第2話 鬼の機兵とハクライの巫女

 尾根の上には岩を組み合わせて作られた、無数の祠が静かに佇んでいた。


 祠の中には胴部をくりぬき、祭壇を設けられた巨大な鬼が保管されている。

 谷に掘られた祠には収まらない鬼たちは、サキガミの里に伝わる死霊術を使うことのでき、かつ鬼の肉体と同調を可能にした者だけが搭乗することのできる、機兵きへいとして利用するのだ。


 鬼の身体を用いた機兵は、キサラとサヤの知る機兵とはまるで違う。

 ハクライの里で育まれた農作物を求めて訪れる近隣都市の機兵きへい従機じゅうきはその名の通り明らかな機械だが、サキガミの民が作る機兵は、生きているのだ。


 祠の周囲には、新しい鬼の死骸が安置されている。


 ハクライ織りの注連縄しめなわを巻き付けて封印したばかりの鬼の胴体は既にくり抜かれ、剥き出しになった胸骨が迫り出して見える。

 内部の肉に防腐処置を施し、体内に祭壇を作れば鬼の機兵が完成する。

 胴体の中に操手が入り、意思の疎通を行って操るのだ。


 ハクライの里にも、鬼の機兵がある。

 魔獣と戦うためにサキガミの里から譲り受けたもので、白鬼はっきと呼ばれている。

 操縦を行うことが出来るのは、族長だけだ。


 キサラには見慣れた光景だったが、サヤには少々刺激が強すぎたようだ。

 青ざめた様子のサヤの肩を手のひらで包み、キサラが声をかける。


「……大丈夫?」


「うん……」


 サヤはすぐに微笑んで頷いたが、その笑顔はぎこちなく、唇も真っ青だった。


「この辺りで待っていてくれるかな」


 先を進んでいたシトゥンペが、そう言い残して社に入っていく。

 勾玉が保管されているのは、祠の奥深く。

 彼が戻るまでにかなりの時間を要するはずだ。


 シトゥンペが入っていった社は、鬼の骨を加工する場所でもあり、一際大きな造りとなって尾根に添うように下へと伸びている。

 その巨大な石造りの社を守るように、入り口では青藍色の鎧を身にまとった一際大きな鬼が眠っていた。


 社の入り口、横穴に近い場所からは、大鬼の足元と、その膝を支えのようにしている頭部の一部しか見ることができない。


羅刹鬼らせつき、まだここにいたんだ」


 大鬼の名を呼び、キサラはその足元へと歩んでいく。


 近くにまだ蝋燭の燃えさしが残る燭台を見つけ、手のひらに点した蒼い炎に息を吹きかけて燭台に飛ばした。


 キサラに倣い、サヤも同じように燭台に蒼い炎を点す。

 ハクライの里に伝わる蒼き炎の魔法――蒼焔の呪術を二人は既に使いこなしていた。


 蒼い炎は揺らめきながら、羅刹鬼の全貌を二人の前に露わにする。


「大丈夫だよ、サヤ。急に動いたりはしないから」


 サヤを促して、キサラは羅刹鬼の爪先の前に立つ。

 膝を抱えるようにして胎児のように丸くなっている羅刹鬼の元に、サヤも恐る恐る歩み寄った。


「怖くないの?」


「うん」


 身の丈は約八メートルほどある羅刹鬼は巨大な鬼ではあるが、キサラは不思議と怖いと思ったことはない。


 手が届くことのない谷の祠に移設されていないことに安堵しながら、キサラは羅刹鬼の爪先に乗り、大木の幹のような脚部に触れた。


「この鬼は、どうしてここにいるの?」


 全身を鎧で固められてはいるが、その鎧の下に羅刹鬼が生きている気配を確かに感じ取る。


「この大鬼は羅刹鬼、またの呼び名を夜天皇やてんこう――」


 齢300歳を超える大鬼の真の名に、サヤが息を呑む。

 羅刹鬼は近隣一帯から恐れられていた凶暴な鬼だった。

 キサラとサヤが生まれる数年前にサキガミの民がハクライの巫女の力を借りて討伐した後は、この場所にずっと封印されているらしい。


「……これを、ハクライの巫女が封印したんだね」


「そうだよ。サヤが見るのは、はじめて?」


「…………」


 キサラの問いかけに、サヤが頷く。

 巫女となるべく教育を受けてきたサヤにとって、羅刹鬼のような鬼と戦うことも自分事として感じられるのだろう。


