第13話 薄氷の蝶

 聖華暦せいかれき819年11月


 休耕中の水田に氷が張っている。


 サキガミの里から幾分か離れた地に、キサラだけが住まう小屋がある。

 傍に井戸を備えたその小屋は、ハクライの里と同じ茅葺きの小さなもので、膝を抱えるようにして眠る羅刹鬼と大きさはそれほど変わらない。


 まるで羅刹鬼に守られているかのように、その小屋は静かに佇んでいた。


 夜が明けて間もない小屋に明かりが灯る。

 小屋から姿を見せたキサラは、籠いっぱいの白い小石と小さな虫籠を携え、氷の張る水田に足を踏み入れた。


 綿の入った外套を着てもなお、外は凍えるように寒い。

 小屋の傍らで眠る羅刹鬼の身体にも、霜がおりていた。


 白い息を吐きながら、キサラは氷の上に小石を几帳面に並べて行く。

 日が昇る頃にはそれは幾つもの円を基礎とした紋様で構成された図――魔法陣となった。


「手応えはどうなンだ?」


「……あるわ。起きてたの?」


「お前の声が五月蠅くて、おちおち寝てもいらンねェよ」


 頭上から降るような羅刹鬼の言葉に苦笑を浮かべながら、キサラは魔法陣の中心に立つ。

 携えていた虫籠の蓋を開き、冷たい空気を吸い込むと、キサラは目を閉じて詠唱を始めた。


 彼岸の扉よ、禁忌の英知よ。

 どうか、祈りにこたえてほしい。


 キサラの詠唱に反応して、小石のひとつひとつが煌めき出す。


 消え往く者に新たな天命を。

 辿る輪廻は永遠に。

 愚かな願いを照らしてほしい――


 虫籠が柔らかな風に揺れ、その中に温かな光が満ちていく。

 それは眩く発光したかと思うと、水鏡に写る日の光に誘われるように虫籠を流れ出た。


「ほう、鬼の骨を魔法陣として魔力を補ったとは……。見事なものだね」


 白く透き通るような翅の蝶が舞っている。


 キサラの元を訪れたシトゥンペは、和やかな緑の光浮かべた目を微笑むようにゆったりと明滅させ、空の虫籠を指差した。


「子供たちに集めさせていたのは、このためかい?」


「……ええ」


 サヤの死から五年が過ぎた。


 ハクライの里から写しを預かっていた研究記録とサヤの残した記録を読み解いたキサラは、シトゥンペの口伝で欠けた情報を補いながら、キサラはサヤと同等の知識を得た。


 サヤのような強大な魔力を持たないキサラは、鬼の骨で描いた魔法陣を用い、死んだ蛹を蘇らせ、蝶としてかえすことに成功したのだ。


「……でも、人間の魂を呼び戻すにはほど遠いわ」


「何事にも段階というものがある」


 シトゥンペが手を伸ばし、その指先に蝶が留まる。

 だがその瞬間、蝶は薄氷が割れるように砕けてしまった。


「儚い命だ……」


「身体が仮初めでしかないもの」


 予めわかっていたことのようにキサラが応じる。

 キサラの言葉からその思考を読み解いたようにシトゥンペがキサラを見つめた。

 左右三つずつあるその目の二つが、黄色く点灯している。


「失われた命を宿していた身体、それ以外にもうひとつ身体が必要なのかい?」


「そう。生きている器が」


「……反魂術が完璧になるまでは、人には用いないことだよ」


「ええ――」


 キサラが応える声に、物見櫓から突如として響き渡った警鐘がけたたましく重なる。


 方角を知らせる鐘の音に従って南西に目を凝らすと、遠くに幌のついた巨大な荷車を引く、半人半獣のような姿をした機兵の一団が迫っているのが見えた。


「あれは……?」


人馬機兵じんばきへいのキャラバンだね。一体何故……」


 呟くシトゥンペの目は警告を示す赤色に明滅している。

 シトゥンペにやや遅れて、キサラはキャラバンの荷車から響く機兵の起動音に気づいた。


 悪魔を思わせる漆黒の機体の頭部には、水牛のような黒い衝角が備わっている。

 機兵はキサラとシトゥンペを目視すると同時に、噴射装置バーニアを起動させ、人馬機兵の一団を悠々と乗り越えた。


「里に入るつもり!?」


「キサラ!」


「私が行く」


 キサラが羅刹鬼の元へ駆けるよりも早く、機兵がその進路を大剣で塞いだ。


「酷ェ挨拶だなァ……」


 胡乱うろんそうな羅刹鬼の声には危機感がまるでない。

 恐らく、相手が危害を加える類いの者ではないと悟っている様子だ。


「……敵かしら?」


「敵か味方かってェのは、置かれた立場によって決まるもンさ」


 羅刹鬼との会話の間に、機兵が停止し、胸部にある操縦槽の扉が開いた。

