第64話
――ナナ……
元気に飛び出して行ったナナが、今は俺のすぐそばでぐったりとしている。パッと見た感じでもナナの状態は決していいものじゃない。
人化は解けて魔力で具現化して纏っていた服はすでになく手足は有らぬ方向へと曲がり、身体中いたる所に擦り傷や赤黒くなった痛々しい痣が目に付く。
――くっ……
他にも、その背中にあるはずの羽は無く、その根本から今も流れ出ている赤い液体が真っ白な空間を真っ赤に染めている。
そんな真っ白な空間だからこそ少し見渡しただけで、その血痕が至る所に目につきその激しさを物語っていた。
――(クローさま……あたしちょっと見てくるね。ばいば〜い)
別れ際に放った言葉や天真爛漫なナナの笑顔が脳裏を過るが、今の倒れているナナの顔には色がなく、息遣いはいつ途切れてもおかしくないほどに弱っていた。
「ギリッ!」
あまり深入りしたくないと思ってはいたがそれでもナナは俺の初めての配下。言うことは聞かない、プリンばかり要求する。隙あらばベッドにすぐに紛れ込んでくる。
天真爛漫で好き勝手に行動する配下だが、最近は一緒にいて楽しいとも思っていたのだ。
――腹が立つ……
そう俺は無性に腹が立っていた。
――俺の
エリザが傷つけられた時と同じような、胸の奥から真っ黒な衝動が湧き起こるのを感じる。それが今も尚俺の胸の奥で大きく膨らんでいる。
――(許せん)許せん……
自然と俺は拳を固く握り、奥歯を噛みしめていた。
真っ黒な衝動も胸の奥で膨らめば俺の中の悪気までもが膨んでいく。
――(許すな)許るさん……
これが悪魔の本能なのだろう、抑えることのできない黒い感情が溢れてくる。俺自身もそうするべきだと望んでいる。
――そうだ、許したらダメだっ!!
そう理解した瞬間、身体中から禍々しいほどの悪気が溢れているが構やしない。
それは聖域結界内を満たし聖騎士たちをも呑み込んだ。
聖騎士たちが何やら叫んでいるが全く聴こえてこない。いいざまだ。黒い感情に満たされていく俺の耳には遠く、何も入ってこなかった。
――――
――
「「「「ひ、ひぃぃぃぃ……!」」」」
「ガラルドッ! ほら、皆もしっかりしないか!!」
ガラルドは新たに現れた悪魔に殴り飛ばされたが、その勢いはすごく何度かバウンドしてから聖域結界ギリギリでようやく止まった。だが、そのガラルドがピクリとも動く様子が見られない。
「回復だ、回復魔法を急げ!」
「は、はいっ!! セイル様」
あの激しさならば即死していてもおかしくないが、息さえしていればどうにかなると、セイルは指示を出す。
ガラルドの下へ駆けた聖騎士が回復魔法を施しだした。どうやら即死ではなかったようだ。今は聖騎士は一人でも多くいた方がいい。ヤツを相手するのならば。
視線を悪魔に向けたセイルが額に汗を垂らす。
「が、ガラルドが……たった一発……」
「アイツ嫌な奴だが、たしかAランク聖騎士だった、よな?」
「し、知らねぇよ。それよりアイツだ、奴を見ろっ……ひぃっ、な、何なのだ、あの悪魔は!?」
「す、姿が……」
新手の悪魔の姿が変化していく……
角は鋭く倍ほどに伸びれば反り返り、小さく貧相だったはずの羽が大きく禍々しくありながらも美しい黒翼へと変貌していた。
奴の尻尾こそ見えてはいないが、翼が大きく広がったせいで、上半身を露わにしているが、引き締まった体躯に薄っすらと両腕から浮かび上がっていく悪魔文字。それが紋様となりその数を増やしていく。
このような悪魔見たこともない。悪気は第9位格のそれに見えるが、それが実ではないだろう。
私の聖域結界を突き破り悪魔紋様が浮かぶ悪魔、かなりの高位の悪魔だろう。
「や、ヤベー。さっきより凶悪になってるぞ、おいっ」
「ば、バケモノ!!」
「よ、よく見ろ。あの悪気……奴は第9位の悪魔だ。ど、どこにでもいる、た、ただの悪魔だろ……」
「へ、へぇ、何だ、た、大したことねぇ……な」
