第43話

 カイルが女性聖騎士に向けて披露した会心の微笑みは空振りに終わる。

 女性聖騎士に相手にされなかったカイルの笑みは引きつったものに変わり、立てた親指もゆっくりと下ろさせる。


 ――いい気味だ。


 まあ、それもそのはずだ。女性聖騎士はずっと悪魔の隙を突こうと様子を窺っているのだから。


「ほっほっほ……むん!!」


 お爺ちゃん神父は悪魔にゆっくりと語りのらりくらりしているようだったが、なんのなんの、やはり癖の強いタヌキだった。


 お爺ちゃん神父は時間を稼ぎちゃっかりギルド内を包み込むように聖域結界を展開していた。


《グギ……キサマ……コザカシイ……マネヲ……》


 ――なかなかの手際だな。ふむ。これが聖域結界か……んん〜、まあ、俺が気にするほどでもないな……


 聖域結界の展開を確認した女性聖騎士は、聖剣を握るその手に力を込め、いつ悪魔に飛びかかって行ってもおかしくないほどの気合いの入れようだったが、


「準備はできたぞい」


「はい! では神父様、私が悪魔を引き付けます。その隙にあの少年をお願いします」


「うむ」


 女性聖騎士とお爺ちゃん神父が短く言葉を交わすと、女性聖騎士の方が聖剣を手を握りしめ、軽やかに駆け出し悪魔へと斬りかかった。


「はぁぁあっ」


《ギッ!!》


 女性聖騎士の鋭い斬撃を、後ろに大きく跳躍することで悪魔は躱した……というより逃げた。

 女性聖騎士のただの一振りで悪魔に焦りの色が見える。


《ギギッ……》


 聖域結界を展開されたことで、元々大したことなかった悪魔の能力が更に低下したのだろう、聖騎士の軽く振り払っただけの斬撃を間一髪といった感じで逃げ出したのだ。


 その隙に、ひょこひょこと歩いたお爺ちゃん神父が少年の頭に手を置き、瞬く間に少年を眠らせた。


「……お主は悪い夢を見たのじゃ、しばらく眠るがよい」


「あ、ぁぁ……」


 少年は糸が切れたように前のめりに倒れ、お爺ちゃん神父に優しく抱かれた。


 少年の心は既に悪魔に魅せられていた。魅せられてしまった少年は自らの意思で行動することは難しい。よほど強い精神力の持ち主ならばひょっとしたかもしれないが、精神力の弱い人族はただ人形みたいに立ち尽くすことになるだけだった。

 現に少年は立ち尽くしていた。


 これは悪魔が少年を逃がさないための手段であり、意識操作を無理やりされていたのだろう。


 だが、女性聖騎士が斬り込み、悪魔と少年との間に割って入ることで少年の傍から悪魔が離れ、お爺ちゃん神父でも少年に近づくことが容易となった。


 後はお爺ちゃん神父が眠りの魔法を使い、少年は何が起こったのか分からないうちに深い眠りへと落ちた。


 魔法を受けたことのない人族ならばその耐性もほぼないに等しい。少年は気持ち良く眠りについたはずだ。


「さて……」


 次に、お爺ちゃん神父の行動は、少年の手から離れ床に落ちていた悪魔大事典に向けられ、浄化魔法瞬く間に展開していた。


 ――ほう。なかなか優れた聖職者だったか。


 悪魔大事典は一瞬にして青白い炎に包まれ、その炎は激しく燃え上がり大事典を跡形もなく燃え尽くす。


 これはほんの数秒間の出来事で悪魔大事典の存在はもう感じられなくなっていた。


「これで、もう安心じゃぞ」


 そこで初めてお爺ちゃん神父の顔に安堵の色が見てとれた。


「どうやら、俺の出番は無さそうだな」


「お兄ちゃん……助かる?」


 アイナは俺のズボンの裾をちょいちょいと引っ張り、神父に抱かれた兄を心配そうに眺めていた。


「ああ大丈夫。今は気を失っているだけだ。それに悪魔大事典も消滅しているから、あの悪魔と少年が交わした契約も間違いなく不履行になるだろう」


《グッ……オレノ……スミカガ……セイキシ……ヨクモ……ヨクモ……オレサマノ……ジャマヲ! シネェッ》


ガァァァァッ!


