第19話 他者への興味
エンネアの部屋には、鍵を使うまでもなく、入ることができた。
軍人の居室というよりも、年齢にしてはやや可愛らしいものの目立つ、女の子の部屋という印象だ。
エンネアはベッドの傍らの椅子に腰かけていたが、キサラの来訪に驚いた様子で立ち上がった。
「どうして……」
「ごめんなさい、エンネア。あなたの忠告をもう少し聞かせてほしいの」
キサラはまず謝罪し、エンネアの部屋に留まる許可を求めた。
「忘れてください」
「無理よ」
暫しの沈黙の後、エンネアが無言で椅子を示す。
キサラは拳を手のひらで包み、感謝の意を示してゆっくりと頭を垂れた。
キサラに椅子を譲ったエンネアは、ベッドの上に移動した。
掛け布は軍服とはそぐわない淡い桃色だったが、エンネアに良く似合っているとキサラは思った。
(私、エンネアのこと、なにも知らなかった……。知ろうとしていなかったんだわ……)
毎日のように顔を合わせ、必要最低限の会話をする。
監視者とその対象としての関係性はそれで良いのだと最初から決めつけていた。
だが、エンネアは違ったのかもしれない。
椅子の横にある机には、幾つかの本が置かれている。
可愛らしい赤い果実をあしらったような栞が、読みかけらしき恋愛小説に挟まっていた。
「……本当に忘れて下さい。あれは、私的な理由です。任務に私情を挟むべきではなかった」
沈黙に耐えかねたようにエンネアが口を開く。
あるいは、キサラに早く退室してほしいということなのかもしれない。
いずれにしてもその言葉には嘘や偽りはなく、エンネアの顔は後悔とも悲しみともつかないもので歪んで見えた。
「それを聞いても?」
私的な理由。
エンネアが初めて口にした私情がキサラには気にかかった。
「……キサラさんは、死者の声を聞くことが出来るんですよね?」
俯いていた顔を上げ、エンネアがキサラを挑むように見つめた。
「それは正しくないわ。私が聞くことが出来る死者の声は、羅刹鬼だけ」
「あの鬼の?」
「ええ」
キサラが応えると、エンネアは膝の上で手を組み合わせ、目を閉じた。
エンネアが話す気になるのをキサラは根気強く待った。
「……それでは、私が話すしかないですね」
長い沈黙のあと、エンネアは漸く口を開いた。
幼い頃に両親を魔獣に殺され、孤児院に引き取られたこと。
軍人になったのは、魔獣を討伐する側の人間になるためだったこと。
エンネアの告白を聞いたキサラは、自分の考えの浅さに奥歯を噛みしめた。
「……つまり、あなたにとってこの環境は望ましくないということなのね、エンネア」
「いいえ。望む仕事を任されるほどの腕ではないというだけです」
あくまで謙虚な応えだったが、背景を知った以上、エンネアの前で魔獣実験を行うことはキサラには憚られた。
「……もしも、魔獣を用いた実験を止めるなら、あなたは監視役を続けてくれる?」
「駄目です」
キサラの申し出をエンネアが鋭く突っぱねる。
「自分のせいで研究が止まるようなことは、あってはならないことです」
「でも、あなたはさっきそう言った」
「失言です。撤回します」
言質を取ろうと努めたが、エンネアは拒絶した。
「いいえ。口から出た言葉は、もう元には戻らないの。あなたの本音を教えて」
たとえエンネアの過去や考えがどうあれ、実験を止めるような権限がないことはキサラも承知している。
キサラはその上で、エンネアが無理なく過ごせる環境を用意したいと考えを改めつつあった。
「……研究を止めないと誓ってくれるならば」
「いいわ」
その打開策を、これから二人で考えるのだ。
キサラはエンネアの意見に身を乗り出して耳を傾けた。
「魔獣の実験を行うなら、キサラさんでも倒せる個体にしてください」
幼獣ならば、キサラでも倒すことができる。
あくまで襲ってくる想定で準備し、実験に挑めば良いだけなのだ。
その改善策はすぐにでも実施出来る。
「それでいいの?」
「危険を限りなく低くするのは、研究の基本ではありませんか? それに、人間を蘇らせるのが最終目標ならば、実験個体も人間であるべきです」
思わず聞き返したキサラに、エンネアは淡々と抑揚のない声で続けた。
「……エンネア、言っていることが滅茶苦茶よ」
人体実験を強く推すようなエンネアの発言にキサラは眉を顰めた。
「いいえ。……この研究には最初から倫理なんてないんです。必要ならあなたの共犯になりますよ」
そう言って微笑みを湛えるエンネアの真意を、キサラははかりかねた。
「……エンネア……?」
「だからあなたも、本当のことを教えてください、キサラさん」
「本当のこと?」
「あなたが本当に蘇らせたい人は誰なんです?」
問い返すキサラに、エンネアが頷く。
その目は、キサラのさげている勾玉に注がれていた。
「私が本当に蘇らせたいのは……」
そこまで言って、キサラは口を噤んだ。
今から話すことは、この実験への重大な背信行為だ。
「私だけ、話さないわけにはいかないわね」
「そうですよ」
それでも話さないわけにはいかないだろうと覚悟を決めると、エンネアは少し笑って頷いた。
「……私も、黙っていて済みませんでした」
「いいのよ。私も、誰にも言っていなかったから」
シトゥンペ以外の人間に、初めて自分の目的を話す。
キサラの心は不思議と落ち着いていた。
「私が蘇らせたいのは、私の大切な親友。私のために、滅びた故郷のみんなのために
勾玉を首から外し、手のひらに載せてエンネアの前に示す。
そうしながらキサラはサヤに想いを馳せた。
「神人……?」
御伽噺でも聞くようにエンネアは目を瞬かせた。
神人のことは、広く知られている。
ただ、その裁きを受けた者はこの地にはいないのだろう。キサラは頷いて続けた。
「ええ。この研究は禁忌の術を追うもの。このまま無事に成し遂げられるかもわからない――」
「でも、続けるんですよね?」
キサラの発言にエンネアが確かめるように問いかける。
「勿論。それこそが私の生きている意味だから」
キサラは微笑み、サヤの魂の隠る勾玉を首にかけた。
「……わかりました。引き続きあなたの監視を続けます、キサラさん。あなたが道を誤らないように」
キサラは椅子から立ち上がり、エンネアを見つめた。
「お願いできる?」
「今日のようなことがなければ」
エンネアもベッドから降り、キサラと向き合うように立った。
「そうね。これからは、遠慮しないで、なんでも話してくれる?」
「お互いに」
そう言いながらエンネアが右手を差し出す。
キサラがその手を取り、握り返すとエンネアは頷いてゆっくりと手を解いた。
「……どこへいくの?」
そのままキサラを追い越し、自室を出ようとするエンネアの背に呼びかける。
「実験室を片付けましょう。キサラさんがここに来たということは、待機命令はもう解けていますよね」
「確かにそうだわ」
エンネアの聡明な推察に、キサラは笑って彼女に続いた。
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