第11話

 牢馬車は今ローエル侯爵家の敷地を抜け街の中を走っているが、初めての人界。心が少し踊る。


 というのも俺は転生してから、強制的に睡眠学習の施設に放り込まれ次に悪魔大事典の中で過ごす拘束された日々を送ってきた。


 だからこうやって自由を得て活動できていることが楽しくて仕方ない。まあ今はまだ牢馬車の中で窮屈な思いをしているんだけど……


 ――またか。


 俺は飛んできた小石を魔力で弾き落とす。


 ――ただの野次馬か……


 この牢馬車は、人通りの多い通りを避けて走っているようだが、それでもローエル領の騎士に囲まれた牢馬車が街中を走れば目立たないわけがない。


 牢馬車を見た子どもたちや、教養の低い大人たちが面白さ半分で小石や物を投げてくる。


 周りにいる騎士たちも、好きに投げろと言わんばかりに牢馬車の方に指を差し物を投げる仕草までしてみせる。

 罪人に物を投げたところで、法に触れるってことはない、むしろ日頃の鬱憤や不満を吐き出させる絶好の機会だと思っているのだ。


 幸いなことにこの牢馬車は、走る車輪の音が大きく、鉄格子のある小さな窓からしか周囲が見えない。


 座っている彼女からは、あざけ笑う民の声も聞こえなければ、その姿も見えないし見られない。見えるのは小窓から見える青い空だけ。彼女はわりかし穏やかに過ごせているんじゃないだろうか。


 ――またか。


 無数に飛んでくる小石や木の枝を牢馬車に当たるギリギリ位置で弾き落とす。

 間違っても牢馬車に当てられたり、中に入れるようなヘマはしない。


 ――……ん?


 何やら彼女がお腹のあたりを押さえてもぞもぞしている。腹痛でも起こしたのだろうか? 気になり尋ねてみる。


『どうかしたのか?』


「い、いえ、なにも……」


 彼女は少し動揺しながらも何でもないと言う。でも彼女は今度はお腹のあたりを右手でギュッと押さえ始めた。


 ――? やはり腹痛なのか……


『大きいヤツでもしたいのか?』


 言いにくいのかと思い、こちらから言ってみる。悪魔になった俺だが気遣うこともちゃんと覚えているのだ。


「ち、違うわよ」


 彼女は顔を赤くして慌ててすぐに否定するが、


 くぅぅぅ……


 その拍子に彼女からお腹の鳴る音が聞こえた。


『……ほう』


 思わず、にやっとして見上げてやれば彼女は首まで真っ赤に染まっていた。


 ――ああ、そういえば、まだだったな。


 そこで彼女が朝食を摂っていなかったことを思い出す。というか摂らせてもらえなかったのだが。

 でも明後日の方向を見て、まだ誤魔化そうとしている彼女見ると、どうも悪魔心が少し疼き少しからかってみたくなった。


『おかしいな。エリザのお腹には何かいるのかね?』


「……」


 くぅぅぅ……


『おや……?』


「ぅ……な、何もいるわけないでしょう。あなたは意地悪だわ。わたくしのお腹が鳴ったのよ……」


 思ってたより早く彼女が認めてしまったので少し拍子抜けであるが、少し涙目になっているのでこれはちょっとやり過ぎた感というか、悪魔なのに悪かったかもという思い、ちょっとした後悔もあったりする。というわけで――


『からかって悪かったなエリザ。お詫びにいいものをやろう』


 彼女の様子を窺いながら所望魔法を使った。


『我は所望する』


 俺たちの目の前にナックセットが現れた。チーズ入りのハンバーガーが一つに、SサイズのフライドポテトとそれにMサイズのオレンジジュースがついたお得なセットだ。


 俺は悪魔大事典の中でもけっこう食べていたので、別に珍しくもなんともないんだが――


「え!?」


 突然のことながら彼女は目を大きく見開いて驚いたみせる。

 驚くその表情は少し子どもっぽく見えて可愛いらしいが、その視線は食欲をそそる香りを放ち続けるハンバーガーに釘付けになっていた。


「ち、ちょっとクロー! これは何。突然目の前に現れたわよ」


 彼女は少しパニックになっているのだろうか、今まで呼びもしなかった俺の名前を当然のように呼んでいる。まあ、呼ばれて悪い気はしないが。


『驚いているな。これは泣くほどうまいと有名なファーストフードのチェーン店ナクホド・ナルホドのナックセットなのだ!

 俺が魔法で出した。遠慮なく食べるがいい』


「なんだかよく分からないけどこれはクローの魔法なのね? すごいわ。匂いも……嗅いだことのない匂いですけど食欲をそそるいい匂いだわ」


『まあな。だが匂いだけじゃないぞ。もちろん味も保証する。これは口を大きく開けてかぶりついて食べるのがいいんだ。こんな風に』


 俺は口を大きく開けてかぶりつく仕草をしてみせた。っと言っても今は猫なので、彼女にうまく伝わったのか自信はない。


「え、ええ」


 素直に頷いた彼女は壊れ物に触れるかのようにゆっくりとハンバーガーに両手を伸ばし、優しく持った。


『食べてくれ』


 こくりと頷いた彼女がハンバーガーを見て口を少し開ける。


 ――ん?


