第34話
宿に戻り併設されている食堂の方に向かうと、食堂は予想以上に混み合い仕事帰りらしき人々で溢れかえっていた。
「タイミングが悪かったな」
「そうですわねぇ……あっ、クローあそこ」
食堂内を見渡していた妻が俺の袖を引き空席に向かって指を指す。
食堂側の入り口からすれば一番奥のテーブル席になる。
そこに二人掛け用のテーブル席と四人掛け用のテーブル席が空いていた。
「エリザでかしたぞ。誰かに取られる前にさっさとそこに座ろう」
「はいっ」
笑みを向けて返事をする妻の手を握り俺はその二人掛け用のテーブル席に座り、すぐに夕食を注文した。
「お待たせしました!」
食堂の方は繁盛しているだけあって数人の店員さんが忙しなく動いている。
店員さんの元気な声とともに料理が運ばれてきた。
「うむ。代わり映えしないメニューだな……」
夕食のメニューは国境村で食べたもの(女将さんは腕に自信があると言っていたが普通だった)とそう代わりなく、硬いパンに野菜スープ、それに鶏肉みたいな何かの肉が程よく焼かれ、軽く塩で味付けされたものだった。
でもボリュームはそこそこある。匂いも良かった……でも、
「うっ、ここも薄い……味が薄い……それに、このパン、硬すぎだろ。こんなの俺の知ってるパンじゃ……いや、思い出した。
これは、放ったらかしてカチカチになったフランスパンを更に硬くした感じだわ」
「ふらんすぱん? クローが何のことを言っているのか分からないわ。でも……ふふふ」
俺が顰めっ面でパンをガリガリ齧っていると、妻がおかしそうに笑っている。
そして――
「もう。このパンはスープに浸して食べるのが普通なのよ、教えたじゃない。ふふ、あはは、クローのその顔、すごく変、おかしいわよ、ふふ、あはは……」
――うん、知ってる。
こうやって食べて変な顔をすると妻が笑う。その笑顔が見たくてわざとやったのだ。妻の笑顔にも俺は癒されているんだ。
「そうだったな」
俺は硬いパンをスープに少し浸して口に入れる。
ガリッ
「むっ、浸し方が足りなかったか」
「ぷっ、ふふ、ははは……」
妻が俺の顔と俺が手に持つ食べかけの硬いパンを交互に眺めてまたおかしそうに笑う。
口元を押さえて声を殺そうとしているようだが目尻にはおもしろ涙が浮かんでいた。
「ふふ、ふふふ……」
俺としては、そこまで面白いと思えないのだが、妻はツボにハマっているらしく、くすくす笑いながらずっと口元を押さえている。
「はぁ、はぁ……もう、クローったら絶対わざとでしょ」
「さあて、どうだろ」
「もう」
このパンの硬さには不満だらけだが、頬を膨らませてみせる妻はやはり可愛い。
妻の笑顔を見ていると食べ物を魔法で出さずに、この世界の料理を妻と食べ歩くのも悪くないんじゃないかと考えたりもする。
「そうだ、クロー。いま目指してる帝国の方なら、もっと美味しい食べ物があるはずよ」
妻が言うには、ゲスガス小国は特に食文化が遅れている国なんだとか、この内容でも充分に良い方ではないか教えてくれた。
なぜ妻がそんなことを知っているのかというと、妻の母親は帝国出身の元冒険者。いろんな国の話を聞かせてくれたらしいが、母親のことを思い出したのか、話し終えた妻の顔は少し寂しそうに見えた。
「……そうか」
――エリザの母親ってことは、マリアさんの事だろうけど、マリアさんって元冒険者だったのか……
俺は妻によく似たマリアさんの顔と素晴らしいおっぱいを思い出す。
――あの時、夢の中の幼いエリザはマリアさんが屋敷から居なくなったって言ってたっけ。
妻が話している間にも口を動かしていた俺は、当然早く食べ終わり妻が食べるその姿を眺めている。
――ふむ……落ち着いたら使い魔でも作って少し探してみるか……
そんなことを考えつつ美しい所作で食べる妻の姿を眺めていると、見覚えのある冒険者が視界の隅に入った。
「クロー……ギルドで見た冒険者だわ」
「ああ、どうりで見たことあると思ったが……ん? あいつら身につけている装備が変わっていないか?」
「そういえば、良質といいますか豪華になっているように見えますね」
その冒険者たちはきょろきょろと食堂の中を見渡すと空いているテーブル、俺たちの隣の四人掛け用テーブル席に座った。
そいつらは注文を取りに来た店員さんに料理を頼むと、直ぐに会話を始め夢中になっていた。
――ふむ。
どうやら今日の儲け話のことを楽しく話しているようだ。
「なかなかの儲けだぜ」
「だね」
距離が近いため聞きたくなくても自然と四人の会話が耳に入ってくるが、別に彼らの話に興味など無い俺は、再び妻の食べる姿を眺めていた。
しばらくすると――
――ん? この感覚は……
もう一人、感じたことのある気配を感じた。俺はそれとなく顔だけを入口に向けた。
――ああ、あの少女か。たしかマリーって呼ばれていたっけ……
彼女は食堂の中を見渡しながら食堂に入ってきた。
誰かを探しているのだろうけど、彼女は背が低いため、背伸びをしながらきょろきょろしている。
――ん? 何か手に持ってるな……紙? うお!?
