第36話

 マリーはいつまでも悪魔大事典の消えた辺りを名残惜しそうに眺めていた。


 どうやら悪魔大事典には人族を惹きつける魅力系の何かを放っていたのだろう。


 ――念のため、魔法をかけとくか……


 俺はもう一度リラックスの魔法を彼女にかけてやった。顔色も随分と良くなった気がする。これなら十分に話せるだろう。


「それでマリーは悪魔の俺に何を望む。俺なら大概のことは、何でも叶えてやる力がある……まあ、対価は必要になるけどな」


「え? 望み……」


 俺のリラックス魔法で悪魔大事典の束縛から完全に解放された彼女はきょとんとした表情をみせる。


 ――ん? もしかしてマリーには望みがない? いや、悪魔大事典に呑み込まれるほどの何かしらの感情が働いていたのだ、気づいていないだけで、何か望みがあるはずだ。あいつらに復讐とか……


「ボクに望みなんて……あったかな?」


 彼女が少し困った表情をした。


「え、そうなの? ……でも、マリーは冒険者でしょう? その足で冒険者を続けるのは無理なんじゃない。クローなら……」


 そこまで流暢に話しをしていた妻が言葉に詰まる。

 おそらく妻は、彼女の身体のことを心配して俺に治してもらえばいいのでは、と思っていたのだろう。


 あいつら(カイルたち)から彼女が冒険者にとって致命的な大怪我を負った話を聞いている(勝手に)、実際に彼女の足を引きずりながら歩く姿を見ているから特にそう思ったのだろうけど……


 だが、妻は治療を終えた彼女に残った後遺症を俺が取り除いてあげれるのか話していて少し不安になったのだろう。


 妻が少し不安そうな表情で俺を見ていた。


 まあ、それも無理もない話だった。

 通常ならば、後遺症を治すほどの治療となれば最上級の回復魔法を使う必要がある。


 だがしかし回復魔法は神聖なモノで、その真逆の位置に存在する悪魔は回復魔法などできるはずがないというのが、この人界での常識となっている。それ故にクルセイド教団の権力は絶大。


 でも俺はできるけど。


 俺は妻に顔を向け「問題ない」と頷いた。頷いた途端、妻の表情がパッと明るくなる。


「クローならその身体だって治せるのよ」


「えっ!?」


「クローはすごいのよ」


 妻がにこにこと彼女に笑顔を向けるが、彼女は信じられないというような表情を俺に向けてくる。その顔はちょっと不愉快なので、


「本当だ」


 頷き、一応強く肯定してやった。


「……うそ、だよ。だってボクの身体は……」


 そう言った彼女が、少し諦めた表情で突然服を脱ぎはじめた。


「ちょ、ちょっとマリー」


 妻の制止の声など聞こえていないかのように、彼女は手早く服を脱いでいく。


 あっという間に彼女は全裸になってしまった。この世界の女性はなぜこうもすぐに全裸に……なんてことは考えないぞ。俺としては嬉しいだけだから。


 ――こ、これは……


 だがしかし、俺はその身体を見て、嬉しさよりも傷痕の酷さに眉をしかめてしまった。


 彼女は俯いたままで俺と妻から顔を背けている。表情は依然として諦めにも似た表情のまま。


「ま、マリーあなた……」


 妻も上手く言葉が出ないようだ。


 彼女の身体にはあいつら(カイルたち)が面白おかしく話していたように、右肩から左足の付け根まで、女性にとってはあまりにも残酷で隠しようのない抉られた傷痕があった。


 大きな爪の傷痕が、肩から両胸を削り腹部、そして足の付けねへと続いていたのだ。


 肉を抉られたせいなのだろう。傷痕は陥没してうっすらと赤く、まだ痛みだって残っているだろう。見ているこちらが顔を背けたくなる。


 正直よく生きていたなと思うレベルだった。このレベルだと、よほど運が良かったのだろうと思うが……いや、こんな大ケガをするぐらいだから運は悪いのだろうが、正直よく分からない。


 なので俺はなんとなく彼女にデビルスキャンをしてみた。


 ――なるほど。そういうことか……


 彼女には共運(きょううん)という珍しいスキルがあった。

 身を置く環境によって強運にも、凶運にもなるというかなり稀なスキル。

 ちなみに今は強運になってる。だから無事なのだろう。


「ボク、教会で聞きました……ほんの一握りの神父様が使える最上級の神聖魔法でないとこの後遺症は治せないって。

 邪あ……真逆の位置の存在、悪魔……様には人族を回復する神聖魔法は使えないと、今、ボクが辛いのは試練の時で信じていればいずれ救われる……

 決して悪魔を信仰してはならない……とボクはその時に、この神聖な腕輪をいただきました……あれ? 割れちゃってるね。あ、そうか悪魔信仰どころか悪魔大事典召喚しちゃったもんね、はは……」


