第18話 エンネアの真意


「……狂ってます。こんなの……」


 ガラスや什器が散乱している実験室を黙々と片付けながら、エンネアが呟いている。


 未完成な反魂術、その危険性すら省みない所長や所員の姿勢を明らかに嫌悪している様子だ。

 今日の一件で、エンネアが普段は表に出さないように潜めている嫌悪感はより顕著になっていた。


「そうかもしれない。でも、やるしかないの」


 キサラは砕けた鬼の骨の欠片を拾い集めながら、実験失敗の要因について考えを巡らせている。


「応援を呼びましょう。片付けないと」


 そう言いながらエンネアは八脚牛に刺さったままの愛剣の柄に手をかけた。

 引き抜こうとするが、死後硬直が進んだ頭部からはなかなか抜くことが出来なかった。


「手伝うわ。エンネア」


 エンネアを手伝おうとキサラが手を添えようとしたその瞬間。


「結構です!」


 エンネアが噛みつくように吠え、キサラの手を振り払った。


「あ……」


 明確な嫌悪を自身に向けられ、キサラは呆然として手を押さえた。


「……キサラさんは、他にやるべきことをしてください」


 エンネアは取り繕うこともせず、剣を諦め、踵を返して実験室を出て行く。


「…………」


 その背を無言で見送るキサラは、実験室に一人残された。


「研究は進んでいるのに、……不思議。嬉しくないのね……」


 溜息混じりに呟き、八脚牛からエンネアの剣を抜く。

 刹那、電気回路に異常が出たのか、研究室の明かりが消えた。


「…………」


 無詠唱で蒼焔を浮かび上がらせ、手許を照らしながらキサラはエンネアの剣を実験台とは別の台の上に置いた。


 手のひらで揺らめく蒼い炎は、懐かしいハクライの里をキサラに思い出させる。


 思えばこうして蒼焔を使うのは、いつ振りだろうかと考えて止め、キサラはその場に屈んで魔法陣の検証を始めた。


 鬼の骨を磨いて作り上げた魔法陣は、八脚牛の反魂術の際に音を立てて割れ続け、今や殆ど粉のようになっている。

 キサラは残った粉の上に蒼焔を宿らせ、炎の魔法陣を作り上げると、その中心に入った。


「復活させたい魂を器に確実に宿らせるような手段を採らなければ、彷徨っている魔獣に乗っ取られる可能性が高いことが判明した……」


 それが今日得られた実験の成果だ。


「魂が確実にそこにあると示せるもの――」


 それが必要なのだと思いを馳せたキサラは、サヤの勾玉のことを思い出した。

 肌身離さず首から提げて身に着けているものだ。


 ――サヤ、あなたを蘇らせる他に反魂術の成功はないの。


 今のキサラには、偶然ではなくそれは必然のことのように思われた。

 勾玉は死者の言葉を伝えることなく、ただ穏やかな光を蒼焔に映しながら揺らめかせている。


「……」


 実験室と隣接する飼育室から物音が聞こえ、キサラの視線は、生き残っているナウマンの幼獣に向けられた。


 一度反魂術で蘇ったナウマンの魂は、まだ実験室に浮遊しているはずだ。


「今なら……」


 キサラは、名状し難い探究心に突き動かされるように麻酔の入った魔導砲ハンドガンを手に飼育室へと近づいていく。


「もう止めて!」


 エンネアの悲鳴が聞こえて、キサラは我に返った。


「エンネア……?」


 自動扉の前に佇んでいるエンネアは怒りに顔を赤くしたままつかつかと歩み寄ると、キサラの前で仁王立ちになった。

 憤怒と嫌悪の入り混じった表情がキサラに向けられている。


「エンネ――」

「失礼します!」


 エンネアが声を上げると同時に、ぱん、と頬を叩かれた。


「一体何を考えているんですか? 危うく死ぬところだったんですよ!?」


 エンネアが声を荒らげてキサラを見つめている。

 キサラは熱を帯びた頬を押さえ、自分に何が起きたのかを反芻した。


(エンネアに、叱られてる……?)


