第27話 リサの事情②

***


「ただいま」

「あ、リサねーちゃんだ」

「「「おかえり~!!!」」」

「元気にしていましたか、このクソチビども?」

「元気にしていたぜ、クソリサ」


 汚い言葉で挨拶をしながら帰宅の合図として手を合わせる子ども達。そして口々に報告を始めた。


「トーマスがお漏らしして大変だったんだよ~」

「じぇいくがとーますをいじめるから、いけないんでしょ?」

「ちょっと小突いただけだろ!」

「ふああ~ん! ネリィが私のお人形とった~!!」

「ちょっと借りただけじゃない!」


 リサの家は喧噪に溢れていたが、そこは家と呼ぶにはあまりにあばら家だった。窓は欠け、カーテンは破れており、雨漏りを受けるための容器がそこかしこに置いてある始末。事実その辺の空き家を勝手に拝借しているだけの、仮住まいですらない状態なのである。

 近隣の住人や、土地の持ち主はあらかじめリサがしっかり弱みを握っているため、誰も文句を言ってこない。何度も自警団に住居を追われるわけにもいかないため、ついに街の戸籍すら細工してごまかしている。自分達が迷惑がられているのはリサの耳にもちょくちょく入ってくるが、誰にもどうしようもない状況を作り出したのだ。このあばら家ですら、手に入れるのに何回人に言えない手段を用いたか。 

 ここには戸籍を持たない孤児ばかりが九人ほど暮らしており、リサ以上の年長者はいない。その年齢は、リサの次に年長のジェイクが十歳、一番年下のトーマスにいたってはまだ四歳だ。そもそもリサ自身が孤児であり成人もまだのため、戸籍を確定させられないため住居を構える資格がないのである。ギルドに提出した住所や身分などは端からでっち上げであるが、ギルドはそれほど詳細を調べないので助かっている。

 リサが金にがめついと言われてでも依頼をこなす理由は、彼ら全員を養う必要があるからである。最初はジェイクだけだったのだが、年を重ねるごとに人数は増えていった。そのため、徐々にリサの収入では稼ぎが追いつかなくなってきた。今回リサがアルフィリース達に声をかけたのも、大口の依頼の匂いを感じたからである。そうでなければ、あのように怪しい依頼に手を出すほどリサは博打打ちではない。依頼の失敗と自らの身の危険はそのまま他の孤児の死に直結するのだ。

 リサは荷物を下ろすと、中身を出して子ども達に分けた。


「とりあえず食べる物を買っておきました。今夜もリサは遅くなりそうなので、チビどもをよろしく頼みます、ジェイク」

「またリサ姉、遅いの?」

「報酬をきっちり受け取らないといけませんので。今回は良い仕事ができたので、収入も大きいでしょう。家具を整えるくらいにはもらえる予定です」


 リサのその言葉に、子ども達の顔が華やぐ。


「じゃあさ、新しい服買えるかな?」

「生地を買って、自分達で作ったほうが安いよ!」

「そろそろ雨漏りもひどくなってるから、そっちが優先だよ」

「扉もガタがきてるけど」

「わたしのお人形は~?」

「そんなもの我慢しなさい!」

「うわーん! 新しいお人形欲しい~!!」

「……わかりました。ミルチェの人形が買えるように、ふんだくってきましょう」

「リサ姉、本当?」


 とても十歳にも満たない子ども達が交わす会話での内容ではない。本当は子ども達には何不自由なく育って欲しいと願うリサだったが、自分の傭兵等級ではそうもいかない。しかも人探し、物探しの依頼だけでは、中々高収入は得られない。ただでさえ危ない橋を渡っているのに、報酬で水増しすれば恨みを買う。ギルドを通した依頼では必要以上の報酬は受け取れないし、違反があればギルドから制裁を受ける。リサは報酬に関しては常に正当なやりとりを心がけていたし、違反した稼ぎで生活していることを子供たちが知ればなんと思うか。リサはそれだけは避けたかった。

