おうち時間

あんどこいぢ

おうち時間

窓の向こうに木星の縞模様が広がっている。

残念なことに、地球圏観光の山場の一つになっている大赤班は視界にはない。それでもユウマは、飽きもせず、やや仰角の? あるいは眼下の? その美しい縞模様に見入ってしまっている。

微かに鼻にかかったソプラノが響く。

「ユウマ、また手が止まっちゃってる」

地上の家屋のそれと変わらないリビング。ベージュのマットに TV ディスプレイ。黒い人工皮革のソファ。窓際の事務机にはキーボードと PC と TV のものよりやや小振りのもう一つのディスプレイ。

ユウマが振り返ると、クローンペットのマメがソファに横たわり、毛布をクルッと身体に巻きつけている。


そして顎の辺りを毛布の縁になすりつけている。

いわゆるお眼々パッチリの美人ではないが、なかなかの美人だ。小造りだが実に理知的。中世期のシャネルスーツが良く似合いそうだと、いつもユウマは思うのだった。

彼女は猫の遺伝子を組み込まれたクローン・クリーチャーで、暗がりで不意に瞳を光らせたりする。さらにいま、まるで寝袋のようにくるまっている毛布のなかは、おそらく全裸だろう。

PC に向き直りつつ、ユウマが言う。

「ちゃんと服着ろよ。それにその顎。毛布の縁がケバケバになっちゃうじゃんか」

「ごめんなさい。でも……」

「猫の本能だからしょうがないって? ほんとにそう? 里親の会のコーディネーターの方は、そんな癖があるなんて言ってなかったけどな」

「ごめんなさい……」

語尾がシュンとなっていくマメ。が、ユウマの背に舌を出し、その舌で問題の毛布の縁を、チロチロ舐める。


狭い部屋だ。動物の遺伝子が入っていないとりあえずは人間のユウマも、なんとなく気配が感じられるのだろう。

「まだ猫っぽいことやってんだろ。やめろよ」

「フフッ、だって私、猫 1 パーセント強だもん。因みにヒトに対するチンパンジーの DNA の不一致部分も、ま、そんなもんね」

「いやそれは、君たちクローンをヒトじゃないってことにするための、なんちゃって理論だって。フリンジ DNA なんてインチキな手もあるしさ。どうせどっかのアーカイヴに接続してんだろ? 同時に反対意見が指示されてるはずだぞ」

「ブウウウーッ。ちゃんと最新の判例、参照してまーす。あっ、それとこの程度のこと、ちゃんとここにアナログ記録してまーす」

マメが上体を起こし、こめかみ辺りを指でツンツンするジェスチャーをしたので、巻きつけていた毛布がズルッと下がってしまう。猫の遺伝子が入っているとはいえ、あらわになった胸が特に毛深いということはない。ただその遺伝子の発現というわけではないのだろうが、乳首のピンクが妙に濃い。しかしそこに、黒ずみ、かさつきなどはまったくなく、周囲の皮膚との違いが逆に際立ってしまっている。彼女はこめかみに触れた指で自身のその部分にも触れ──。

「チラ視ぐらいはしてもらいたいなー」

「そんなモロ出しにチラ視はないなー」

衛星軌道上に乗り捨てられた中古宇宙船のリビング。中世期アメリカでよく観られた、トレーラーハウスの現代版だ。ちょっと大きめのデブリと化した放置宇宙船を地球連邦政府が買い取り、改修し、格安の公営住宅として希望者に貸し出しているのだ。入居者は名目上天体観測などの業務を課せられるが、リポートを提出しなかったからといって、それでそれらの住居から立ち退かされるということはない。また宇宙ステーションの滞在者にも住民票が発行されるので、それらの住居の入居者にも生活保護が支給される。スペーススコッター。スペースホームレス。ときにそのような言葉で揶揄される彼らだが、肩書き上は、なんたら宇宙天文台教授、などといった感じになる。棄民政策なのでは? 当然そんな批判もあるのだが……。


マメが耳をピクッと動かす。無論猫耳ではない。普通のヒトの耳だ。いや。上端が多少尖っているだろうか?