と口にするものの聖騎士たちは一歩、又一歩と後ろ足に下がる。
聖騎士は変にプライドと出世欲が高く、平気で他人の足を引っ張る。だからこそ弱味を見せるわけにはいかなかった。
「な、なら。お前殺ってこいよ」
「俺はBランクの聖騎士だ。だ、第9位の悪魔など倒しても意味がない。し、Cランクのお前に譲ってやるよ」
「お、俺はいい。こ、今回はお前に譲る」
「なんだと……」
「ひぃぃ! やや、奴の目が赤に……血だ、血の色だ」
「何っ!?」
「や、ヤベェ!!」
変貌を遂げた悪魔のその瞳は真っ赤に染まっていた。
「お前たち! 何をしているすぐに下がれっ」
「「「セイル様」」」
聖騎士たちの視線がセイルに集まる。
「ヤツは私の聖域結界を簡単に破った悪魔だ。ただの第9位悪魔ではない……アークかもしれん」
「「「「アークッ!」」」」
高位司祭であるセイルの声に、お互い牽制し譲り合っていた聖騎士たちは助かったとばかりに新手の悪魔から距離を取るように、高位司祭であるセイルよりも後方へと下がった。
以前として新手の悪魔を見据えるセイルの額には大粒の汗が流れ続けている。
*アークとはクルセイド教団が定めた悪魔階位とは関係なく脅威となる悪魔の名称。
クルセイド教団は何度かそのような悪魔と遭遇し壊滅的な打撃を受け取り逃した過去がある。
――――
――
まずいと思うが怒りが収まらない。いや、それどころか俺の中でまだまだ膨らんでいく。
――ぐっ! 腹が……立つ……。ヤツらを許せ……ん……
怒りに任せて本能のままに悪気を解放してしまったが、一向に怒りが収まる気配がない。俺の理性もそろそろやばい。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
何度か鎮めようと一度冷静になろうとしてもナナのボロボロの姿が頭から離れない。
――(許すな)……このままじゃダメ……だ。
何もかも破壊したい。破壊してしまえ、と本能が訴えてくる。真っ黒な衝動が胸の奥で蠢き暴れる。
この本能に流されてしまえば、楽になるのだろうが、何もかも破壊してはダメだと理性が抗う。妻たちとゆっくりと過ごす世界がなくなっては意味がないと。
――(破壊しろ)ダメ……だ……(破壊してしまえ)ダメ、だ……
理性という感情と破壊の衝動が激しくぶつかる。一度怒りに任せて本能に流されたのがまずかった。
俺の理性が破壊の衝動に押され始めている。
――(破壊して殺せ!)くっ、はかい……こ、ころす……
「こ……殺ろす……ぐぁぁぁ!!」
俺は黒い衝動に呑み込まれそうになる自分が怖くなり、思わず叫んだが……
――(殺すのだ!!)ぐぬぁぁっ。だ、ダメ……だ……お、俺は……スローライフを……(殺せ!!)……妻たちとおくる……(殺せ!!!!)……おく……(殺せ!!!!)ころす……
「そうだ……聖騎士など殺してしまえばいいっ!」
俺が意図せぬ言葉を叫んでいた。
――……ぐぅ。
湧き上がる黒い衝動は激しさを増し俺の視界はすでに真っ赤に染まっていた。俺の理性という意識も薄まり初めている。
――(奴らは俺のモノに手を出した……殺す)……
真っ黒く深い意識の中。何もかもがどうでもよくなってくる。
所々に明るく光る何かがある。なぜかそれが恋しくなり俺はそれに手を伸ばす。
すると懐かしくも暖かい記憶が流れてくる。
だが、それは一瞬のことで、真っ黒な衝動が波のように押し寄せてくると、俺は抗うことができず、次第に俺という存在が黒く塗りつぶされていくのが分かった。
ただ、それに身を任せると不思議と心地よい。
――(殺って当然のことをした、殺せ)……
――(殺せ)そうだ……殺さないと……
そう理解した俺は何故か俯いていた顔を上げ聖騎士たちを睨みつけると、まとまっていた聖騎士たちは面白いように俺を怖がり始めた。
――クックク、そうだ……
もう、先程まで粋がっていた聖騎士たちの姿はどこにもない。
