第2話 モダン・タイムス
(1)
始発の山手線に乗り健太は倒れ込むように座席に寝転がった。行儀が悪いが健太以外にその車両に乗客はいないので許されるといえば許される。ドアが閉まり電車が動き出してもしばらくはそのまま仰向けに寝転がったままボーっとした。つい数十分前までは通販サイトの倉庫でピッキングの仕事をしていてクタクタなのだ。
さすがに次の駅に着く頃には起き上がり右端に座りなおしたが、ぐったりとしている事には変わりない。いくら若いとはいえ、やはり深夜の仕事はこたえる。普段は昼間のバイトなのだが、深夜の時間帯は時給がいいので少しでも稼ぎたい時にはそのシフトに入るのだ。
先ほどシフトリーダーに言われた事が頭の中を駆け巡る。
「オカモトさん、ピックアップに時間がかかり過ぎてますね。もうそろそろ馴れてくれないとね。」
「ミスが目立ちます。もっと集中しましょう。」
「さっきも休憩時間外にトイレに行きましたよね?体調がお悪いんですか?体調管理も仕事のうちであることを自覚しましょう。」
・・・まだどこに何があるか倉庫内の配置を覚えきれていないし、とにかく倉庫が広すぎるし品物の種類がありすぎる。それでいて一件のピックアップする時間を決められているから品物を集める際、つい焦ってしまう。そしてその重圧でお腹の調子が悪くなる。悪循環なのだ。効率が悪い状態が続くと解雇されるらしい。
「絶対オレ、お急ぎ便で注文するのやめよう。」
健太はそう独り言をいって目を瞑った。そしていつの間にか寝てしまった。
どのくらい寝ていたのだろう。気がついて車窓から外を眺めると見覚えがある風景だった。ちょうど自分の降りるべき駅に入るところだった。
(危ない、危ない。寝過ごすところだ。)そう思ったが、どうもだいぶ日が高くなっている。いつの間にか隣に年配の女性が座っており、吊革につかまっている乗客もチラホラいる。スマホを上着のポケットからとり出し時間を確認すると12時近い。寝過ごして山の手線をぐるぐると回り続けたらしい。一体何周したのだろうか?
がっくりして駅を降りた。凄く時間の無駄をしてしまったような気がした。とぼとぼと駅を出て中央通りを歩く。途中、コンビニに寄って昼飯を買おうとしてあれこれ物色している内に気が変わった。こんな日は多少贅沢をして気分を変えようと思ったのだ。
(ハンバーグを食べたいな。切ると肉汁が溢れ出すような厚みのあるやつ。)
健太はコンビニを出た。一軒心当たりがある。軽食喫茶の店なのだが、あそこのハンバーグランチは結構肉厚で食べ応えがある。以前に一度食べて美味かったのだ。それでいて値段的にも1000円以内で収まるのも助かる。健太は少し元気が出て足早になった。
(2)
店に着いた。“喫茶名画座”。ドアの横のショーケースの中に山高帽にステッキを持ったチャップリンの写真があった。「モダン・タイムス」のチラシが貼ってあり13時上映とあった。ここは週替わりで映画をプロジェクターで映しておりちょっとしたミニシアター風になっている。但し、それで入場料を取っているわけでなく、ただ流しているのだ。料金はあくまで飲食代だ。とはいえ近所の映画好きはそれが目的で集まっているのだが。
健太は特に映画好きでもないし、チャップリンの映画を観たこともない。目的はあくまでハンバーグ。食べたらさっさと帰るつもりだった。
ドアを開けると通路になっている。右側の壁に「モダンタイムス」のポスターやスチール写真が貼っており、映画館さながらの雰囲気である。その通路を抜けるとカウンターやテーブルのある店が開ける造りになっている。窓はない。以前はバーだった店を居抜きで喫茶店にしているのだ。
健太はテーブル席に着き、お目当てのハンバーグランチを頼んで一息ついた。店内はほぼ埋まっており映画目当てで集まっているらしい常連があれこれ最近観た映画の話の花を咲かせている。チャップリンの喜劇だからだろうか、小学生の女の子を連れた家族の姿もあった。
(わざわざここで映画を観る人もいるんだなぁ。)と思っているとお目当てのハンバーグとライスがきた。木製の台座に乗った楕円形のステーキ用鉄板の上で肉厚のハンバーグがジューと音を立てていて食欲をそそった。早速ナイフで切ると肉汁が溢れ出す。
(これこれ。これだよ。)一切れ、ほうばると絶妙な味のデミグラスソースと肉の旨味が相まって健太は至福感に包まれた。
食後のコーヒーをマスターが運んできてくれた。
「ごちそうさまでした。ハンバーグ美味しかったです。」
健太はお世辞ではなく心からそう言うと初老で白髪をきれいに整えたマスター
は静かに笑って
「ありがとうございます。良かったら映画も観ていってください。」
と言った。
そう言われると、観てもいいかなという気になった。どうせアパートに帰ってもすることもないし睡眠も充分とってしまったから眠くないのだ。