一瞬だが俺は彼女と目が合った。が、そのマリーの視線はすぐに隣のテーブルに向けられカイルと呼ばれていたメンバーに釘付けになっていた。
――探していたのはこいつらか……
分かってはいたが、俺としてはあまり面白くない。というのも俺は隣のテーブルに座るイケメンが気に入らないのだ。女三人も侍らせやがって。
それなのに、その彼女は足を引きずりながらも嬉しそうな表情でイケメンたちのいるテーブル席に向かって来る。
一方、そのイケメンのメンバーら四人は、話に夢中で近づいてくる彼女の存在に気づきもしない。
「しかし、やっと厄介払いができたな」
――厄介払い?
側まで近寄っていた彼女もイケメンの声が聴こえたのか、そこ声に反応してピタリと歩みを止め耳を傾けている。
「カイルもお疲れ様だったわね」
「あはは、そうそう。でもあの女、ソロ活動が長かっただけあって結構貯め込んでいたね。カイルの予想通りだった」
「ああ、我ながら大当りでびっくりしたよ。ははは、しかしバカな女だったよ。
ちょっと優しく声を掛けただけで俺の女になった気でいてさ。
装備を強化したいと言えばどんどん貢いでくれたよな。お陰で俺たちの装備は今や一級品だぜ」
「うん。私、この弓ずっと欲しかった」
「でも、あの時のカイルは浮かれて油断しすぎよ。幸いあの娘が庇ったから大事にならずに済んだのよ……」
「すまんすまん。あのときは欲しかった装備が手に入って嬉しくてな、ついついお前たち(アルマ、ニナ、サラ)と張り切り過ぎた。
さすがにお前たち三人を相手した後は堪えていてよ、寝不足の上、足下はふらふら……でもお前たちだって悪いんだぜ、俺のモノを握ってて離さなかったんだからな」
「そ、そうだったわね」
「でも、まあ、良いじゃないか。結果的にはあの女は俺たちのパーティーから追い出せた。俺を庇って負った治療費としてあの女の金も全ていただいた。あの女から搾り取るお金はもうない。もう用済みさ」
「ほんと、カイルもよくやる」
「ふははは、まあな。俺たちは銅貨一枚だって出してない、しかも治療は最低限の一番安いポーションを掛けただけ、適当に治療したのに、よく生きていたよあの女。死ぬものだと思ったが、思いのほかしぶとかったな。
まあ、都合よく後遺症が残ってくれたからいいんだが……あの女も最後に大好きな俺のために役に立てたんだ、本望だろうさ。ハハハ」
隣から聞こえるイケメンの下品な笑いが耳に障る。
「そうだぜ。田舎娘風情が、調子に乗るから悪いんだ。
あの娘、あれで私たちのカイルに抱かれる気満々だったんだからな。はは、笑っちまう」
――こいつら、しかし、これではあの少女にも聞こえていた……ん!?
