13
「おやおや……クランの蟲を連れて逃げたか」
ユリアの方へと振り返り紫陽花はそう言うと、963の顔面を蹴りあげた。咄嗟に片腕で防御するも、手甲が粉々に砕かれてしまった。仰け反る963。残忍な光りを目に宿す紫陽花はまた、963の無防備の顔面に蹴りを入れ、後頭部を後ろの大木へと打ち付けた。
ずるりと崩れ落ちていく963。ぴくりとも動かなくなった。あれだけの強さを誇り、隻腕の
「クランの蟲を助けた報いじゃ」
963を一瞥するとユリアの方へと近づく紫陽花。ぎりっと歯をきしませ睨みつけるユリアを紫陽花がにたりとした顔で見つめている。
「くくくっ。良い顔じゃ、良い顔じゃ。恐怖を必死で押さておるのぉ。隻腕の
すらりと刀を鞘から抜くと、ぺろりと刃を舐める。木漏れ日の光りが美しい刀身に反射しきらりと輝いた。
そして、その刀身をうっとりと見つめていた紫陽花がぶすりとユリアの右腕に刀を突き刺した。
「……!!」
ユリアは喉の奥からこみ上げ口から飛び出そうとする叫び声を必死で押さえ込んだ。歯を砕けそうになるくらいの力で食いしばる。
「ほぉう……大したものじゃ。無様に叫び声でも上げるかと思ったのだか……」
すっと腕から刀を引き抜くと、今度はユリアの足の甲へと刀を突き刺す。ぐらりとよろめくユリア。しかし、これにも叫び声一つ上げず絶える。その額には滝のような汗が流れ、顔面には苦悶の表情が浮かんでいた。
そんなユリアの様子をサディスティックな表情を見せ、楽しそうな目で見ている紫陽花は、さらに肩、太もも、左腕などすぐには死なない箇所を次々に刺していく。それでも、じっと絶えるユリアに、さすがの紫陽花も舌を巻いた。
「なんと言う精神力じゃ!!狂戦士でも無い普通の人間の主がここまでされて、叫び声の一つもあげん。賞賛に値するぞ!!」
紫陽花はくいっとユリアの顎を持ち上げ、そう言うとにたりとあの笑みを浮かべ、ユリアの耳元に口を寄せた。
「じゃがのう、もう飽きた。だから、死ね」
耳元から離れ、顎の手を離した紫陽花はユリアから一歩離れると、あの笑顔を浮かべたまま刀を水平に構えた。
「最後の祈りを唱えるが良い。それくらいの慈悲は我も持っておる」
精神力を振り絞り立っているのがやっとだった。それでもユリアは紫陽花を睨みつける。
「さぁ、冥土へ行くがよい」
水平に構えた刀をユリアの眉間へと滑り込ませようと動いた時だった。
ぴたりと紫陽花の手が止まり、にたりと笑っていた顔が無表情になった。ユリアも同じである。睨みつけていた顔に驚きの表情に変わっていた。
刀を下ろし、ゆっくりと紫陽花が振り向く。
ひゅうひゅうと空気が漏れるような呼吸音。血塗れの顔、裂けた唇に潰れた鼻。手甲諸共砕かれた右腕。満身創痍である。もはや、意識があるかどうかも分からない。それでもユリアの、自分の監察官の危機に立ち上がった隻腕の
狂戦士にとってどんな状態でも死んでいなければ戦闘は継続する。自分の身より監察官を守れ。
死ぬまで闘え。死んでも守れ。
彼女らに課せられた使命。
「そんなに死にたいか!!」
紫陽花がゆらゆらと揺れ真っ直ぐに立てない963へ蹴りを入れる。蹴りを受けた963は数歩ふらつき倒れる。しかし、まだ立ち上がる。そしてまた、倒される。幾度となくそれを繰り返した。
「もう……いい、やめてくれ」
ユリアは963のそのような姿を見て絞り出すように言った。確かに、963は狂戦士である。軍や国から言わせれば、戦うための道具であり消耗品。兵器の一種なのであろう。
しかし、ユリアは違った。十歳の963を育成監察官から引き継ぎ、七年もの間、共に戦線で戦い抜いてきた。963が幼い少女の頃から寝食を共にし、姉妹の様に感じた時もあった。
彼女にとって963はただの消耗品でもなく、兵器でもない。七年の歳月を経て963はユリアにとって切り離せない大切な相棒になっていたのだ。
ずりずりと足を引き摺りながら963に近づいていくユリア。それに気づいた紫陽花は963を殴打するのをやめた。
ユリアも963もお互いに満身創痍であった。
そして、片膝をついた963の前まで来ると、ユリアは彼女をぐっと抱きしめた。傷だらけの体で余力少ない腕に精一杯の力を込めて抱きしめた。
「もう……いい、よくやった、もう立つな963」
ユリアの涙が963の体へと伝い落ちる。するとそれまで963から感じていたものがふっと消えた。張り詰めていた糸が切れたのだろう。
「
二人を見ていた紫陽花がすっと刀を振り上げる。
「せめて苦しませずに逝けるようにしてやる」
あの嫌な笑顔ではなく、真剣な表情で語りかける紫陽花。
「さらばだ。勇敢なる戦士達よ」
そう言うと紫陽花は刀を二人の首元へと振り下ろした。
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