――もっとだ……これからもっと絶望を与えてやる。
「クックックック!!」
先程まで苦しく重かった頭と、身体が段々と軽くなっていく。力が、力が溢れてくる。
――――
―――
「「「ひぃぃぃ、せ、せ、せ、セイル様ぁ!! あ、悪魔がぁぁ!!」」」
「こ、これだけの悪気です。私の結界からも漏れているはずです。時間さえ稼げば応援が来るでしょう」
「で、では」
「はい。あれを使用します。まだ試作品ですが、時間稼ぎにはなるはずです」
「「「わ、分かりました」」」
セイルの合図に三人の聖騎士が応えるようにセイルを囲み向き合うと手印を作り聖力を練り始める。
「「「はぁぁあ」」」
すぐに聖騎士の作った手印から靄のようなモノが溢れ出しセイルの作った手印にと集っていく。
「ぐうっ……」
溢れるほどの靄を受けたセイルは片手は手印を維持したままで、もう片方の手を地に当て何やら真言を唱え始めた。
「◯◎▲%★□◆……」
そこまでを見届けていた残りの聖騎士たちはお互いに頷き合うと、セイルたちを悪魔から遮るように肉壁となるように前に出るのだが、その顔色は悪く両足はガクガクと震えていた。
「や、奴が……」
「お、おいお前しっかりしろッ」
「う、動くなよ……動くんじゃねぇぞ」
――――
―――
聖騎士たちが何やら始めたが関係ない。
「クククッ、みんなまとめて殺してやるよ……」
俺の頭は目の前の聖騎士たちをどう殺してやろうか、そのことで一杯だった。
――まずはアイツだ……クククッ……
俺は震えている一人の聖騎士に狙いをつけ突貫しようと身を屈め、その足を一歩踏み出したその時、
カラカラッ……
俺の足下に何やら容器のような物があったらしくその容器が転がり、転がった先で踏み出した俺の足が、その容器を踏み潰していた。
バキッ!!
乾いた何かを踏み潰した音と、その不愉快な感触に俺の視線は自然と足下へと向く。
――俺の邪魔を…………っ!?
視界に入ったモノを見て俺の頭に電撃が走った。
目の奥には何か熱いものが流れてくる。
「……これ、っ!?」
俺は、その場に相応しくない代物を踏み潰していた。でもその踏み潰した物には見覚えがあったのだ。
そう思った瞬間、ナナが美味しそうに頬張るその顔が脳裏を過ぎる。
――ナナ……
そう、俺が踏み潰したした物はプリンの容器だった。
俺は何度もプリンを欲しがるナナが面倒になり、前世で市販されていたプッつるんプリン3個入りを所望し渡していた。
ナナはそれも美味しそうに平らげていたが、これはその時の容器に見える。ナナは俺が与えた物をカラになっても取っていたのだろう。
――(プリン、プリン頂戴)
プリンを欲しがるナナの声が聞こえた気がした。
その声に湧き上がっていた真っ黒な衝動が不思議と収まっていく。
――……そうだ、俺は……
気づけば真っ赤に染まっていた視界が元に戻っている。俺はすぐ足下で蹲るナナの前にしゃがみ込んだ。
「待たせて悪かった……」
俺は本能のまま怒りの感情に塗り潰されそうだった己を振り払うように首を振ると、ナナに視線を向ける。
「ふっ」
俺は思わず口元を緩めていた。
――お前の……プリン好きに助けられたよ……
気持ちが落ち着くと、先程まで俺の心をかき乱していた、黒くまとわり付いていた何かが抜けいく。
――ったく、口元にも変なタレが付いてるじゃねぇか……
もっと早くにこうしてやりたかったのに、俺は怒りに呑まれてしまっていた、そんな後ろめたい気持ちから、ナナの口元を指でそっと拭ってやった後、俺はナナの肩に手を当てた。
『我は所望する』
ナナの身体が眩い光に包まれた。
見た目以上にケガが酷かったせいか光が細かい粒子になり数秒ほどナナの回りを回っていたが、すぐにその光の粒子がナナに吸い込まれていく。
ケガなど何もなかったかのように元のキレイな状態へと戻っていた。
当然、ナナの可愛いらしい羽も綺麗に戻っている。
