第29話 サヤの仇

 地上に出ると、暴風雨は幾分か静まり、不気味に渦巻く黒雲がキサラを見下ろしていた。


『はン、思ってたより早かったなァ』


 防毒衣を脱ぎ捨て、羅刹鬼に飛び乗る。


「エンネアは無事!?」


 羅刹鬼と精神を同調させた瞬間、彼の記憶がキサラの中に流れ込んだ。

 雷の閃光と共に振り下ろされた真空波が、デュークを一刀両断する。

 エンネアのノクス・メモリアが神人の幻装兵と交戦する最中、もう一体のデュークの首が刎ね飛ばされていた。


 もう一体の残骸と思しき機体は、切り倒されたデュークの傍で真っ黒に燃え尽きている。

 最初の一撃で二機をほふった神人の残酷なまでの強さに、キサラは呻いた。


「……許さない……」


 嵐を引き起こす神人の異能は、大厄災を起こしたあの忌まわしき神人と共通している。

 キサラは呪うような声で呟き、震える手を握りしめた。


『怒りに駆られンなよ。鬼になるぜ』


 軽口なのかそれとも本気なのかわからない言葉を吐き、羅刹鬼が立ち上がる。


『エンネアは無事だ。……今のところは、な』


 羅刹鬼が刀を構え、駆け出す。

 その目が視ているものを、キサラも視た。


「エンネア!!」


 エンネアの機体が、何者かによって押し倒されている。


 ――幻装兵げんそうへい!!