少し気になりマリーの方へと視線を向けれてみれば、少女はじっと堪えるように俯いていた。表情は見えないが、身体が小刻みに震えている。
――やはり聞こえていたか……!? あの少女……泣いて、いるのか……
頭上の悪煙がギルドで見ていた時よりも、さらに大きくなっている。それが渦を巻き黒い雲のように纏まり始めている。
――これは……
「本当、笑っちゃうよね。ぷふっ! でもあの女、カイルに抱かれる前にグリズベアーに抱かれちゃって……
そのツメがあまりにも鋭いから、右肩から左足まで削られてたわね。
もともと薄っぺらで無かった胸がもっとなくなっちゃって、ははは、無様よね」
「ふふ、もう女として終ってるのに「また、会ってくれる? それにみんなも?」……笑っちゃう。まだカイルに色目を使うつもりだった」
「そうね。カイルに逢いたいからって自分の連絡先を寄越そうとしてさ。私たちはそのついで……
誰が会うものかってな。あの娘は用済みよ、用済み。顔を見たって気づかないフリよ。あはは」
――……ぐっ、ぎっ……
奴らのあまりにも残酷で非人道的な言葉の数々に、前世の中でも思い出さなくてもいい不要な記憶が過った。
――うぐっ……
それは信じていた同僚と、付き合っていた彼女に嵌められ職を失ったあげくに無一文になった記憶。助けを求めても鼻で笑われ居ない者として扱われた記憶……視界が暗くなる。意識がだんだん沈んでいく。
――やめ、やめろ……
「ははは! そうだな」
――はっ!?
皮肉にも奴らのカンに触る笑い声で意識を取り戻した俺。
――……ふん。いらぬ記憶だな……
俺は頭を振って意識を切り替えてみた。ただ頭を振っただけの行動だが、これが思いのほか功を奏して、幾分か気持ちが楽になった。
――そうだ。今はそれよりも……
俺が前世の記憶に振り回されている間にマリーは踵を返し食堂の入口の方にひょこひょこ足を引きずりながら歩いていた。その後ろ姿は肩を落とし覇気がない。
彼女はもう奴らに話しかけることなく、この食堂から出ていくのだろう。
彼女の頭上には相変わらず悪煙がもくもくと激しくうねり纏まってきている。
悪煙の次の段階、悪雲へと変貌するのも時間の問題のように見えた。
――このまま放っておいて……いいのか……
先ほどの前世の記憶が心の片隅に引っかかっている。その記憶の中の俺と彼女の姿が被って仕方ないのだ。
――くっ……
当の本人たちは次のターゲットを誰にしようかと、俺の知らぬ名を上げてはゲスの笑みを浮かべている。とんだクズヤローどもめ。
「エリザ……俺は」
我慢の限界だった。腰を少し浮かし妻の方に視線を向けると、妻の顔は俺の方に向いているが視線だけはずっと隣の席を睨みつけていた。
「ええ、分かっているわ」
不機嫌そうな声で返事をする妻も、隣の席の声が、しっかりと聞こえていたようで、目に見えて不愉快そうな表情をしていた。
――俺は……あの少女を追う……
俺たちは立ち上がると、宿の方へと向かい女将さんに「少し出てくる」と声を掛け、建物から飛び出した。
――あの娘はどこに……っ!?
外に出てすぐに、彼女の場所を探るべく、その気配を探ろうとしたのだが、その必要はなかった。
「クロー、あそこ」
彼女は食堂側の入口の横、壁際に膝を抱え座り込んでいたのだ。
「ああ」
彼女は俯き何やら一人でブツブツと呟いているようで、少し離れたこの距離からも、異様な雰囲気が感じ取れる。
「エリザ、ここは俺に任せろ。おい、そこで座り込んでいるお前、大丈夫か、気分でも悪い……!?」
嫌な予感のした俺は、急いで彼女に近づき口早に話かけていたのだが、一足遅かった。
俺の声を遮るかのように、彼女の頭上にあった黒雲が、グネグネと激しくうねり出した瞬間、黒い光りを放った。
ピカッ!!
その瞬間、バサリッと何かが落ちてくる。
――む!
「え!」
それを見た妻は、それが何か分かったようで、口を開いたり閉じたりと驚きを露わにしている。
俺にもそれが何なのかすぐに分かった。
――これは……
「ダメよ!」
妻がやっとの思いで口を開くも、その声はマリーの耳には届いていない。
虚ろな瞳をした彼女からは感情の動きが感じられないのだ。
それでも彼女は手を伸ばした。
「ダメっ、それは悪魔大事典なのよ!」
今にも泣きそうな顔をした妻が、彼女に向けそう叫んでいたが、すでに遅く、彼女の手には悪魔大事典がしっかりと握られていた。
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