第30話 帰還の途

 陸上巡航艦ラスハー級の甲板に、納体袋が二つ並んでいる。

 大破した三機のデュークは、毒で汚染された泥に埋もれ、回収不能と判断された。


 キサラが羅刹鬼を使って操手の遺体のみを回収し、間に合わせの納体袋に遺体やその一部を収めた。


 エンネアとイルフリードの機体も深刻な損傷を受けており、陸上巡航艦ラスハーの格納庫にどうにか積み込んだ後、グレイスフィール領を出てブランチ領で補給を行うまでに、気が遠くなるほど長い時間がかかった。


 北上を進め、トーチ・タウンのあるトラバント領に戻った後、イルフリードはエンネアを伴い、神人の襲撃に備えて、トーチ・タウンの領主トラバント家に掛け合って街の守備隊を第七魔導研究所へ回すように求めた。


 皇帝の勅命を受けた暗黒騎士イルフリード直々の交渉とあり、トラバント家は戦力を供与することを即座に決定し、隊長ルドラ・ナーガ・リュージュナ大尉の身柄は第七魔導研究所へと移された。


 供与されたトーチ・タウンの守備隊、機装兵レーヴェ一個中隊――計六機が、第七魔導研究所の哨戒に当たっている。


 隊長であるルドラは、茶褐色の肌と黒髪、翠玉のような濃い緑の瞳が印象的な男だった。

 三十代後半と思われる精悍な顔つきの彼は、これまで研究所に所属していたデューク隊三機が全滅した経緯を、眉ひとつ動かさずに聞いていた。


「では、六機増えたところで、戦力としては心許ないですな」


 柔和な笑顔を浮かべるルドラは、慇懃ながらも多大な不満を覗かせている。


神人カムトの襲撃に対しては、私が全責任を負う」


 イルフリードはルドラに向かって頭を垂れ、戦力の供与を改めて求めた。


「その責任とは、神人を退け、研究施設のみならず街を護ることだ。我々を使い捨ての駒にされては困る」


 ルドラは軽蔑とも取れる視線をイルフリードと傍らのエンネアに向け、哨戒任務へと戻る。

 イルフリードも席を立ち、研究室にはエンネアだけが残された。


 このような事態になっても、エンネアの任務はキサラの監視が最重要項目とされている。

 あるいは、監視を含め、命を守るという任務が加えられている可能性の方が高いといえた。


「……話し合いは終わった?」


 回収した手記の解読を進めながら、キサラが顔を上げずに問いかける。


「邪魔をして申し訳ありません」


 咎めた覚えもないがエンネアはすぐに謝罪の言葉を口にし、研究室を出ようとした。


「居てくれた方が落ち着くわ。ここにいて」


「しかし、一刻も無駄に出来ないと……。そもそも、解析は順調なんですか、キサラさん」


 引き留めようとしたキサラの言葉に、エンネアは困ったように眉を下げた。


「ええ。およその見当はついたわ」


 キサラは顔を上げ、改めてエンネアを見つめた。

 撤退の間も眠っていなかったのだろう、エンネアの目の周りには、不眠による隈が出来ていた。


「エンネア――」


「キサラさんもですよ。少し休まれては?」


 互いに不眠不休で動いているのは、もうわかりきったことだ。

 キサラは苦笑を浮かべ、テーブルに広げた紙を俯瞰するように眺めた。


「いいえ。その余裕はないわ」


「では、解析は――」


 キサラの視線を辿るように、エンネアが資料を覗き込む。

 そこに記された『美味しいスープの作り方』という走り書きに、エンネアは愕然とした様子で目を瞠った。


「これが……? こんなものが……?」


 訝しく呟きながら、エンネアがキサラの走り書きを読み取っていく。


 ――肉の煮込み、赤ワインのソース……


 グラスの残した手記には、料理のレシピとしか思えないような文字が、随所に見て取れた。


「ええ。これがグラスの研究の成果」


 エンネアの動揺とは対称的に、キサラが落ち着いた声で答える。


「一見わからないけれど、レシピの中に研究に重要な要素が隠されているタイプの暗号よ」


「これが、暗号なんですか……?」


 解読された文言は、エンネアが見る限りは料理のレシピでしかない。

 信じがたいと言いたげな視線を向けたエンネアに、キサラは緩く頭を振り、レシピのひとつを指差した。


「数値を良く読んで、エンネア」


 キサラが示したのは、羊肉の赤ワイン煮込みのレシピだ。

 材料は一人分、それに対して、記されている肉や赤ワインの量は尋常ではなかった。


「……羊肉三頭? 赤ワイン三本? これじゃあ煮込み料理になりませんよ」


 書き損じにしても酷い誤りだ。

 料理のレシピですらない。

 エンネアが呆れて溜息を吐くと、キサラは別のレシピを指した。


「そうね。これはどう?」


「……赤ワインソースの隠し味が、豚の脂? 意味がわかりません」


 エンネアは首を横に振った。


「これらは全てホムンクルスの錬成のためのレシピなの。全てを読み解くと、かつて錬金学で研究されていた、完全素体ホムンクルスの肉体の材料に辿り着く……。すなわち、グラスが求めていたホムンクルスの肉体を構成する遺伝子量が、通常の人間の三倍であることと一致するわ」