 忘れもしない、あの機体だ。


『サキガミ・キサラ』


 幻装兵げんそうへいの首がキサラの方を向いた。


「あなたの目的は私ね?」


『その通りです』


 幻装兵はエンネアから離れ、羅刹鬼に向き直った。


「あなたは誰? サヤを殺したのもあなたなの?」


『サヤ……?』


 問いかけに幻装兵から声が返る。


「ハクライの里の巫女。私の親友よ」


『……ああ、あの娘の名はサヤというのですか……』


 長くの疑問が解けたというような静かな声が、神人から発せられた。


 目の前の神人がサヤの仇である確信を強めながら、キサラは殺意を募らせる。


「知っているのね?」


 刀の切っ先を向け、攻撃の意思を示す。


『ええ。私は終末ノ巫女アルカナ。ハクライの里の巫女を殺したのは私です。そして――』


 アルカナと名乗った神人も、幻装兵の剣の切っ先をキサラに向けた。


『これから、あなたを殺します』


 殺意を告げる声とともに、強い風が吹き付け、羅刹鬼が吹き飛ばされる。


『うォ!』


 羅刹鬼は弾みで転倒するが、すぐに跳ね起き、刀を振るって幻装兵の足元を薙いだ。


『少しはやるようですね』


 戦っているのは羅刹鬼だ。

 キサラは衝撃でぐらぐらと歪む視界を止めようと、自らの頬を叩いた。


『無事か、キサラ!?』


「ええ」


 頬の痛みが意識を覚醒に導く。

 羅刹鬼の精神との同調を強めると、吐き気を催しそうな殺気がキサラを襲った。


『こいつァ、やべぇな』


「……戦えそう?」


 羅刹鬼が感じているのは、神人アルカナの意思だ。


 キサラを殺すという、確固たる神の目的を持っているアルカナの――。


『ンなこと言って、やるしかねェって状況だろうがよォ』


 羅刹鬼が刀を構え、幻装兵に向けて突進する。


 歩み寄ってくる幻装兵は冷静に羅刹鬼の攻撃を受け流し、踊るように機体の向きを変えた。


『はッ! 首筋の後ろがヒリヒリするゼ』


「どういう――?」


 口を開いたその瞬間にはわからなかったが、恐ろしい殺意がキサラの首筋を走った。


『油断したら一瞬で首を刎ねられそうってコトだよなァ!』


「そうね」


 羅刹鬼は怯まず、幻装兵に斬りかかる。

 幻装兵はその攻撃を悠々と剣で受け止めた。


「あ……ぐ……。ぐううっ……!」


 強く自分の手を握らなければならないほど、激しい衝撃がキサラにも伝わってくる。

 力任せに鍔迫り合いを続けている羅刹鬼も、歯を剥き出しにしながら食いしばっている。


 合わさった刀身からは火花が散り、羅刹鬼の闘志に呼応するようにキサラの蒼焔そうえんが刀に具現した。


『くっ!』


 埒があかないと判断したのか、アルカナが剣を弾き、羅刹鬼との距離を取り直す。


『こいつァ、間違いなく最強の敵だなァ。人間なんて目じゃねェ』


 剣が離れてもなお、その余韻でキサラの両腕はびりびりと痺れる。


『鬼よ。愚かな人間を守護するのは止めなさい』


 風を巻き起こし、一瞬にして懐に迫った幻装兵が羅刹鬼の胴当てを掠める。


『少佐!』


 叫び声と共に槍が幻装兵の上に打ち下ろされ、エンネアのノクス・メモリアがキサラの視界に入った。


『下がってください!』


 エンネアが叫びながら追撃を繰り出す。だが、その槍は幻装兵の剣によって半分に切断された。


『無駄な抵抗は止めることです』


 幻装兵が手をかざすと、エンネアの機体が旋風に巻き込まれる。


『うぁぁっっ……!!』


 ノクス・メモリアの機体は風によって巻き上げられた、建物の残骸に叩きつけられた。


「エンネア!」


 機体が激しく損傷し、至る所から黒血油こっけつゆが漏れ出している。


『私は無事です。それよりも撤退を』


「いいえ、戦うしかないの」


 エンネアの言葉をキサラは即座に否定した。


『腹をくくったようだなァ!』


 羅刹鬼が獣のような動きで飛びかかり、幻装兵に斬りかかる。

 関節部を狙った彼の攻撃は、幻装兵の腕に取り付けられた扇状の盾によって弾かれた。


『ッ! 固ッてェ!』


「くっ、うううっ……!!」


 弾かれた衝撃で羅刹鬼の腕が軋む。

 キサラの自分の腕にも鋭い痛みが走り、思わず肩を押さえた。


『繰り返します。抵抗は無意味です。鬼の機兵を以てしても、私には勝てない』


 冷たく言いながら、アルカナが剣を振り下ろす。


『だからって、大人しく斬られてたまるかよォオオオオッ!』


 羅刹鬼が刀で剣を受け止めるが、その脚は衝撃で泥濘ぬかるみに沈んでいく。


「つっっ……!うっ、ぐぅうっ……!!!」


 キサラも渾身の力を込め、叫んでいる。

 その声は羅刹鬼の低い呻きと重なっていた。


『……そろそろ観念しなさい』


 幻装兵が風を操り、剣の威力を加速させる。


『あぁアアアッ! その手は、喰らうかよォ!』


 羅刹鬼は意図的に身体を倒し、沼地を転がりながら剣から逃れた。


「な……っ」


 攻撃対象を失った幻装兵の剣が沼地を引き裂く。

 その威力は、沼地を両断し、泥の大波を起こした。


「ああああっ!」


『喰らいやがれェ!』


 その隙に体勢を立て直した羅刹鬼の刀にキサラが蒼焔をまとわせる。

 羅刹鬼は刀を勢い良く振り下ろすと、炎の刃が幻装兵に斬りかかった。

 だが、それは、見えない壁によって阻まれた。


『無駄です』


「魔導障壁!?」


 機体を半円形の魔導障壁で囲んだ幻装兵が、蒼焔の刃を無効化する。