 今回のように街を出る依頼を受ければ高額の収入が得られるのだが、幼い子ども達を何日も放っておくのは心配だった。また自分が盲目の女であり、しかもどうやら見た目はそんなに悪くないどころか、下手をすればかなり好まれる容姿なのだと気が付いてからは、男と組むような依頼は全て断っていた。自分が男でさえあれば、と何度呪ったかしれないリサである。だが子ども達を見捨てるような選択肢もまた、リサには絶対にありえなかった。そうするくらいなら、ターラムで身をひさぐ方がましだと考えている。

 そして、ミルチェがリサの言葉に期待を膨らませて、返事を待っている。リサとしては、こういった子ども達の期待を裏切る人間にもなりたくなかった。


「リサが嘘を言ったことがありますか?」

「ううん」


 ミルチェがふるふると首を横に振る。


「では良い子にして待っていなさい? 明日は休みをとってあります。久しぶりに皆で過ごしましょう」

「リサ姉おうちにいるの!? やったー!」

「リサ姉にお本読んでもらうの~」

「リサねぇ、ぼくとでーとしようよ!」

「どこでルースはそんな言葉を覚えたの? そういうの、『十年早い』っていうんだよ?」

「ルースがふりょうになっちゃった」


 きゃっきゃっと子供達がはしゃぐ。その光景を感じとり、リサは思わず微笑んだ。だが今回、かなり生活が切羽詰まって高額の報酬を狙ってとはいえ、なぜ魔王討伐などの危険な任務を受けたのかは、リサにも不思議であった。今までは少しでも危険な匂いがすれば避けてきたのに、気づけばアルフィリースの裾を引いていた自分がいたのだ。結果的に成功したわけだが、自分の行動、感情が理解できないのは、リサにとっても初めての経験だった。

 そして子ども達の笑顔を見る度に、なぜか胸の奥がもやもやするリサ。どうしてなのかリサは自分にもわからない。気のせいと胸の奥に押しこむには、大きすぎる不快感だった。

 その時、不意に背後から声がかかる。


「ほ~う、それがヌシの働く理由か。評判通りの口の悪さだが、中々年相応の良い顔もするではないか」

「……どちらさまで?」

「リサ殿、突然の訪問をお詫びします」


 いつの間にか、玄関の中にアルベルトがシスターを連れて立っていた。いや、立ち位置からすれば、アルベルトがシスターに連れられているのだろう。リサは急激に警戒心を高めた。


「(リサがこんな近くに接近されるまで気付かないとは、何者?)」

「夕刻、突然の訪問は詫びよう。じゃがおぬしにどうしても言っておきたいことがある。無理にでも失礼いたすぞ」

「ここではなんです、奥の部屋へどうぞ。ジェイク、リサはこのシスターと話があります。すぐ済むので、皆とご飯を食べていなさい」

「わかった」


 ジェイクと呼ばれた少年が子ども達を連れて移動しようとするのを見て、ミリアザールもアルベルトを促す。


「アルベルト、子供の面倒をみてやれ」

「わかりました」


 不安そうに見守る子供達の頭を撫でてやり、食事を食べる部屋にリサは促す。アルベルトに小守りができるのかと訝しみながら。そして自分はシスターと共に奥の部屋へ向かった。警戒しているのか、ミリアザールは椅子に座ってもリサは座らなかったが。


