リインカーネーション

エルトリア

第1話 滅びの神託

 若芽を芽吹かせた世界樹が、届かぬ月に手を伸ばすように揺らいでいる。


 かつて戦争により死の星と化したこの星に降り立った三柱の女神たちが植えた苗木は、大きく成長し、花を咲かせ、世界を再生の光で満たした。


 深刻な大気汚染により滅びに向かう星を浄化するため、世界樹の花は女神たちがもたらした光の元素である魔素マナを生み出し、大気を浄化させ、世界を再生させたのだ。


 大きな山ほどの高さの世界樹は星に根を張り、生命の大本である星の命と繋がっている。


 世界樹の周りには、広い広い緑地が広がっており、周辺には虹色に輝く結晶が散らばっている。


 世界樹には盃状に咲いた金色の月のような丸い花が重なり、深い藍色に染まった夜空を華々しく彩っている。

 風が吹くたびに枝葉は穏やかに揺れ、それらが奏でる音はまるで美しい旋律のように当たりに響いていた。


 緑地に深く根付く世界樹の根は幾つもの空洞を生み出し、そこを根城とする動物たちの姿が見え隠れしている。

 明るく照らす月に誘われるように巣穴を出た雛蜜鳥ひなみつどりが、花開いた世界樹の金色の花の蜜を吸っている。


 雛蜜鳥が蜜を吸うちょうどその下には、折れた根とも分岐した太い枝ともつかないものが幾重にも重なっており、その中心は大きなうろとなり、ぽっかりと開いていた。


 洞の入り口を形成する幹の重なりには、白い布で作られた注連縄しめなわのようなものが張り巡らされ、神人カムトたちの祠が設けられている。


 中では、蝋燭が点され、それは洞を巡る風にもてあそばれてゆらゆらと揺れていた。

 蝋燭の炎が揺れるたび、祠の奥――神室かむろに集う神人たちの影を木の幹に映し出していた。


 神室に設えられた祭壇では、凛とした鈴の音が、規則的に響いている。


 神人の一人、終末ノ巫女であるアルカナは、祭壇で舞う神凪かんなぎルシアに注がれていた。


 白金色に艶めく肩より少し短く切りそろえられた髪が、舞うたびにさらさらと流れて行く。

 神凪の白と青の糸で織られた装束から伸びる細くしなやかな手足は陶器のように滑らかで、その指先には金の神楽鈴が美しく支えられている。

 ルシアが舞うたびに、透明な音を奏でている鈴は、神に捧げる旋律を奏で続けていた。


 ルシアは祭壇に背中合わせに配置された白金色に輝く三体の女神像に祈りを捧げている。

 女神像は、ルシアの舞に反応するように虹色の輝きを増し、神託が近いことを知らせている。


 ルシアの傍らに控えている妙齢の女性、最長老ラムダが、何かを感じ取ったように身じろぎした。

 ラムダよりも少し後ろに下がった位置で首を垂れながら座すアルカナも、その気配に更に深く頭を垂れた。


 鈴の音が止み、ルシアの祈祷の舞が終わったことを知らせる。

 静寂に包まれた神室で、ルシアは閉じていた目をゆっくりと開いた。


「神託が、降りました」


 蒼玉そうぎょくのように澄んだルシアの目が神秘の光を宿して瞬き、長い睫が再び下ろされる。


 祈祷に使われていた鈴はすでにルシアの手元を離れていたが、風もないのに、澄んだ音を立てた。


「神の領域に踏み込もうとしている者がいます。かの者は、『反魂の術』を完成させようとしている人間――」


 神凪かんなぎ――神の代弁者として、ルシアが命を司る女神アウローラの神託を告げる。


 『反魂の術』その言葉に、アルカナは覚えがあった。

 かつて同じ術を追い求めていた部族の里を滅ぼしたことを思い出したのだ。


「人間をこの領域に踏み込ませてはなりません。何としても阻止しなくては」


 ルシアの本来の声とは違う、落ち着いた静かな声は女神アウローラの言葉の代弁によるものだ。

 輪廻転生に干渉し、魂を管理する役割を担うアウローラの言葉に、アルカナは眉を顰めた。


(……また、か……)


