小説のヒロインにはなれない

中田カナ

第1話

「大変申し訳ないが私には忘れられない人がいる。故に貴女を愛することは出来ない」

 家同士の話し合いで結婚が決まって初めて2人きりで会った時、真っ先に告げられた言葉はほんのわずかな期待も粉々に打ち壊すものだった。

 でも、これは最初からわかっていたこと。だから割り切らなければ。

「失礼ながら貴方様の事情は存じ上げております。結婚いたしましたら、この家の女主人としての役割は務めさせていただきますが、私のことは使用人が1人増えたとでも思ってくださいませ」

 私はそう言って深々とお辞儀をした。



 結婚式も挙げず、私達は書類のみで夫婦となった。

 ウェディングドレスに憧れた時期もあったが、適齢期を少し過ぎていた私はもはやあきらめの境地に至っていたし、愛してもくれない相手では着ることが出来たとしても嬉しくはなかっただろう。

 寝室も別で、大変忙しい旦那様は顔を合わせることすらほとんどない存在となり、うっかりしていると顔も忘れそうだ。

 だが、幸いなことに使用人達はみんな私に同情的で、とても親切にしてくれる。

 旦那様が私の夫となり得ないのならば、私にとっての家族はこの使用人達なのだから大切にしようと心に誓った。



 3年前、旦那様の最愛の女性は馬車の事故で突然この世を去った。

 2人の仲は双方の親に反対されたけれど、何とか説き伏せて結婚式の準備に着手する矢先のことだったと聞いている。

 悲しみに沈む旦那様は周囲に勧められた見合いをことごとく断っていたけれど、もう3年も経つのだからと旦那様の両親が半ば強引に私との結婚を決めた。

 侯爵家の次男で学院の首席卒業という優秀さで、あっという間に宰相補佐の地位にまで上り詰めた旦那様は、実家の支援がなくても十分にやっていけるし、跡取りも無理に必要ではない。

 だから私もこの結婚には何も期待していない。してはいけない。



 新しい生活にも慣れた頃、私はしばらく中断していた趣味を再開することにした。

 子供の頃、病弱だった私は空想の世界が遊び場だった。

 文字を覚え、本を読むようになると、その世界はさらに広まった。

 そして私自身の空想の世界を物語として綴るようになった。

 子供の頃は妖精やドラゴンが登場するわくわくするようなお話。

 少し大きくなったら砂糖菓子のように甘い恋の物語。

 歴史小説にハマッた時期には女騎士の復讐譚。

 友人達の婚約や結婚が決まり始めれば少しだけ背伸びした大人の愛の物語。

 幸い、今は時間だけはたっぷりある。

 書きかけだったものもあるし、アイデアだけをメモしてまだ物語になっていないものも山ほどある。

 誰かに見られたら恥ずかしくて全力で逃げ出したくなるような黒歴史ではあるけれど、これも私自身の一部分なのだ。



 ところが、恥ずかしくて逃げ出したくなるような事態は思いのほか早く到来した。

 お茶を飲みながら過去に物語を綴ったノートを読み返していたのだが、うっかり開きっぱなしでサロンに置き忘れてしまったのである。

「奥様、大変申し訳ございませんでした!」

 ノートを私の部屋まで持ってきたメイドが深々と頭を下げる。

「忘れ物を持ってきてくれただけなのに、なぜ謝るのかしら?」

 嫌な予感というのは得てして当たるものである。

「その…ノートの中身を少し読んでしまいました」

 穴があったら入りたいけれど、その穴を掘るだけの体力が私にはない。

「奥様、無理を承知でお願いがございます。続きが気になってしかたがないので、どうかこのノートをお貸しいただけませんでしょうか?」

 予想外のお願いである。

「…おもしろかったの?」

「はいっ!」

 恥ずかしさの方が圧勝状態なのだが、メイドの彼女のあまりに真剣なまなざしに私は負けた。

「…わかったわ。でも必ず返してね」

「ありがとうございます!」

 あまりに想定外の事態に、メイドの彼女に「他の人には見せるな」と言い忘れていたことを後悔することになるとは、この時の私は気づいていなかった。



 翌日、現れたメイドの彼女の目が真っ赤でびっくりした。

「ど、どうしたの?大丈夫?」

「奥様、ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません。昨夜仕事を終えてから奥様のノートを何度も読み返しておりまして、そのたびに最後の場面で泣いてしまっていたのです」

 あのノートは度重なるすれ違いの末に結ばれる恋愛のお話だった。

「メイド仲間にも聞かれまして、ノートのことを話してしまいました。みんな読みたいと言っているので、申し訳ないのですがノートをお返しするのはもう少し先でもよろしいでしょうか?」

