第20話
――何をやってる。
気になった俺は動きづらい宙を必死に猫かきで泳ぎ移動する。
――くっ、重くて進まん……
それでも必死に宙を泳ぎその王子の真上にたどり着いた。
――はぁ、はぁ……夢のはずなのにきつい。キツすぎる。
息は乱れるが、近づいたことでハッキリと聞こえるようになった王子たちの会話。俺は彼ら話に耳を傾けた。
「おい、お前。あそこの馬車に乗る令嬢は僕の婚約者だ。日も暮れ始めている。このような時間から馬車を走らせれば帰路の途中で日が完全に沈んでしまうことは分かるよな?」
「は、はあ」
ピンとこない警備兵士が気のない返事をしているが王子は気にせず話を続けている。
「危険だとは思わぬか?」
「はっ。たしかに」
「あれを見ろ。だから、あの馬車の護衛騎士の一人が、それを危惧して進言でもしているのだろう。なかなかの者だと思わぬか。
ただ未婚の女性からすれば、婚約者であっても、なかなか言えぬとことだと思わぬか? 僕の宮に泊めてくれと」
「はっ、左様ですな」
「うむ。お前はなかなか頭の回転がいいな。では伝えてこい。帰路の途中で日が沈むと分かって帰すほど僕は鬼じゃない。今日は特別に僕の宮に泊めてやる遠慮は無用とな、行け!」
「はっ」
その警備兵士が、彼女の馬車へと向かって駆け出す。
「ふふ」
王子のほうはしたり顔でサラサラの髪を搔き上げて彼女の馬車へと視線を向けている。
「エリザベス。今夜はたっぷりと楽しもうではないか。たっぷりとな」
――ふん。そういうことだったのか。
この時点でローエル家の馬車を止める護衛騎士が、こいつ、王子の手の者だということだと当たりをつけた俺は、遠慮なく所望魔法を使うことした。
効果は薄くそこまで期待はできないが、しないという選択肢は俺にはなかった。
――いいだろう。お前には人の心配なんてしている暇はないってことを思い知らせてやる。
「ふは、ふはは、へへ、ふへへ」
王子は、いやらしいことでも妄想しているのだろう。にやにやニタニタ、気持ちが悪い笑みを浮かべては、サラサラの前髪を何度も掻き上げている。
――なんだ、そんなに前髪が邪魔か。何度も鬱陶しそうに前髪を掻き上げやがって、そんなに邪魔なら俺が全部取り除いてやるよ。
『我は所望する』
――抜けろ。そんなサラサラの金髪、全て抜けてしまえ。ついでに護衛騎士、お前もだ!
俺の所望魔法は言うまでもなく発動した。
だがしかし、今回も俺の魔法は中途半端な効果だった。
そのため、ツルツルテカテカの頭にしてやる予定だったが、その王子の髪はなぜか前髪だけが残ってしまった。おかしい。
己の頭に俺の魔法がかけられているとは思ってもいない王子は、その残っている前髪を何度も掻き上げる。
――……ぷふっ。いや、これはこれで、なかなか似合ってるわ。
すぐに王子の頭の異変に気付いたのは側に控えていた兵士。突然変貌した王子の頭を目にして小さく悲鳴を上げていた。
「ひぃ、お、王子!」
「はぁ? なんだお前のその顔は。僕のやり方が気に入らないのか」
王子は目を細めてその兵士を睨みつける。
「ち、違います、そ、その頭です」
「頭だと……僕の頭がどう……」
その兵士が必死に自分の頭を触り王子に訴えている。
それを不機嫌そうに顔をしかめた王子が、つられたように自分の頭に触れた。
つるっと、ペタペタ。
「え!? いや、まて」
その王子の表情が、次第に引きつっていく。
つるっと、ペタペタ。
そして、ようやく自分の頭の状況を理解したのか、
「う、ウソだろ。こんなこと、あるはずない。な、なぜ。ぼ、僕の髪が……」
つるっと、ペタペタ。
「うわぁぁぁぁ……」
認めたくない現実に王子は狂ったような悲鳴を上げた。
――ぷふっ。前髪は残っているんだ、感謝しろよ。
その後は王子が騒ぎ出したことで、周りの兵士が集まり彼女をどうこうできる状況ではなくなった。
そんな王子を見て俺の気分もスーッと晴れていく。
――さて、エリザは……?
もう大丈夫だろうと思いつつ俺が彼女の元に戻ろうとした、その時、突然景色が変わる。
――ここは……?
