第10話

 部屋を出ると、メイド長が彼女の前を歩き、彼女の後ろに若いメイドの二人が一定の距離を保ちながらついてくる。

 彼女が逃げ出さないよう見張るためだろう。


 彼女も、元使用人に惨めな姿を晒したくないはずだろうに、そんな態度をおくびにも出さず凛とした姿勢で堂々と歩く。


 ただ彼女に抱かれている腕、その腕に力が入っており俺のお腹を圧迫して少し苦しい。無意識なのだろうが、それも無理もない話だ。

 すれ違うメイドたちから侮蔑の視線を無遠慮に向けられているのだから。


 でもこれがすこし年配の熟練メイドたちになると、微妙に聞こえるくらいの小声で誹謗してくるからタチが悪い。

 俺が言われているわけじゃないのに、なぜかイライラ、ムカムカ、もやもやが胸の奥を駆け巡る。


 ――あー気分が悪い……


 悪魔になった俺でもそれなりに空気は読める。まだ自重するべきだろうと。屋敷の外に出るまでの辛抱だろうと思いじっと耐えるが、屋敷がデカイだけにその時間がやけに長く感じた。


 しばらく彼女たちは歩き、やがて屋敷の顔とも言えるエントランスホールまでたどり着くが、


 ――やっと外だな……?


 そこに悪人面だが高身長でなかなかダンディーにも見える中年男が立っていた。

 どうやら、こいつがローエル家の現当主であり彼女の父親、いや元父親なのだろう。


「っ……」


 自然と彼女の歩みが止まる。それを見た男は鼻で笑うと、今度はその男の視線がメイド長に向かい顎を少しシャクる。


「「「はい、失礼いたします」」」


 すると彼女の側でじっと控えていたメイド長と若いメイドが礼をしてから持ち場へと戻っていく。


「……」

「……」


 それから数秒ほどだろうか、目を細めた男が彼女をじっと眺めたあと、興味が失せたかのように何も言わずに歩き出す。


 そして、そのすれ違いざま――


「お前には、その下賎な格好のほうが似合うようだな」


 吐き捨てるようにそう言い残してそのまま振り返ることなく屋敷の奥へと姿を消した。


 俺は警戒し念のためアンテナを張っていたのだが、正直張っていて正解だった。


 男が誰かしらに指示を出す小さな呟きを耳にしたからだ「手はず通りにやれ」と……


 ――ふむ……


 思っていたより物騒で俺は警戒レベルを一つ上げておく。


「……っ」


 一方、彼女のほうはというと、今にも泣き出しそうな顔になっていた。あれほど気丈に徹して平静を装っていた彼女が。


『エリザ、行くぞ』


 だからなのか、気づけば俺は穏やかな念話を送っていた。

 ついでにリラックスの効果がある魔法をかけてやる。でもこの行為に意味はない俺がなんとなくそうしてやりたいと思ったから。


 すると気持ちが落ち着きを取り戻した彼女は俺に分かる程度に頷き再び無表情の仮面を貼り付けて歩き始めた。


 ――――

 ――


 大きなトビラから屋敷を出ると、御者のいる馬車が屋敷の前に止まっていた。窓に鉄格子がついている犯罪者を乗せるような牢馬車だ。


 鉄格子のついた窓は左右に一つずつ、入り口は後ろのみで、その入口は狭く簡単には抜け出せないよう工夫がしてあり、さらにそのドアの取手にも鎖が巻き付けてあった。かなり厳重な牢馬車だ。


「いつまでも待たせるな。早く乗れ」


「おいなんだこいつ! 悪女のくせに、猫なんて抱いてるぜ。まだ貴族様のつもりか」


「分かってないようだが、お前はもう平民なんだぜ。騎士である俺たちよりも低い平民だ。へへへ」


「察してやりな。悪女には猫くらいしかいないんだろ。こんな悪女。誰も相手にするわけがないからな……仲間だって勘違いされちゃかなわんが、まあ、あったの相手なら引く手数多だろうよ、くくく」