 たしかに彼女の腕に小さな腕輪があった。亀裂が入っているが。魔力の残り香から聖の魔力を纏っていたものだと感じた。


 悪魔信仰をさせないためのものだろうが、悪魔大事典を召喚した際に壊れたのだろう。だが、


「それはまた教会側に都合よく言われているな。

 それならどうしてその時に治療をしてくれなかった? そのケガは普通の生活ができないレベルの後遺症だ。

 慈愛の神を信仰する教会ならば、困っている奴ほど優先して手を差し伸べるべきじゃないのか?」


 彼女の傷痕を見て思う。女性の裸は好きだが、彼女の場合はどうしても痛々しさが先にきてしまう。


「……。あ、寄付金が足りないからって、神聖魔法は、上位の魔法になればなるほど、その媒体となる神石の量が増えるらしくて、その精製に莫大な費用がかかるのだと……言っていました」


 彼女は少し言葉に詰まって考える素振りを見せ、思い出したことを口にした。


「なによ、それ……」


 妻は頬を膨らませてご立腹。何やら言いたそうだったが、さすがに教会への不満を口にするとまずいと思ったのか、それ以上は何も言わず悔しそうにしゅんとなって俯いていた。

 だが、俺にはむしろ喜ばしいことだと思った。

 教会のやつらでさえ金の亡者に成り下がっている現状。これなら悪魔社会も安泰ってなもんだ……


 ただ不愉快にも感じる。たしかに悪魔は神聖魔法は使えない。

 だが、回復魔法が使えない、そういう特殊な能力がないと思われていることに腹が立つのだ。

 悪魔にだって様々な手段で回復する手立てがある。まあ、俺の場合は普通に回復魔法が使えるけど。


「なるほど」


 そこで俺は考える。教会は寄付金を求めた。俺たち悪魔は対価を求める。だからそれが悪いと、面と向かって否定することはしなくていい。

 むしろ彼女の治療には寄付金同様、俺への対価が必要だということを理解してもらわねばならない。


 ――さて、どう説明しようか……


 そんなことを考えていると、今まで俯いていた彼女が顔を上げ、不意に笑顔を向けてきた。


「……ありがとうございます、ボクを励まそうとしてくれたんですよね。

 赤の他人で、しかも何も持っていないこんなボクに……」


 服を脱いでいたのは彼女なりの誠意のつもりだったのかもしれない。そう言った彼女は足を庇いつつゆっくりと腰を落とし脱いでいた服を手に取った。


「ボクに声をかけてくれる人なんて、誰もいないと思っていたから、悪魔大事典から救ってくれてただけでもうれしかったです。本当ですよ。すごく、うれしかったです」


 これで話しは終わりとでも言いたいのか、にぱっと彼女なりの精一杯の笑顔を向けた彼女が頭を下げたあと、袖に腕を通す。


 ――うむ……


 どうやら彼女はパンツよりも先に上着を先に着るタイプのようだ。って違う。


 俺は無理に笑って見せた彼女のその腕を軽く掴んだ。


「いいか、俺は悪魔だ。対価をよこせ。対価さえ貰えれば、俺がお前の身体をもとに戻してやる」


 きれいごとを言って取り繕って無理に笑う彼女に苛立ちを感じたのだ。


 なぜそう感じてしまったのかは自分でも分からないが。なんだかモヤッとして気づけばそんなことを口にしていた。いや、もうその気持ちには気付いている、早く俺を頼れと言いたいのだ。


