第12話 弔いの夜

 ハクライの里に唯一置かれた祭壇の上で、サヤは息絶えていた。


 燃えた鳥居が燻っている。

 空の色を煤で染めようとしているようだ。


 夕陽の最後の煌めきが、そこに残る儀式用の勾玉の存在をキサラに気づかせた。


 おずおずと祭壇に手を伸ばし、そこに置かれている勾玉を取る。


「……ッ!」


 焼けるように熱かったが、構わず握りしめた。

 握りしめているうちに熱さは消え、キサラはそれを直感でサヤの胸に翳した。


(お願い、サヤ。この中に入って……)


 勾玉の上に手を重ね、祈りを込める。

 サヤの身体から魂が抜けるような感覚が手のひらを通じて伝わった。

 魂が抜け出たサヤの身体は、急速に冷えていく。

 鬼の骨で作られた勾玉だけが、微かな温もりを残している。


(私を置いて行かないで、サヤ……)


 キサラはサヤの身体に勾玉を押し当て、祈り続けた。




 †




 夜が更けて行く。

 月のない夜だった。


 死者の声を聞き取ることが出来るキサラだが、サヤの声は聞こえない。


「羅刹鬼……」


「なァんにも聞こえねェよ」


 言わんとしていることがわかっていたかのように、羅刹鬼が先に応えた。


「そう……」


 キサラにはサヤのように全ての死者の言葉を聞くことはできない。

 親友であるサヤの声さえ、キサラには聞き取ることが出来なかった。


「……この勾玉に、サヤの魂は宿ってると思う?」


 巫女の力はないが、弱々しいながらも勾玉の中にサヤの魂の気配を感じる。

 それを確信に変えたくて、キサラは羅刹鬼に訊ねた。


「ああ、そこにあンぜ。サヤの匂いがするからなァ。けど、物足りねェ」


「物足りない?」


 キサラの問いかけに、羅刹鬼が溜息を吐く。


「……その魂、壊されてるぜ」


「どうして? なんのために?」


 信じがたい羅刹鬼の言葉に、キサラは目を瞠った。

 見開いた目からは涙が止めどなく溢れてくる。


神人カムトのするこたァ、わしにはわからんが、戒めとかナントカいうンだろうなァ」


「戒め……」


 ――私たちはただ、取り戻したかっただけ。


 希望の門出となるはずだった。


 思い描いていたサヤとのこれからの未来が、焦げ付くように黒く染まっていく。


「サヤ、サヤ……」


 温もりが消えた身体は、もう動かない。


 サヤの身体を抱きしめて、キサラは一晩中泣き続けた。




 †




 戻らない二人を捜しにシトゥンペがハクライの里を訪れたのは、翌日のことだった。


「キサラ……」


「…………」


 声をかけられて振り向いたキサラの泣き腫らした目で、シトゥンペは全てを察したようだった。

 無言のまま鎮魂の祈りを捧げ、焼け焦げた鳥居をそっと地面に横たえるように倒したシトゥンペは、サヤの亡骸を引き取り、キサラを促した。


「サキガミの里に戻ろう」


「……はい……」


 シトゥンペに言われるがまま、キサラは失意のうちに、羅刹鬼とともにサキガミの里へと戻る。


 魂の抜けた白鬼は、ハクライの里に置き去りにされた。




 †




 囲炉裏の炭火に紛れた薪が、ぱちぱちと爆ぜる音を立てている。

 天井から吊した自在鉤じざいかぎに吊された鍋の中では、甘酒が沸々と煮えていた。


「……飲みなさい」


 木椀に掬ってキサラに手渡し、シトゥンペが足を組み替える。

 キサラは熱く湯気を立てる甘酒で唇を濡らし、すぐに椀を置いた。


「……反魂術は失敗に終わったか……」


「……神人が現れなければ、魂は呼び戻せていたと思います」


 重々しいシトゥンペの言葉にキサラは首を横に振る。


「私のせいで、サヤは――」


「巫女としてそうなる運命を知って、ハクライの里に戻ったのだ。キサラ、君のせいではないよ」


 呟きをシトゥンペが引き取ったが、キサラは納得出来ずに激しく頭を振った。


「私はその話を知っていて、サヤに甘えた。力がないから、サヤに全てを委ねてしまった。だから……」


「神人がどう動くかは、誰にもわからなかった。サヤは一縷の望みにかけたのだよ」


 シトゥンペの言うことは正しいのかもしれない。

 サヤが亡き今、彼女の真意をキサラが知ることもできない。


「でも、サヤは多分、私を生かすために神人の裁きを一人で受けた。神人は、私と羅刹鬼に、目もくれなかったから……」


「……そうか……」


 悔恨の涙がキサラの頬を冷たく濡らしている。

 絞り出すように言い、キサラは肩を震わせて息を吐いた。


「己が死ぬことでハクライの里に伝わる反魂術がなくなったと、神人に思い込ませたかったのかもしれんな」


「……サヤ……」


 あのとき、たった一人で神人と対峙していたサヤには怯えている様子はなかった。

 全てを覚悟していたのなら、どうして自分に打ち明けてくれなかったのか。

 どうして自分はそれを深く聞こうとしなかったのか。

 後悔だけが募り、キサラの中に重く積もる。


「……キサラ」


 シトゥンペがほとんど手を付けていないキサラの木椀を手にして促した。

 キサラはすっかり覚めたその甘酒をもう一口だけ飲んだ。

 甘いはずのそれは、酷く苦く感じられた。


「……君はこれで、ハクライの里の最後の生き残りとなった。サキガミの里に残されたハクライの里のものは、全て君に継承される」


 抑揚のほとんどない声で言うシトゥンペは、私情を挟まずに事実だけをキサラに伝えようとしている。


「……ただし、君が望めば――の話だ」


 付け加えられた一言に、キサラは顔を上げた。


「そこに反魂術はある?」


「ああ、もちろんだ」


 その問いが来ることを予め承知していたかのようにシトゥンペは頷いた。


「継承します。ハクライの里に伝わっていた全てのものを」


「……なんのために?」


 ――過ちを繰り返すンじゃねェよ。


 羅刹鬼の声が聞こえたような気がした。

 だが、その過ち以外に、キサラを生きる道へと駆り立てるものは最早なかった。


 居住まいを正し、シトゥンペの目を真っ直ぐに見つめてキサラは答える。


「サヤが成し得なかったことを、今度こそ果たすために。サヤを生き返らせるために」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る