第2話

 光に包まれた俺は魔法陣の上に立っていた。


 目の前に悪魔大事典を片手に持った若い女性が顔面蒼白でへたり込んだまま俺を見上げている。


 ――ぉ、女! あぁ、なんかいい香りがする。って違うっ。女が俺を見てる。ヤバイ、久しぶりで手に汗が、背中にも……

 ど、どうする俺……悪魔になって会話なんてしたことねぇ、でも、何か、何か言わねば……


「ぉ、おおお俺を、よ、呼び出した者は……お前か」


 ――ぐあぁぁっ、どもったぁぁっ。


「あなたが……悪魔なの……」


 若い女性は慌てて立ち上がったかと思うと、大きく胸を張って姿勢を正したかと思うと、先ほどの怯えを含んでいるように見えた表情が、俺の見間違いだったのかと錯覚してしまうほど、その表情が勝気なものへと変わっている。


 胸をそらし腰に両手をあてているから余計にそう感じるのだろうか。


「ふーん……」


 その女が俺を見上げながらも、頭の天辺から足の爪先まで食い入るように見ている。品定めでもしているかのように……


 俺は不快感を抱い……ん? 冒頭と少し違う? そ、そうか? ただちょっと心の声が漏れただけだろで、それより……


 なんか悪魔を呼び出したにしては、態度デカくない? 舐められてる? 


 ――ならば……見るがいい。


「ふん」


 女の不躾な視線に、負けずと俺は慌てて腕を組み仁王立ちの格好をして胸を張る。


 その際、少し浮いて、より悪魔っぽく見せつけることを忘れてはいけない。ついでに翼なんか広げて見よう。


 ――ふははは、どうだ。これで少しは威厳ある悪魔っぽく、見、え……ぁ!?


 そこでハタと気づく。今、自分が身につけている服装を……高まりつつあった俺のテンションは一気に急降下した。


 ――俺ジャージ……しかもダサいやつ。ダサいけど気に入ってたんだよ……

 はぁ、こんな悪魔いるのか、考えるまでもない、いないだろう。……いや、まてよ。逆に斬新だと驚いてくれてたりは……


 一応、悪魔らしく高い位置から女を見下ろしてみれば、女は黙ったまま、ただ訝しげな視線を向けている。


 ――だよな〜。そうなるよね。本当に悪魔か? って疑いたくもなるよね。なんかもう、威厳もへったくれもないわ……帰りたい。帰りたい、よ?


「ぁ悪魔、なんでしょう?」


 そこで俺は、訝しそうに視線を向けている女が、小刻みに震えていることに気がついた。


 ――ほう……俺が恐ろしい、のかな? ふふ……悪魔になったからかな? なんか嬉しいぞ。それならもう少し頑張ってみるか……


「あー、見てのとお……こほん。いかにも俺は悪魔だ。悪魔ナンバー960……じゃなくて、悪魔の……く、ろ、ぉ? くろー。そう俺は悪魔クローだ。そう呼ぶがいい」


 悪魔になった俺には名前なんてなかったが、でも悪魔ナンバーを名乗るよりマシだと思った。


「ウソ……わたくし、ほんとに悪魔を呼び出したのね。ふーん……そう、それならいいのよ」


 女はしばらく考える素振りを見せたが、すぐに納得したのかすぐに俺へと視線を向けてきた。


 ――むっ、こいつ……さてはもう願いを言う気だな。


「悪魔クロー様。では早速わたくしのお願いを……」


「女よ。よく考えろ。今ならまだ引き返せるぞ。俺はこう見えて寛大だ、なかったことにしてやろう? ……するよな? そうしろ、な」


 俺への挨拶もなく早く願いをと、急かす女に俺はあえて声を重ねた。


 だって面倒だろ。俺は無かったことにして、もう事典に帰りたい。

 少しは俺を恐れているかと思って頑張ってはみたけど、どうやら俺の勘違いのようだ。小刻みに震えていた女はどこにもなく……


「どうしてよ!」


 今は、甲高い声を張り上げ、すごい形相で睨みつけてくる始末だ。


 それに悪魔様と呼ばれてはいるが、どうもまだ疑っている見ているし、人にものを頼むにしては高圧的というか、態度がでかすぎる。そんな奴の願いなんて叶えてやる気にもならん。


