第6話

 ふかふかして気持ちいい。ぽかぽかしてあたたかい。


 気づけば俺はまったく知らない広い敷地を見下ろしていた。


 その敷地には幾つもの風格のある屋敷が建っている。特に中央にある屋敷がすごい。豪奢に装飾されまるで宮殿のようだ。


 ――ん?


 俺はその中でも一際小さく古びた感じのする小屋の前で、笑いながら駆けている幼女を見つけた。


「お嬢様お待ちください」


 五歳くらいだろうか? 可愛らしいワンピースを着ている。その幼女が、声のほう、小さな小屋から出てきた女性に向かって駆けていく。


 ――親子か?


 髪の色、醸し出す雰囲気、そして、その女性が幼女へと向ける温かい眼差しからそう判断したのだが――


「マリン。遅い~」


「お嬢様、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」


 ――お嬢様?


 どうも違うようだ。二人はそれから手を繋ぎ楽しそうに歩き出す。向かう先は大きな屋敷とは反対、裏手の方だった。


 ――おお、身体が……


 するとどうしたことか。俺の身体も幼女に引っ張られついていく。


 ――どういうことだ?


 状況を理解しようと、周囲を見渡し、自分の身体をも確認してみる……


 ――あれ、なんで?


 俺はなぜか猫の姿だった。俺は猫の姿のまま幼女の少し上空を漂い、幼女が歩くと幼女から伸びた不思議な細い糸が俺の身体を引っ張っていく。


 ――……ぷっ、なんだこれ俺風船かよ。


 なんだか分からない状況だが、気分はふわふわとしていて気持ちがいいので、このまま成り行きにまかせて可愛らしい幼女を眺めていることにした。


 ――あの幼女は間違いなく将来美人になるだろうな……っと、おお、これはけしからんぞ。


 そして、幼女を眺めていて気づく。幼女の隣を歩くマリンと呼ばれた女性は十代後半か二十代前半に見えるが、スタイルが良く歩くたびに豊満なおっぱいをたゆんたゆんとリズミカルに揺らしている。


 しかも、俺は上空から眺めているので彼女の谷間がバッチリ見える。


 ――眼福だな。


 たゆん。

 たゆん。


 素晴らしい。ふわふわと気持ちがよく眺めまで最高。俺はテレビを観るかのように寛ぎモードで彼女らを眺めていた。


 ――しかしこの女、よく見ればエリザによく似てないか……?


 そう、その幼女の手を引く彼女は、まるで、先ほどまでやり取りしていたエリザの姿によく似ていた。もちろんすっぴん姿の方だ。


 ――ふむ。


 気になった俺の視線は彼女に釘付けだ。だが、今の俺の身体は上空を漂うだけで、どうにも身体に力が入らない。


 たゆん。

 たゆん。


 ――まあ……しばらく眺めているとしよう。


 特別危機的な状況でもないわけだし俺は眺めのいい、この状況をしばらく楽しむことにした。


「今日はお外でお買いもの、楽しみだねマリン」


「ふふ、そうですね」


 幼女は彼女の手を握ったまま楽しそうにスキップしている。


 なんとなく楽しそうな二人を眺めていると、二人は使用人が出入りする勝手口のような小さなトビラから外へ出ていこうとしている。


 成人一人が腰を少し屈めてやっと通り抜けられるような本当に小さなトビラだが、さすがに立派な屋敷だけあって、造りはしっかりとした重厚感が漂っていた。


 まあ、その隣には馬車一台が通れる大きな門があるんだけど、たぶんここが裏口だとすれば、身元のしっかりした業者用の出入口になるのだろうけど……


 ただ、違和感というのか上空から眺めていて俺には疑問が募っていた。


 それはメイドや庭師などの使用人たちから向けられる眼差しが好意的なものに感じられなかったことだ。


 ――幼女は、この屋敷の娘じゃないのか?


 ふとそんな疑問も思い浮かぶが、エリザに似た彼女はお嬢様だと呼んでいるのだから、しかし勝手口に立つ門番の二人は酷い。


 身分的には下級騎士か兵士っぽい。軽装姿の二人は彼女たちを睨みつけ右手の槍先を向けている。


「おい、誰がそいつを……」


「お嬢様の外出許可はあります。開けていただけますか?」


「ちっ、うまいこと取り入りやがって」


「ほんと、女はいいよな、っと動くなよ。不審なところがないが俺たちは確認しなければならないのだから、くくく」


「ふへへ、そうだな」


「っ」


 エリザ似の彼女マリンが毅然とした態度で返せば、それを嫌味ったらしくへらへら顔で返せば、確認と称してマリンと呼ばれた彼女の身体を舐めるようにじっくり眺めはじめた。特におっぱい。


