第46話
使い魔のラットは俺の左肩が気に入ったようで、先ほどから俺の左肩の上で立ち上がりきょろきょろと地上を見渡している。
用事がある時は召喚すると伝えたが、俺の肩にしがみついて離れなかったのだ。
そこで俺はピンッときた。多分こいつラットは、悪魔時代、俺以上に永い年月を、悪魔大事典の中で過ごしていたのではないのだろうかと……
今、会話を楽しむ彼女たちの笑顔を見て思う、あの空間はやはり寂しい。俺はそう思うが、他の悪魔がどう感じているのかは知らないけどな……
まあ、ネズミにしては、おかしいぐらい体毛がふわふわのもふもふになったせいで、一見、ネズミに見えないから、このままでも問題になることはないだろう。
「エリザ。ギルドでは助かった、ありがとう。あの時、聖騎士からどうやったら穏便に逃げ出せるか思案していたんだよ。聖騎士や教会に目をつけられたらかなり面倒だからな」
――あいつらはどこまでも追ってくる存在だと認識しているんだよな……
「ふふふ、良かった。クローにそう言ってもらえると私も妻として嬉しく思うわ」
俺は得意げに胸を張る妻に笑顔を向けたあとマリーの方にも顔を向けた。
「そしてマリー! よく我慢したな。偉いぞ」
「へぇ? 何をですか?」
「ほら、ギルドにカイルたちが来てたじゃないか。聖騎士のケツを追いかけてさ……」
俺の言葉に首を傾げていたマリーは、思い出したようにポンッと手を叩いた。
「あ、思い出しました。確かに来てましたね。
ボク、アイナちゃんのことが心配で……気にも留めていませんでした、多分、クローが傍にいてくれたから……安心していたんだと思う」
――あれ、そうなのか……俺はてっきり、意図して見ないようにしてるものと思っていたんだが……まあ、いい。
「私も同じね、クローに言われるまですっかり忘れていたわね」
マリーだけでなく、妻までもカイルたちは存在しないものとなっていたみたいだ。
――そうか、そうか。アイツ顔だけはいいからな……もげればいいのにと思っていたが、ふはは、なんだ、この優越感は、顔じゃないんだよ顔じゃ。
俺の口元は知らぬうちに緩み、笑みを浮かべいた。
――ふふ、ふはは、しかしエリザとマリーが他の男に見向きもしないってことがこんなにも嬉しく思うとはな……ふふふふ。
「それならいいんだ。昨日の今日だったからな、仲間として心配したんだ」
「えへへ、それがですね、自分でも不思議なくらい平気なんだ」
「そうか、それならいい。もし、なにかあれば俺やエリザを頼れ……遠慮なんてするなよ。仲間なんだからな」
「うん。ありがとう」
マリーは嬉しそうに顔を綻ばせると、俺とエリザに向かってペコリと頭を深く下げた。
「おう、気にするな」
「そうよ。気にしないでいいわよ」
勢いよく頭を戻したマリーはハニカミ照れくさそうしているが、俺の視線は僅かに揺れるマリーのちっぱいを捉えていた。
ぷるっ。
――うむ。マリーのちっぱいもちっぱいなりに元気だな。
「それと色々あったが昼飯を食べたら、もう一度冒険者ギルドに行こう。その時間ならば、さすがにギルドの方も落ち着いているだろう」
――しかし、あの聖騎士は要注意だ。俺が悪魔だってことは気づかれていないとは思うが、無駄な接触は避けるべきだ。早めにこの町から離れよう。
「依頼を受けるの?」
「そうだ。予定通りさっさと依頼を受けて次の町に向かう」
「ふふふ、みんなで依頼を受けるなんて、楽しみですわ」
それから俺たちは、ギルド内が落ち着くまで屋台を見て周り、美味しそうなら食べて時間を潰すことにした。
この食べ歩きだが、たまに当たりがあるから侮れない。
「よし、まずはあれだっ」
早速いい匂いを漂わせていた屋台を見つけので、購入してみる。
「うっ……」
何の肉か分からない焼き鳥モドキは、食欲をそそるいい匂いなのに――
――ぬ! ぐぁ! まずっ。
獣臭くて吐き出してしまった。
気を取り直して次に見つけた、何が入ってるか分からない色の薄いスープ、これもいい匂いを漂わせている。
「これは間違いないっ」
だがこれを口に含むと、あら不思議……
――ぬ! ぬぬ?
