第4話 鎮魂の舞

 荒れ狂う嵐の音が、獣の咆吼のように唸りを上げている。


 迫り来る嵐を前にサキガミの里では厳戒態勢が取られ、全ての家屋の鎧戸が下ろされた。

 鋼鉄の板で支えられた茅葺きの屋根が、音を立てて風に蹂躙されている。

 窓を覆う鋼鉄の戸で、外の様子を窺い知ることはできなかった。


 それでもガタガタと揺れ続ける鎧戸や、強風に煽られて軋む柱や家鳴りが外の嵐の凄まじさを物語っている。

 跳ね上げられた石か、或いはどこからともなく巻き上げられた飛来物か何かが絶えず家のどこかに当たり、かん、かんと甲高い音を立てている。


 ざあざあと降りしきる雨は、家々を洗うように激しく叩き付け、絶え間なく降り続けている。

 遠くで川の増水を知らせる警報の鐘の音が鳴っていたが、恐ろしい雷鳴が近づくにつれ、聞こえなくなった。


 ハクライの里に戻ることができなくなったキサラとサヤは、シトゥンペの家に保護されている。

 雨で冷えた身体を湯で温め、綿がたっぷりと詰まった布団にくるまっても、二人の震えは止まらなかった。


「サヤ、どうしよう……。里が……」


 不安と恐怖で歯がかちかちと鳴っている。

 それを止めることも出来ずに、キサラが弱々しく呟いた。

 傍らに寄り添っているサヤは、じっとキサラの目を見つめ、何も言わずにその身体を抱き寄せた。


「……祈ろう、キサラちゃん」


 額を合わせ、サヤが目を閉じる。

 キサラは何も言えずにただ目を閉じてサヤに合わせた。

 サヤの華奢な指先がキサラの指を探り当て、祈りの形に組み合わせる。


「大丈夫。大丈夫だよって信じよう……」


「うん……」


 恐ろしい嵐を前に、子供である自分たちはあまりにも無力だ。サヤと手を繋ぎ、額を合わせて祈りを捧げ続ける不安な夜は、明けるまで長い時間を要した。


 嵐は、夜明けと同時に収まった。


 魔獣の唸りのような風の音はもう聞こえてはこない。

 目を覚ましたキサラとサヤは、揃って外へと出た。


 荒れ狂う嵐の一夜が過ぎたサキガミの里では、土砂崩れなどの被害が起こっている。

 一部の家屋が風雨に耐えきれずに倒壊しており、その構造物がサキガミの里の中心部に渦を巻くように積み重なっている。


「どうやら、この里でも小さな竜巻が起こったようだ」


 瓦礫を片付ける作業に入っている男衆や従機を呆然と見守っているキサラとサヤに気づいたシトゥンペが、ゆったりと歩を進めながら状況を伝えた。


 瓦礫が積み重なっているのは、ちょうどサキガミの里の中心に置かれた『九界の天輪くかいのてんりん』と呼ばれる輪を形取った造形物の上だ。

 これは、シトゥンペが回収してきた聖遺物と呼ばれるもので、魔獣を退ける性質があるらしい。


「九界の天輪も狙われたのですか?」


 サヤの問いかけに、シトゥンペは首を横に振った。


「いや、これは偶然に過ぎないよ。里の中心には元々風が集まりやすいからね」


 従機じゅうきによって大きな瓦礫が取り除かれ、九界の天輪が無事であることが示される。

 シトゥンペは作業を終えた従機に寄り、左右六つの目を用いて信号を送った。


「さあ、ハクライの里へ戻る覚悟はあるかい?」


 問いかけにキサラとサヤは揃って頷く。シトゥンペが言わんとしていることを頭では理解していたが、自分たちの祈りが通じていることを願わずにはいられなかった。


「ならば、行きなさい。音沙汰がなければ、迎えを寄越すからね」


「……ありがとうございます」


 右の拳を左の手のひらで包んで頭を垂れ、感謝の念を伝える。

 キサラとサヤは、行きと同じ従機に取り付けられた荷車に乗り、ハクライの里を目指した。



 †



 泥濘ぬかるんだ地面に足を取られぬように踏みしめながら、従機が機械仕掛けの足を歩ませている。

 荷車に取り付けられた車輪は、泥に沈み、従機に引っ張り上げられながら大きく浮き沈みを繰り返しながら進んでいる。


 道中の嵐に呑まれた木々が泥を浴びて葉を失い、一夜にして枯れている。

 雷に貫かれて黒焦げに引き裂かれた大樹や、氾濫してまだ水も引いていない河川など、ハクライの里に近づくにつれ、昨晩の深刻な被害が明らかになっていく。


 頭上から照りつける太陽の光は、秋のあの穏やかな光ではなく、目の前に広がる惨状を目に焼き付けろといわんばかりに激しく辺りを照らし、罅割れて白くなった泥の道は従機の足を何度も沈ませ、その進路を妨げている。