 そして、彼女はそのままハンバーガーを口に――


『うわぁっとと、ちょっと待てエリザ』


 なんと彼女は包まれた紙ごとハンバーガーを食べようとしていた。


『まずはその包んである紙を、包み紙を先にはがすんだ。簡単にはがせるからやってくれ』


「えっ!? そうなの」


 不思議そうにしながらも少し恥ずかしそうな彼女が、不慣れながらも俺が教えた手順でゆっくりと包み紙をはがしていく。


「まあ……」


 包み紙をはがしたところから柔らかなパンが顔を出すと、彼女の顔にも自然と笑みが浮かんだ。


「これはパンだったのね。でもすごく柔らかくてふわふわしてる」


 当たり前だが、彼女はハンバーガーがパンであることも分かっていなかったようだ。


『ふふふ、味も保証するから思いっきり口を開けて食べてみてくれ、こうあむっとね』


「ええ分かったわ」


 そう返事をした彼女だが、そこは元貴族令嬢、開ける口はかなり小さく、その小さく開けた口がパンの端を少しだけ齧る。


『え、そんなのじゃダメだ。もっと大きく口を開けてパクッと食べるんだ。

 これは豪快に口を大きく開けて食べないとパンと中のハンバーグを一緒に食べることができない。美味しさが半減するんだぞ』


 かなり押しつる形になったが、一口目はそうやって食べて欲しい。俺がそうやって食べてきたから。同じように食べて欲しいと感じた。なんでだろう。


『こうやってな』


 俺はまた口を大きく開けて食べる真似をしてみせた。


「も、もう分かったわよ。やります。やればいいのでしょ」


 彼女は恥ずかしそうにしながらも目を閉じてから、大きく口を開けてハンバーガーにかぶりついた。

 かぶりつく際に、はむっという可愛らしい彼女の声が聞こえた。


「んん!?」


 かぶりついた彼女の瞳がゆっくりと大きく開いていく。


「おいしい! 美味しいわ、こんなの初めてよ。それにすごく柔らかい。中にお肉のような何があるのに硬くないなんて、信じられないわ」


『うむ。そうだろ、そうだろ』


 その後は、ストローを使ったオレンジジュースを飲み方や、フライドポテトを手掴みで食べることなども教えてやった。


 彼女は「こんなの侯爵家でも食べたことない」と何度も唸りながら美味しそうに食べていたが、不意に俺を見た彼女の手が止まる。


『んっ? どうした』


「あなたは食べないの?」


 彼女が不思議そうに首を傾げた。


『ああ、俺は数日食べなくても平気なんだ』


「そうなの?」


『ああ。それに今は猫だろ。持てないからな。食物(ハンバーガー)を床に置いてまで食べたいとは思わない。

 あっ、でも、エリザはちゃんと食べとけよ。いざって時に動けないと、護れるもんも護れなくなるからな』


 ――まあ、別に動けなくても俺が抱えて運ぶだけだから問題ないんだが、食べないと疲れも取れないし病気にも罹りやすくなるからな、まあ一番は元気がでないからかな。


「……そう」


 彼女は頬に手を当て何やら考え始めたかと思ったら俺を突然両手で持ち上げた。


『突然、何をするんだエリザ』


 そして彼女は、ゆっくりと綺麗な両脚を動かし、横座りから両膝を立てて牢馬車の壁に寄りかかるように座り直した。


「うん。これなら大丈夫そうね」


 そして彼女は、立てた両膝の上に俺を仰向けにして置いた。これでいいらしいが、彼女は一体何がしたいのか。


『何、何がしたい』


 でも彼女の顔が近くなった。大きなおっぱいも近い。ちょっと手を伸ばせばすぐに届く距離。これは何気に嬉しい。だがしかし、喜んでばかりじゃない。俺のお腹も彼女に丸見えになっている。


 お腹はまずい。猫の状態でお腹を触られると何故だか力が抜ける。やられてから分かった猫での弱点。


 俺が少し身を固めて少し警戒していると、彼女はハンバーガーを手に持ちそれを小さく千切る。それからその小さく千切ったパンを俺の口へと運んできた。


「ほ、ほらクローも食べなさい。これなら床に置かなくても食べれるでしょう」


 彼女が少し恥ずかしそうに言う。


『おお?』


 少し意外に思い彼女と小さく千切られたパンとをじっと見ていると、


「ほ、ほら」


 それが恥ずかしいのか彼女がズイと俺の口元にパンを差し出してくる。というか当たってる。


『なるほど。これなら食べられる』


 俺は遠慮なく彼女から差し出されたパンを口にした。


「どう?」


『うむ。うまい』


「ふふ、そう。よかったわ」


 それから彼女は次々とパンを小さく千切っては俺の口に運んでくれる。いかん、咀嚼が追いつかない。


 ぺろんと彼女の指を舐めてしばし休憩。びっくりする彼女の顔が可愛いく思える。


 ――しかし、悪魔になってから誰かと食べるって……初めて……


 ふとそんなことが頭に過り、彼女の顔をじっと見る。


「ん、何?」


 彼女が俺の視線に気づき、ハンバーガーを頬張りながらも、優しそうな目を向けてきた。


『エリザ』


「どうしたの?」


『美味いな』


「クローが出してくれたものよ」


『それでもだ』


「ふふ、変なの」


 悪魔になったけど、二人で食べると食べ慣れたハンバーガーがいつもより美味しく感じた。


 ――ああ、そうか。以前にも俺は誰かと……


 遠い記憶の中に、忘れてはいけないけど忘れてしまった記憶がある。

 その中にはモヤっとしたあの感覚の正体もあるのだろうが、どうすることもできない。


 ただ今は背中に感じる彼女の温かさを楽むべきだろう。柔らかな彼女の温かさを……

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