第25話
「くははは、逃げたければ逃げてもいいんだぞ。はははぁ、もっともお前たちに逃げ場などないがな」
負けることなど微塵にも考えていないヤツの声が癇に触るが、まあ、普通ならば女性を抱いた騎士一人で、どう足掻いたところで、この包囲網を突破できるとは思わないだろう。
そう、それが普通の騎士だったならば――
――ふっ。
「さて、エリザ。あんなこと言ってるが、どうして欲しい? 皆殺しでもしとくか?」
正直なところ、俺は彼女を性奴にとふざけたことを言うヤツなど即行で殺してやりたい。黒い衝動がずっと殺れ、殺してしまえ、と胸の奥で暴れている。
だが、悪魔にも行動に制限とがある。悪魔にとって人族は
では人族を殺めるにはどうすればいいのか、色々とやり様はあるが、一番が契約者がそう願えばいい、もしくはそのように仕向ける。次に契約の対価。俺は好ましいとは思わんが。
彼女も首を横に振った。彼女は殺すことまでは望んでいないということだろう。
「あんな男が、わたくしの婚約者だったなんて……冷静になって考えてみると恥ずかしいことですわね。
わたくしはただ、お父様に、ローエル家から捨てられるのが恐ろしくて必死だっただけ。
貴族で無くなったわたくしには、なんの価値もないのですから……
でも結局は使えないと判断されこの始末。気づけばその矛先をあの男に向け復讐まで誓っていたのよね……」
「エリザ……」
「でも今は、不思議と後悔はないの……むしろ、これで良かったと感謝さえしているわ……おかしいでしょう。でも本当なの。ふふ……
それもこれもあなたが居てくれるから……
クロー、あなたが傍に居てくれなかったら今のわたくしはなかった……だから、あなたから嫌われるようなことはしたくないの。
そ、それだけ他のことに興味がなくなってしまって……えっと、わ、わたくし何を言ってるんでしょう。
つまりはですね。クローに任せたいの。任せてもいいですか?」
彼女が途中から恥ずかしそうに顔を背けてしまった。
――な、なんだ……まるで愛の告白のようなことを言われた気が……って、何あり得ないことを考えているんだ俺は。エリザにキスをされておかしくなったのか……
俺は悪魔、悪魔なんだよ……って、今はそうじゃない。
よく考えろ。よく考えればエリザが何を言いたいのか理解できるはずだ……
「……ダメでしょうか?」
俺が物思いに耽っていると、不安そうな顔になっていた彼女が俺を見ていた。
――……言い回し、そうか……これは貴族特有の言い回しなのだろう。俺なりに解釈すると色々と俺に感謝しているからここも俺の判断に任せたい、そう言いたいのではないか。
そう理解すると、なんだかしっくりきた。簡単なことだったのだ。
――危ない。危ない。
変に勘違いして痛い奴になるところだった。
だがしかし、彼女に任されたのはいいが、俺は元々復讐を止めさせた張本人だ。その俺がバッサリ奴らを殺ったら……俺の言動は自分勝手で無責任なヤツだと思われるだろう……彼女にそう思われるのは、なんだか嫌だった。
けどまあ俺の返事は決まっている。
「分かった。俺に任せろ」
「ありがとうクロー」
不安そうにしていた彼女にも笑顔が戻った。やはり彼女には笑顔が似合う。
「気にするな。じゃあ今回も……悪魔法を使ってやるか。
ふむ。そうだな、襲ってきたことを後悔するような悲惨な何かを……うーむ、よし、決めた。
あの黒騎士たちはこれから先、戦意もしくは闘志を抱くだけで我慢できないほどの激しい便意が襲ってくる悲惨な悪因を刻んでやろう」
「そ、それは……たしかに、悲惨ですわね」
「そうだろう。俺のは強力だからな。二度と戦場には立てないだろう。それほどの便意が襲う。くくく、職を失うかもな」
「彼らは職を失うのですか……」
「おっと。同情はしないぞ。ヤツらは既に剣を抜いているからな、相手の力量を図れないヤツらが悪い。まあそんなこと聖騎士でもない限り無理だろうが……
だがまあエリザを性奴にと戯言を抜かしたあのバカ、実はもう考えていたんだ極悪レベルの悪因を……くくく。
あいつ、よっぽど性欲を持て余しているようだったからな、喜んでくれるはずだ。