 中から姿を見せたのは、緩い癖がかった長い白髪の騎士だった。


「ハクライ族の生き残りか?」


「……あなたは誰?」


 キサラの問いに、騎士がゆったりとした仕草で頭を垂れる。

 慇懃なようでいてその冷たい視線はキサラに向けられたままだった。


「失礼。私は暗黒騎士イルフリード。アルカディア帝国・第17代皇帝アウグストフ・フォン・ユーゼス・アルカディアの勅命を受け、反魂術が使える人間を探している」


 ――反魂術。


 キサラがサヤのために読み解いている禁忌の術だ。

 たった今、その成功の片鱗を見せたばかりの――


「もう一度聞く」


 イルフリードと名乗った騎士は、キサラの沈黙に対し、確信を持って剣を抜いた。


「ハクライ族の生き残りか?」


「そうだとして、どうするつもり?」


「知れたこと。私と共にきてもらう」


 機兵から降りたイルフリードが、切っ先をキサラに向けている。


「選択の余地はないようだね」


 シトゥンペが緑と黄色に目を光らせながら、首をすくめる仕草をした。


「生憎と反魂術は未完成なの。人間に適用することはできないわ」


「承知の上だ。その研究のための投資は惜しまない」


 イルフリードの言葉が本当ならば、キサラには願ってもない環境が与えられることになる。


「……本当に?」


 興奮のせいか幾分かうわずった声が出た。


「皇帝は、長く病に伏せっておられる。死を回避する術を、あるいは新たな肉体に蘇る術をお求めだ」


 イルフリードは帝国の内情を語り、キサラの興味を惹く。


 アルカディア帝国では、魔術師組織や幾つもの研究者らにより、延命の対策が練られており、様々なプロジェクトが動いている。

 反魂術もそのひとつとして、延命・不死・蘇生などを研究するために第七魔導研究所に新たに研究室が設けられ、彼はそれを扱うことの出来る呪術師シャーマンを捜していたのだ。


「……わかったわ。貴方に従う」


「賢明な判断だ」


 キサラの返答にイルフリードは剣を下ろした。


「ただし、条件があるわ」


 キサラはそう言いながら、小屋の傍らで膝を抱えるようにして座している羅刹鬼を指差す。


「その鬼の機兵を、私とともに連れて行きなさい」


「何故だ?」


 すぐにイルフリードが異を唱えた。


「ハクライの里が滅びたのを知っているのよね?」


「ああ。神人カムトが起こした大厄災の悲劇は話に聞いている」


「サキガミの里とハクライの里が協力関係にあったことも?」


「勿論だ。だからこそ、サキガミの里を訪れた」


 ここに辿り着くまでにかなり深く調べていたのだろう。

 イルフリードはキサラの問いかけに淀みなく応えた。


「それならわかるわね。サキガミの里の民は鬼の死骸を使う。この羅刹鬼は、生ける屍としての機兵。……反魂術には、鬼の身体が必要なの」


「危険分子という理由で排除するには余りある利があるわけだな。許可しよう」


 イルフリードの許可が下り、キサラは安堵の息を吐いてシトゥンペへと視線を移した。


 その全ての目の色は青く変わっている。

 目の色で、シトゥンペにも異論がないことは読み取れたが、キサラは敢えて声に出した。


「……シトゥンペ――」


「君の判断だ。僕に口を出す権利はない。より研究が進む環境へ行くのだね?」


 言い終わる前にシトゥンペが深く頷きながら羅刹鬼を仰ぐ。


「ええ」


 キサラはシトゥンペの正面に向き直り、拳を手のひらで包んで、ゆったりと頭を垂れた。

 その頭にシトゥンペの機械の手が触れ、サキガミの里を離れることが許された。


「……驚いた。これほど素直に従うとは」


 言葉の割りには抑揚のない声で言い、イルフリードは剣を収めた。


「利害が一致するから」


「……蘇らせたい人がいるのか?」


「あなたには関係ないことよ」


 その先の会話は必要なかった。

 キサラは注連縄しめなわで封印を施した羅刹鬼とともに、幌のついた荷車に乗せられ、アルカディア帝国へと向かうキャラバンの一団に加えられた。


 到着までの二か月の間は、シトゥンペから分け与えられた鬼の骨を磨く作業に徹することに決めた。


 ――待っていて、サヤ。


 鬼の骨のひとつひとつを玉のように磨き上げながら、キサラはサヤの鎮魂の舞を思い出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る