「くはは、違いない。その猫もどうせ逃げ出すし、その時は、な」


「ああ、くっくっくっ。その時が楽しみだな。くははは」


「ああ、はははは」


 彼女の姿を目にした瞬間から護衛で付いてくるらしいローエル領の騎士たちの嘲笑は止まらない。


 どうも彼女には悪女という蔑称まであるらしいが、彼女がそう呼ばれて笑われる度になぜか無性に腹が立つ。胸の奥にイライラモヤモヤが激しく駆け巡る。


「どの面下げて……」

「恥さらしめ」

「よくもまあ……」


 逃げ出さないように取り囲む警護兵からも、誹謗中傷の声が矢継ぎ早に飛んでくる。


「……」


 彼女には早く馬車の中に入ってほしかったが、彼女はなかなか足を前に出そうとしなかった。いや、彼女の脚が小刻みに震えているところを見てると踏み出せなかったのだろう。


 俺を抱く腕に力が入っている俺の身体に彼女の爪が食い込む。


『大丈夫だエリザ俺がついてる。とりあえず馬車に乗るぞ』


 そんな彼女に俺はリラックス魔法を再びかけてやる。


「……そうね……ありがとう」


『気にするな』


 蚊の鳴くような声だったが彼女の意思のこもったお礼を言われる。もう大丈夫だろうが、不思議とモヤモヤと渦巻いていた俺の心もなぜか少し晴れている気がした。


 彼女がゆっくりと歩き始める。それでも騎士たちからの誹謗中傷の声が止むことはなかった。

 だが、落ち着きを取り戻した彼女の足も止まることはなかった。


 すぐに牢馬車までたどり着いた彼女は中に入るために後ろのほうに回り込む。小さなドアが開いているのでそこから入るのだろう。


「中で待ってて」


 彼女もそれは分かっているようで、開いている小さなドアから俺を先に牢馬車の中に入れてくれた。


「ちょっと狭いわね」


 そのあとに、彼女自身も狭い入り口に頭から入り、両手をついて這うように牢馬車に乗り込んでくる。がしかし――


「きゃっ、だ、誰よっ! わたくしのっ……」


 彼女の悲鳴じみた声は途中で途切れどうしたのかと警戒してみれば、


「うるせぇ悪女が。お前のでけぇ尻が引っかかってるから手伝ってやったんだろうがっ」


 その後に続く騎士の声を聞いて状況を理解した。どうやら騎士のひとりが彼女のお尻を触ってきたらしい。殺気がなかったから気づくのが遅れたしまったのだ。


「そんなの必要ないわっ」


「嘘言うな。イヤらしい尻を俺に見せつけ誘ってたんだろうが。わざとらしく尻を振り突き出してな。ぐへへ。なんだその物欲しそうな目は……いいぜ、後で楽しませてやるよ」


「くっ」


 しばらくその騎士を睨みつけていた彼女だったが何を言っても都合よく解釈され無駄だと理解したのだろう。

 片手でお尻を隠し逃げるように中に入ってきた。彼女は悔しそうに俯いている。

 逆に、ニタニタと汚らしい笑みを浮かべる騎士。その騎士は――


「お前、娼婦になれお似合いだ」


 そう言い残してドアを乱暴に閉め、それから間もなくガチャリと鍵のかかる音が聞こえた。


 ――ゆるさん。


『エリザ。俺、アイツが気に入らん』


 ――俺もまだ触っていないエリザのお尻を、勝手に触りやがって……


「わたくしも気に入らないわよあんな奴! あんな下品な奴がローエル領の騎士だなんて最低、淑女の敵だわ……ぁ、でも、もうわたくしには関係のない、ことですね」


 激しく非難して悔しそうにしていた彼女の声が尻すぼみに小さくなる。

 自分の置かれた立場を思い出したのだろう。

 でもすぐに気持ちを切り替えたらしい彼女は牢馬車の中を見渡す。彼女にもなかなか逞しい面があるようだ。


「この馬車は腰掛ける椅子もないのね」


『……そうだな』


 あるのはトイレ用の小さな桶が一つ。あれで彼女は用を足さなければならないのだ。


 ――……


 思わず俺の目の前で彼女がスカート丈を捲り上げてから座る姿を想像してしまったが、そこは割愛しとく。


 ――……


 俺がそんなことを卑猥なことを妄想しているだろうことを知らない彼女は、俺をひょいと抱き上げ小窓の鉄格子を握りながら壁際の床にペタンと腰を下ろし横座りになった。


ガタンッ


 彼女が座るのを待っていたわけではないだろうが、彼女が座るとすぐに牢馬車が動き出した。


 彼女の身体がグラッと揺らぎ、同時にガタガタッと細かな振動が伝わってくる。クッションがないから振動が直に伝わってくる。乗り心地はかなり悪い。


 牢馬車が進み始めると外では追従してくる複数の気配を感じた。


 ――十人ね。


 ローエル領の騎士たちは騎乗し牢馬車を中心とした隊列を組み並走するらしい。


 それでも、他人からの目が無くなったことで彼女に笑顔が少し戻った。


「ひどく揺れますわね」


『そうだな』


 ハッキリ言って牢馬車の乗り心地は最悪なのだが俺は彼女に抱かれているので関係ない。

 ただただ背中に感じるエリザのおっぱいが柔らかいだけ。


 ――しかーし!