「で、どちらさまです?」

「これは失礼をした。ワシはアルネリア教会のシスター・ミリィ。ミランダの同僚と思ってもらって結構じゃ。おぬしに頼みたいことがあって参った。突然の訪問を許されよ」

「正規の依頼ならば、ギルドを通して欲しいのですが?」

「正規の依頼として扱って欲しいが、ギルドは通せぬ。その分報酬ははずむつもりじゃ」

「なるほど、魔王討伐はあなたの依頼でしたか」


 リサの言葉にミリィはニタリと微笑む。姿は幼いシスターのままだが、その性分を隠そうともしない。


「さすがに鈍くはないのう」

「当然です」


 二人は腹の内を探るように言葉を交わした。


「で、依頼とは?」

「簡単じゃ。アルフィリースの旅に以後も同行して欲しい。半永久的にの。報酬はここのチビ達の面倒を、ワシが一生見ること」

「……体のよい人質ですね。依頼というより脅迫ですか? アルネリアの活動の妨害をしたつもりはありませんが、何か気に障ることでも?」


 リサが睨むようにミリアザールの方を向く。実際に見えているわけではないが、目が見えていた時の癖で思わずそうしてしまうのだ。


「これ、そのように物事を斜めに受け取るでない。これはそなたには破格の条件だと思うがな」

「なぜです?」

「アルフィリースとミランダの旅に同行すれば、センサーランクも上がりやすい。今後チビたちの世話をするにもやりやすかろう。じゃが今のままなら? 親もおらず、戸籍も保障ないお主達がこれからどうやって暮らす? 子供達はまだ増えるかもしれぬ。だがこの街の依頼だけで、果たして養いきれるかのう? また貴様が家におらぬ時に火事でも起きたら? 強盗が入ったら? またお主が依頼先で死んだら?? ワシならそれらの全てを解決できる。戸籍も職も学歴も用意できよう」


 ミリアザールが指摘するその可能性は、リサも考えなかったではない。だが解決策もなく、できるだけ都合の悪いことは考えないようにしてきた。そういう点ではいくら大人びて見えようが、リサもまだまだ子どもだったのだろう。


「……嫌なことばかり言いますね」

「一家の長ならば考えて然るべきことじゃ。今は良いかもしれぬ。じゃが学も戸籍も技能も何もなければ、まっとうに働くことはかなわぬ。子ども達が成長し、行動範囲が大きくなるに従って世間を知る、欲も出る、自分を試してみたくなる。その時日の目を見れないあの子達は、間もなく犯罪に手を染めるじゃろう。窃盗、恐喝、売春……殺人もあるやもしれぬ」

「随分と言いたい放題ですね。そんなことはリサがさせません!」

「いや、防げんな」

「貴女に何がわかりますか!?」


 珍しくリサが声を荒げた。


「大人など信用できません! 自分達の都合で子供を捨てる、虐待する。そんな光景はもうたくさん! リサがあの子達を育てきってみせます!」

「正義感に溢れた発言じゃが、それが通らぬ子供の駄々と変わらぬことくらい、貴様は気付いておろう。今は大きな問題も起こっておらぬようじゃが、一つ問題が起きればこのような生活はすぐに破綻する。むしろ今まで破綻しておらぬのが奇跡じゃわい。大かた役人や周囲の住人を脅し付けておるのじゃろうが、憎しみを伴う関係は長くは持たぬ。賢しいお主ならわかっておろうが?

 ミーシアは栄えているように見えるが、そこまでの保障制度は整っておらぬ。商売の機会に恵まれ貧富の差が激しいゆえに、貧しき者が多数出現する。ミーシアより西に奴隷制度を採用しておる国が多いが、その供給源はこの一帯との話もあるのじゃ。貧民街の子どもたちは孤児院に収容されることなく、ひっそりと奴隷商人の手に渡る。お主とて知っておろう? アルネリアの関連施設で世話できる子どもの数に限りがあることは、ワシの力不足としか言いようがないがな」

「ならばどうしろと!?」

「じゃからワシが預かると言うておる。ワシは親がいない子供達がどうなるか、ヌシ以上に腐るほど見てきた。それはもう、嫌と言うほどにな。だいたいが野垂れ死に。よくて奴隷として買われて変態の慰み物、あるいは奴隷として囮にされ、魔物や魔獣に襲われる……ロクなもんではない。それすらもマシな死に方と思えるほど陰惨な結末も見てきた」

「……貴女はいったい何者ですか?」

「想像はついておるんじゃないかの?」


 ミリアザール不敵な笑みを浮かべる。リサは言葉にすべきかどうか躊躇ったが、沈黙は無駄だと判断した。


「……少なくとも、アルネリア教の司教以上。おそらくは最高教主……」

「なぜそう思う? ワシはこのような幼い恰好じゃが」

「アルベルトは『ミランダ様』と言っていました。それは、彼が司教以上の身分に敬語を使う立場であることを示します。ですが行動する時の立ち位置や、仕草からはそれほど身分的な違いはないようでした。それが先ほどの彼は忠実な番犬のように、貴女の命令をただ待っていた。それは貴女の立場が司教より高いことを意味します」

「ふむ、で?」

「またアルベルト自身も相当位の高い神殿騎士ではありませんか? ミーシアのギルドにも最高でA級の傭兵が在籍していますが、彼らよりもよほど強い気配を纏っています。神殿騎士を見るのは初めてでしたが、魔王を両断できるような騎士がごろごろいてたまりますか。神殿騎士団でもよほど上級の騎士なのでしょう? 