水っぽい! しかも生温い……
これはどうにか飲み込むことができたが、一口で十分だと思った。
「次だ、次っ」
これならばハズレはないだろうと、焼き芋っぽいものを購入してみた。
匂いもほぼ焼き芋と変わらない。さすがにこれは当たりだろう。
俺はそう思い、口を大きく開けてかぶりついた……
――ぬ! ぐはっ!
ジャリとした食感と共に、土臭さが口の中一杯に広がった。
これは呑み込むことができず吐き出した。
――ぐぬぬ!
「さすがにこれなら……」
口直しに、果実水みたいな飲み物を買った。
――ぬ!
「……」
これはほとんど水だった。これは普通に飲めた。
「ふぅ」
「はぁ」
俺とエリザのテンションはだだ下がり思わず顔を見合わせ「不味いな……」と喉まで出かかった言葉を慌てて飲み込んだ。
マリーが隣で幸せそうな顔をして口一杯に焼き鳥モドキを頬張り食べているのだ。
――ふむ。
でも不思議だ、人が美味しそうに食べている姿を見ると思わず自分も食べたくなる。
――やっぱり美味しいのか?
俺は手に持っていた焼き鳥モドキをもう一度眺めかぶりついてみた。
――ぶはっ! 獣臭っ!!
「ふむ……」
「うーん……」
隣の妻も俺と同様に、マリーを見ていたらもう一度食べてみたくなったのだろう、一口頬張ったようだが難しい顔をしている。
「
妻はなかなか飲み込めないのか涙目になり、俺に助けを求めてきたので、誰からも見えないように妻を隠しこっそりぺーさせてから一瞬で噛み切れていなかった物体Aを燃やした。
魔法を使ったが一瞬だから、誰にも気づかれることはないだろう。
「ありがとうクロー」
「気にするな」
妻が少し恥ずかしそうにしていたので、妻の頭を優しく撫でておく。
「……しかし、これは」
――……やはり不味い。もういっそのこと、これも燃やす?
俺はそう思い手に持つ焼き鳥モドキを眺めていると――
「あれ? クロー……それ食べないの? あれれ、エリザも?」
「あ、ああ」
「え、ええ」
「じゃあボクが貰うよ」
マリーはひょいひょいと俺と妻の手から焼き鳥モドキを取り上げると、その食べかけの焼き鳥モドキを美味しそうに食べ始めた。
「美味しいならいいが」
――ダメだ全然足りん。
とりあえず、お腹に何か入れたい。
食堂らしい所は二軒しか見あたらず、客が結構入ってるように見える。今から並んで待つのは面倒くさい。
――しょうがない何か出すか。
今度は、人目がない所を探したが、見える範囲にそれらしき場所が見あたらなかった。
「ふむ、仕方ない。二人はここで少し待っててくれ」
「クロー、どこかいくの?」
「あそこの露店で荷物を入れる布袋を買ってくるだけだ」
「「布袋?」」
妻とマリーが揃って首を傾げていた。可愛いが、今は中途半端に食べたため、お腹に何かを入れたい。
俺は屋台の近くで開いていた露店で布袋を購入すると再び二人の隣に腰掛ける。
「本当に布袋なんだね」
「布袋なんて何に使うの?」
彼女たちのガントレットには収納機能が付いているので、そう思うのも無理もない。
「こうやって使うのさ」
俺は買ってきた布袋の中に手を入れ、栄養補助食品ブロックメイトを所望魔法で出した。チーズ味に、プレーン味、それにチョコ味だ。
それを袋から取り出す。
「まあっ」
「わぁっ」
「エリザ、済まない。俺が屋台で食べたいと言ったばかりに……今は人目があるから、とりあえずこれでも食べてくれ……栄養はあるはずだ」
「ビスコットみたい。懐かしいわね」
「そうなのか?」
「はい。見た目と色合いだけ……ですけどね」
どうやら、貴族の世界には似たようなお菓子があったみたいだ。