船のメインコンピューターが二つのディスプレから木星ネット内のコンタクトを告げる。音声は古典 2D アニメ鑑賞中にコントロール + クリックした、『この音声をメインコンピュータの音声として登録しますか?』のハルコ・ミモリ、通称ミモリハルだ。

『区民センターのイシイです。お繋ぎしてもよろしいでしょうか?』

船のコンピューターは連邦政府の備品になるので、政府関係の人物の呼称は、役職、敬称などがつかない。ユウマは多少語気を強め、背後のマメに言う。

「おいイシイさんだ。早く服着ろ」

「やだよー。裸なんて猫にはフツーだよー」

「いやそれじゃ、観ようによっては動物愛護法違反ってことにもなっちゃうんだから。服着ないなら寝室とか行って。とにかくここからははけちゃってよ」

ところがマメは、今度は毛布の縁を両乳首に交互になすりつけ、はふっ、などと妙な声を上げている。

どうやら先ぽうは痺れを切らし、船のメインコンピューターに割り込みをかけたようだ。それまで表示されていたこの船のマニュアルの pdf が、画面右端にワイプ状態になり、キリッとしたそろそろ三十台といった女性の顔が、全画面表示される。喜望峰ステーション区生活安全課クレア・イシイ。実物大より二割増しだが、その引き締まった輪郭はまったく間延びした感じがしない。ただ唇だけが、意外にポッチャリしている。とはいえその言葉遣いは、やはりキュッと引き締まった感じだ。

『──確かに私のリポート次第で、いくらでも問題にできる状況ですね。マメさん。あなたに言っています』

マメも毛布を顎の下までグッと上げ、画面上のクレアを睨みつけるように言う。

「本能的な行為とはいえ、普通のヒトなら、自由とか、幸福追求権とかに関わる問題ですよね? イシイさんは行政のペット里親の会への窓口担当として、私たちに関わっていたわけですから、当然、私自身の幸福にも、注意を払うべきですよね?」

『ええそうですが、一応そちらは宇宙船ですから、そこいらにおしっこなどされたのでは、床、壁等内装の腐食、それに電気関係のショートの可能性等もありますから、生活安全課職員としては、見過ごしにはできませんね。れいのロボット工学一条、二条。まずはそちらに滞在中の人間の生命が優先されますから──』

「おっ、おっ、おしっこっ? そんなことしないよっ!」

マメがソファからガバッと立ち上がった。当然毛布はその場に落ち、真っ裸になってユウマのチェアを押し退ける。画面のなかのクレアの顔はいかにも冷静なままだったが、唇の端が微かに笑っている。とはいえやはり、眼は笑っていないところが、どこかチグハグな感じだ。

『冷静になりなさい。あなたそちらのメインコンピューターに、無線 RAN 接続してるんでしょう? 画面に寄ってくる必要、まったくないじゃありませんか。それからおしっこの件ですが、先ほどからのあなたの行為、明らかにスプレー行為ですよね? 乳首にも臭腺あったと思いますし──。スプレー行為の行き着く先は、やはりそういう、エンガチョな行為になるんじゃないですか?』

「なっ、なっ、なっ……!」

マメは全身真っ赤になった。特に耳の先は唐辛子のようだ。他ほうクレアも口調こそ冷静なままだったが、言葉の選択が、妙な感じになってしまっている。

『一度そちらを訪問したいのですが──。その部屋の隅とか、寝室の隅とか、そうそう、ベッドの脚の辺りだとかも、ちゃんとサンプル取って、成分分析しなければならないような気がするんですよね』

「訪問っ? 迷惑ですっ! COVID-83 だっけ? そもそも緊急事態宣言中でしょっ? ねえユウマ、あんたもなんか言ってやってよっ?」

マメが振り返るとユウマは、椅子ごと倒れ、その場に尻餅をついたまま腰をしきりにさすっている。やや小太りの中肉中背。反射神経なども、ちょっと残念な感じの男なのだが……。クレアは坦々と話し続ける。

『緊急事態宣言以来、オフィスには出勤せず、ずっとプライベートルームでテレワークしています。もっともオフィスもこの部屋も、もともと喜望峰ステーション内の同一フロアにあるんですけど──。ところであなたの生体データも、そちらのメインコンピューターでモニターしているわけですが、どうやら私の連絡前後に、幾つかのホルモンの数値が上がっているような気がするのですが、気のせいでしょうか?』

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