第33話

「ニナ、どうして押すのよ」


「押してない。ちょっと当たっただけ。それをマリーが大げさに転んだ。卑しい女。そこまでしてカイルの気を引きたい?」


 見ていた俺にもそれが故意であったことは明らかだったが、そんなニナと呼ばれた小さな少女は、マリーに対して、謝ることはおろか手を差し伸べて起こしてあげようともしない。

 それどころか床に倒れた少女を見て笑みすら浮かべている。


「ううっ」


 倒れてまで俺にパンツを見せてくれた少女のマリーは、ニナに向かって悔しそうに下唇を噛みしめてはいるが、何やら思うところでもあるのだろうか、何も言い返すことはせず、ゆっくりと立ち上がっていたが、


 ――ん?


 そんなマリーの身体からはモヤモヤと何やら黒い煙が昇り始めている。


 ――……悪煙か。


 冒険者同士の揉め事に興味はないが、先ほどからマリーの身体から黒い煙が立ち昇り、彼女の頭上でぐるぐると渦巻き始めている。


 俺はそちらの方が気になり少しの間この状況を見守ることにした。


 ちなみに悪煙とは、悪魔にしか見えない煙のことで人族が負の感情を心の内に強く抱いたときに見られる現象。


 でもまあ、それは余程のことがない限り時間が経つとともにすぐに霧散してしまうんだけどな。


 ここ人界ではよくある現象だと知識にあるが、でも俺は今初めて見る。だから興味がでのだ。


「マリー。あんたさ、このパーティーの中でも一番力のないニナがちょっと当たっただけでも倒れてしまうんだ。

 そんな足手まといと一緒になんて、私はごめんだね」


「サラ……だってこれは……」


「もちろんそれがカイルを庇ったケガの後遺症だってことは、ここにいるみんなが知っていること。

 だから私たちは、たったの三ヶ月間、最も付き合いの短いマリーのために、全財産を投げ出して、できる限りの治療をしてあげたんだ」


「……」


 男っぽい言動からも気の強そうな感じのする女がサラというらしいが、そいつはマリーに視線を向けたまま少し歩くと、カイルと呼ばれていた男の前に出る。まるでマリーからその男を隠すかのように。