それなら人に見られても問題ない。言い訳は簡単にできそうだ。
妻は目をキラキラさせながらチーズ味を一口食べた。
「……っ!?」
妻はブロックメイトを口に含んでいるため、無言だが、目を大きく見開いたその顔を向けてくる。
「うまいか?」
俺がそう尋ねればコクリと頷く妻。良かった。口元が嬉しそうに緩んでいる。
「……美味しいわ」
口の中の物を食べた妻は一言そう言うと、その後はまた黙々と食べ始めてしまった。
時々、水と変わらない果実水を口直しに含んでいた。
――ブロックメイトはうまいが、喉が渇くのが欠点だよな。
「いいなぁ。ボクもビスコット食べてみたい」
妻の美味しそうに頬張る姿に気をとられていると、隣に座るマリーの声が聞こえてきた。
「?」
マリーが両手に持っていた焼き鳥モドキは既にない。俺たちが食べられなかった分もきっちり食べてくれたようだ。
「マリーも食べてみるか? ん、んんっ!? そのお腹は……大丈夫なのか?」
マリーのお腹が服の上からでも分かるくらいぽっこり膨らんでいる。
「それなら大丈夫。食べられる時に食べる。これは冒険者の鉄則」
「それ、ほんとなのか?」
俺はぽっこりと膨らむマリーのお腹を見てそう思った。このお腹だと素早く動けないのではないかと思ったからだ。
「むっ、クローその顔は信じてないね。ほら、見てよ。ボクのお腹はまだ全然いけるのです」
そう言ったマリーは何を思ったのか、すっくと立ち上がると俺の目の前に立つ。
「マリー?」
「どうですか?」
それから突然、自分の上着を捲り上げお腹をぺろんと見せたかと思えば、ポンポンと叩いてみせてくる。
今はぽっこりと出ていて子どもみたいに可愛いが、マリーの程よく引き締まったお腹が露になった。
「ほら、ほら、ね? 大丈夫でしょう?」
あいにく、人のお腹の具合なんて、お腹を見たところで分かるはずない。
「マリー、服は別にめくりぁ……」
――ぶほっ!?
マリーは気付いていないらしいが、腰掛けている俺の位置からは――
ちまちま。
ぷるぷる。
マリーの生ちっぱいがしっかり見えていた。
周囲からは認識阻害がうまく働いているらしく、誰からも気づかれていない様子。
「ん? クローどうかした?」
マリーは不思議そうに首を傾げている。
――いかんいかん。
「い、いや何も……」
俺は上着は捲らなくてもいいと言おうとしたが、慌ててその言葉を飲み込んだ。
せっかくだ、もう少し拝ませてもらおう。
「そうだな、確かに……これなら」
最後にもう一度、お腹じゃなくマリーのちっぱい見る。
ちまちま。
ぷるぷる。
「ふむ。元気そ……じゃなく、大丈夫そうだな」
「そうでしょう、だからボクにもビスコットを……一枚でもいいから、食べてみたいなぁ」
首を傾げながら、窺いを立てるように待っていたマリーは俺の言葉にホッとすると、両手を差し出してくる。
どうやらマリーは食べることになると積極的になるようだ。まあ、それはそれで可愛いけど。
「分かったから。ほら、ゆっくり食べるんだぞ」
俺はマリーにもこっそりチーズ味とプレーン味、チョコ味を渡した。
「えへへ。やった……え、え、3つも、こんなにいいの?」
「いいぞ」
「わーい」
マリーは嬉しそうに受け取ると、早速チーズ味を一口、かじり固まった。
「……」
「どうした?」
「おいしいっ! な、な、何なんですかこれ……甘くてすごく美味しいよ!」
彼女は手に持つブロックメイトを震えながら眺めてそう呟くと、もう一口。
「おいしい〜」
それから彼女は口元の緩んだ顔のまま夢中で食べていた。
――しかし、ブロックメイトでその反応は少し大袈裟ではないか? もしかして甘いからか?