 終末ノ巫女であるアルカナの神人としての仕事は、処刑人だ。

 罪を犯した人間を裁く役割を与えられたアルカナに、その主命が下されることは明らかだった。


「“アルカナ”」


「……はい」


 ルシアを通じて女神アウローラが主命を下す。

 アルカナが顔を上げると、祭壇脇の木の幹に、光で描かれた地図が映し出された。

 その中に一点だけ、黒くけぶる土地が示されている。


(ハクライの里……。ここを滅ぼすのか)


 神の領域に、人間が踏み込むのを阻止するため、まだ罪を犯す前の人間を処刑するのだ。それも、里に住む全ての者を。


 唇を噛み、俯いたままアルカナは静かに立ち上がった。


「今度こそ、頼みますよ」


 ルシアとも彼女を通じた女神アウローラともつかない声が、アルカナの背を押した。



 †



 鋼の巨人が、荷車を引いて駆けて行く。

 陽の光を浴びて濃い影のようになっているその機械仕掛けの背を、荷車に乗せられた二人の少女は見つめていた。


 カナド式と呼ばれる長着で身を包み、胴部の帯を蝶のように結んだまだあどけない少女だった。


 二人を運ぶ機械は、四肢が鋼鉄に覆われ、頭頂部に蒸気列車の煙突を冠した巨人のような姿をしている。

 従機じゅうきと呼ばれる作業用の機械だ。


 従機は三メートルの巨体を駆使して、二つの荷車を引きながら狭い山道を登っていく。

 荷車のひとつには二人の少女――キサラとサヤ、もうひとつには、収穫の季節を迎えたばかりの米が、俵に詰められて乗せられていた。


 従機が二つの荷車を引き上げ、幾分か勾配の緩くなった坂道を弧を描くようにゆったりと下り始める。


 自動操縦機能を備えた従機が引く荷車に揺られていたキサラとサヤは、谷間に見えて来たサキガミの里の姿に、揃って声を上げた。


「見えて来たね、キサラちゃん」


 肩まで伸びた銀色の髪を穏やかな風に揺らしながら、サヤが興奮に頬を染めている。

 ハクライの里の外の世界にほとんど出たことがないサヤは、無邪気な笑顔でキサラを振り返った。


「私が案内するね」


 キサラも長い薄水色の髪を耳許で押さえて、蒼い目を煌めかせる。

 サヤはキサラの申し出に目を細めて大きく頷いた。


 二人が生まれ育ったハクライの里を出て半日ほど、夜が明ける前の暗い空は移動の間に眩いばかりの太陽が輝く昼へと変わり、秋の涼やかな風の中を赤蜻蛉の群れが遊ぶように飛び交っている。


