第19話

 ――ん? ふわふわ浮いている? 前にもたしか、こんなことが。ああ、そうか……


 どうやら俺はまたエリザの夢の中に入ってしまったらしい。


 こんなことがよくあること、ではないはずたが、俺の知識にはないし。

 ただ思い当たるとすれば彼女との契約だろう。


 彼女と結んだ契約が何かしら関係しているのかもしれない。

 まあ今はこうして彼女の夢に入っているようなので、ぐだぐだ考えているより、とりあえず彼女でも捜してみよう。


 ――さてさて、どこだ? どこにエリザはいるのかな……お、いた! 


 彼女は十三歳くらいに成長したのだろうか? 背も高く女性らしい膨らみもある。少し成長している様子の彼女には派手な化粧が施されていた。


 ――うわ、これはまた、どぎつく派手な化粧をしてるな。エリザは化粧をしないほうが可愛いのに、けどな……なんだ?


 仮面でも被っているかのように彼女には表情がない。身につけている衣装も豪奢になっていて佇まいもすでに貴族令嬢然としていた。


 ただそんな彼女の上空を猫の姿になった俺が漂いついていくと思うとなんだがおかしく感じる。


 ――ぷぷっ、俺、風船。


 でもまあ、オレンジ色の綺麗な空をふわふわと風に揺られ漂うのも気持ちがいいもんだ。


 ――さてここはエリザの夢の中だけど……今は夕方ってところかな?


 足早で、外のほうへ向かい出した彼女の姿を見て、どうやら彼女は王女教育のために登城した帰りのように思える。


「やぁ、エリザベス」


 その帰りを遮るように煌びやかな美少年が現れた。


 ――?


 その美少年はごく自然に彼女の傍まで歩み寄り、さりげなくその肩を抱こうとする。


 ――ほう。


 それを彼女はひらりと躱し、完璧な淑女の礼をとった。


「これは王子殿下」


「っ……そう畏まるな。君はもう帰るのだろうが、僕は君の顔が見たかったのさ」


 そう言ってまた、さりげなく手を伸ばし彼女の肩を抱こうとする美少年の眼差しは思春期特有のそれで、すでに大きく成長して膨らんでいる彼女のおっぱいに釘付けだった。

 口で言うほど彼女の顔など見てもいない。


 彼女もそれには気づいているようで、肩を抱こうとする美少年から、ススッとさりげなく一歩下がる。


 ――なんだこいつ、なんか気に入らんぞ。


 遠慮なく、彼女をいやらしく見つめる眼差しが、あからさま過ぎて俺の気分はすこぶる悪い。


「……ははは、エリザベスは相変わらずだな」


 彼女から距離を取られたことに少しムッとして腹を立てた表情を見せる美少年は少しバカではないだろうか。自業自得だろうに。


 それにすぐに取り繕った笑顔を見せているつもりなのだろうが、残念ながら引きつった笑顔になっていて意味がないぞ。


 だが、それもほんの僅かな時間で、その美少年の視線はすぐにまた彼女のおっぱいへと向けられている。

 しかも今度は舐めるような視線で彼女のおっぱいから下に流れてお尻周りを捉えて離さない。


 ――こいつ、俺でも分かるくらい下心丸出しになってるってこと気づいていないのか。彼女だってもう気づいているだろう……それとも王太子とはこの程度の頭なのか?


 それからしばらくの間、二人は話をしていたのだが、その会話は、ほぼ美少年からの一方通行、聞いててうんざりするような自慢話がわんさか。辛抱強く聞いている彼女はさすがだと感心する。