「どうして……嫌よ。あなたはわたくしの願いを叶えてくれるのでしょう? そのために、わたくしはあなたを呼び出したのよ!」


 ――はぁ、ほら。今も睨んだままで、願いを叶えろって命令口調だし、もしかしなくても俺を舐めてる? 俺、こんな格好だけど……本物の悪魔なんだぜ。


「……ほう。それはつまり悪魔の俺と契約を交わすということか?」


「……そ、そうよ。何か文句でもあるのっ」


 少しは怯むかと思って女に向かって少し睨みつけてやったが、女は怯むどころかムッと不機嫌な表情を隠そうともせず俺に鋭い視線を返してきた。


 ――むむ。この女……気が強すぎない? 見た目は若い女であれだけど、態度がムカつく。


 女の態度は威圧的でいて人にお願いする態度じゃなかった。


 ――第一、目をこれでもかってほどつり上げて、そこまで怒りを露わにする?


「ちょっと、なんとか言いなさいよっ!」


 ――はぁ、仕方がない。これは……あとでクレームをつけてきそうな案件か。

 あー嫌だな。もう一回だけ確認して、それから……あ、そうだデメリットなんかを大きく伝えてみようか、リスク確認は大事だし。それでもいいってなら……仕方ない、その時は諦めるか。


「いいのか。悪魔の俺との契約には、それ相応の対価がいる。ちゃんと理解して望んでいるのか?」


「っ!」


 女は少し戸惑いを見せたが、すぐに腕を組み俺の方を睨みつけている。後には引けないって意思の強さを感じる。


 ――引き下がりそうにない、か。まあいい、まずは対価を決めとこう……、……


 そうは思ったものの、何も思いつかない。


 ――やばい……考えていなかったから全く思いつかん。他の悪魔ってこんな時……って分かるわけないか。あーほんと何にしよう。ああ面倒。ほんと契約やめてくれないかな……


「……も、もちろんよっ、対価だってなんだって払ってやるわよっ」


「……そうか」


 ――はぁ、どうせなら。俺はもっと願いを叶えてくれてありがとうって涙を流しながら俺を敬うタイプがよかったんだが……


「わたくしはあいつらに復讐さえできればいいのよ。そうよ。わたくしはどうなっても構わないものっ! あいつらさえ」


 ――ん? おかしいな。今、少し戸惑いの色が見えた気がしたけど……気のせい、か。しかし復讐だったとはね……


 嫌なことでも思い出したのか、急に女は感情を昂らせ顔を真っ赤に染めた。

 細めた目がさらに鋭さを増す。そんな目で俺を睨むな、八つ当たりはやめてほしい。


「……しかし、復讐か」


「そうよ! 何、文句でもあるのかしら。まさか悪魔のあなたが復讐だったらダメだなんて言わないわよね? 悪魔のあ、な、た、がっ!」


 女が、左手を腰に置き右手人差し指を俺に向けてくる。


 ――くぅぅ、何て生意気な女なんだ。だが、ここは我慢だ。腹が立っても、立てちゃダメだ。落ち着け俺……ふぅ、はあふぅ…… 悪魔ならば相手の心を乱すことはあっても、その逆はダメだ。これ悪魔の基本……ふぅ、ふぅ。


「……ふん。その傲慢な態度は気に入らんが、復讐など俺ならば容易なことだ」


「そう、それならいいのよ。それじゃあ早速わたくしの願いを叶えなさい……わたくしの願いはもう決まっているのだから、それは……」


「待て! 女」


 すぐにでも願いを口にしようとする女の言葉を無理矢理遮る。


「な、なによ!」


 ――よく噛みついてくる女だ。まあいい……止めたのは俺だもんな。


「先にこちらの対価を提示しないといけない」


 というのはウソだ。願いを聞いてから別に後から提示したとしても問題ない。ただ、先ほどの戸惑いが少し気になった。だから先にこちらが対価を提示すれば、なにかしらの反応が見れるとも思った。