 キサラの監視を務めるようになって一年、エンネアとの会話はごく事務的なものだ。

 感情を露わにして睨めつける彼女の表情に、キサラは驚きを隠せなかった。


「エンネア、あなた――」

「実験は中止してください」


 キサラの言葉を遮り、詰め寄ったエンネアがキサラの手から魔導砲ハンドガンを取り上げる。


「……それは命令?」


 キサラが試すように訊くと、エンネアははっとしたように目を見開き、少し時間をかけていつもの表情に戻った。


「……お願いです」


 怒りを孕んでいた語気も普段の抑揚の少ない話し方に戻っている。

 エンネアは俯いて魔導砲ハンドガンの向きを変え、キサラに銃把グリップを差し出した。


「……私を心配してくれているの?」


 魔導砲を受け取り、エンネアに問いかける。


「違います」


 エンネアは激しく頭を振り、絞り出すように続けた。


「魔獣実験は危険です。人間を蘇らせるためなら、人間を使って下さい」


「……エンネア……?」


 苦しげに発するエンネアにキサラは、空いている方の手を伸ばす。


「……っ」


 だがキサラの手はエンネアに触れる前に、彼女の手に寄って退けられた。

 キサラとの距離を空け、エンネアが更に深く頭を垂れる。


「出過ぎた真似をしました。……私を外してください」


「それを決めるのは、私ではないわ」


 エンネアの突然の申し出にキサラが苦く唇を噛む。

 二人の間に流れる沈黙を破ったのは、イルフリードだった。


「無事か?」


 開き描けた自動ドアに身体を滑らせるようにして割り込み、イルフリードが二人の前に進み出た。


「エンネアが守ってくれました」


「……そうか……」


 呟くような相槌を打ったイルフリードはエンネアの背を見つめている。

 その視線を感じ取ったように視線を巡らせたエンネアは、イルフリードの方に向き直った。


「あの――」


「席を外せ、エンネア少尉。自室で待機しろ」


 エンネアの言葉を聞かずにイルフリードが命令を下す。


「わかりました」


 異を唱えることなく、エンネアは実験室を後にした。




 †




「実験結果は、皇帝の耳に入った。成功を大変お喜びだ」


 所長を通じて研究結果の報告がなされたのだろう。

 実験室の惨状を目の当たりにしているにもかかわらず、イルフリードのキサラへの評価は変わらなかった。


「……ありがとうございます」


 慇懃にキサラは応え、殺処分された魔獣の残骸を一瞥した。


「だけど、大きな課題が出たことも事実。それから――」


 キサラは言い淀みながらも、エンネアが監視役から外してほしいと申し出たことを掻い摘まんで伝えた。


 イルフリードは別段驚きもせず、キサラの目を真っ直ぐに見下ろして訊ねた。


「……お前はどう思う?」


「私は、エンネアに残ってほしい。それが可能ならば」


「何故だ?」


 問いかけへの答えは既に出ていた。


「私を止めてくれる唯一の人であり、私を歩ませてくれる唯一の人である気がするから」


「それはお前の異能による予見かなにかか?」


「いいえ。ただ、そう思うというだけ」


 エンネアのことを大きく誤解していたという反省とも後悔ともつかない感情が、キサラの中に渦巻いている。


「……わかった。エンネアは外さない。だが、説得はお前がすることだ」


 イルフリードはそう言いながら腰につけた鍵束を探り、その中から一本を抜き取ってキサラの前に差し出した。


「これは?」


「エンネアの部屋の鍵だ。その意思ぐらいはあるのだろう?」


 エンネアの説得をしに行けということなのだろう。

 エンネアの部屋で、二人きりで。それは、イルフリードがくれた貴重な機会だ。


「……ええ」


 キサラは頷き、手のひらの鍵を握りしめた。


「良い兆候だ。お前が他の人間に興味を示すのは、これが初めてだろう?」


 サヤを失ってから、他者に対してこうした感情を抱くのはキサラにとっては初めてのことだった。


 核心を突くようなイルフリードの問いかけに、キサラは応えることが出来なかった。




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