またしても俺は薄暗く何もない空間の中に立っていた。
前回と同じように、俺に絡みつく細い糸の先にはエリザの存在を感じる。
この糸を辿ればおそらくまた彼女の元にたどり着けるだろう。
――ふむ。行くか。
やはり二度目ともなると慣れたもので、糸を辿る俺の足取りも軽い。
――ここかな?
俺がくねくねとした細い通路を進んで行くと、またしても灯りのついてない真っ暗な部屋が忽然と現れた。
――前より暗くないか?
この暗い部屋から彼女の存在を感じる。じっと目を凝らし部屋の中を見渡すと、部屋の片隅で、15歳くらいだろうか? また少し成長している彼女が、俯き両膝を抱えて座っていた。
――エリザ……だよな?
俺は迷いなく成長している彼女の傍へと近づき、その隣に腰を下ろす。
――!?
俺は腰を下ろして気づいた。彼女の身体にグルグルと黒い触手みたいな何かが巻きついているのに。
――な、なんだこれはっ。
慌てて取り除こいてやろうと試みるが、俺の前脚はその触手をすり抜けて触ることができない。
「くっ」
そこで俺は声を出す。
「エリザこれはなんだ。いったい何があった!」
「……誰?」
少し遅れて彼女からくぐもった声が返ってきた。
そして、彼女はゆっくりと顔を上げたのだが、
――!?
その彼女の顔には薄気味悪く微笑んでいる仮面が張り付いていた。
俺は不気味な仮面を被る彼女に向かって思わず叫んだ。
「おいエリザ! その仮面はなんだっ」
「仮面? 何のことか分からないわ。それよりもあなたは……猫? あの時の猫なの?」
彼女は何も知らない。なんでもないようにそう返してきた。
たぶん昨日の夢のことだと思った俺は、一応肯定する。
「そうだ。俺はあの時の猫だ。そんなことよりも何があった?」
「……分からないの。わたくし、もうどうすればいいのか自分でも分からないの」
「分からない?」
「何かが、わたくしに張り付いて離れない。払っても払っても付いてくる。すごく怖いの」
「何かとはなんだ?」
俺がそういった途端、彼女の身体に巻きついていた触手が7つに分かれ、うねうねと蠢き始めた。
「なんだか胸の辺りが苦しいわ……」
その触手が巻きつき徐々に締め上げているのか、彼女から苦痛の声が上がる。それからすぐに彼女は再び俯いた。
「エリザ!」
彼女が何を伝えたかったのか俺には見当もつかないが、護衛を引き受けている俺としてはこの状況を黙って見過ごすわけにはいかない。
『我は所望する』
――エリザ、お前に張り付くものなど何もない。
そう望みと彼女の触手の一つがふっと消えた。
――よし、もう一度だ。
『我は所望する』
それを六回繰り返すと、気味の悪かった触手が消え去り、暗かった空間も明るくなっていった。
「……胸の苦しさが、消えたわ……」
――そうか……
触手を取り除いていく過程で、俺は彼女の残留思念のようなものに触れ理解した。
あれは侯爵令嬢として彼女が背負っていた決意や向けられていた害意だった。
貴族としての誇りや振る舞い、期待や不安、恐れや憧れ、嫉みややっかみ、恨みや憎悪などといった彼女の心を揺さぶる何か……
それが夢の中では気味の悪い触手となって現れ彼女の身体に絡みついて今でも彼女を苦しめていた。
でもまあ俺は悪魔であって、夢魔ではない。これ以上俺が何か考えたところで詳しくは分からないけど……
そんなことを思いつつ俺は明るくなった空を見上げた。
「もう大丈夫だろう」
「大丈夫なの……」
俺を見る彼女の顔にはもう、不気味な仮面はなく醜い化粧もしていなかった。
――やはり彼女の素顔はいい。
「そうだ。エリザ。また甘いものでも食べるか?」
そう言ってから小さなチョコを座っている彼女の膝の上に置いてやった。
「ねぇ、あなたは……クロー、なの?」
――お?
分かるはずないのに唐突に彼女からそんな言葉が出てきた。
それだけなのに、ただ名前を呼ばれただけなのに、それがなんだか嬉しく思う自分がいる。
「……ああ、そうだ俺はクローだ」
「ふふ、あなたはいつも傍にいてくれるものね」
彼女が笑顔になるとこの空間がさらに明るくなっていく。
たぶん。これは夢から覚める時間なのだ。
「ああエリザは、俺がまも……」
時間がないと分かっていながら、俺は言葉を口にする。
だがそれは途中までで部屋全体が激しく光り俺は眩しくて目が開けていられなくなった。それが夢から覚める時間だった。
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