 荷車の上のキサラとサヤは、互いに交わす言葉さえ忘れてしまったかのように沈黙を保ち続けている。


 厄災の爪痕は、今、信じ難いほど残酷な現実となって二人の前にあった。


 美しく実った金色の稲穂が、根から倒され、あるいは風に引き抜かれて倒木の枝にぶら下がっている。

 泥を被り、落雷で燃えた木々の灰を被ったそれらに、サヤが目を覆って伏せた。


「あぁ……あぁっ」


 短い慟哭が、隠しきれないその声がサヤの小さな背を震わせている。

 キサラは涙で濡れて見えなくなった視界に気づき、ごしごしと袖で目許を拭くと、睨むように前を見据えた。


 従機の足は、もう進まなくなっていた。


 それは、この場所が、ハクライの里であることをキサラたちに知らせた。


 家屋はおろか、里にあったなにもかもが、泥と灰に埋もれている。

 誰の姿もなく、恐ろしいほどの静寂が辺りを包んでいた。





 ハクライの里は嵐によって蹂躙されたいた。


「あぁ、ここが……」


 荷車を降り、そう呟くのが精一杯だった。

 足元がぐらぐらと揺れているような感覚に、目眩を覚えた。

 意識していなければ、息の仕方も忘れてしまいそうだ。


 泥濘ぬかるんだ地面に足を取られないよう歩みを進めながら、キサラは自分の家のあったはずの場所に進んでいた。


 割れた茶碗の破片が、泥に紛れて散らばっている。

 ひしゃげて泥に埋もれた家屋の痕跡以外に新たな生活の跡を見つけて、キサラの目から涙が溢れてきた。

 その場に屈み込み、手近にあった木の破片で土を掘り起こす。

 血や泥水でぐちゃぐちゃになっているその場所からは、なにひとつ見つけることが出来なかった。


「うっ、うあっ、あっ……」


 込み上げてくるものが、キサラの身体を強く震わせている。

 泣きたいのに、どうしてか涙は止まってしまった。


「……あっ、ぐ……」


 地面に突き立てた木の破片が折れ、擦り切れて赤くなった手のひらを滑り落ちていく。

 どうしようもなくその場にしゃがみ込んだキサラの肩に、サヤが静かに手を置いた。


「……キサラちゃん……」


「サヤ……」


 ふらふらと立ち上がり、サヤの顔を見た瞬間、キサラの中で何かがぷつんと音を立てた。


「あっ、うぁぁぁあああっ……!!!」


 長く尾を引く、慟哭を包み込むようにサヤがキサラの身体を優しく抱いている。

 触れ合うひんやりとしたサヤの頬にも、大粒の涙が伝っていた。


 死の里と化したハクライの里に、二人の少女の泣き声が響いている。


 それは夕陽を境にぴたりと止んだ。




「……サヤ、踊って……」


 泣き腫らした目でキサラが懇願するように呟く。

 サヤは頷き、里の外れに残っていた平らな岩の上にキサラを招いて立った。


 ――みんな死んでしまった。


 昨晩のあの嵐はハクライの里を襲い、キサラとサヤは全てを失ったのだ。


 キサラの願いを聞き届け、サヤは踊る。

 それは、ハクライの里の民に捧げる、鎮魂の舞だ。


 サヤの舞を目の当たりにし、キサラは悲しみに泣き崩れる。

 サヤは薄く微笑みを湛えながら、死者の魂を慰めるように踊り続けている。

 ゆったりと身体を動かし、美しく凜とした舞を続けている。


 夕陽が彼方の地平線へと沈み始め、辺りは昼と夜の境界の色に染まる。


 夜闇を照らすように、サヤは手のひらに蒼い炎をまとわせて舞を続けている。

 キサラも鎮魂の祈りを込めて蒼焔を具現させ、サヤを照らした。


 どこからともなく現れた白い無数の蝶が、サヤと共に踊っている。


 キサラもその輪の中に加わって、舞い続けた。



 †



 サキガミの里から二人を捜しに訪れたシトゥンペが、舞を続ける二人を保護したのは、その翌日の夜のこと。


 ハクライの里からは全ての民が人としての姿かたちを残すことなく息絶えており、身寄りがなくなったキサラとサヤは、サキガミの里にシトゥンペの養子として引き取られることになった。


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