程なく店内の照明が少し暗くなりプロジェクターから映像が見にスクリーンに映し出された。
映画は全編、抱腹絶倒の面白さで健太は大いに満足した。冒頭、工場勤務のチャーリーはベルトコンベアで流れてくる部品のねじを回し続けていくうちに、そのスピードについて行けなくなり、とうとう機械に吞み込まれていく。その場面に健太は圧倒された。これは自分だと思った。そう思うとチャーリーに素直に感情移入できた。効率だけを求める企業側を痛烈に皮肉る社会派ドラマの面もあるが浮浪者少女のポーレット・ゴダードとのめぐり逢いにより、ロマンチックなドラマになる。二人がささやかな幸せを求めて未来に歩んでいく姿に感銘を受けた。しかし、いろいろと疑問に思うことがあった。特にたびたび流れるテーマ曲は耳馴染みのあるもので健太は気になった。
映画が終り店内に拍手が起こり健太も加わった。照明が元の明るさに戻る。先ほどまで気が付かなかったが隣の席に同じ年頃の女の子がいた。銀縁の眼鏡をかけた清楚な佇まいである。健太は全く躊躇なく
「いい映画でしたね。」
と話しかけた。自分でも驚くぐらいに自然に口に出た。この映画を観た感動を誰かと共有したかったのだ。
「ええ。」
その女の子は話しかけられて一瞬警戒したようだったが、あまりに健太が無邪気な様子だったので呼応した。
「すみません。いきなりで。でもとても良い映画だったんで誰かと話したくなってしまって。」
「いいですよね。チャップリン。」
「僕、チャップリンの映画観るの初めてなんです。」
「えっ?そうですか。ワタシ、大好きでこの映画は三回観てるんですよ。」
「三回!それは凄い!じゃあ、今の映画でちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「ワタシにわかるかしら?」
娘はちょっと苦笑した。
「あの、良く流れていた音楽、あれ聞いたことがあるんですが有名?」
「ああ。“スマイル”という曲でチャップリン作曲ですよ。スタンダードナンバーでよくテレビのCMでも使われていますし、後に歌詞がついてナット・キング・コールとかエルヴィス・コステロなんかも歌っています。」
「どうりで。なんか聞いたことあるなぁと思いました。それとまだいいですか?」
「はぁ。」
「サイレント映画なのに後半、チャップリンが地声で歌を歌うじゃないですか?あれ、何語です?」
「あれは“ティティナ”という曲でデタラメな言葉ですよ。」
「やっぱり!なんでそうな事したんでしょう?」
「えーっと、チャップリンって無声映画の人でしょう?トーキー映画が全盛になってもあくまでも無声映画を貫こうとしたんですって。英語をしゃべると他の国の人には理解できないだろうという考えで。」
「へぇー。」
「チャップリンはアメリカ本国よりもフランスや日本といった外国でまず人気が出たので、その国々の人の事を考えたんですね。」
「なるほど。」
「でもどうしても、トーキー映画を作れといわれて、じゃあというので、でたらめな言語で歌って歌詞の内容はパントマイムで表現してみせるというせめてもの抵抗をしたんですよ。」
「前半に出てきた酷い会社の社長達は英語をしゃべってましたね。」
「効率だけを考える敵役だけトーキーで英語を喋らせるというチャップリンの皮肉ですね。」
「とてもお詳しいですねぇ!」
健太は感心した。
「偉そうに能書き言いましたけど、これは全て映画評論家の淀川長治さんの解説で聞いた事です。」
そう言って女性は笑った。ヨドガワという名前は知らないが健太もつられて笑った。後でネットで検索してみようと思った。
その後も話が弾んでいるとマスターが
「これ、おかわり。サービスね。」
と言ってコーヒーを二人のカップに注いでくれた。そして
「来週、“チャップリンの独裁者”を流すからよかったら来てね。」
と続けたので二人は
「来ます。」
とほぼ同時に言ったので顔を見合わせて笑った。
LINEの交換をし、来週、またこの場所で会うことを約束して先に紀子と名のった娘が店を出ていった。その後姿を見送った後、健太は午前中までの無駄に時間を潰してしまった後悔による重苦しい気持ちが嘘のようになくなっている自分に我ながら可笑しくなった。効率ばかりでなく無駄な時間に身を置くことで得る幸せもあるのだ。そして、チャップリンだったら、今のネット社会をどう描くだろうと思った。
THE END
「モダン・タイムス」1939年アメリカ
製作・監督・脚本・作曲 チャールズ・チャップリン
出演 チャールズ・チャップリン
ポーレット・ゴダード
チェスター・コンクリン
ヘンリー・バーグマン
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