 それを番犬使いできる貴女。貴女の持つ気……存在感とこれほどの魔力を兼ね備える者がただの大司教程度だとしたら、魔王や魔物など既にこの世から廃絶されていてしかるべきかと。もっとも最高教主が魔物だとは、さすがの私も想像してませんでしたが」

「ワシが魔物だと初見でわかるか。素晴らしい! ただのセンサーにてしておくには惜しいな」


 パチパチとミリアザールは素直に讃嘆の拍手をした。だがリサは先ほどから、だらだらと脂汗をかき始めていた。それはそうかもしれない。最初は分からなかったが、今やリサはミリアザールがどのくらい強いかわかってしまっている。アルベルトという基準を知り、魔王との戦いを経た副産物とでも言うべきか。昨日戦った魔王など、おそらくは歯牙にもかけぬほどの圧倒的存在感。

 このような格を持つ魔物が存在すること自体が既にリサの想像をはるかに超えており、またそんな危険な存在をうかうかと自分の家に上げたことを心底後悔していた。


「(な、なんて――なんて魔力と気の量! 昨日やりあった魔王なんて、目の前の存在に比べたら子どもみたいなもの。ギルドに出せば、S級以上の依頼になること間違いなしでしょう。このような存在がリサ達を敵視したら、どうやっても生き残るのは無理です。なんとかしてチビ達だけでも逃がさないといけないけど、アルベルトがこいつに忠実な騎士だとしたら、もう打つ手が無い)」


 リサの頭の中で思考がめまぐるしく回転する。が、どう考えても対策がみつからない。そんなリサの内心をよそに、ミリアザールが言葉をつなぐ。


「そこまでわかっとる者に隠匿は無用じゃな、貴様にもワシの真の姿をみせてやろう。これを見せるのはアルベルトに続いて、貴様が生きている者では二人目じゃ。ミランダにも見せたことはない。喜べ、普通は殺す者にしか見せん」


 だがその言葉も、もはやリサには聞こえていなかった。膨れ上がるミリアザールの気を直に察知してしまったのである。なんとか震える足を踏ん張ろうとしたが、遂に堪えきれず、リサはその場にへたりこんでしまった。


「あ……あ……」


 ミリアザールに姿が変形していく。体には金の毛並みを纏い、尾が生えてくる。今回は人相が変わるほどの変身をしてはいなかったが、その姿は明らかに人とは異なっていた。

 そしてゆっくり近づいてくるミリアザールが、あまりの気に圧倒されて朦朧とするリサには非常に遠い出来事のように感じられる。やがてリサの目の前まで来たミリアザールから、尾が延びてリサに巻きついてきた。リサは微動だにできない。その心中に去来する感情は、成すすべもなくただ怯えることしかできず、子ども達を守ることもできない自分の無力さへの絶望だった。


「(リサは……こんなところで死ぬのですか……)」


 圧倒的な力の前に思考が停止し、何も考えられない。あるのはただ死への恐怖だけ。死に怯えるちっぽけな自分を自覚できるのに、現実感がない。死ぬ時はこんなものなのかもしれない。リサがそう思った時、ふわり、と頭を撫でられた。リサは何が起こったかわからず、きょとんとする。


