第33話 神人の試練
『エンネア!』
エンネアと入れ替わりに幻装兵の前に躍り出たのは、羅刹鬼だった。
キサラが加勢したのだ。
『――
キサラが詠唱を完了すると、幻装兵の頭上から、蒼い炎が湧き出すように降り注いだ。
巨大な手のような形の炎の檻は、敵機を呑み込んで焼き尽くす強力な魔法だ。
幻装兵は瞬く間に炎に呑まれ、その姿を消す。
だが、それはほんの一瞬のことだった。
『小細工はこれでおしまいですか?』
問いかけと共に、炎を散らす疾風が駆け抜ける。
機体を覆うように展開された魔導障壁によって、幻装兵には何の損傷も与えることができなかった。
『キサラ少佐!』
『予想のうちだわ』
強力な
それを承知の上で、キサラは同じ魔法を行使した。
『
『時間稼ぎのつもりですか?』
アルカナの冷淡な声が響く。
キサラは精神を集中させ、炎を保つ。
『魔力の無駄遣いです』
風が巻き起こり、魔法障壁から炎を散らしていく。
幻装兵を囲む炎が晴れたその瞬間。
『今よ!』
幻装兵の背後から現れた黒色の機体が、疾風が如く駆け抜けた。
イルフリードが搭乗するネブラ・ナーダの持つ大剣が、渾身の一撃を繰り出したのだ。
『――喰えんな。今のに反応するとは』
イルフリードが舌打ちする。
恐ろしいことに敵は、決殺の一撃を回避していた。
『暗黒騎士イルフリード。またあなたですか』
アルカナが風を操り、幻装兵を後退させる。
『それはこちらの台詞だ。終末ノ巫女アルカナ』
イルフリードは剣を構え直し、
『さあ、キサラ。神人殺しを始めるぞ』
『愚かな……』
イルフリードが
終始優勢だったアルカナも、イルフリード相手には防御せざるを得ない局面が出始めた。
『愚かなのはどっちだ?』
『……認識を改めましょう。あなた方に対しては、私も本気を出さなくては』
アルカナが呟くように言い、改めて剣を構え直す。
遅滞の魔眼を持つイルフリードとアルカナが激しい
風の刃を
『キサラさん』
『……今更逃げるなんて選択肢はないわよ、エンネア』
イルフリードとアルカナの剣戟を守りながら、キサラは思考を総動員させて、攻撃プランを考えている。
魔導障壁で弾くことの出来ないイルフリードの近接攻撃が展開されている今、キサラの魔法での攻撃が通る可能性が高まっている。
『私の蒼焔で、神人を引きつける。あなたの槍で関節を狙える?』
『もちろんです。でも、投擲は魔導障壁で弾かれてしまうのでは?』
『いいえ。その隙を縫うの』
アルカナの発動する魔導障壁の弱点は、連続して与えられる衝撃には弱いことだ。
事実、近接攻撃に於いては展開されていない。
仮に展開したところで障壁が破壊されれば、再展開に魔力を浪費する。
消耗が激しくなるリスクを嫌っているのだ。
『蒼焔を連続で浴びせるってわけかァ。悪くねェな』
『他に手はある?』
『関節もいいが、あの機体の装甲ってヤツを剥がすわけにはいかねェのか?』
『……出来るの?』
『傷がある。見てみろ』
羅刹鬼が見ているものがキサラの視界にも広がる。
イルフリードは、同じ場所ばかりを狙って攻撃を続けている装甲の一点に負荷がかかるように狙っているのだ。
『さすがね、イルフリード』
『おっと、圧されてるぜ』
イルフリード機に振り下ろされたアルカナ機の剣が、風の刃となって膨らみ、機体を押しつぶしにかかっている。
暗黒騎士を倒す絶好の機会に、アルカナは気を取られている。
『はァん! 気が逸れてるぜ。今しかねェな』
『
蒼炎を渦巻かせながら放つ。
キサラの魔法の発動を合図に、羅刹鬼とエンネアが同時に疾走した。
『小癪な』
風を帯びた幻装兵の剣がその炎を散らし、無力化する。
『ははははっ! その炎がひとつだけだと思うなよォ!』
羅刹鬼の声が聞こえたかのようにアルカナが反応する。
イルフリードへの注意が完全に逸れた。
キサラの目論見通り、アルカナは魔法障壁を展開して蒼焔を受け止める。
『ひぃ、ふぅ、みぃ、よォ! まだまだァアアアアッ!』
羅刹鬼が咆吼し、キサラの蒼焔を拳で叩き付けるようにして放っている。
そこにイルフリードの攻撃が重なり、魔導障壁が晴れた。
『エンネア!』
『はいッ!』
キサラの合図で肩口の
全てが計画通りだった。
だが、それがキサラに隙を生んだ。
『ぼうっとするんじゃねェ、キサラ!』
羅刹鬼が叫んで身体を反転させる。
次の瞬間、物凄い痛みが左足を突き抜けた。
視界が大きく傾ぎ、地面に転げる。
羅刹鬼を通じて、鮮血で染まる足元が見えた。羅刹鬼の左足が傍らに落ちていた。
『はン! 外してやがる』
羅刹鬼が足を拾い上げてねじ込む。
焼けるような熱さがキサラの足にも伝わってくる。
「あっ、ぐ……あああああっ」
『……鬼の機兵、そういう芸当が出来るのですね』
上空に浮かび上がった幻装兵から、アルカナの冷たい声が降った。
何人も近づけまいという意思が周囲を囲む竜巻から見て取れた。
『狙いが逸れました。次は