「え?」


「対価さえ払えば治してやると言っている」


「でも、これは教会じゃないと」


「何度も言わせるな。俺には容易なとこだと言っている。対価が思いつかないのであれば……そうだな、俺が提案してやろう」


 悪魔に対価を求められて警戒しない人族はいない。なので俺は断られる前に、さっさとこちらから提案する。


「対価はおっぱいだ。回復した暁には、お前のおっぱいをたっぷり揉ませてもらおう、これでどうだ」


 彼女の目が大きく見開く。彼女はさぞ吃驚したのだろう。

 悪魔の俺が対価におっぱいを求めたのだから。そんなことあり得ないと。


 でもこれにもちゃんとした理由がある。今の彼女はおっぱいがない。あるのは抉られた傷痕のみ。

 つまり、俺がちゃんと治さないと対価は貰わないよ、と言っているのだ。


 決して俺がおっぱいが好きだからとか、おっぱいを揉んでも、これなら妻にも適当な言い訳ができると思った訳ではない。


「そ……」


「警戒することないわ」


 彼女が口を開く前に、俺をフォローするかのように妻が口を開いた。

 浮気だと少しばかり怒られることも覚悟していたが、妻は俺の考えをちゃんと理解してくれたようでホッした。


 ――さすが俺のエリザ。愛してるよ。


 思わず妻の頭を撫でてしまったが、頬を赤く染めながらも妻は彼女に向け言葉を続けていた。


「実は私はね――」


 妻は自分が住んでいた王国や、家名には直接触れず簡潔に自分の置かれていた状況を説明したあと、その時に俺と出会い護衛を依頼、今は自ら俺の妻になった経緯を彼女に伝えた。


「なんならマリーもクローの妻になる? マリーとなら私うまくやっていけそうな気がするわ」


 冗談にも本気にもとれることを言った妻が彼女を見て優しく笑みを溢した。


 ――おいおい、エリザよ。そんな冗談は迷惑だろうに、ほらみろ……


 彼女は口を開けたままポカンとしていた。


「コホン……それでマリーはどうするんだ?」


 俺はワザと咳払いして彼女の返事を急かす。急かされた彼女はハッとした表情から慌てて口を開いた。


「で、でもボクのおっぱいなんかで本当に対価になるの? だってそれが契約になるんだよね?」


「対価は悪魔個人の主観で違うんだよ。俺はおっぱいがいいんだ。だから何もおかしな話じゃない」


「そうなのよ。だから安心して、クローはおっぱいが大好きなのよ」


 妻にとって自分以外の女性のおっぱいを夫が触るなど、嫌なはずなのに妻も俺の話に合わせてくれている。


 申し訳ないと思いつつも、どうも妻は彼女に何か通じるモノでもあるのだろう。

 彼女の身体のことを俺以上に心配している節がある。


 それでも、まだ少し疑っている様子の彼女、その彼女が少し言いづらそうに口を開く。


「……本当、ですか?」


「本当だ。俺はおっぱいが大好きなんだよ。弱点にもなるからあまり言いたくなかったが、今回はマリーのためを思って仕方なく教えた。

 それにちゃんと理由もある。実はおっぱいは俺の癒しになるんだ。心のね。心の癒しは誰にでも必要ないモノだが、悪魔の俺は特に必要になるんだ」


 だから俺も彼女の警戒をさらに解きたくて、ただ思いついただけの理由を適当に述べてみた。


「へっ? 癒し……癒しだったの……そうなの。クローにとってはおっぱいは心の癒しだったのね」


 なぜかそこに食いつく妻のエリザ。不思議に思いつつも今は適当に話を合わせる。


「そうだエリザ。俺にとっておっぱいは癒しでとても必要なものなのだ。これもあまり言いたくなかったが、悪魔の俺でも癒しがないと、病気になってしまうんだ。心の病気」


 そう言うと妻が驚いたフリをしたので、俺もそれに乗っかった。

 すると、なぜか妻が申し訳なさそうな顔をして俺の腕におっぱいを押し当ててきた。


 ぷにゅん。


 妻のおっぱいが柔らかくて気持ちがいい。


「少しは癒されますか? ……気付けなかった私は妻として失格よね……」


 俺の腕に抱きつく妻がしょんぼりと肩を落とした。

 なんと妻は驚いたフリじゃなくて本当に驚いて信じ込んでしまったようだ。

 そのせいで妻は感じなくていい妻としての責任を、必要以上に感じている。

 妻のおっぱいが最高に気持ちがいいだけに、少し申し訳なくなった。


 ――うむむ、悪かったな。


 慌てた俺は――


「エリザはほら、妻になって日も浅い。俺たちはこれからじゃないか。これからもっとお互いを知っていけばいい。そう思わないか」


 つい悪魔らしくない、というか柄にもないこと口にしてしまった。言った俺も少し恥ずかしい。


 ――ああ……悪魔として威厳が……


「クロー……そ、そうですよね。これからよね。これからお互いが色々知り分かち合っていけばいいことよね」


「う、うむ」


 俺の悪魔としての威厳は地に落ちてしまったが、妻には元気を与えることができたのでよしとする。

 妻は俺にパッと明るい笑みを向けてくれた。


「私頑張りますわ」


 可愛らしく握り拳をつくった妻がそう言ってから、おっぱいを俺の身体にぷにぷに押し当てては俺の顔色を窺う妻が健気で可愛い。


 ――エリザぁぁ……


 思わず妻を抱きしめてそのまま押し倒したい衝動が襲ってくるのだが、俺はその行動を取れなかった。なぜならその寸前のところで。


「あ、あのぉ。いいですか?」


 不意に俺たちに呼びかける者がいた。


 ――!?