少しでも欲情すると男の象徴に失禁するほどの激痛が起こり、しばらくの間、放尿が止まらなくなる、そんな悪因をさ……」
「……それはまた……お気の毒ですわね」
「これでもまだぬるいくらいだが、まあ、どちらにしても、あの性格だ、今後まともな生活は送れないだろうさ」
――あとは、これが悪魔の魔法だと気づかないように、もし気づけても解呪できない最高レベルのものにしといてやるか。
ちなみにこの世界で魔法を扱える者はエリートだ。その身に魔力を保有していることが分かれば必ず悪魔と敵対しているクルセイド教団か、各国もしくは各領で魔法騎士団に所属することになっている。例外は悪魔や魔物くらいだ。
目の前の王太子や黒騎士たちからは、魔力は一切感じとれないからエリートってことはないだろうが、用心に越したことはない。
魔法が使えることを悟られたくない俺は、彼女を抱き直し、魔法を発動する際に光る、輝きが相手から見えないようにしてから悪魔法を使った。
『悪魔法、悪因っ』
淡い光が俺の右手から放たれ、空高く舞い上がると、黒騎士と王太子の頭に降り注ぐ。
その光は、陽の光りがある今の時間帯。肉眼では捉えることはできないが、間違いなく、彼らの頭に降り注ぎ、触れた途端、内へと入り込む。
「!?」
すると、すぐにその効果が発揮される。余裕の表れからゆったりとした足取りで包囲網を狭め近づいてきていた黒騎士たちの動きがピタリと止まったのだ。
「ぐっ!?」
次の瞬間には、呻き声が集団の至る所から上がり、抜いた長剣を杖代わりにして腹部を押さえはじめた。
「おい、お前たち! 誰が止まっていいと許可したっ! 早くあのローエル領の騎士を殺れ!」
ヤツだけはまだ何ともないようで立ち止まった黒騎士たちに向かって怒声を上げていた。
残念ながら、彼女の身体を見ても認識阻害の影響を受けているヤツには、欲情するまでにいは至らないようだ。
現時点では悪因の効果を確認することはできなかったが、まあいいだろう。
「おいおいどうしたよ、お前たち。突然、腹なんて押さえて、毒でも盛られていたのか?」
俺は、わざとそれらしい言葉を奴らに投げかける。王族や貴族など政敵だらけ、叩けば埃だって出るだろうと予想してのもの。
「な、なんだとっ!?」
俺の言葉を聞いたヤツが、突然動きを止めた、黒騎士たちに目を向ける。
よく見なくても、黒騎士たちが小刻みに震えながら悶えているのが分かる。
まあそれはお尻に力を入れて踏ん張っているからだろうけど。ヤツには効果がありハッとした表情している。
でも黒騎士たちの中にはプルプルと大きく震え出した者までいる。意外に限界が近いのかもしれない。
――ぷっ、くく……
俺は思わず吹き出しそうになったが、ここで吹き出すのは不自然だ。笑いを殺すに苦しいが今は我慢の時だ。
「ジキル……か」
ヤツが俺の知らぬ誰かの名前を呟いている。それからヤツの顔がみるみる青くなった。
――よし。
ビンゴだった。あんなヤツでも一応王族だ。心当たりの一つや二つあったところで不思議ではないのだ。
「くっくっくっ王太子よ。運がなかったようだな」
俺は臀部を押さえ悶えて動けない黒騎士たちの間を、彼女を抱き抱えてゆっくりと、見せつけるように歩いた。
「おっと、すまないな。ここは通してもらうぜ」
「き、貴様!」
「ははは、来るなら来い。俺はいつでも相手するぜ」
「ぐぬぬぬっ、おのれおのれっ」
俺が挑発したのが、そんなに癇に触ったのか。お尻は今にも爆発寸前のはずなのに、勇敢な黒騎士の数名が動いて来たのだ。俺も吃驚。
「う、あ、ああぁぁぁぁ!」
「こ、のぉぉぉぉっ」
「ぐるぁぁぁぁっ」
その黒騎士たちは腹部と臀部に力を入れているのだろう。
何を言ってるのか分からない、しかも力の入っていない情けない雄叫びを上げつつ、距離を詰めて……来た、つもりなのだろうが、内股で少し奇妙な歩きの黒騎士の動きは、はっきり言って遅い。
「「「ぬぉぉぉっ」」」
渾身の力を込めて剣を振ったつもりなのだろうが、俺は軽く身体を捻るだけで簡単に避ける。
「はい、残念」
そして、お返しとばかりに思いっきり腹部を蹴りつけてやった。ほら、俺はエリザを抱き抱えていて両手が使えないのだ。
「ほらよっ!」
ドフッ!