「……ん、んん」
さすがは悪魔、身体が元に戻るとすぐにナナは目を擦りながら目を覚まし上体を起こした。
ナナの双丘がぷるんと揺れる。
「あれれ、クロー、さま?」
ナナが不思議そうに小首を傾げる。
「ああ、そうだ。ったく。だから勝手な行動はするなと言ったんだがな……」
まだ状況を理解できていないナナの頭を一撫ですると、俺は上着を収納魔法から取り出しナナの頭に落とした。
「わっぷっ、クローさま何を……あっ、あたし裸だ」
ナナは悪魔だから恥ずかしがることはないが、それでも俺の上着を嬉しそうに抱き込む。
「それを着て、お前は大人しくそこで見てろ……すぐ済む」
そう言葉を言い終わる前に俺は立ち上がり、聖騎士たちに視線を向けた。
「えっ、あっ、う、うん。(ぁ、クローさまの悪魔姿、地味だって言って見せてくれなかったけど……ウソつきだね)えへへ」
後ろ目に嬉しそうに俺の上着を羽織ったナナはその場にちょこんと座り直したようだが、
「さぁて、誰から相手してくれるんだ?」
俺は聖騎士たちに向け、悪気を込めて言葉を発してはみたものの、黒い衝動に呑まれて一時期意識のなかった俺は、状況を理解しようと視線を忙しく動かした。
――む? ……あれは、聖騎士たちは後ろで何をしてる。
――――
――
「せ、セイル様、奴の悪気が少し小さくなったような気がします。もしやセイル様の結界が効いてきたのではないでしょうか?」
セイルたちの肉壁となろうと前に出ていた一人の聖騎士がセイルに意見を求めようとした。
「お前黙れ。セイル様が集中できないだろ」
「し、しかし、今なら……」
「今は大事な召喚術……「どけよっ! あんな雑魚、俺一人で殺してやるよ!」
聖騎士の言葉を遮り、後ろから一人の聖騎士が割って前へと出てきた。
「が、ガラルドお前……」
「不意打ちじゃなきゃ俺が、たかだか第9位悪魔如きに、やられるわけねぇんだよ」
別の聖騎士に回復魔法を受けたガラルドは狂気が含んだような笑みを浮かべて口角を吊り上げると、悪魔に向けてゆっくりと聖剣を構えた。
「クククッ、セイル様の結界内はいい。力が溢れてくるぜ。悪魔はやっぱ殺してなんぼ、生きて捕らえるなど糞食らえだ」
「ガラルド、奴はアークだとセイル様が……ここは、セイル様の……」
「んあ!? 知るかよ、んなもん!!」
――――
――
「あの聖騎士、一人で来るか」
俺の目の前に一人の聖騎士が聖剣を突き出し飛び出してきた。その動きははっきり言ってトロい。
――ん?
よく見ればこいつはナナに蹴っていた奴だ。
「またお前か……」
聖騎士の聖剣が光を放ち始めたが、構うことはない。
「アハハハッ。お前死んだよ、聖剣術、聖……」
ガラルドが己の得意とする間合いで聖剣術を放つ、正にその瞬間に、跳躍した俺はガラルドに肉薄する。
ガラルドの間合いは一瞬にして俺の間合いとなる。
「ほらよ」
俺は掌底を軽く突き出し聖騎士の鳩尾へと打ち込むと、
バキッ!!
聖騎士の鎧を簡単に突き破りガラルドの生身にダメージを与える。
「ガハッ!!」
ガラルドの身体はくの字に曲がると、ともに衝撃で浮き上がるが、
「おっと、どこに行くんだ……」
俺は浮き上がった(吹き飛ぶ瞬間)聖騎士の右足を掴み今度は地面へと叩きつけた。
「ほらよっ!!」
ドゴォォーン!!!!
隕石でも落ちたかのような爆音と衝撃が響き渡り、陥没した地面に一人の聖騎士が白目を剥いて倒れていた。
手足は有らぬ方向を向いている。
いくら丈夫な聖騎士の鎧を身に纏っていようと全身に受ける衝撃には耐えられなかったようだ。
――ふん。
他の聖騎士たちから悲鳴とも取れる叫び声が上げ震えているが、聖騎士たちから仕掛けられた今回の喧嘩、俺から止めるつもりはない。
「さて、次は誰だ」
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