああ、こ、こうでいいのか、これで何をするんだ?」


 セリスは俺が何をするのか分かってないようで首を傾けながら俺に手を差し出した。

 手を出す際ちょっと照れている姿がちょっと可愛いな。


「こうするんだよ」


 俺はセリスの手を握ると同時に幌馬車の中へと転移した。


「へっ?」


「おいおい、ウソだろ。あのアーク。セイル様の結界から普通に転移しやがった。どんだけ規格外なんだよ!」


 しばらく騒ついた聖騎士たちだったが、その後はセイルの指示の下クルセイド教団ゲスガス支部へと引き上げた聖騎士たちだった。

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