「む、ワシの尻尾は気持ち良くないかのう? 結構自慢なのじゃが」

「……は?」

「おぬし、ワシに何をされると思うておったのじゃ?」

「……紛らわしいです、コンチクショウ」


 リサがはぁ~、とため息をつく。安堵と腑抜けが半々の心境だった。


「てっきり殺されるかと」

「その気なら、挨拶ぬきでやっとるわい。相手に信頼してもらうなら、まずこちらから善意と素を見せないとのう」

「それはそうかもしれませんが、先に言いやがれです。ところで、なぜ尻尾ですか?」

「おぬし、頭を撫でてくれるような関係の相手はおるかの?」


 リサは首を傾げた。


「いや、貴女の発言の意味がリサには不明です」

「子ども達はお主に甘えれば良い。じゃがお主は誰に甘える? まだ誰かに甘えてもよい年頃じゃろうて」


 リサの目が大きく見開かれる。そのような優しい言葉をかけられたことは、かつて一度もなかった。誰かに甘えてよいなどと考えたこともない。実の親ですら、そうさせてくれなかった。リサの目に熱いものがこみ上げてくる。


「な……ぜ……?」

「んー? いや、使い魔を通してお主を見ておって心配になってな。昔ワシがつらい時に、こうやって頭を撫でてくれる者がいた。ワシにとってはとても幸せな記憶であり、その者がおらねば今頃ワシは魔王と呼ばれる立場になっていたじゃろう。生憎とそのような時間は長くもなかったが、ワシにとってはかけがえのない記憶じゃよ。ワシは確かに魔物じゃが、多くの人間を育て見守ってきた存在として、ある程度かくあるべしというものはわかる。人間は幸せな思い出なくしてまっとうに育つことはありえぬ。幸せの形がわからぬ者に、どうして他人を幸せにできようか。ま、こういうのは順番なのじゃろう。ミランダにはアルフィリースがおるが、お主にも自分を見守る者がおることを知って欲しかったのだよ。このままでは子ども達よりお主の方が早くダメになる。もっとお主は好きに生きてよいのではないか?」

「もっと自由に……」


 リサがその言葉を噛みしめるように繰り返した。


「それにやがては子ども達もお主の手を離れていく。育てる者は、そのことを踏まえて育てねばならん。子ども達がきちんと自立できるようにな。ワシらの役目は、子どもが自らの未来を掴めるように選択肢を用意してやることじゃよ。そのためにはまず、お主が自分の人生を掴みとらんとな」

「そう、ですか……」

「ところでワシの尻尾は気持ち良いかの?」

「はい、とても……」

「そうじゃろう、そうじゃろう」


 ミリアザールがふっふっふっ、と自慢げに笑う。リサはしばらく撫でられるがままにしていたが、疑問があったので聞いてみようと思った。


「聞きたいことがあるのですが、よいですか?」

「うん? まあモノによるが」

「なぜ魔物が教会の最高位に?」


 魔物は人間とは相いれないとリサは思っていた。それは全世界共通の認識であろう。まさか人間の最大勢力の一つの長が魔物などと、信じることができない。


「話せば長いが――まあ、隠すほどのことでもない。ワシは非常に希少な種じゃ。今ではワシ以外の仲間は死に絶えておる。ワシらの肉は薬として、毛皮は防具に、尻尾は嗜好品として非常に貴重な物じゃとされてのう。また魔物としても大した力を持っておらんかったため、人間からも魔物からも狙われ続けた」


 昔を思いだすミリアザール。彼女が生まれた頃には、既に種は滅びに瀕していた。


「もう随分前のことじゃが、そんな中でもワシはさらにはみ出し者でな。尻尾の数がワシらは普通四本なのじゃが、ワシだけ五本あった。それだけの理由でワシは同族からも迫害対象になったよ。

もはや総勢百体もおらぬほどに少なくなっておったのに、実につまらんことでワシは迫害された。人間も魔物もどこの世界も同じじゃ、自分とは違う者を恐れ、蔑む」

「……わかります」

「仲間に追われ、魔物に追われ、人間に追われ……気が付くとワシは人間の村に迷い込んでおった。そこでも散々追い回されて力尽きてな。ここまでかと覚悟を決めた時に一人の人間の女にかばってもらった」

「人間に?」


 リサの言葉にミリアザールはしっかりと頷いた。


「そうじゃ。その女は、当時まだ魔術という概念が普及していないにもかかわらず、回復魔術を使いこなしておってな。村人からは非常に大切にされておった。まぁそれ以上に、人柄が素晴らしかったのじゃが。ともあれワシは彼女に助けられ、とても大切にされた。よく彼女の膝の上に乗っかって、頭を撫でてもらったよ。そのうち村人もワシに良くしてくれるようになってな。ワシは初めて自分の居場所を得られた気分じゃった」

