第21話 イルフリードの思惑

 ゆるゆると酒を飲み、羅刹鬼とエンネアと話すうちに静かに夜が更けて行く。


 ふと気がつくとエンネアはいつのまにか眠ってしまい、キサラの太腿を枕にしていた。


「足が痺れてしまうわ、エンネア」


 髪を梳きながらキサラが呼びかける。

 エンネアは甘えるように太腿で頬を擦り、むにゃむにゃと何かを呟いた。


「……ん、お姉さん……」


 誰かと間違えているのか、あるいはそういう夢を見ているのか、エンネアの顔は穏やかでとても幼い印象を受けた。


「……そうなれるかしら?」


 苦く笑ったキサラはそっとエンネアをソファに横たえ直し、自分の羽織をエンネアにかけてやりながら呟いた。


 エンネアが帝国軍人になった背景は、魔獣への復讐のためだけではなかった。

 孤児院の人たち、特にそこで働くお姉さんに恩返しがしたかったことも、彼女の背を押したようだ。

 ただ、念願の帝国軍人となったが、キサラの監視を任ぜられ、自由に行き来することもままならない深い孤独のなかにあったらしい。


 それをキサラは申し訳なく思ったが、エンネアは、キサラのせいではないと明確に否定した。

 その上で、姉のように友人のように接して良いかと聞かれたのは嬉しかった。


(今ならわかるわ……)


 自分たちはお互いに真実を打ち明けず、互いに孤独を深めていただけだったのだ。


「今日は、ここで泊まりかしらね」


 エンネアの穏やかな寝息が聞こえてくる。

 消灯しようと、研究室の出入り口に進むと、酒瓶を片手にしたイルフリードが自動扉の前に立っていた。


「随分奮発してくれたのね?」


「酒は適度に緊張を解す。本音も出ることだろう」


「……そうね」


 眠るエンネアを横目で見、キサラは同意する。


「その様子だと、引き留めには成功したようだな」


「ええ。私、なにも見えていなかったわ」


「研究がお前の本分だ。その他はおざなりにもなろう」


 イルフリードはキサラを否定せず、淡々とした口調で言った。


「……次からは、気をつけないとならないわね」


「いい兆候だ」


 イルフリードが目を細めてキサラを見つめる。


「それ、グラナートよね?」


「ああ、そうだ。開封後は風味が落ちるからな」


 酒瓶を持ち上げて示しながらイルフリードが答える。

 早めに飲みたいというのは口実のように思われたが、キサラにとってはどちらでも良かった。

 イルフリードとも向き合う必要があったことに気づいていたからだ。


「羅刹鬼も喜んでいたわ。一緒に飲んでも?」


「興味深いな。付き合おう」


 二人で羅刹鬼の元へ向かい、静かに酒を飲み進める。

 先にキサラが口を開いた。


「……どうして私たちを取り持とうとしたの?」


「監視役のエンネアとお前が特別な関係になるのを期待して、だ」


「それは何故?」


「いざとなればエンネアを人質にできる」


 イルフリードは、唇の片側を持ち上げて歪な笑みを見せた。


「隠そうとしないのね?」


「その方が性に合っている」


 表情が乏しく、寡黙なイルフリードだが、キサラを騙すような嘘はつかないらしい。

 そういう意味で、キサラは彼に幾分かの信頼を寄せていた。


「心配しなくても、逃げたりしないわ。私には、反魂術しかないもの」


「そうか」


「それは神人にもう一度目をつけられたとしても、か?」


 神人の名が出され、キサラは険しく顔を歪める。


「あの大厄災を引き起こすのは、もう御免だわ」


 本音を呟いたが、イルフリードの言葉はキサラよりも現実を見ていた。


「神人はそうは思わないだろうな」


「……ええ」


 重く相槌を打つキサラに、イルフリードは話題を変えた。


「皇帝は、お前の研究に大きな期待を寄せられている。何れ軍から正式に少佐の階級が与えられることだろう」


「エンネアの階級を、飛び越えてしまっているわ」


 望んでもいない軍の階級にキサラは顔をしかめる。


この国アルカディア帝国は軍事国家だ。所長たる者、階級が必要だろう?」


「……そういうこと……」


「エンネアの昇級も打診してある。まあ、中尉というところだな。悪くない待遇だ」


「第七魔導研究所の所長になる……。そのための階級……」


「ああ、そうだ」


 そう考えれば、階級が与えられることも研究の前進に大いに関係することが見えてくる。

 キサラはその未来を受け容れ、イルフリードの目を見つめた。


「所長になれば、あなたにも命令出来るかしら?」


「命令の如何によっては聞いてやらなくもないな」


 キサラの軽口に、イルフリードも軽口で返す。

 酒のせいか、彼の表情はいつになく穏やかだ。


『なァ、酒が足りねェよ』


 羅刹鬼の声が降り、キサラは宙を仰いだ。


「はははは、とんだ酒豪だな。どういうカラクリかは知らんが」


 羅刹鬼の前にある杯が全て空になっていることに気づき、イルフリードが声を上げたわらった。

 そうして瓶に残っていたグラナートで杯を満たしてやった。


『おぉ、気が利くじゃねェか。あんた、良いヤツだなァ』

 

 二人の目の前で見る間に酒が干されていく。

 杯の底にはグラナートの血のような澱が残るだけになった。


「……羅刹鬼はなんと?」


「あなたをいい人だと思っているようよ」


「……そうか」


 キサラが羅刹鬼の言葉を通訳すると、イルフリードは自嘲気味に笑って額を押さえた。


「勅命とあらば、神人カムトさえ殺す男だ」


『神人と戦うって言うのかァ? くくっ、名案じゃねェか』


「……神人と戦うつもり?」


 羅刹鬼の呟きとキサラの質問が重なる。


「誰であれ、計画を邪魔されるわけにはいかない」


「……私にも出来る?」


 キサラの問いかけに、イルフリードは首を横に振った。


「戦闘訓練を受けたわけでもないお前になにが出来る?」


『キサラにゃァ、無理だ。けどよォ、わしがどうにでもしてやれる』


「羅刹鬼がいるわ」


 羅刹鬼の言葉を受けてキサラが挑むように言うと、イルフリードは感嘆の息を漏らした。


「……サキガミの里の戦士は、これで戦うのだったな」


「そうよ。だから、私が所長になった暁には、羅刹鬼を同じ研究室に置かせて」


「なんのために?」


「神人を殺すために」


 問いかけにキサラは即答した。

 イルフリードは、杯を飲み干して置き、立ち上がった。


「……考えておこう」


 そのままキサラに背を向け、イルフリードが去って行く。


『なァ、キサラ、これ、わしが飲んでもいいってことだよなァ?』


「きっとそうよ」


 キサラが応えた直後、酒瓶が倒れる。

 瓶に残っていたグラナートは空になっていた。

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