「お前も」
ドフッ!
「お前もだ」
ドフッ!
俺が軽く蹴りを突き出すだけで黒騎士の鎧がベコリと凹み、斬りつけてきた黒騎士たちがすごい速さで吹っ飛んでいく。
「ぐべぇぁぁ」
「ぬぁぁぁ」
「ぉぉぉぉ」
それは立っているだけでも精一杯だった周りの黒騎士たちをも巻き込んで。
「く、来る、ぬあああっ」
「うわあぁぁぁっ」
途中からは、違う音も聞こえるが、そこは割愛。
ただ、すべてを解放したような、気持ち良さげな音だったってことだけは伝えておこう。
そんな豪快な音があちらこちらから上がり止まらない。止む気配がない。
「あ、ぁぁ」
「おぉぉぉ」
被害のなかった所でも、巻き添えを恐れて慌てて逃げようとしたらしい複数の黒騎士たちがぶつかり合い、ドミノ倒しのように倒れていく。
連鎖する黒騎士の叫びに、豪快な音、さらに臭いまで加わった。
「あ、ああ……」
「ぅ、ぅぅ、ぅぅ……」
泣き崩れる者まで現れている。阿鼻叫喚の地獄絵図とはまさにこのような状態を言う……ん? ちょっと違う? ま、まあ、それだけ酷い有様になってしまったのだ。
「これはキツいな……」
俺は息を止め早々とその場を離れるが、それを遮る者が現れた。ヤツだ。ヤツが俺の目の前に現れたのだ。
「ふん、黒騎士たちは調子が悪そうだが、王太子一人で何ができる」
ムカついていたのでつい鼻で笑って小馬鹿にしてしまったが、そこに後悔はない。
「くっ……役立たずのクズどもめが……まあいいだろう。たかだかローエル領の騎士一人。この僕が直々に斬り伏せてやるさ」
「ほう」
「こ、こう見えても僕はな。け、剣術は得意なんだよ、黒騎士団の団長だって務めている……く、くっくっく……
だがまあ、僕は寛大である。今この場にそいつを置いていくのであれば、特別にお前の命だけは助けてやってもいい。ほら、早くそいつをこっちに寄越せ」
ヤツが剣先を俺に向けている。これもゴテゴテに飾り付けられた長剣だ。情けないことに、その剣先は小刻みに震え、それが虚勢だと一目で分かる。
「ほ、ほら早くしろっ」
俺が気づいてないと思っているのだろう。怒りを通り越して呆れてしまうレベルだ。
「ふっ、話にならんな……お前もう帰れよ」
俺はヤツを無視して歩みを進めた。
「なっ!?」
本当はぶん殴ってやりたいが、それ以上に、彼女をヤツに近づけたくない。
――どうせ悪因はレベルMAXで刻んでやったんだ。あとで思い知ればいいさ。
「た、たかだかローエル領の一騎士の分際で、王族であるこの僕を愚弄するのかぁぁっ!」
「知るかよ」
ヤツが小刻みに肩を震わせはじめた。大層ご立腹なのだろう。だが俺は一向に構わない。なんせヤツは弱いと見ただけで分かるのだから。
俺は彼女からヤツの顔が見えないよう気をつけつつ、バカみたいに俺たちの前に立ち塞がってはいるが一歩も動けずにいるヤツの側を、ゆっくり通り抜ける。
「ふふ、ふふっ。バカなヤツめ。敵に背中を向けるとは……ほんとバカなんだよ!」
