第23話 粛正の意味

 青々と葉を茂らせる世界樹が、燦々と降り注ぐ太陽に届きそうに枝葉を伸ばしている。


 巣立ちの時を迎えた雛蜜鳥ひなみつどりが、翆色の翼を忙しなく動かしながら、世界樹の花の蜜を吸っている。


 枝葉の上に点在する雛蜜鳥の巣では、孵化の遅かった雛が親から運ばれる花蜜を待ち、甲高い声で鳴いていた。


 世界樹の根元にあるうろのひとつに、漆黒の織物が被せられている。

 そこに住まう神人カムトの一人、終末ノ巫女アルカナは、寝台の上でまだ夢を見ていた。


 アルカナの意識は、覚醒と眠りの狭間で揺れている。


 名も知らないハクライの里の巫女が、アルカナを真っ直ぐに見つめていた。


「ハクライの里の巫女は、もう自分だけ――もう一人の生き残りには素質がないの」


 大厄災を引き起こし、滅ぼしたはずのハクライの里、その民の魂を集わせながら、巫女は言った。

 アルカナは答えなかった。


「もう一人の生き残りが離れた場所にいるのは、黄泉の国からの干渉を防ぐため」


 アルカナの相槌を待たずに、ハクライの里の巫女は淡々と続けた。

 その顔には粛正に訪れた神人への恐怖はなく、死を受け容れた者の穏やかな笑みがあった。


「私が死ねば反魂術を行える者はいなくなるわ」


「……その言葉を私が信じると思いますか?」


 アルカナは漸く言葉を発した。会話などせずに命を絶てば良かったと、今でも思っている。

 若き巫女は、微笑みながら挑むように問いかけた。


「では、サキガミの里ごとまた滅ぼすの? 神人の務めとして」


 全てを見抜くような瞳に、アルカナは動揺を覚えた。


 ――この粛正は、本当に正しいのだろうか?


 今まで一度たりとも疑ったことのない、神託への疑念が湧いた。

 それと同時に、アルカナの心の奥底に押し込められていた不安が漠然と蘇った。


 ――私は、いつまでこんなことを続けなければならないのだろう。


(ああ、自分はもう粛正の役割を担うのに疲れているのだ……)


 ハクライの里の巫女に穏やかな微笑みとともに見つめられ、アルカナは唐突に理解した。


「これで、本当に終わりなのですね?」


「ええ」


 粛正対象は、反魂術を行使する者。

 この巫女の言葉を信じるならば、もう一人を殺める必要はないのだ。


「もしも――」


 アルカナの迷いを救おうとしてか、あるいは最期の欺きか。


「私の言葉を疑うなら、私の魂を破壊して。そうすれば、もう蘇らせることはできないから」


「……いいでしょう。そうさせてもらいます」


 ハクライの里の巫女からの提案に、アルカナは頷き、彼女の心臓を一息に突き刺した。


 魂を欠損させ、粉々に砕く。

 砕いた手のひらがちりちりと痛んだ。



 †



 ――禁忌の術を再び行使する者がいる。

 ――サキガミ・キサラを抹殺せよ。


 アルカナを覚醒に導いたのは、殷々と響く神託を告げるルシアの声だ。

 最悪の気分でアルカナは夢から覚めた。


「アルカナ、約束の時間が迫っています」


 うろの向こうから、ルシアの謡うような声がした。

 あの巫女の言うとおり、魂を欠損させたというのに、あの時見逃した生き残りキサラが、同じ過ちを繰り返している。


「わかっています」


 今度こそ最後だ。

 自分に言い聞かせて、アルカナはうろを出た。


 ――アルカディア帝国へ。


 禁忌の術を行使する愚かしい人間を、今度こそ滅ぼすために。



 †



 聖華暦824年8月



 キサラが所長になり、初めての夏を迎える。


 時間だけが過ぎる中、皇帝の病は進み、より多くの予算が第七魔導研究所に集められることとなったが、それに反して反魂術の研究は難航していた。


 魔獣実験の段階は過ぎ、現在は罪人を『材料』として用いた人間への適用が調べられている。

 だが、こんはくの適合問題が実験の進行を止めてしまっていた。


 魂魄には相性が存在し、蘇生する人間と定着させる肉体が合わないと、反発現象が起こる。

 相性が悪いと魂が定着しないため、肉体に入れることに成功しても、外に魂が弾き出されてしまうのだ。


 何らかの縁があることで定着率を高めることに成功したが、長く生きた実験個体は今のところ存在せず、もって数日程度――。

 皇帝の求める結果には全く及んでいない。


 強い縁で結ばれた夫婦の組み合わせの実験を行う機会に恵まれたが、性別が異なるせいか、定着が起こらなかった。


 肉体と魂の反発現象には様々な要因が複雑に絡む。

 この謎を解明することが、目下の課題となっていた。


「より深く魂の繋がりがある者……」


 これまでの研究で、キサラは、肉体と魂の定着には、縁の存在が大きいことを突き止めている。


 心当たりがある実験体はひとつだけあった。


 ――それは、私。


 サヤを生き返らせるには、自分の肉体を使う他にない。

 だが、サヤの魂は欠けている。

 それを補填しなければ、反魂術は成功しない。

 つまり、魂を補填するための同質同量の他者の魂も必要とするのだ。

 魂と肉体の両方を補う必要がある。

 すなわち、必要な『材料』としての人間は、一人では足りない。


 肉体はある、だが、魂の方は……?


 サヤと縁のある魂を持つ者はもういないだろう。

 白鬼も失われてしまった今、そこに保管されていたハクライの里の民の魂も黄泉の国にあるはずだ。


 自分の身体を使わなければサヤを蘇らせることができない。

 すなわち、自分とサヤは、共に生きることができない。


 仮に自身の肉体を犠牲にしても、もう一人の犠牲者が必要なのだ。

 その者の縁は、キサラと結ばれている必要がある。


 ――エンネア……。


 キサラは、残酷な真実に辿り着きつつあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る