 サヤの微かな震えを感じ取ったキサラは、無言で手を引き、社の外へと連れ出した。




 建ち並ぶ社の間をくぐり抜け、次の山へと繋がる尾根の端、少し小高い岩の上まで上ると、眼下に見知った景色が広がっている。


 ハクライの里が遠くに見えることを知っているキサラは、長らく胸に抱いていたサヤにその景色を見せるという願いを叶えるべく、サヤを岩場へと案内した。


「あと少しだよ」


 おっかなびっくり、キサラについてくるサヤに手を貸し、平たい岩の上に引き上げながら、声をかける。

 高い魔力を持ち、次の巫女であることが運命づけられているサヤは、滅多なことでは里の外に出ることが出来ないが、今回は共に、勾玉の受け取りに派遣された。

 キサラはそのことが嬉しくて仕方がなかった。


「わぁ……」


 岩場の上から見下ろす景色は、キサラの想像していた以上のものだった。


 季節は秋、稲穂が実って里全体が金色に輝いて見える。

 金色の稲穂は穏やかな風に揺れて煌めき、そこに射す夕陽の光が刹那の輝きを与えて一層の美しさを与える。


 遙か南東には、青葉と金色の花々の煌めきをまとった世界樹が山のようにそびえているのが見えた。


「あれ、全部稲穂なんだね」


 キサラがこの場所に連れてきた意図を悟ったように、サヤが声を弾ませる。

 喜びのあまりその頬を薔薇色に染めたサヤは、岩の上で素足になると、ゆったりと手のひらを天に向かって掲げ、舞を始めた。


 ――豊穣の舞。


 サヤが得意とする、里の豊作を祈る舞だ。

 キサラもサヤに倣って舞う、儀式で使う扇の代わりに手のひらを泳がせながら笑顔で今年の実りに感謝を捧げた。


 ハクライの里に伝わる舞は、全ての儀式において共通している。


 片脚を軸にして弧を描くように舞う巫女の動きは、足元に模様を描くように滑らかに続けられる。

 それは無数の円と紋様の連なりのようでもあり、円が重なる様は蝶の翅のようでもある。キサラはサヤの舞を見るのが好きだった。


 儀式の際に響くがくの音に代わり、風が遠くから金色の稲穂が奏でる実りの音を運んでくる。

 目を閉じれば二人の姿は金色の田のなかにあり、実りを受けてしなやかに穂を垂らした稲と共に土と、水と、太陽の恵みを享受していた。


(あぁ、これが、サヤの視ているもの……)


 舞い続けながら、意識を通じて流れ込むサヤの意識に身を委ねる。

 こうして心を通わせるのは久し振りだった。


(この時間が、二人きりの時間がずっと続いたらいいのに……)


 運命づけられた巫女と、一介の里の娘。

 本来であれば、里を出てこうして過ごすことさえ叶わない身だ。

 そうした意味では、今日が里の外を見られる最後の日になるのだろう。


 キサラはサヤを通じて瞼の裏に広がる美しいハクライの里の景色を視ながら、普段は明るく気丈に振る舞っている彼女の覚悟を垣間見たような気がした。


「キサラ、ちゃん……」


 キサラの気づきがサヤの意識に流れ込んだのだろうか。

 舞を止めたサヤの声に、キサラは驚いて目を見開いた。


 だが、違った。


「あれ……」


 サヤが震える手で彼方の空を指している。


「なに、あれ……?」


 指差された方角を見て、キサラも愕然と声を上げた。

 低く黒い雲が川の方から立ちのぼり、南から迫ってくる。

 それは見る間に里の上を中心として広がっていく。


 通常の大気の状態ではないことは、キサラの目にも明らかだった。

 傍らのサヤは顔面を蒼白にして震えている。


 二人の目の前で、雲の下に渦を巻いた太い雲がハクライの里へと降りてくるのが見える。

 鈍色の雲の中で雷がほとばしり、雷鳴が遠く離れているはずのキサラとサヤのところまで響いてくる。


 まるで化け物の鳴き声のような、激しい音だった。

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