『くぅっ……!』
風の刃が空を裂いた。
『敵に背を向けるとは、随分と舐められたものだな』
イルフリードが燃えさかる炎のような漆黒の闘気を纏った剣を振り下ろす。
轟! と音を立てて渦巻いた闘気は弧を描いて広がり、アルカナ機を両断すると思われた次の瞬間には、地面を打ち砕いていた。
人智を超えた力で攻撃を回避したアルカナ機を、イルフリードの魔眼は捉えていた。
『おおおおっ!』
半円状に抉られた地面から、更に剣を斬り上げ、地面を削りながら追撃が繰り出される。
装甲を打ち砕く無双の一撃はしかし、またしても風を操るアルカナによって
『そう来ると思いました』
機体を翻して剣で薙いだアルカナが、荒れ狂う竜巻を起こしてイルフリード機に向かわせる。
イルフリードが
『イルフリード、あなたの攻撃は見切りました』
『エンネア、サポートに入って!』
『はい!』
エンネアが呼びの槍を構え、
『邪魔です』
だが、その一撃をアルカナは視認することもなく剣で振り払った。
『あぐっ!』
機体を撫でるような一撃は、暴力的な風の刃と化し、エンネアの機体を跳ね飛ばす。エンネアはぎりぎりで槍を投擲し、防御の姿勢を取った。
投擲された槍は幻装兵の関節部に深々と突き刺さった。
次の瞬間、幻装兵が風の魔法を発動させる。
それと同時に負荷に堪えられなくなった幻装兵の左腕関節部から黒血油が噴き出した。
「吠えよ焔、轟け鳴動――
直感を信じ、キサラは炎を放つ。
炎は黒血油に引火し、幻装兵の左腕で爆発が起こった。
『はぁああああっ!』
イルフリードはその隙を逃さなかった。
関節部に残る穂先に
多重攻撃を受け、アルカナ機の左腕が飛んだ。
『反撃の機会だぜェええっ、キサラ!』
「今一度、火の主に願い奉る。その焔は我が剣。不条理を絶ち、運命を切り開く――
羅刹鬼の刀に、火炎が収束していく。
羅刹鬼は両腕で握った刀に全体重を預け、腕を吹き飛ばされたアルカナ機の損傷箇所に突き立てようとしたその時。
右腕に握られていたアルカナ機の剣が、妖しく閃いた。
『なんだァ!?』
激しい風が吹き、
『これは試練です。神の代行たる私から、あなたの決意を測るための試練を与えましょう』
(エンネア……!!)
『さあ、勝利は目前です。その刀を振るいなさい』
「イルフリード、エンネアを助けて!!」
『そうするのでしょうね』
イルフリードが、
『羅刹鬼!』
『応ッ!』
羅刹鬼はエンネア機の落下地点に駆け、機体を受け止める。
その隙にアルカナの幻装兵は、空高く浮いた。
『……少、佐……』
途切れ途切れの声がエンネアの恐怖を物語っている。
『……エンネア、無事ね?』
エンネアに死を覚悟させたのだと思うと、酷く胸が痛んだ。
『どうして、私を……』
『サヤ――親友を蘇生させるのは、私の悲願。だけど、エンネア。あなたは私にとってとても大切な友人……そんなあなたを、切り捨てられるはずがないでしょう』
『ですが――』
『わかってる。勝負を捨ててなどいないわ。一緒に勝つわよ、エンネア」
エンネアの言葉を遮り、キサラはその場にエンネア機を下ろす。
エンネア機は自力で体勢を立て直して立ち上がった。
『禁忌の術を使い、人の道を外れた者が友情を語るのですか?』
「
上空からアルカナの声が降る。
この距離では、普通の攻撃は届かない。
だがキサラの魔法ならば届く。
「――火の悪魔よ、喰らい尽くせ、
精神を集中させ蒼焔を放つ。
炎が渦を巻き、幻装兵に殺到した。
『まだ魔力を残していましたか』
機体を降下させて回避し、アルカナが魔導障壁を発動する。
だが、それは炎の勢いが衰えるまでのごく短い間だった。魔力切れが近いはずだ。
『漸く降りてきたな!』
イルフリードが
アルカナは、イルフリードの剣をいなして羅刹鬼を見据えた。
『やべェ!』
首筋がひりつくような殺気に、身体が
幻装兵が風を起こしたと思った時には、機体はもう目の前に迫っていた。
『遺言は求めていません。確実に死んでください』
強い風圧が、圧倒的な死の予感を連れてくる。
キサラは目を見開いた。
『キサラァアアアッ!』
わかっているのに身体が動かない。
羅刹鬼が叫ぶ声が遅れて聞こえた。
『キサラさん!』
悲鳴と共にエンネア機がキサラの前に躍り出る。
黒い機体はアルカナの風の刃を受けて、大きく傾いだ。
正面から斬られた操縦槽が二つに割れ、中からエンネアの身体が投げ出される。
『エンネア――!!』
悲鳴を上げ、彼女の身体を受け止めようとしたが、間に合わなかった。
エンネアの身体は、キサラの目の前で地面に叩き付けられた。
『エンネア! エンネア!』
見た目に損傷はないのに、エンネアは動かない。
キサラの悲痛な声が響き渡る。
その感情に支配されたように羅刹鬼が、力なく膝を折って崩れた。
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