 だが、そんな美少年が話だけで終わるはずもなく、何かにつけて、彼女の肩や手に触れようでとしていた。


 まあ、それでも彼女の方が一枚上手のようですべて躱し上手くはぐらかしていた……


 その美少年いや王子なのだが、イケメンなのに爽やかさはなく、逆に気持ち悪さを感じさせる。

 盛りのついたバカ犬みたいで何度去勢してやろうかと気持ちを抑えるのに苦労した。まあしようとしてもここは夢の中だから無理だろうけど。


「エリザベス。僕はその時、こうしてやったんだ……」


 美少年の、マシンガントークはなおも続くが、うまくその会話が途切れる瞬間を見計らっていた彼女が、薄暗くなりつつある空を見上げる。


 そして「……日が暮れそうですね」と、うまく切り出した。


「……っ」


 会話も遮られあからさまにムッとした表情を見せる王子に臆することなく彼女は無表情で続ける。


「それでは王子殿下、わたくし迎えの馬車を待たせておりますので失礼いたしますわ」


「……そ、そうか、気をつけて帰れよ」


 毅然とした態度でそう口にした彼女の圧に引き立った笑顔で応える王子。

 彼女はこの機を逃すまいとすぐに淑女の礼をとる。

 しかしこの時王子も、礼を取っている彼女の横に回り込みむと、彼女の背中へと腕を回しドレスから露出した柔肌の背中をぽんぽん、なでなでと不躾に触った。


 一瞬だけ顔色を悪くした彼女だったが、泰然とした態度を崩さずゆっくりと踵を返し迎えの馬車へと足を出す。


 一方、その王子の方は、ようやく彼女の肌に触れられたことに興奮しているのか、気持ち悪いくらい大きく鼻の穴を膨らませ触れたその手の匂いを、くんかくんか嗅でいる。


 ――……


「すーはー、すーはー。ふはは……女の匂い。あー今すぐにでも食べてしまいたい……ねぇ、エリザベス。君は僕の婚約者だろう、お互いもっとも深く知る必要があると思うんだ……特に身体を。ふはは、そこに不一致があったら大変だと思うんだよね、僕は……」


 ――こ、こんなヤツがエリザの元婚約者だったのか。


 その時王子は小さく呟いたつもりだろうが、意外にその声は大きくしーんと静まり返った城内に広く響き渡る。


 当然迎えの馬車へと向かう彼女の耳にもしっかりと入る。


「……っ」


 先ほどまで無表情でいた彼女だったが、さすがに身の危険を感じた彼女は顔色を悪くしながらも歩む足取りを早めた。


「おまたせしてすみません。すぐに馬車を出してください」


 ようやく侯爵家の豪華な馬車にたどり着いた彼女は、素早く乗り込み御者に向かって早口で伝える。


 淑女としてはあるまじき行為だが、彼女はそれほどまでに身の危険を感じ焦りを抑えられなかったようだ。


「はい、お嬢様」


 御者の返事で、ようやく落ち着きを取り戻した彼女はゆっくりと豪奢な椅子に腰掛け、馬車がいつ動き出してもいいように姿勢を正した。


 向かう先は王都にあるローエル侯爵家の別邸らしいが、すぐに四人の護衛騎士が馬車を守るように馬を進める。

 だがその内の一人だけが馬車の行く手を遮ぎり、


「お嬢様、お待ちください」


 御者が馬を出そうにも出せずにいる。


「貴様、何をしている!」


 他の騎士がその騎士の行動を咎めるが、聞く耳を持つことなく、なおも食い下がり彼女の乗る馬車の行く手を妨げる。


「何かあったのですか?」


 一向に動かない馬車を不審に思った彼女が、馬車から顔を出す。状況を把握するためだろう。


「あなた、そこで何しているの!?」


 すぐに理解した彼女はその騎士に向かって口を開く。一刻も早くこの場から離れたい彼女の口調は先ほどよりも強めになっている。


「お嬢様っ」


 それにも拘らず、その騎士は一向に退く気配がない。ローエル家に使える騎士としてはあるまじき行為。


「いいから、早くそこを退きなさい」


 彼女の声も荒くなる。


「ですが、今からですと日が暮れて危険です。もう一度お考えください」


「どういう意味ですか。あなたは何を考えろというの。いいから早くそこを退きなさい」


「しかし……」


「聞こえないの、下がりなさい!」


 ――あの護衛騎士はなんだ……


 あの護衛騎士一人のおかしな行動のせいで、彼女の乗る馬車がずっと動けずにいる。


 さすがにおかしいと思った俺は辺りをもう一度見渡す。


 ――ん?


 すると俺の視界の隅で、今度は、先ほどの王子が近くにいる警備兵士に何やら指示を出していることに気がついた。

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