 悪魔は骨だけの口を大きく開けると、大量の黒煙を吐き出し己の姿を覆い隠し、更にその周囲までも黒煙で染めていった。


 ――子ども騙しにしかならんと思うけどな……


 悪魔はその黒煙を煙幕がわりに使ったのだろう、未だ黒煙がモクモクと増え続けている。


 ――ほう。


 まだ吐き出しているかのように見せていた悪魔が急に黒煙から飛び出し鋭い左右の爪で女性聖騎士に襲いかかった。


《モラッタ……》


 この悪魔、見た目に反して跳躍力は一級品だった。電光石火の如く素早い爪撃が女性聖騎士を襲った。


「ふっ!」


 だが、それでも女性聖騎士は事もなげに身体を少し捻りるだけで悪魔の爪撃を華麗に躱し、


「はっ!!」


 すれ違いざまに悪魔の右腕を聖剣で切り落とす。


《ギァァァダァァァ》


 切り落とされ悪魔の胴体から離れた右腕は、聖剣の聖気に当てられたからだろう、宙を漂っているうちに悪魔の右腕は蒸発するように消滅していく。


「ふん!」


 女性聖騎士は聖剣を軽く振り、聖剣に付着した悪魔の体液を飛ばすと再び悪魔に向かって構えをとる。

 その構えは腰を少し落とし聖剣の刃を少しだけ傾けている。スキがない。この女性聖騎士の実力もなかなかのものだった。


「相手が悪かったな、私はこれでもSランクの聖騎士だ。

 聖域結界の展開された空間では、たかだか召喚されたばかりであろう第10位の悪魔程度では私に敵うわけがないのだ。

 大人しく真名を教えていれば気持ちよく神父様が浄化してくれたものを……今ならまだ間に合う真名を言え」


《ダレガ……キサマラナンカニ……オレサマノ……マナヲ……イウモナカ……》


「そうか。では聖剣だと苦しむ事になるだろうが……お前は私がきっちり浄化してやろう」


《グギギ……オォノォレェェ……》


 ネズミの悪魔の瞳が赤色に怪しく光ると、切断され無くなったはずの右腕が脈を打ちながら再生されていく。


《フシュゥ……フシュゥ……チョウシニ……ノルナヨ》


 それからその悪魔は何やらブツブツ呟くと、両腕が1.5倍ほどに膨れ上がった。


 二本の鋭い爪もより細くて長いものへとなっている。

 現に、悪魔が構える際に、スッと触れたギルドの床板はパックリと切れ目が入っている。


 ――あれはないな。両手だけデカくしてバランス悪くなるだけだっつうの……ん?


「カイル今の話、聞いた? あの悪魔第10位の悪魔なんだって。私たちでも殺れるんじゃないの」


 女性聖騎士が悪魔の相手をしてる間にカイルたちは美味い所をどうすれば我が物にできるかどうかを話し合っていた。


 ――あいつら……


「そうだな、俺もそう思ってた。見ればあの悪魔は大したことなさそうだ。

 悪魔を殺った冒険者なんて聞いたことない。これはSランク冒険者になれるチャンスじゃないか?」


「だな。悪魔ランク第10位は魔物ランクBクラス程度だと聞いたことがあるよ」


「サラその話、私も聞いたことがある」


「ほう……お前たち二人が知っている情報ならばほぼ間違いない話だな。

 それにあの女……悪魔が目の前にいるとはいえこの俺を無視しやがった」


 そう言ったカイルは女性聖騎士の後ろ姿を(主にむっちりとしたお尻)を眺めてから、汚らしい笑みを浮かべた。


「道に迷っているところを教会まで案内してやっただけだが、キッカケはできたんだ。何度だって会いにいける。

 なぁにマリーから巻き上げた金はまだたんまりあるんだ。少しくらいこの町に滞在したところで、大差ない……」


 カイルはよほど自分の容姿に自信があるのか、大げさに前髪を搔き上げてから両腕を組み直した。


「ふふっ、しかしあの女……Sランク聖騎士だったとはな……

 少し予定を変更することになったが……結局はあの女を落とせば済むこと。

 この俺のルックスにかかれば落とせない女などいない。しかし、本当にツイてるぜ……たまたま立ち寄った町で偶然見つけた上玉(女性聖騎士)だ、逃しはしない……」


「はぁ、また、カイルの悪いクセがでたわ」


「アルマさっきも話しただろ。聖騎士と繋がりができることはいいことだと」


「それはそうだけど……ほどほどにするのよ」


「分かってるさ。安心しなって、俺にとっての一番はお前たちだけ。それはずっと変わらない。

 あの堅そうな女は、ちょっと遊んでやるだけだ。たっぷりと俺たちパーティーに貢がせてやるのさ……」


「なら、許す」


「全くカイルは……しょうがない奴だな」


「それに見ろ。あそこにいる二人も気になる。特におっぱいが大きい方がな。あいつらもついでに落とすぞ」


「もう……私たちが手伝うんだから、たっぷり絞り取らないと許さないからね」


「ったく、切りのいいところでちゃんと捨てるんだぞ」


「早く絞り取って。私服欲しいから」


「ああ、任せとけって」


 そんなカイルたちのやり取りは、俺の耳にもしっかり聞こえている。


 ――面白い。俺の妻にまで手を出そうとは……しかも、認識阻害されていて気づかぬとはいえマリーは二度目……くっくっく。もちろん、あの女たちも同罪だ……


 俺はカイル達を報復の対象と定めた。

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