「……!?」


 俺の言葉にハッとして少し強張った表情を浮かべた女の様子から、どうやら、女は対価のことを完全に頭にからなくなっていたようだ。

 ――いや違うな。


 ただ復讐に囚われ我を忘れていただけだろう。


 だが、それでいい。こちらもだんだんと冷静さを取り戻す時間ができた。これで女のことも客観的にも見れるはずだ。


 突然の召喚に、不意をつかれた俺。間抜けにも悪魔らしからぬジャージ姿を晒し、そのまま悪魔人生で初の会話となった。

 それが若い女だから尚のこと。一時は、威厳ある悪魔に、早い話がよく見られようと気遣い焦り取り繕おうとしたが、なんかどうでもよく思えてきた。


 ――バカだよな俺は。悪魔だから第一印象なんて、気にしてもしょうがないのにさ……


 落ち着き冷静になると狭くなり顔しか捉えていなかった視野も広がる。生意気な女の風貌までもよく見えてくる。


 ――さてと……


 見た目、貴族と思える女は、たて巻きロールで金色の艶のある髪をしている。

 金色の瞳がきつく吊り上がり、高圧的で人を見下しているように感じられる。


 歳は十代後半くらいだろうか若い。金髪ロールと派手な化粧がなんか悪役令嬢っぽく見えるが、化粧をしててもシャープな輪郭に、すっと通った鼻筋、少し厚めの下唇、悔しいが、化粧を落とせばかなりの美人さんなのだろう。

 そして何よりも驚いたのは、この女……


 ――けしからん!


 おっぱいがでかい。くびれた細い腰が、なおさらそう見せてくれるのかも知れないが、ものすごくスタイルが良かった。


 それでいて身につけている派手なドレスは胸元が大きく開いていて、女が身じろぎするたびに大きなおっぱいがぽろりと溢れそうになっている。


 ――け、けしからんな!


 俺はすぐに大きなおっぱいに釘付けになり、思わず生唾を飲み込んだ。


「な、何よ。わたくしの胸ばかり見て、あなたいやらしいわね」


 女が胸を隠そうと押さえているが大きいので隠れていない。しかも、その行為がまたボリュームを主張させることになっている。


 ――む、バレた……お? そうだいいこと思いついた。


「ふん! 俺は悪魔だ。お前がいやらしい身体をしてるから悪いんだぞ」


 俺は少し大げさに女の頭の天辺から足の爪先までをじっくりたっぷり見た後、最後におっぱいを凝視したが、やはりデカイ。


「ぃ!?」


 女はさらに自身の身体を抱きしめてから一歩後ずさりしたのだが、身体を抱きしめた両腕に押し上げられたおっぱいが、今にも溢れ出そうと主張している。


 ――やはりけしからんな……ん、あれ、少し先っぽが……お、おお……むふふ。


 思わぬ眼福にありつけ少し得した気分になった俺はいいことを思いついた。


「……ふ、ふむ、そうだな……お前との契約はそのいやらしい身体を俺に捧げてもらおうか。くくく、たっぷり可愛がってやるぞ、さて、どうする?」


 ――ふはははっ、嫌だろう。ジャージ姿の悪魔に身体を捧げるのは。

 これなら世間知らずの生意気な女でも諦めもつくだろう。ふははは……ハハハ。帰りたい……


 思った以上に俺にもダメージが返ってきてしまった。少しへこみそうになるが、ここで手を休めるわけにはいかない。


「ほら、返事は」


 俺はここで少し脅すつもりで不敵な笑みを浮かべて口角を上げふ。そう、目指すはニヒルな感じの悪魔だ。


「ふへっ」


 あれ、にょってしまった。


「ひぃ!?」


 でも女を見れば、俺が恐ろしくなったのだろう。顔色を悪くして肩を震わせまった。結果オーライだ。


「できないなら諦めろ」


「……」


 ――これは決まりだな。契約は失敗。やっと帰れるわ。


 俺がそう思い気を緩めたのがよくなかったのか、あれほど顔色を悪くしていた女の腕が突然だらんと下がり、おっぱいがたわむ。眼福だ。予想外のおっぱいの揺れ。俺はなんだか得した気分になったのだが……


 ――おお……?


 一方の、その女は口を真一文字に結び俯いた。


 ――あれ……? ちょっとばかり言いすぎたか? なんか悪かったな……


 でも女が俯いていたのは、ほんの数秒ほどだろうか。


「……いいわ」


 ――ええ!? って、涙……


 再び女が顔を上げた時には、その瞳には涙が浮かんでいたが、女はそのまま口を開く。


「それでいい。どうせ、わたくしは王太子殿下に婚約破棄をされ国外追放となった身だもの。

 明日には、この屋敷からもローエル家からも縁を切られて平民になるわ。いえ、住むところも財産も住む宛もないのだから平民以下ね。

 貴族の女としての務めも果たせないわたくしに、いつまでも貞操を守っていたところで意味がないの……」


 女は涙を指で払うと、自嘲的な笑みを浮かべて俺を見返してきた。

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