「マリー分かって、ね。もう無理なのよ。今のマリーの身体では冒険者Aランクの私たちにはついて来れない」


「でも、アルマ……」


 今度は、化粧の派手な別の女、アルマというらしいが、その女は「ごめんなさいマリー」とそう言ってから悔しそうに俯いた。


 芝居かかった演技をする女。俺にはその女が、マリーと呼ぶ少女をうまく丸め込もうとしていることが一目見て分かる。

 だがマリーと呼ばれている少女には、そんなことだとは分からないのだろう。


 その女に向かって申し訳なさそうな顔をしている。


 ――あいつらAランクの冒険者なのか。


 前にも、この町に滞在する冒険者は少ないと言ったが、それはギルド内に張り出されている依頼が少ないのだから無理もない話。


 なのに、なんと目の前にいる冒険者たちはまさかのAランク冒険者。高位ランクの冒険者のパーティーだった。


 悪魔の立場からして、俺は人族のAランク冒険者がどれほど実力者なのか興味があったのだ。


 ――さて、Aランク冒険者は、どの程度の強さなのか……ん? はあ? こ、これが人族の、Aランク冒険者の実力なのか……


 興味本位でデビルスキャンした俺は驚いた。


 ――弱い、弱すぎる……


 気配からも実力が低いことは分かっていたが、それは本当の実力を隠し己の気配を抑えているのだろうと思っていた。それがどうだ。


 ――身体に障害があるため、回復の必要性はあるが、治療すれば、あの少女の方が遥かに強いな……まあ俺には関係ない話か。


 冒険者ギルドには冒険者ランクというものがあった。


 俺と妻のエリザは冒険者に登録したばかりだから駆け出しのFランク。

 Fランクが最低ランクになる。上はSランクが最高ランクの7段階からなるらしい。


 ランクに応じた依頼を達成することで上位のランクに昇格するらしい。


 それがSランクほどの実力者になると国から貴族同等の地位と権力が与えられるそうだ。


 それはまあ実力のある人物を他所の国に行かせない様、抱え込もうって腹が透けて見えるけどな。


 それでも冒険者たちにその話しは魅力的で

、その地位と権力欲しさに冒険者になる者も少なくないのだと、ギルド受付のおっさんが話していたことをふと思い出した。


 まあ俺たちの場合は、身分証明が欲しくて登録しただけで関係ない話なんだけど。


 それでも、その冒険者ギルドで見た冒険者登録端末。あれはたぶんアーティファクト神の創造物の類いなのだろう。


 その端末は莫大な数の冒険者情報を一括管理し各ギルドと繋がっている。


 それだけじゃない。その端末には触れるだけで一枚のプレートを作り上げ必要な情報を表示し所有者まで判別してくれる。


 そんな代物がこんな世界にあることに驚くが、驚いたと言えば、つい最近、興味本位で入った町の防具屋。

 この世界には女性用のブラがまだ存在していないはずなのに、ブラによく似た胸当てなどの装備品はあったのだ。その時の俺は酷く動揺し驚きを隠せなかった。


 他にも迷宮という大きなダンジョンもあるらしいし俺が知らないだけで、常識では計り知れない遺産や秘宝なども探せばあるのかもしれない。

 面白い文化を築き上げている国なんかも……


 ――ふふ、俺の想像を絶するような女性用のすんごい下着とか防具があればいいのに……


 見つけたら必ず妻に贈ってやろうと心に決めているのだ。


「本当にごめんなさい。冒険者の世界はそう甘くないの。マリーも分かって」


「……」


 おっと、一人妄想に浸っている間に、申し訳なさそうに無言で俯くマリーの身体から出ていた悪煙が少しずつ収まっている。


 アルマと呼ばれる化粧の濃い女に何やら吹き込まれて、マリーの心境に何やら変化でもあったのだろう。


 ――ふむ。


「これで分かっただろ。これはパーティーみんなの総意なんだ。諦めな」


「サラ……」


「マリーは普通に歩けるようになるのが先」


「ニナ。で、でも教会で治療してもらえばすぐに、またみんなと一緒にボクも……」


「はあ? マリー、あなたまだそんなこと言ってるの? 

 そこまで回復したあなたの治療に一体いくら掛かったと思ってるっ。

 そのうえ、後遺症を治すために治療をしたいって……ふざけないでっ! そんな大金今の私たちにあるわけない。今の私たちはマリーのせいで無一文なんだっ。分かってるのかっ」


「Aランクの私たちでも無理。もうマリーには付き合えない」


「マリー。この際だからはっきり言うけど、今のあなたはお荷物なの。

 もし危険な魔物に遭遇してあなたが逃げ遅れたらどうするの? みんなを巻き込むの? それともカイルに庇ってもらえるとでも思ってる」


 若干語気を強めた化粧の濃い女アルマが目を細めて言う。たぶんこっちがその女の本性に近いのかもしれない。


「ち、違う。ボクはそんなつもりは……」


 マリーと呼ばれた少女は今にも泣き出しそうな顔で首を左右に振る。

 だが、よほど悔しい思いでもしているのだろう。握り締めた拳からは赤い液体が滴れている。


「まあまあみんな落ち着けよ。強く言い過ぎだぞ。マリーもすまない。けどみんなの言うことも分かってくれると嬉しい。

 それにパーティーにこだわらなくても俺たちは仲間だ。いつでも会えるさ。だから……」


 今まで黙って様子を窺っていたカイルが、「すまない」と言ってさりげなくマリーの頭を撫でている。


 だが彼女が見ていないからと言ってその薄汚い笑みはあまりにも品がない。

 性格の悪さが浮き彫りになっていることに気づいていないのだろう。


 ――……


 だが、そんなヤツの顔を見ていない少女には効果覿面。少女の身体から溢れ出ていた悪煙がピタリと止んでいる。


 とはいっても、しばらくの間は彼女の頭上に集まった悪煙は残っているんだよな。


 ――あとは時間か。しばらくすればあの悪煙も消滅するだろう。

 だがしかし、気に入らんなあのイケメン。女どもにチヤホヤされやがって。あー気に入らん。


 俺がイケメン冒険者に苛立ちを覚えていると、その少女は――


「カイルごめん。みんなも困らせてごめん」


 しっかりと元メンバーに向かって頭を深く下げていた。


「いや。分かってくれればいいんだマリー」


 カイルと呼ばれるイケメン男が、少女からその言葉を引き出し、よほど嬉しかったのだろう。カイルの話すトーンが少し高くなっていた。


 しかも、堪えきれなかったのだろう。少女が頭を下げているその間、メンバーの全員がうまくいったとばかりの、含みのある笑みを浮かべ、お互いに顔を見合わせていた。


 カイルに至っては、アルマと呼ばれていた化粧の濃い女のお尻の方に手を伸ばし、スカートの下に手を入れている。


 ――あ、あいつ……なんてけしからんヤツだ。


 少女が頭を上げるタイミングでその手を引っ込めるのかと思えば、なんとその手はアルマのお尻を掴んだまま。


 どうも俯き視線を落としたままの少女には見えていないようだ。


「……カイル。そ、その……また、会ってくれる? みんなも……」


「ああ、当然だろ」


 それからすぐにそのパーティーは解散した。といってもマリーと呼ばれていた少女だけが、ギルドから足を引きずりながら一人で出ていったのだが。


 他のメンバーは報告のためだろう。カウンターに向かって行ったので俺も妻とギルドを出ることにした。


「エリザ、宿に戻ろう」


「ええ」


 返事をした妻は少しご機嫌ななめだった。その理由はなんとなく分かる。妻も俺の隣であの少女を見ていたのだから。


「戻りましょう」


 眉をハの字にした妻の顔。なかなかお目にかからないだけに可愛くて仕方ない。しかも繋いだ俺の手はしっかりと握っている。


 俺たちがギルドから出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。日が完全に落ちてしまったようだ。


「宿が近くてよかった。宿に戻ったらすぐに食堂で食事をしよう」


「そうね」


 ギルドから外に出ると、少し機嫌が戻っていた妻が、俺の左腕を抱きしめ身体を寄せてくる。


 ぷにゅん。


 柔らかな彼女の温もりが伝わってくる。押しつけられたおっぱいの感触も素晴らしい。

 あのイケメン男からイラつかされた心が癒されていく。


「ふふふ」


 楽しそうに微笑ましく妻のおっぱいに癒されつつ俺は宿へと戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る