第27話 神人降臨
どこまでも昏い昏い闇が続いている。
下るたびに軋む音を立てて不穏に揺れる梯子は、羅刹鬼の言うように黄泉の国へキサラを誘おうとしているかのようだった。
――黄泉の国。
ハクライの厄災と呼ばれる未曾有の嵐によって失われた、キサラの両親を含むハクライの里の民の魂が辿り着く場所だ。
『私は、魂だけをハクライの里に戻したいの。キサラちゃんが代償として黄泉の国に連れて行かれないように……ね?』
サヤと最後に交わした言葉が急に思い出される。
忘れもしないあの日――サヤが約束を果たそうと、一人ハクライの里に向かったあの日の言葉だ。
「……間違ってない。サヤは間違ってなかった……なのに――」
サヤを殺したあの神人の姿が脳裏に蘇る。
悔しさが込み上げて、キサラは
白鬼に封じられた魂を、黄泉の国に還さずに、里に戻そうとした――。
サヤがしようと試みたものは、キサラとの約束を果たすためのものであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
どんな形であれ、ハクライの里でまた元のような暮らしを営みたかっただけなのだ。
――死者の魂に囲まれ、二人きりで……
だが、その願いはサヤの死という絶望によって引き裂かれた。
(今度こそ、邪魔はさせない……)
二度の神人の裁きを目の当たりにしたキサラを生へと掻き立てているのは、サヤへの想いだけだ。
そのサヤとどのようなかたちで生きていきたいのかは、キサラの中で、まだ結論は出ていない。
「……っ!」
考えに沈みながら梯子を下るキサラを、閃光が照らし出す。
直後、地を揺るがすような轟音が続いたかと思うと、化け物のような雨音が頭上から降った。
神人の脅威がもうすぐそこまで近づいている。
蒼焔を手のひらに宿し、キサラは眼下に目を凝らす。
手掘りの細い縦孔のずっと下で、梯子は途切れていた。
「……急がないと……」
キサラは忌むように呟き、梯子を掴んでいた手を離す。
一瞬の浮遊感の後、キサラの身体は
覚悟していた衝撃よりも、幾分か少ない痛みに顔を歪めながら跳ね起きる。
縦孔の底には、どこからともなく吹き込む風の音が不気味に響いており、その空間がある程度の広さを持っていることをキサラに伝えた。
手のひらに意識を集中させ、蒼焔を宿す。
手探りで岩盤を探り当てたキサラは、岩壁を照らし、そこに燭台の姿を見つけると蒼焔を小さく分散させた。
燭台に僅かに残った蝋にしがみつくように、蒼焔がちらちらと揺れている。
幾つかの書棚と文机などのごく最低限の家具で構成されたその部屋は、研究室というよりも書斎という言葉が似合っていた。
大股で部屋を横切り、人一人がようやく通れる程度の横穴に這入り込む。
そうして辿り着いた部屋の奥には、皮紙と思しき厚い装丁が施されたグラスの手記と思しき本が並んでいた。
頁には、几帳面な字で日付のような数字決まった位置に羅列されている。
この場で読もうとしたが、暗号となっていてすぐには解読出来なかったが、キサラはホムンクルスの生成に関する記述であると確信し、防毒衣の内側に表紙の皮紙が比較的新しい二冊を選んで忍び込ませた。
どこからか水が漏れているのか、岩壁の至るところから水が沁み出している。
『キサラ、ぐずぐずすンな、早く引き上げろ!』
「わかってるわ、羅刹鬼」
この空間が四百年もの間、風雨や湿度の被害を受けていないことは、保管されていた本の状態からも自明だ。
岩壁から水が沁み出している今この状態が、如何に以上なのかをキサラは既に悟っていた。
『来るぞ、来るぞォ! アイツがよォ!』
羅刹鬼が興奮気味にガチガチと歯を噛み鳴らしている。
「すぐに戻る」
キサラが横穴から抜け出したその時、激しい揺れとともに岩盤が崩れ、横穴が埋もれた。
「あっ!」
キサラが反応して声を上げた次の瞬間、今度は頭上から鉄砲水のように土砂が流れ込んだ。
「……っ!」
防毒衣がなければ、どうなっていたかわからない。
流れ込んだ土砂と大量の雨水で背の低い本棚は水の底に沈んだ。
外では激しい雨の音に交じり、交戦と思しき音が響いている。
地上で戦闘が始まったのだ。
『キサラ、早く戻って来やがれ』
「今行くわ、羅刹鬼」
そう答えたものの、流れ込む水に身動きが取れない。
梯子に手をかけたが、水を吸った防毒衣がキサラの足を引っ張った。
『
「わかってる!」
苛立った声を上げた。
急がなければならないと焦れば焦るほど、流れ込む雨と土砂にキサラの身体は地下へと押し戻される。
流れ込む水で地下は水没を始めている。
キサラは、はやる気持ちを懸命に堪えて降り注ぐ水が溜まるのをひたすらに待った。
地下の空間は既に水没し、キサラの身体は三番目の鉄扉の位置にまで押し上げられていく。
流れ込む水を利用すれば、もう数刻で地上へ出られるはずだ。
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