「……」

「そんな折、その女に花を摘んでやろうと思い、森に半日ほど入っておった。そして帰ると、村は魔物に襲われて全滅しておった。魔物が憎かったが、いかんせんワシは当時弱かった。何もできず逃げ出し……そしてなんとか生き延びたワシは修行を積み、数十年後、その魔物達をこの世から種族ごと根絶やしにした。じゃが――」


 ミリアザールが一間おく。


「全て終えて虚しいだけじゃった。村人達が帰ってくるわけでなし、当時の生活が戻るわけでもなし。人生の目的も無くし、一人になったワシはやることもなくなり、そこかしこを放浪するうちに行き倒れの人間を助けてな。それがワシに非常に感謝しよるのじゃ。魔物のワシになぜ? と思ったが、ワシは自分の姿を泉で見ると、いつの間にか人間と同じになっておった。ずっと村人の仇を討つことばかり考えておったからなのか。理由はわからんがの」

「自在に?」

「ほぼ、な。さすがに骨格を変えるのはかなり力を要するから、気安くはできんが。顔形はワシを助けた女がどうやら元になっておるようじゃ。今では幻身と呼ばれる魔術の一種として確立されているが、ワシの場合は骨格も変えるから変化へんげとでもいうのだろうな。ともあれ、ワシはそれから人助けをして回るようになった。高尚な目的などなく、ただの暇つぶしじゃったのじゃ。

 最初に助けた男もワシに付いてきて、初めての部下となった。それからワシと行動を共にする者は次々と増えていき、紆余曲折を経て今のアルネリア教になった」


 ここまでの話を聞いて、リサは納得がいった。アルネリア教がゆきずりのように成立したとは驚きだが、やっていること自体は間違ってはいないだろうとリサは思う。ギルドでの稼ぎもままならない頃、アルネリアの配給や施療院の世話になったこともある。


「なるほど」

「じゃからワシにとって孤児を助けるなぞ、日常茶飯事なのじゃよ。心配はせんでええ。孤児でもきちんと教育を施し、機会を与えれば立派に成長する。アルネリア教に仕えんでも、他の国でも士官の口はある。孤児から騎士になった者、町を作った者、なんなら国を興した者までおったな。ラザール家の初代も孤児じゃしの」


 リサは言葉がなかった。ミリアザールは気の遠くなるような年月、人間の守り手であり続けたのだ。そしてこれからもそうだろう。彼女なら信頼できるかもしれない。初めて信頼する目上の者が魔物とは、実に皮肉なものだが。いや、既に黒髪の剣士であるアルフィリースも信頼していることも考えて、実に数奇な運命であることにリサはふっと笑った。


「で、ワシのことは喋ったが、自分のことはどうじゃの? どうせ誰にも話したことがあるまい。話すなら今がよい機会じゃとは思うがな」

「聞きたいですか?」

「まぁ、実のところどっちでもええんじゃが。しかし話さんと、お主の心が均衡を失う気がするよ。どうやらお主の過去は重荷になっており、自分で処理しきれておらんようだからの。自分では気付いておらん、いや、わざと意識しておらんのか」

「貴女、センサーですか? それとも人の心を読む魔術でも?」

「年の功じゃよ! カッカッカッ」


 快活に笑う魔物。でも彼女ならば誰よりも信頼できるかもしれない。ミランダやアルフィリースはまだ自分達のことで精一杯だろう。それにきっと自分は彼女に似ているんだ。リサはそう思い自分の過去を思い出す。中原に珍しく、しんしんと降る雪の中で独りぼっちだった自分。そうか。もう私の心をあの場所から解放してやるべきなのかもしれない、とリサは思うのだ。


「つまらないリサの過去でよければ、ぜひとも聞いてください」

「よかろう。ゆるりと聞こうぞ」


 自分より小さいミリアザールに頭を撫でられる。そうして、リサは自分の一番古い記憶を思い出していた――

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