『しゃらくせェええええっ!』


 キサラの叫びに瞬時に近接攻撃に切り替えた羅刹鬼が、刀を突き立てるようにして斬りかかった。


『そう来ると思いましたよ』


 幻装兵が剣を振り下ろし、鋭い風を起こす。


「羅刹鬼!」


『応!』


 羅刹鬼はキサラの言わんとすることを察して横に飛び退き、アルカナの機体を薙ぐ。

 だが、アルカナはそれを風で強化した盾で受け止めた。


『おォオオオオッ!』


 衝撃に堪えきれず、刀が折れ、羅刹鬼の肘が嫌な音を立てて曲がった。


 損傷したことは、キサラにもはっきりとわかった。

 経験したこともない痛みが、キサラの腕の感覚を支配していた。


『はァ、痛ってェなァ……』


「羅刹鬼、無事……?」


 羅刹鬼が残る片腕で折れた刀を拾い上げながら、ぶつぶつと呟いている。

 幻装兵は勝利を確信しているのか、すぐに追撃を行おうとはしなかった。


『……それはこっちの台詞だ。わしの痛みに同調して、気ィ失うんじゃねェぞ』


 意識が遠のきかけていたが、なんとか持ち堪えられそうだ。

 キサラが動けなくなれば、羅刹鬼がどうなるかわからない。

 そうなればエンネアの身も危ない。


「……エンネアは……?」


 ふと気づくと瓦礫に埋もれていたエンネアの機体が忽然と消えていた。


「エンネア!?」


『こんのぉおおおおおっ!』


 思わず叫んだキサラに堪えるように、エンネアの叫び声がする。

 肩部と脚部の噴射式推進装置バーニアを全開にしたエンネアが、渾身の力で背後から幻装兵に刺突した。


 だが、その攻撃さえ、幻装兵に有効なものにはならなかった。


『往生際の悪いことです。自分から死に向かうこともないでしょうに』


 攻撃を受けた幻想兵が、何事もなかったかのようにエンネアの機体を振り返る。


『愚かな人間には死を――』


 冷酷な死の宣告が与えられたその刹那。


 漆黒の旋風が駆け抜けた。


 噴射式推進装置バーニアを使ったイルフリードが、鋭く幻装兵の胴を薙いだのだ。


「イルフリード!」


 駆け抜けた機体は、イルフリードの漆黒の機体ネブラ・ナーダだ。

 イルフリードは初手に冷静に対応した幻装兵の追撃を真っ向から受け、激しい剣戟けんげきを繰り広げる。


『エンネア、キサラを守れ』


『はっ!』


 イルフリードが噴射式推進装置バーニアを使って幻装兵を遠ざける。


『私と互角に渡り合えるとは……』


『見くびってもらっては困るな』


 遅滞の魔眼と呼ばれる異能を持つイルフリードには、全ての動きが通常の人間よりも遙かに遅く見えている。

 その異能の前によって、僅かな予備動作から幻装兵の動きを読み、先手を打ち、圧倒している。


 一方のアルカナも暗黒騎士の技は熟知しているのか、その剣は乱れることなく正確に敵を捉えていた。


『暗黒騎士が来たところで、無駄な抵抗には変わりがありません』


 幻装兵の緑色に光る剣が風の刃をまとい、機体とほぼ同等の長さになっている。


 振り下ろされた一撃を前に、イルフリードは噴射式推進装置バーニアを全開にし、回避を選択した。


 次の瞬間、鋭い風の刃がネブラ・ナーダが直前までいた場所に振り下ろされ、地面が割れた。


 イルフリードは既に空高く跳躍し、剣を打ち下ろす。

 その一撃は、幻装兵の装甲を薙いだ。


『暗黒闘気……。実に効率の良い、人間らしい戦い方です』


 アルカナは冷静にイルフリードの攻撃を分析している。

 戦闘の際は常時発動している暗黒騎士特有の技は、機兵の出力を上げ、攻撃による損傷を軽減する効果がある。


『それだけだと思うな』


 ネブラ・ナーダの剣が、漆黒に燃える闘気をまとう。


『ハァアアアアッ!』


 自身の生命力を削る攻撃に咆吼を上げながらイルフリードが斬りかかる。

 燃えさかる炎のように増大した闘気は、周囲を巻き込みながら幻装兵に襲いかかった。


『ソウル・イーター!』


 イルフリードの暗黒剣技に、アルカナは鋭い反応を見せ、瞬時に幻装兵の噴射式推進装置バーニアを起動させて剣の軌道から逃れた。


『魔力切れが近いか?』


 アルカナは風を使って防御しなかった。

 その理由を見抜いたイルフリードが問いかける。

 イルフリードが放った渾身の一撃は、幻装兵を掠め、装甲を激しく損傷させていた。


『否定はしません』


 アルカナは静かに言い、旋風を巻き起こす。


『――サキガミ・キサラ』


 幻装兵の機体が呑み込まれると同時に、また激しい風雨が吹き荒れた。


『今日のところはあなたの生存を許しましょう。しかし、あなたが生きている限り、私はあなたを見つけ出し、必ず殺します』


 業風が吹き抜ける。


 それが止んだ時にはもう、アルカナの姿は消えていた。


「生きている限り、私を殺す……」


『神人に目ェつけられちまったなァ』


 これまで無事だったのが、不思議なぐらいだ。キサラは苦笑して頭を振った。


神人カムトが動き出した。もう一刻の猶予もないぞ』


「……わかってるわ」


 イルフリードがキサラに告げる。

 皮肉なことに、神人アルカナの襲撃が、研究の成功を示唆していた。


 この研究は、既に神が脅威として認める領域にまで踏み込んでいるのだ。


「殺される前に必ず研究を完成させる」


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