 マリーだ。彼女がばつが悪そうな顔で小さく手を挙げていたのだ。


「ま、マリー……ごめんなさい」


「あはは……」


 妻は彼女が全裸のまま黙って待っていたことに気が付くと、耳まで真っ赤に染めながら謝り、俺の後ろに隠れるように移動した。


「あ、あの……それでお願いします!」


 気まずさもあったのか彼女が勢いよく頭を下げた。


「お、おう」


 迷いのあった先ほどまでの彼女の雰囲気と違い、今の彼女からは勢いがあった。顔を上げた彼女が身を乗り出し口を開く。

 

「ボクのおっぱいならいくらでも揉んでいいです!

 今は無いけど……治ったらおっぱいの一つや二ついくらでも揉んでいいです……いいえ、好きなだけ揉んでください。だから。よろしくお願いします」


 その勢いに俺は思わずたじたじになるが、勢いで言い切った彼女は、俺に向かって再び頭を下げた。

 もちろん俺の答えは始めから決まっている。


「分かった。契約成立だな」


 すぐに彼女と契約が締結された。彼女との繋がりを感じる。彼女もそれには少し戸惑いを感じていたが、待たせていた居心地の悪さもあり、俺はさっさと所望魔法を使った。


『我は所望する』


 でも回復魔法は使わない。一度治療されているため、それを回復させようものなら、もう一度傷痕を傷つけてからじゃないと効果がないと分かっていたからだ。


 現に彼女は瞳を閉じ、痛さに耐えようと全身に力を入れていた。きっと教会の者にでも聞いていたのだろう。


 俺が魔法を使うと彼女の身体は眩い光に包まれた。

 傷痕が酷かったせいか、青白い光がしばらく彼女の回りをぐるぐる回っていた。


 そして、青白い光が消えて彼女の姿が見えた時には、酷かった傷痕はキレイになくなり胸も元の通りに戻っていた。


 ――むむ……予想外。


 マリーのおっぱいは小さかった。エリザの豊満な胸をおっぱいと呼ぶのならば、マリーのおっぱいはちっぱいとでも呼ぶべきだろう。それほど小さい。


 でもまあ、揉もうと思えば全然揉めるし、小さいけど膨らみのある身体は眺めも悪くない。


 ――ふむ。


 少し予想外だったが、彼女は妻よりもかなり背が低いから、バランスとしては悪くないのかもしれない。


 ――マリーにはちっぱいが似合う。


「いいぞマリー、もう治ったぞ」


「!? ぼ、ボク、何も感じなかった、けど……」


 彼女のちっぱいを眺めつつ瞳を閉じている彼女に声をかけると、ビクリと肩を跳ねたあと、彼女はゆっくりと瞳を開け、自分の身体を確認していく。


「うそ……治っ……てる。痛くなかったのに、治って、る。本当に……治った。ボク信じられないよ……」


「うんうん。良かった……よかったねマリー」


「は……い……よかった、です」


 彼女は自身の身体に何度も触れ確かめると嬉しそうな笑顔で頬を濡らした。


 妻も彼女に抱きつき嬉しそうに涙を流す。


「マリー、一人で辛かったよね。よく頑張ったわね」


 妻が彼女を優しく抱きしめると彼女は溜め込んでいたものでもあったのだろう。


「う、うぅ……」


 彼女は妻の豊満な胸に顔を埋めてから本格的に泣き始めてしまった。妻もつられて泣いている。


「うんうん……もう大丈夫、大丈夫だから……」


 しばらくすると泣き疲れたのか彼女たちはそのままベッドに横になり寝息を立ててしまった。


「えっ? 俺の対価は?」


 一人残された俺は、消化不良、やり場のない欲求を持て余し涙を流す。


「うぅ、ちっぱい……」


 せめて妻のおっぱいだけでも触ろうと思い、妻を背中から抱きしめるのだった。

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