 それでも今は、先ほどのことが頭からずっと離れない。あのエリザのお尻を触ったあの騎士のことだ。


 ――あーモヤモヤして気分が悪い……奴か……奴だろう。間違いなく奴のせいだ。


 そこでふと思い出す。よく考えたら俺はエリザの護衛なのだと。その護衛対象に手を出したのだ義は我にあると。


『エリザ、決めたぞっ』


「きゅ、急にどうしたの、驚くじゃない」


 俺が突然念話を送ったことに彼女がびっくりしているが、そこは気にしない。


 悪魔は意味もなく人族に手を出すとペナルティーを受ける場合がある(睡眠学習による知識から)。

 人族に腹が立ったから報復でも大丈夫かもしれないが、召喚されたばかりでその辺りの塩梅がまだよくわかっていない俺。


 でも契約した護衛対象に手を出されたのだから報復をする。これは十分な事由でなかろうか。きっとそうに違いない。


『俺はエリザの護衛だ。そして奴はその護衛対象のエリザに手を出した。

 よって奴は俺の魔法の餌食になってもらう。まあ報復するんだよ』


「ち、ちょっと! 報復って急に何訳のわからないことを言いだすのよ」


『何って、エリザは分からないのか? さっきの奴はエリザに手を出してきただろ? 俺もまだ触っていないエリザの柔らかそうなお尻にだ。

 そして俺はエリザの護衛だから代わりにやり返してやるんだよ。誰にも邪魔はさせない』


「そ、その気持ちはうれしいわ。でもそんなことでローエル領の騎士を殺したらわたくしに変な疑いがかけられるじゃない」


『……そうか。そういう危険性もあるな。ふむ。いや、なぁにそれでも大丈夫だ。殺しはしない。だが、許しもしない。こんな時に便利な悪魔法を使う』


「悪魔法? って何よ」


『簡単にいうと、人族のみに悪影響を与える嫌がらせの魔法だ。さーて何を与えてやるかな……』


「悪影響って、そんなダメじゃないの?」


『よしっ、決めた! 奴にはこれだ! 悪魔法展開』


 俺は悪魔法に黒く悪い因果を込める。


そう〈奴は一時間後に、激しい腹痛に襲われる。物凄くう◯こがしたくなる痛さ。激痛だ……そうこれは止まることなく数日はつづくだろう〉こんな感じだ。


「ね、ねぇ。ちょっとやめなさい。わたくしのお尻くらいあなたにも触らせてあげるから。ねぇ聞いてるの?」


『ふははは、激しく振動する馬上で悶え苦しむがいいぃ悪因っ!』


 俺の右手が軽く光り、そこからすごい速さの光が飛んで行く。そしてその光が対象の騎士の頭に当たるとスーッと侵入するかのように消えていく。


『これでオッケーだ』


「オッケーってあなた。終わったの」


 心配して立ち上がった彼女は光が向かった先の騎士を眺めている。


 しばらく騎士の様子を見て何事もないと判断した彼女は不思議そうな顔してからまたゆっくりと座り直す。


「勝手に訳の分からない魔法を使うから心配したじゃない。あの騎士も変なことになってないようだからいいけど」


『だから心配ないって言ったろ。まあ、次はないがな』


「もう」


『しかし、アイツどんな顔をするだろうか、想像するだけで笑みが溢れるくくく』


「もう、またそこで悪そうな顔しないで。可愛らしい猫なのに心配になるじゃない」


『そこは悪魔だから。諦めてくれ』


 そう言ってから彼女のおっぱい寄りかかりる。


 ぽよーん。


『エリザのおっぱいは最高だな。ところでエリザ。なんかさっきお尻も触っていいって言ってよな?』


「ふぇ。な、なんのことですの」


 彼女が明後日の方向に顔を向ける。


『ほう』


「……」


『……』


「……ぅ」


『……』


「……ぅぅ」


 俺が無言で彼女の顔をじーっと眺めていると、いたたまれなくなった彼女がとうとう観念する。彼女の根の部分はすごく真面目なのだろう。


「わ、分かりました。でも一度だけです」


 観念した彼女は背けたままの顔を真っ赤にした。


『うむ。よろしい』


「っ、あなたって本当、いやらしいんだから」


『悪魔だからな。そこは諦めてくれ』


「もう」


 口ではそう言うが、彼女の表情はどこか楽しそう見えた。まあそれは、俺がそう都合よく捉えているからだろうけど。


 でも、いつの間にか俺の胸の中に渦を巻いていたモヤモヤはスッキリと消えていた。

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