俺もブロックメイトを一口頬張った。
――ふむ、思った通りの味だ。しかしそんなに甘くは……ないな。
『主、ラットも……たべたい』
先ほどまで、焼き鳥モドキの欠片を両手に持ち、口一杯に頬張って食べていたラットの念話が届いた。
「なんだラット。お前もまだ足りなかったか……
ふむ。でもそうだなラットにはこっちの方が、固形チーズの方がいいだろう。ほら」
俺は布袋の中で固形チーズを出し、小さく千切ってからラットに与えた。
ラットは器用にチーズの欠片を両手で持ってかじる。
『主、これ……うまうま……うまうま。主……うまうま』
「そうか旨いか。ゆっくり食べろよ」
『うまうま……』
「うま、うま?」
――あっ!
ラットの『うまうま』という念話を聞いて、俺は冒険者ギルドの前に繋いだままにしていた馬のことを思い出した。
「エリザ、マリー、食べているところすまんが、ギルドの前に繋いだ馬のことを忘れていた」
「あら、そういえば、そうですね。大丈夫かしら?」
「数時間しか経ってないから大丈夫だよ。
基本的に町の人も、冒険者たちも面倒事は避けてるから……
ただ、これが一日過ぎるとダメかも。ん〜かなりの確率で盗られちゃうかな。
迎えに来ない=持ち主は死んでいる、そう認識する人たちは結構いるんだ」
「ハイエナみたいなヤツはどこにでもいるからな。勉強になった、ありがとうなマリー」
「はいえな? はよく分からないけど、少しはクローの役に立ててボクはうれしいよ」
―――――
――――
すぐにギルドまで戻ってみると、マリーの言葉通り、馬は無事で繋いだままの状態で放置されていた。
「すまん、忘れてた」
俺がそう言ってから馬のたてがみを優しく撫でてやると、心なしか馬の目が涙目になっていていることに気づく。
「悪かった」
可哀想だったので水とニンジンを取り出したらふく食べさせてやった。ちらちらと俺を気にしながら食べる馬。また俺に置いて行かれると心配しているのだろうか?
――そんな訳ないか……
「そうだった。言い忘れていたが依頼を受けたら、幌馬車を買うぞ。二頭立ての幌馬車だ」
「まあ! いいですわね。でも……二頭立てですと、もう一頭馬が必要ですわね」
「もちろん馬も買う」
「? ん? 幌馬車? 馬? ええ! それってそんなに手軽に買えるものじゃないよ……」
一人で驚きよろよろと馬に寄りかかるマリーはなぜか人参を食べている馬に話しかけている。
「君もそう思うよね?」
人参を食べていた馬がペロンとマリーの頬を舐める。
「問題ない。気にするな」
「そうよ、マリー。気にしたらダメよ」
「そうなの……かな……」
マリーはしきりに首を傾げていた。何故彼女が何度も首を傾げていたのか理解できないが、その後は、無事に冒険者ギルドで依頼を受けることができた(朝に選んでいた依頼)。
二頭立ての幌馬車や栗色の馬も下手な詮索をされないよう、かなり色を付けてから買った。
やたらと手揉みしてくる店主だったが、軽く躱しさっさと次の町に向かう。
「ちょっと……クロー? 本当に幌馬車とお馬さん買ってビックリしたけど、これ、水も食料も何も積んでないよ?」
「マリー大丈夫だ。気にするな」
「そうよ。気にしたらダメよ」
「えー……気にするよ。このままじゃ、ごはんが食べれないよ……クロー! クローってば、ほら、エリザもなんとか言わないと……飢死しちゃうよ」
「マリーは心配性だな」と俺はマリーの頭をぽんぽんと撫でてやると――
「違うってば……冒険者の常識だってば……ううう」
なぜか涙目になっていたマリー。エリザはもちろん可愛いが、頬を膨らませたマリーもなかなか可愛かった。
マリーはまだ知らなかった、クローは何でも出せるという非常識な存在であることを。
妻のエリザも元貴族令嬢で一般的な常識に疎いということを。
常識人マリーの苦労譚がいま始まる。
★始まりません。
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