 サキガミの里は、ハクライの里の北、山の尾根に囲まれた谷にある。


 人々の目を避けるようにひっそりと佇むサキガミの里に入ると、キサラとサヤを乗せた従機は停止する。


 ハクライの里と同じ茅葺き屋根の平屋と鋼鉄の板で囲んだ無機質な家々が入り組むようにして建ち並ぶサキガミの里の広場には、二人の到着を待つ族長シトゥンペの姿があった。


 笠に薄い垂れ布をかけたのもので頭部を覆ったシトゥンペの身体は、そのほとんどが機械で構成されている。

 サキガミの里を築くより遙か前、致命的な傷を負った肉体を補い、延命するために施された処置だった。


「よく来てくれたね」


 左右に三つずつある目を緑色に瞬かせ、シトゥンペが歓迎の意を示している。

 顔の横で左右対称に垂らされ、翡翠の髪留められた緋色の髪がゆったりと揺れた。


「迎えをいただき、ありがとうございます」


 キサラとサヤは右手の拳と左手で包み、胸の前で肘を水平に伸ばす。

 そのままゆっくりと頭を垂れ、一族に伝わる礼でシトゥンペに感謝の念を示した。


「僕の方こそ、ハクライの里の巫女を迎えられて光栄だよ」


 シトゥンペも深碧色の貫頭衣かんとういの下から機械の腕を出して同じように礼を返し、三者は礼を交わし合う。


 ごく簡素な歓迎の儀式を終えたシトゥンペは、二人を見つめ、里を囲む深い谷を見渡すように促した。


 谷の岩場をくりぬいた祠の中に、四肢を折りたたんで胎児のように身体を丸めた鬼が眠っている。

 およそ人間のものとは思えない巨躯は、遠目にもそれが鬼であることを如実に表している。


 この鬼と呼ばれる巨人の魔獣は、知能を持ち、人語を解し、人間と意思疎通ができるが、両者は相容れない存在である。

 鬼は、古くからその見た目と強大な力を持つことから人間から恐れられ、さらに人間に恐れられることに喜びを感じる習性を持ち、人間の生活を脅かそうとすることから、里の近くに生息する鬼はたびたび討伐の対象となる。


 鬼は討伐されたあと、サキガミの民によって加工されるならわしだ。


 心臓を貫き、ほぼ完全な形を保ったまま討伐に成功した鬼は、その魂を封印して、生きる屍として保管するのだ。

 それらは里を囲む谷の祠で、沈黙を保ち続けている。


 討伐時の損傷が激しい鬼は、土に埋め、肉を腐らせてから掘り起こし、谷底を流れる川で清めて肉を流し、骨のみとする。


 ハクライの民は、このサキガミの民の加工した骨を使い、儀式に用いられる勾玉や剣、ハクライ織りの機織りで糸をすくうためのなどに利用している。


 キサラとサヤがサキガミの里を訪れた理由も、儀式に使う勾玉を受け取るためだった。


 ハクライの里はサキガミの里に食料を供給し、見返りとしてサキガミ族は儀式に使う触媒を提供している。

 今日も、ハクライの里で広く栽培されている米が手土産としてサキガミの里にもたらされていた。


 ハクライとしてはサキガミがなければ儀式が行えない、サキガミはハクライがなければ十分な食糧が手に入らない。

 そのような事情から、ハクライの里とサキガミの里は、古くから協力関係にある。


「……これは見事な金色の稲穂……。民の者が喜ぶ姿が目に浮かぶよ」


 俵に添えられた豊穣の証である稲穂を撫で、シトゥンペが機械の目を瞬かせる。

 左右に三つずつある彼の目は穏やかな緑色に輝き、心からの感謝を述べていることをキサラは理解した。


「サヤの豊穣の儀式のおかげです」


 親友の功績を誇らしげに述べ、キサラはサヤの背に手を添える。


「ほう。もう豊穣の儀式を?」


「はい。十五の成人となるその前に、研鑽を積むようにと」


 成人と同時にハクライの里の巫女となる運命のサヤは、滅多に里の外には出されない。

 だが、今回は初めての儀式で実った米をサキガミの里に納めるという名目もあり、珍しくキサラと共に行くことを許されている。


「良き巫女となり、民に尽くしてくれることを願うばかりだ」


 シトゥンペは静かな声で紡ぎ、二人を谷へと導く。


 サキガミの里を見下ろすことの出来るなだらかな尾根の上に、鬼の死骸を保管している無数の祠が建っているのだ。


 キサラはその尾根をさらに上った場所にある岩場から見える景色を、サヤに見せたいとずっと願っていた。

 尾根の上から見下ろすハクライの里は、実りの秋を迎え、最も美しい季節を迎えている。


 その景色は、サヤが里にもたらしたものなのだ。

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