俺たちが通り過ぎると自然と背後の位置になったヤツが笑みを浮かべそう叫んでいた。
それからすぐに駆け出し開いていた距離を一気に詰めてくる。
「死ねぇぇぇ!」
背後からゴテゴテに装飾された長剣を振り上げ迫ってきたヤツがその剣を振り下ろす。
――……なんだそれ。
遅い。あれほど自慢していたヤツの剣術レベルは最低だった。やはりヤツは弱い。まだ、先ほど腹痛を我慢しながらも果敢に挑んできた黒騎士の方がマシだ。
「お前うるさい」
俺はヤツの長剣を僅かな動作で避けると、ニヤニヤしている口元めがけて真っ直ぐ蹴り出す。
「ぶべっ」
格好つけて、彼女の前で兜を脱いでいたお前が悪い。
メキッ!
メキメキッ!
騎士のブーツ底は頑丈だ。そのブーツ底がヤツの顔面にまともに入った。
俺の蹴りを受けたヤツが吹き飛で行くが、ブーツ越しに、鼻の骨や前歯が数本はへし折れた感覚がある。
そんなヤツは、高速横回転しながら吹き飛ぶと、身体を何度も地面に叩きつけ転がり止る。
ヤツはピクリとも動かない。一応手加減はしてやったつもりなので、顔や全身を打ち付けてたショックから気絶でもしているのだろう。
――命があるだけでもマシだと……ん?
気絶したヤツの頭が陽の光を反射していた。前髪が僅かに残っているだけでかなり眩しい。よく見ればカツラらしき物がヤツの近くに落ちている。
――ぷふっ、ズラだったのか。
俺は彼女の夢を思い出し頷く。
――夢の中だけのことだと思ったが、あれは有効だったのか? それとも俺が寝ながら発動していて今朝方そんな有様になったってことか? よく分からないが……
やはり所望魔法はすごいと思った。
――ん?
ふと視線を感じた。黒騎士たちだ。黒騎士たちが悔しげに俺の方を見ていた。
「お前たちも達者でな……ん?」
熱い視線を向けてくる黒騎士たちに片手を挙げて応えていると、ふと、視界の隅に繋がれた馬たちが入った。
「馬か……」
せっかくなので、抱いてる彼女に格好いい姿でも見せてやりたい。
「よし、お前がいいな」
俺は繋がれた馬の中でも、一番丈夫で脚の速そうな栗毛の馬を一頭を買い取ることにした。
「おい、そこのお前……」
片手で手綱を引いてその馬を連れ出し、たまたま視線の合った感じのする黒騎士に声をかける。
「……」
黒騎士は睨むだけで何も言わないが、俺は銅貨一枚を取り出すと、その黒騎士に向かって放り投げた。
「ほらよ、馬の代金だ。釣りは要らん」
銅貨一枚はこの世界で百円程度だ。足りるわけない、わざとだから。
「!?」
俺が放り投げた銅貨を反射的に受け取った黒騎士は、その銅貨を指で摘みながらフルフルと肩を震わせていた。
相当頭に血が上ってそうだが、おっとそれ以上力むのはやめた方がいい。
「「ぬああぁぁ」」
黒騎士たちの方から豪快な音が聞こえたが、そこは割愛する。
何やら騒がしくなってしまったが、俺たちは馬に跨りその場を後にした。
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