 本当は恥ずかしくて今すぐ奪い返したいところなのだが、そこまでの反応が予想外でついうっかり許してしまった。

「…わかったわ、でも必ず返してね。ところで、貴女は本を読むのが好きなのかしら?」

「はい、本は高価なのでなかなか買えませんが、みんな図書館や貸し本屋をよく利用しておりますよ」

 私はその時に思い付いたことを実行に移すことにした。



 旦那様とは顔を合わせる機会もないので、執事を通じて許可を得て空き部屋だった一室を図書室に変えた。

 実家から持ち込んだ大量の本は使用人の誰でも読んでよいことにした。

 物置に眠っていた古いソファーも持ち込んでその場でも読めるようにしたし、貸し出しも認めた。

 管理のために貸出日と名前と本の題名を記入するノートを設置したら、いつしか感想も書かれるようになった。

「奥様、先日教えていただいた本、とてもおもしろかったです!」

 私はジャンルを問わずに読むタイプだったので、歴史ものや戦記ものも数多くあり、男性の使用人達にも好評のようだ。


 そしてメイド達からの強い要望で、部屋の片隅には私の綴ったノートも置いた。

 もちろんいまだに恥ずかしさはあるのだけれど、誰かが私の物語を読んでくれて反応があるという喜びの方が勝ってしまったのだ。

 中には予想外の感想もあったりして、そういう見方もあったのかと気づかされることもある。

 時々、新たなノートも追加される。次は何を書こうかと考えるのもまた楽しい。



 そんなある日、見知らぬ女性が屋敷を訪れた。

 メイド長の従姉だというキリッとした佇まいの女性は、新興の出版社に勤務しており、これからは女性向けと子供向けに力を入れたいそうで、私の書いたものを本にしたいのだという。

 いつのまに外部の人にまで読まれていたのかと驚くとともに、自分の綴った物語が本になるかもしれないとう信じられない事態にとまどっていた。

「私はとてもおもしろいと思いました。そしてたくさんの人に読んで欲しいと強く感じたのです。ですからまずは試しに1冊出してみませんか?」

 結局、押し切られた。どうやら私は押しに弱いらしい。



 それから3年後。

 私が綴った物語たちは本になって世の中に出回るようになった。

 ジャンルもさまざまだったため、出版社の意向でジャンルごとにペンネームを変えている。新興の出版社としては作家を多く抱えているように見せたいらしい。

 架空の戦記ものや冒険譚にいたっては男性名だ。

 出版社に届くたくさんの感想の手紙が私の新たな原動力になっている。

 主に午前中は屋敷の女主人としての仕事をこなし、午後と夜は自室で物語を綴る。

 出来上がれば、まず最初にこの屋敷の使用人達に読んでもらう。

「奥様、新作読ませていただきました。それで、ちょっと気になったんですが…」

 その感想を踏まえて修正を加えたりして出版社に渡すのだ。


 3年の間に新たな変化もあった。

 旦那様は少しは心の整理がついたのか、休みの日には時々サロンで一緒にお茶を飲むようになった。

 それなりに話もするけれど、当たり障りのない世間話程度で夫婦というより同居人といった方が正しいだろう。

 そして旦那様は私が本を出していることを知らない。私が使用人達に堅く口止めしているためだ。

 私は今のこの環境が気に入っているので、できることなら追い出されたくはない。

 でも、いつかは自分で出て行くことも密かに考えている。

 このまま順調であれば経済的に自立できそうというのもあるが、いつか旦那様に好きな女性ができるかもしれないから。



 結婚から5年。

 私の出した本はその後も増え続けている。

 旦那様はあいかわらず多忙だけれど、家で食事を共にすることも増えた。

 同居人から家族くらいには昇格できたのかもしれない。

 あいかわらず夫婦にはなれそうにもないけれど。



「貴女は読書好きのようだけれど、この本は読んだことがあるかな?」

 ある日、職場である王宮から帰ってきた旦那様が見せたのは、私が書いた本だった。

「王宮の女官が絶賛していてね、女性向けのようだったけど読んでみたんだ」

 それは亡くした恋人を忘れられない男性に嫁いだ女性の物語。

 男性は紆余曲折の末に妻の献身と真摯な想いに気づいて2人は結ばれる。

 せめて物語の中だけはハッピーエンドにしたかったから。


「まるで自分のことのように思えてね」

 そうよ、だって貴方のことだもの。

「貴女はこの屋敷の女主人として使用人達に慕われ、私が多忙で手がまわらない部分までよくやってくれて本当に感謝している」

 ソファーに座る私の隣に旦那様が腰掛ける。

「君は話題も豊富で食事の時などに話すのは楽しいと思うし、話す声もとても心地よく感じる」

 旦那様は私に本を手渡した。

「この本のように…とはいかないかもしれないが、私は少しずつお互いの距離を縮めていけたらと思っている。どうかそのことだけは貴女に覚えていてほしい」


 こんな私でもいつかヒロインになることができるのかしら。

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