 ――あー、なんだこいつらムカつく。


「……ふへへ、行ってよし。感謝しろよ」


「くくく」


 そして、にたにたとイラつく顔を見せながらゆっくりと小さなトビラを開けた。


 彼女もそんな扱いに慣れているのだろう。そんなやり取りでも特に気にした様子はみられず、その視線を騎士のほうではなく、可愛らしい幼女のほうへと向けている。


「さあ、お嬢様行きましょう」


「はい」


 嬉しそうに笑顔を向ける幼女を前にして、彼女は幼女の両肩にそっと両手を添えると、少し前屈みになった。

 そして、幼女の歩幅に合わせてゆっくりと一緒に通り抜けて行くのだが、彼女が不自然に身体をびくりと震わせた。


「っ!?」


「? どうしたのマリン?」


「な、なんでもございません。さあ、行きましょう」


「うんっ」


 彼女は幼女の元気な声に笑顔で答えてみせていたが、俺はちゃんと見ていた。


「ぐへへ、門限は守れよ」


「そうそう守れよ。くっくっくっ」


 こともあろうにその騎士たち、それぞれ両脇から彼女のおっぱいとお尻をもみもみと触っていたのだ。悔しそうにする彼女の顔も確認した。


 それは彼女たちがトビラを抜けるまでずっと俺はたしかに見た。


 俺のぽかぽかしていい気分だったものが、一瞬にして不愉快なものへと変わった。


 ――気に入らんっ。あいつら気に入らん!


 エリザ似で俺がお気に入って眺めていただけに余計に腹が立つ。


 ――あのおっぱいは俺のだ……


 俺がそう思う間にも幼女と彼女はトビラから離れていく。俺の身体もそれに引っ張られている。


 だが、俺はどうしてその騎士たちを許せなかった。


 ――ぬおおぉぉぉ。


 だから俺は必死に抵抗した。


 幼女に引き寄せられ力が強く、まるで流れている川を逆らって泳いている感覚、しかも身体は鉛のように重い。だが動けないことはない。


 ――俺をぉ、舐めるなぉぉぉっ!


 俺はマッハの勢いで猫かきをして宙を泳ぎ、騎士たちの頭のちょうど真上までUターン。


 ――ふぅ、ふぅ……来たぜ。来てやったぜ。はぁ、はぁ、はぁ……


「いや、あいつのおっぱい最高だな」


「尻もいい。むっちりしてて最高だぜ」


「ぐへへ、帰ってきたら、もっと激しく触ってやろうか、胸元から手を突っ込んで直に触っもいいな……へは」


「ふへへ、じゃあ俺もそうしてやるか、へへ」


「「ぐへへ」」


 ――……


 近づいた拍子に騎士たちのロクでもない会話が聞こえる。俺は余計に腹が立った。


 ――許すまじ、もう手加減は無用だな。


 もっと激しく触ってやろうと汚らしい笑みを浮かべて話す騎士たちの頭に、俺は鋭く尖った爪を突き刺した。


 スカッ。


 ――何!?


 しかし予想外に俺の必殺猫クローがすり抜けた。


 スカッ、スカッ。


 何度やっても結果は同じだった。


 ――くっ、これは、やっぱり夢……ここはエリザの夢の中なのだな。


 そうではないかと薄々感づいていた。だが認めたくなかった。ここに俺は存在しない。だから奴らに認識もされない干渉もできないのだ。


「ああ、ムラムラするわ」


「待ちきれねぇな」


 騎士たちが今度は自分の片手の匂いを嗅ぎ始めた。その手は彼女に触れたほうの手だった。


「あの女は問題が起こせないから毎日、触り放題ってのがいい」


「あーバレなきゃいいのさ。おの女も言わねぇしな。でも俺としては何か問題でも起こして、追い出されてくれたほうがいいんだがよ。それだと最後まで楽しめるしな。ぐへへ」


「違いねぇ」


 騎士たちは好き勝手、言いたい放題。俺の怒りも限界だった。


 ――ぐぬぬっ。


 だが身体が引っ張られ抵抗するのもそろそろ限界に近い。


 ――くそ、何か、何かできないのか、あいつらに!


 このまま俺のおっぱいに触ったムカつく騎士たちに何もできず終わるなど悪魔である俺のポリシーが許さない。


 たとえこれがエリザの夢の中だと分かっていたとしても、許せない。


『我は……』


 俺はダメもとで魔法を使う。俺の固有魔法を。これで無理なら、今の俺では打つ手がない。だから俺はいつも以上に気合を入れた。


『所望するぅ!』


 ――ハゲろっ!


 だいぶ気合を入れた。するとどうだ騎士たちの頭が僅かに光り変化が起きる。


 はらっ。

 はらっ。


 ――おっ。おおっ! 


「お、おい、お前の頭、突然……くははは」


「お前何笑って、ぷっ、お前こそ、人の心配している場合か、その頭……げはは」


 ――あれ?


 だが、残念なことにその発動効果はすぐに切れてしまった。


 ――くそ、魔法が切れたか。やはり、夢の中じゃ効果が……ん? あれ、いや、これは、これで、こっちのほうが嫌かも……ふむ。


 中途半端に効いた俺の所望魔法によって騎士たちの頭は、つるつるではなく、哀愁感漂う禿げ散らかした残念な頭になってしまった。


 その変貌ぶりは凄まじく、二十代半ばに見えていた騎士たちの実年齢は五十代だったのでは、と疑ってしまうほど劇的に変貌していた……


 ――俺は寛大だ。今回はこれで勘弁してやるが、騎士ヘルムを被り蒸れたその時はさぞ素晴らしいことになるだろう。くくく……


 俺は少なくなった髪がぺたんと張り付いて残念な頭を晒す騎士たちを思い浮かべてひとり笑みを浮かべた。


「さて、エリザたちはどこまで行ったかな……」


 俺が気を許し抵抗をやめたところで――


 ――おわわわぁ。


 俺の身体は、一瞬にして幼女の元に引っ張られる感覚に襲われた。

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