 完全素体ホムンクルスの錬成では、三人分の人間を材料として使用することで、遺伝子量を三倍にし、あらゆる魂への最適化を行うことができるのだろう。

 あるいは、魂のない『器』としてのホムンクルスの生命を維持するためには、肉体の遺伝子量を増やすことでしか、生命を安定出来ないのかもしれない。


 現存するホムンクルスが生物として脆弱で、短命であることがそれを証明している。

 生命の誕生と同時に、星から分け与えられる魂を使って生命を安定させている仮初めの肉体は、脆く儚いが、それでも生命として神人に認められている。


 それを拒否し、魂のない生命をつくるということは、星の働きを拒絶しており、まさに神の領域に踏み込む所業なのだ。


「……このでたらめな料理のレシピを解読すると、ホムンクルスが作れる……?」


 エンネアの解釈にキサラは頷き、顔を歪めた。


「理論上は」


 神人の領域というのは、反魂術のみならず、このホムンクルスのことも含めて、ということなのだろう。

 そうでなければ、これまでキサラが見過ごされていた理由に説明がつかない。

 アルカナのあの言葉は神人からの宣戦布告だ。

 ホムンクルスの秘密に迫っている以上、粛正は免れない。


「……でも、現代では失われた材料がある。だから、今ホムンクルスを作ることは出来ない」


 詳細な製法を記したものは神人の襲撃で失われた。

 かつてグラスを襲った神人は、その材料となる物質を永遠に闇に葬ったことだけは明らかなのだ。

 その物質は、魂を定着させる役割を持つことは間違いない。

 だが、その代用となる物質を探そうにもその時間はない。


 ――ホムンクルスを作ることは出来ない。


 だが、それを神人に伝えたところで、キサラの処刑命令が撤回されることはないだろう。


「……反魂術に応用は可能だと思うわ。最低でも、人間三人分に相当する素材が必要になるけれど……」


 反魂術の理論に当てはめると、生き返らせる人間の魂、魂の補填に使う別の人間の魂、新しい肉体、という最低でも三人の人間が必要となる。


「一人を蘇らせるのに、三人を犠牲にする必要がある。それも皇帝と縁の深い人間を」


 唾棄すべき事実に気づき、エンネアは顔をしかめた。


「皇帝と血の繋がりのある人間が必要だと告げれば、喜んで差し出すでしょうね。それがたとえ赤ん坊であったとしても」


「……ええ、きっと……」


 おぞましい想像にエンネアの顔が青ざめている。

 皇帝の望むもの――この研究は、多大な犠牲を要する、たった一人のエゴのために、一体何人を犠牲にしなければならないのだろう。

 そう考えると、サヤを蘇らせる自分の目的が、恐ろしいもののように感じられてくる。


 サヤが自分の立場だったなら、どうしていただろう。

 やはり同じことを考えただろうか。


 それとも……


 とりとめのない考えを巡らせながら、キサラはサヤの最期の姿に想いを馳せた。


 瞼を閉じるとすぐに、白鬼から解き放たれたハクライの里の民と共に、舞うサヤの姿が脳裏に蘇った。


 儚く白い魂の化身である蝶と共に舞うサヤは、反魂術を行使しようとしていた。

 だが、同じ研究を読み解き、進めてきた今のキサラにはわかる。

 あの時キサラが実行していたのは、彼女が考え出した新たな反魂のかたちだったのだ。


 ――ああ、だからサヤは……


 警報が鳴り、キサラは記憶を辿る作業を中断した。

 トーチ・タウン近郊で正体不明の機兵の目撃情報が繰り返されている。

 厳戒態勢が敷かれ、第七魔導研究所を緊迫した空気が包んでいる。


「私も行きます。キサラさんは、安全な場所へ!」


 エンネアが叫び、出撃準備に入る。


『安全な場所なンて、どこにもねェよ』


 羅刹鬼を通じて、キサラの目には迫り来る嵐が視えている。

 地上を穿つかのように伸びる竜巻の中には、アルカナの幻装兵の姿があった。


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